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産科新論(2種)
¥2,800
産科新論(2種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦259・258粍。 【作者】立野竜貞作・序。暘充平泰・立野文仲(子徳)・雲亭君固・林俊庵・吉見通篤・伊藤玄貞・東条桃仙校。小町玉川(成)序。 【年代等】文政2年8月、亀田鵬斎序。文政2年冬、中山元貞序。文政2年秋自序。文政2年冬、片山樹徳・柳見仙跋。文政3年9月刊。折肱斎蔵板。[江戸]若林清兵衛ほか売出。 【備考】分類「医学」。刊記の異なる2種を収録。前半(題簽付)は中巻を欠くため、後半(題簽欠)で補った。後半の上下巻は抄録。上巻に経水論・受胎論・姙娠論・悪阻論(附、乳汁論)・双胎論・血暈論・子癇論・鎮帯論・産椅論、中巻に胎漏(附、治術并出図説)・転胞(附、治術)・子懸(附、治術)・正座(附、治術并出図説)・正産(附、治術并出図説)・逆産(附、治術并出図説)・坐産(附、治術并出図説)・横産(附、治術并出図説)・血暈(附、治術)・胞衣不下(附、治術)・子宮脱肛膀胱脱(附、治術)、下巻に妊娠難病(附、治方)・産後難病(附、治方)・妊娠麻疹論(并出治方)・附録治験十五条を収録する。中巻に多数の図解を掲げる。SE02988
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これらよばうの心得十三ヶ条・いろは歌(コレラ予防の心得)
¥700
これらよばうの心得十三ヶ条・いろは歌(コレラ予防の心得) 【判型】中本1冊。縦193粍。 【作者】不明。 【年代等】明治頃書。 【備考】分類「医学」。SE02926
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〈前編〉コレラ病論〈三日コロリ病、附霍乱〉(木活字版)
¥1,200
"〈前編〉コレラ病論〈三日コロリ病、附霍乱〉(木活字版) 【判型】大本1冊。縦255粍。 【作者】(独)モスト・トオンメル原作(1835年『医学韻府』のコレラ項の翻訳)。上編:新宮凉民・大村達吉・新宮凉閣校閲。下編:新宮凉民・長柄春龍校閲。新宮凉閣訳。 【年代等】安政5年9月刊。[京都]寧寿堂板。 【備考】分類「医学」。袋綴じ展開収録。本書は、木活字版で、いわゆる安政コレラが猩獗をきわめた時期に出た専門書。主としてモストのほか、何人かのコレラ論を紹介している。当時、「虎列剌」と書くのが一般的であったなかで、書名がかな書きであるのは漸新的である。急に落命することから「虎狼痢」ともいわれた時代であるが、この「痢」は下痢を兼ねる。京都南禅寺に医学教育施設「順正書院」を創設した新宮凉庭(1787-1854)は有名だが、新宮凉民はその娘松代の婿養子で、もとは優秀な門人・柚木舜民であった。また、新宮凉閣も田辺藩士・古河家より養子となった人で、『『虎[レ]羅記事』も著している。大村達吉は、当時京都で漢蘭折衷家を標榜し、新宮一族と親交のあった医師の一人(滋賀医科大学HP参照)。 SE02925
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護痘要法
¥1,400
護痘要法 【判型】中本1冊。縦190粍。 【作者】池田京水(瑞英・大淵)作。渋江抽斎(全善)編・序・跋。 【年代等】天保2年1月跋。同年3月序・刊。[江戸]渋江抽斎(柳ゲン薬室)蔵板(私家版)。 【備考】分類「医学」。製本所=[江戸]松沢庄八(永覚堂)。SE02885
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こそだて草
¥1,400
こそだて草 【判型】大本1冊。縦250粍。 【作者】小池貞景作。 【年代等】弘化4年10月序・初刊。明治初年後印。[東京]近江屋半七板。 【備考】分類「医学・教育」。SE02868
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〈崇蘭館〉古今集験方読辨解
¥5,840
〈崇蘭館〉古今集験方読辨解 【判型】半紙本2巻2冊。縦237粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期書カ。 【備考】分類「薬物」。『崇蘭館古今集験方(崇蘭館集験方)』の解説書。 SE02832
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〈外科収功〉図式[繃縛図式]
¥700
〈外科収功〉図式[繃縛図式] 【判型】半紙本1冊。縦230粍。 【作者】大槻茂禎(大槻磐里・玄幹)作(附言)。鏑木雲潭画。 【年代等】文化10年6月附言。文化10年9月、桂国寧序。文化10年秋、岡惟徳跋・刊。刊行者不明。 【備考】分類「医学」。『泰西外科収功』3巻本のうち「図式」のみの単行刊本。 SE02670
