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★金沢八景案内子[金沢八景詩歌案内子](天保12年)  【作者】雙田藤八(源明行)書

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★金沢八景案内子[金沢八景詩歌案内子](天保12年)
【判型】半紙本1冊。縦236粍。
【作者】雙田藤八(源明行)書。
【年代等】天明4年初刊。天保12年5月再刻。[武州倉城郡金沢村]擲筆山(テキヒツザン)地蔵院(能見堂)蔵板。
【備考】分類「往来物」。武蔵国久良岐郡金沢村(武州金沢藩)の名所である「金沢八景」、すなわち、武州倉城郡(後の久良岐郡)六浦荘村と金沢村(現・神奈川県横浜市金沢区)の8カ所の名勝である「乙艫帰帆(オットモノキハン)」「小泉夜雨(コズミノヤウ)」「平潟落雁(ヒラガタノラクガン)」「瀬戸秋月(セトノシュウゲツ)」「野島夕照(ノジマノセキショウ)」「洲崎晴嵐(スサキノセイラン)」「内川暮雪(ウチカワノボセツ)」「称名晩鐘(ショウミョウノバンショウ)」(以上、小文の記載順)を紹介する小文と「金沢八景詩歌」を記した表紙とも全7丁の小冊子。前半の小文は、「爰ぞ武蔵の六浦(ムウラ・ムツウラ)の庄、四石八木数々の、多き詠めに金沢や、筆も及ばぬ八の景、東を遙に見渡せば、海漫々と際もなく、釣する舟の浪分て、妻も乙鞆帰る帆に、家路へ急ぐかつきの業、世渡る業のこと繁く、色々種に替れども、恋は隔てぬ中垣や、賤がふせやも一すじに、君小泉の夜の雨…」と起筆し、「…其外、数多の名所は具(ツブサ)に語りも尽されず。かゝる無双の絶景を洩さず眼下に備ふる事、能見堂の名にめでゝ、よく見給へや。旅人と言葉絶して案内子は、おしへてこそは帰りけれ」と結ぶ七五調の文章で、金沢八景の風趣と名所の故事来歴等を記す。なお、板元の擲筆山地蔵院(能見堂)の歴史は古く、文明18年(1486)には廃絶していたとの記録もあり、その後、久世(クゼ)大和守宏行の再興後に再び発展した。江戸時代の最盛期は9代目住職道曹の天明年間(1781-88)以後と考えられ、『能見堂八景の画図』『金沢八景詩歌』『金沢八景案内子』などが能見堂から出版された。交通の要所でもあった能見堂は、眺望が素晴らしく、その景色を中国の「瀟湘八景」に準じて前記の如き「金沢八景」が愛でられつようになった。しかし、能見堂は明治2年に焼失した後は廃れてしまった。
06地カナザワハッケイアンナイシ(天保12年)★【往来物・地誌】8 SE00696

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