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〈金創秘授〉外科訓蒙図彙
¥1,520
〈金創秘授〉外科訓蒙図彙 【判型】半紙本2巻2冊。縦226粍。 【作者】伊良子光顕(伊良子主膳・孝伯)作・序。田敬信(修庵)・嘉矩光(雄治)・滕文傑(淳庵)・谷玄啓(士雄)校。 【年代等】明和4年2月自序。明和6年3月刊。[京都]林宗兵衛(斯文堂)板。 【備考】分類「医学」。パレー外科書の抄訳で唯一の刊本。楢林鎮山の紅毛外科宗伝の中で「仕掛書」「全瘡跌撲図」を和文に改めたものに光顕が加筆し、オランダ流の外科治療法を当時の用語に置きかえ説明する。伊良子光顕(1737-98)所蔵の和蘭流医書を門人4名が校訂し刊行した書と知られる。金創(金瘡)は刀傷や槍傷などのことで、金創の医学は室町時代末期から安土・桃山時代における、いわゆる戦国時代以降、負傷者の増加に伴い隆盛した。本書に原本に関する記述はないが、デフルトの医師カロレンバッテムが和蘭語訳した、フランスの外科医アンブロアスリパレ(Ambroise parè 1517-70)の著した『パレ外科書』である。この書は、すでに宝永3年に楢林鎮山(1648-1711)によって「金創跌撲療治之書」として抄訳され『紅夷外科宗伝』に収められ、また西玄哲(1681-1760)はそれを改編して享保20年に『金瘡跌撲療治之書』を著したが、本書はこれらと同一の内容を有す。本書は、18世紀初頭から翻訳・書写されていた蘭学流外科書を、中期になって初学者を教えさとす意の「訓蒙」の書として刊行した作品といえる。日本の蘭学は、杉田玄白等が訳した『解体新書』(安永三年(一七七四)年刊)刊行以後隆盛するが、本書はそれに先駆けて刊行された蘭学流外科書として非常に注目される(『訓蒙図彙集成』20巻解題参照)。上巻に「金創総説」第1、「頭面之部」第2、「缺唇之部」第3、「頸之部」第4、「胸背之部」第5の5章、下巻に「腹腋之部」第6、「脇腰之部」第7、「手足之部」第8、「惣身之部」第9、「膏薬之部」第10の5章を収録し、随所にオランダ医学書を模写した挿絵を掲げる。SE02669
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救荒須知録
¥1,400
救荒須知録 【判型】中本1冊。縦174粍。 【作者】凌雲居士作・跋。 【年代等】天保4年10月跋・刊。[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。 【備考】分類「災異」。救荒作物を始め備荒および飢饉時の諸心得を記した救荒書。巻末広告に「此書は凶年の心得をはじめ粮(かて)となすべき草木の品類、常々蓄積(たくわいつむ)の事、細大洩さず簡にして尽せり。一家の主、一郷の長たる人、坐右に欠べからず。実に方今有益(うえき)の書なり」とあるように、『民間備荒録』『救荒本草』『本草綱目』など救荒書・本草書からの知見を盛り込みつつ、味噌・塩など平常時の備蓄、食用となる草木の葉根・木の実、飢餓状態での飲食心得、日頃の倹約や困窮者への施し等の心得を説いた後、本文の中程で「粮となる」萍蓬草(へいほうそう)・蒲児根(ほじこん)・野荸薺(やぼっせい)・鼓子花(こしか)・苧根(ちょこん)など種々の救荒作物毎に、食用になる部位や加工・調理・保存法、味わい、摂取時の諸注意(食い合わせその他)などを適宜略述する。後半では、「民の長たる者」が読むべき救荒書を数多く列挙し、作者の見聞に基づく備荒や凶年予測の知恵、五穀不熟を避ける農事上の秘訣、平時に備える備荒の要に言及する。天保の大飢饉の被害が甚大であった東北地方の民衆をいち早く啓発した書として注目される。巻末広告に「きうくわうすうちろく」とある。また、裏表紙に「天保十年、二月吉日、濱田屋店」の記載あり。SE02540
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救急法[長生法附録]2(2種)
¥700
救急法[長生法附録]2(2種) 【判型】中本1冊。収録順に縦177・185粍。 【作者】不明。 【年代等】明治初年刊。[東京]有喜堂蔵板。 【備考】分類「医学」。装丁の異なる2本を収録(後半仮綴じ本は抄録)。「救急療法(キュウビョウスクイカタ)并貯薬用法(ヨウイグスリモチイカタ)」「眩暈・卒倒(メマイ・タチグラミ)」「消化不良并に飲留(ムネノツカエ)」「下利(痢)」「便秘」「嘔吐」「腹痛」「霍乱」「中食(ショクアタリ)」「感冒」「瘧病(オコリ)」「蛔蟲」「截傷」「打撲」「火傷」「咬傷」「重病中の失神」について記した小冊子。 SE02539
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〈長生法附録〉救急法[長生法附録]
¥700
〈長生法附録〉救急法[長生法附録] 【判型】中本1冊。縦185粍。 【作者】不明。 【年代等】明治初年刊。刊行者不明。 【備考】分類「医学」。「救病療法并貯薬用法」「眩暈・卒倒(メマイ・タチグラミ)」「消化不良并に飲留(ムネノツカエ)」「下利(痢)」「便秘」「嘔吐」「腹痛」「霍乱」「中食(ショクアタリ)」「感冒」「瘧病(オコリ)」「蛔蟲」「截傷」「打撲」「火傷」「咬傷」「重病中の失神」について記した小冊子。SE02538
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〈軍陣備要〉救急摘方(正・続)
¥2,700
〈軍陣備要〉救急摘方(正・続) 【判型】中本2編2冊。収録順に縦183・187粍。 【作者】平野元良(無適道人)作。 【年代等】正編:嘉永6年11月、守拙(芄蘭舎の主)序。嘉永6年冬刊。[江戸カ]芄蘭舎蔵板。続編:安政3年4月、守拙(かがみやの主)序。安政3年初刊(刊行者不明)。安政4年6月刊。[江戸]和泉屋金右衛門板。 【備考】分類「医学」。袋綴じ展開収録。続編は別本も抄録した。戦場における傷病の応急処置や食中毒・伝染病その他の予防に関する心得を記した書。2編2冊。目次に従えば、正編は、「書を著す主意の事」「火傷の手当の事」「鉄鉋の玉をとる事」「火弾にて火傷せし手当の事」「毒烟に中りたるを療ずる事」「金創手あてのこと」「血留の薬のこと」「金創の心得のこと」「閃挫(クジキ)の手当の事」「打身にて即死したるを救ふこと」「骨を折たるときの手当の事」「暑気に中りて悶絶せんとせし時の手当の事」「凍死たるを救ふ心得の事」「溺死たるを救ふこゝろえのこと」「気を養ふて敵を圧(オス)力を生ずる事」「薬方八首」の16項を記す。巻末に包帯処置の図や骨接ぎの図を数多く掲げる。また続編は、「陣取べき地を択(エラビ)用べき水を検(タダ)し、惣て陣屋を構る心得の事」「在陣の隊長(モノガシラ)歩卒までの心得の事」「食傷・霍乱、及一切の毒に中たるを救心得の事」「傷寒・時疫・疫瘧(オコリ)・痢病すべて伝染(ウツル)べき病の心得」「凍死(コゴエジニ)を救心得のこと」「溺死(オボレジニ)をすくふこゝろえのこと」「金創(キリキズ)を療ずる心得の事」「銃丸(テッポウダマ)の創を療ずる心得の事」「勇気を長ずる必験の妙薬のこと」「薬方八首」の10項を記す。巻末に「八華の灸所の図」など数葉の図解を付す。なお、早大本の書袋によれば正編は定価銀3匁という。 SE02537
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救急撮要[救急撮要方]
¥1,600
救急撮要[救急撮要方] 【判型】三切本1冊。縦72粍。 【作者】蘿藦舡人(ラマコウジン、隠士默翁)作・序。 【年代等】安政4年閏5月、丹波元佶序。安政4年閏5月自序・刊。桜寧室蔵板。 【備考】分類「医学」。袋綴じ展開収録。多紀元徳(モトノリ)作『済急方』、多紀元簡(モトヤス)作『救急選方』をもとに、それらに漏れた処置法を補った、旅中および従軍中の携帯用、一般向け救急法書。「素人の急病を救得らるべきこと」を旨として編集したものとする。記事は小見出に相当する語(本文には小見出はない)のイロハ順に収録されているが、早引き用の目次は「卒倒諸証(にはかにたふるゝやまひ)」12項(目次記載項目)、「卒暴諸証(にはかなるやまひ)」35項、「緩慢諸証(ゆるやかにわづらふやまひ)」12項、「外傷の類(けがのたぐひ)」28項、「横死の類(やまひにあらでしぬる)」5項、「諸物中毒(もろもろのどくにあたりたる)」16項、「婦人諸証(をんなのやまひ)」3項、「小児急証(こどものにはかやまひ)」4項、「瘡瘍の類(さまざまのできもの)」12項で、9分類合計127項を収録する。 SE02536
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急救医法[賜民薬方・救民薬方録]
¥1,400
急救医法[賜民薬方・救民薬方録] 【判型】半紙本1冊。縦219粍。 【作者】阿部正興(正右衛門*奥州須加川住)作・序・跋。 【年代等】文化8年1月自序・刊。[奥州須加川]著者蔵板。[江戸]西村屋与八製本。 【備考】分類「医学」。「大人小児急病、或は急難を救ひ治する秘方」を述べた民間療法の小冊子(施印本)。SE02535
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木曽福島(角間覚兵衛)「奇応丸」薬袋・効能書
¥1,400
木曽福島(角間覚兵衛)「奇応丸」薬袋・効能書 【判型】薬袋上袋は縦100粍(包み外寸)。効能書は縦150粍。薬袋中包1袋付き。 【作者】[木曽福島]角間覚兵衛製。 【年代等】江戸後期カ。 【備考】分類「古文書」。上包は雲母摺で、薬種名と処方量を手書きしたうえ、裏面に「近年所々に紛敷類薬多く御座候ニ付、包紙板行。能書等御吟味之上御求メ可被下候。以上」と刷り込む。SE02519
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改補外科調宝記
¥4,080
改補外科調宝記 【判型】横本1冊。縦110粍。 【作者】不明。 【年代等】文化2年11月補刻。江戸後期後印。[大阪]河内屋嘉七ほか板。 【備考】分類「医学」。袋綴じを展開して収録。本書は、主に身体各部に生ずる外科的疾患の症状や治療法などを整理した調法記。巻頭に「諸腫瘡の図」を掲げ、以下「癰疽(ヨウソ)総論」「同治法辨論」「脳疽(ノウソ)之論」「乳癰乳岩并諸乳病」「肺癰肺萎」「心癰」「脇癰」など99項目に分けて記す。/悪性の腫れ物について、その症状と治療法、薬方について記した書。傷についても若干の項目がある。巻初に百十一集の「諸腫瘡之図」を人体の絵とともに示している(国文学研究資料館DB)。SE02287
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温泉奇効記[草津温泉来由記]
¥1,400
★温泉奇効記[草津温泉来由記] 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期刊(明和4年以前刊)。板。 【備考】分類「医学」。本書には諸本いずれも刊記がなく、伝本も少ないが、底本には「明和四年」の書き入れがあり、初刊年代の特定の根拠になるうえで重要。草津温泉の効能などを記した書。まず草津温泉の来由についていくつかの説を掲げ、効能にも触れる。また、温泉に因む「薬師如来霊夢の和歌」「行基ぼさつの歌」を掲げ、続いて、「温泉能毒大略」、滝之湯以下主な温泉の効能、さらに「入湯の考」「滝の湯」「御座の湯」などに分けて詳述する。 SE02233
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越氏生理各論後扁7
¥2,000
越氏生理各論後扁7 【頁数等】149頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00014
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越氏生理各論後扁6
¥2,000
越氏生理各論後扁6 【頁数等73頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00013
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越氏生理各論後扁5
¥2,000
越氏生理各論後扁5 【頁数等】77頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00012
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越氏生理各論後扁4
¥2,000
越氏生理各論後扁4 【頁数等】101頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00011
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越氏生理各論後扁3
¥2,000
越氏生理各論後扁3 【頁数等】67頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00010
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越氏生理各論後扁2
¥2,000
越氏生理各論後扁2 【頁数等】71頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00009
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越氏生理各論後扁1
¥2,000
越氏生理各論後扁1 【頁数等】97頁 【著者等】大久保恒成筆記、村上俊平校訂 【年代等】明治10年6月7日印刷 【備考】出版人柳原喜兵衛、花井知久 大阪医学校でのオランダ人教授エルメレンスの講義を纏めたもの。 エルメレンスはミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年(明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。 その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。 前編4冊 後篇7冊 ST00008