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仙台状(7種)
¥3,300
仙台状(7種) 【判型】大本または特大本1冊。収録順に縦268・255・249・271・279・279・275粍。 【作者】安部氏38歳書(文化8年本)。 【年代等】収録順に寛保4年2月書(天保3年11月書き入れ)、天明8年11月書、文化8年2月書、文化9年書、文化6年6月書(文化8年・文化14年書き入れ)、天保9年1月書、天保12年書(天保13年製本)。 【備考】分類「往来物」。寛保~天保期の「仙台状」7種を全冊収録した。『仙台状』は、青葉城の沿革や城下の様相、伊達政宗の御諚、六奉行の設置、仙台の名称の由来、奉行所評定および国境警備などを記した往来。最も流布した『仙台状』の一系統。『青葉山之由来』と比較して、用明天皇から寛永16年の二の丸完成までの歴史、また、御台所主催の酒宴遊興に関する冒頭部を欠く。『青葉山之由来』の方が古態に近いと考えられるため、『仙台状』はその異本と見なし得る。底本で最も古い寛保4年写本は、「奥州伊達郡之内宮城之郡仙台と申者、抑忝茂松平陸奥守政宗公之御在城…」で始まる本文を大字・4行・無訓で記す。SE03213
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★庄内松竹往来[松竹往来](文政3年)
¥1,400
★庄内松竹往来[松竹往来](文政3年) 【判型】大本1冊。縦241粍。 【作者】角田儀右衛門・佐々木作左衛門作。 【年代等】寛文12年作。文政3年12月書。 【備考】分類「往来物」。『庄内松竹往来[松竹往来]』は、「孟趣之吉兆珍重々々。富貴万福幸甚。日々新而自他之繁栄重畳…」で始まる全1通の新年祝儀状形式で、まず城中で行われる新年儀式や正月行事の概略を示し、続いて、この時に献上される「在々所々之進物」として、同地周辺の名産品(果実・菓子・鳥獣・魚類・青物・山菜・虫類・樹木・織物・染物・醸造品・工芸品・穀類等)などを極めて多く列記し、さらに、羽黒山・月山・湯殿山・金峰山等の寺社結構や信仰の様子、南部田川郡の名湯と効能、各地の四季や自然、寺社・名勝・古跡などを紹介した往来。かなりの長文で、その約半分を物産の記述に当てるのが独特で、かつ、初期の地誌型往来として注目される。前半を書簡文風、中程を「字尽」風、後半部を記事文体で綴り、最後に、如上の国土富饒が「英主之恩沢」によるものと説き、「万歳之亀崎、千代之鶴岡者、繁昌豊栄、今此時也」と結ぶ。なお、矢嶋寿軒が享保頃に編んだ『庄内往来』は本書の内容を全12通の書簡文体に改編したものである。SE03193
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〈大橋流〉江戸往来[自遣往来](寛文板系統付訓本・4種)
¥3,420
〈大橋流〉江戸往来[自遣往来](寛文板系統付訓本・4種) 【判型】大本1冊。収録順に縦256・271・259・272粍。 【作者】大橋重政書カ。 【年代等】寛文9年3月初刊([大阪]柏原屋与左衛門板)。江戸前期後印([大阪]本屋三郎兵衛板)。その他は江戸中期後印(刊行者不明)。 【備考】分類「往来物」。寛文9年板付訓本の同板・異板4種を全冊袋綴じ展開収録。『江戸往来』は、全編1通の手紙形式を採り、第1に年始の挨拶、第2に千代田城内での将軍家を中心とする年始の儀式ならびに行事の有様、第3に諸国より流入する土産・菓肴・衣服・器財・舶来の品々、第4に江戸の広さおよび町々の方角と武家民家の密集する様子、第5に明暦年中に玉川の水を東南の地に引いたことや、万治年中に隅田川に両国橋をかけたこと、第6に不忍池遊興の状況を叙して御代の泰平を謳歌する。このように江戸の案内書も兼ねることから、内題を『自遣往来』としたとも考えられ、この書名によっても普及した往来である。その構成においては、『駿河状(駿府往来)』よりの影響を受けているが、同時に第3~6項は江戸の武家・庶民が営む生活に即した独自の内容であり、地理科往来・地誌型の代表的な往来となった。底本は、大橋流の手本で、大字・4行・付訓(寛文板は音訓を左右に付す両点)で記す。SE03150
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三賢一致書[〈新板〉三界一心記〈三賢一致書〉](寛文4年後印)
¥1,000
三賢一致書[〈新板〉三界一心記〈三賢一致書〉](寛文4年後印) 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】大竜編。 【年代等】文保元年作。慶安2年初刊。寛文4年3月再刊。刊行者不明。 【備考】分類「思想」。三賢(儒・仏・神)から人間の生死を説いた書。女身不浄説を退け、夫婦和合による受胎から胎内十月の変容について記す。鎌倉末期の三道一致説を述べた啓蒙書。題注に「儒釈道の三道一致に帰するゆへに三賢一致と号す」とある。神道の諾冊二神を中心として儒釈二教との同質性を論弁したもので、陰陽二神は、易道では乾坤二儀といい、真言にては金剛胎蔵大日と称し、禅那においては第二儀門に相当すると説き、天は父、地は母、これを易では屯卦といい、仏説には父母の愛念によって六道初めて生ずると述べ、三教の本旨は一理に帰すると論じている(「日本思想史文献解題」参照)。SE02994
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祭礼節解
¥1,380
祭礼節解 【判型】大本2巻2冊。縦264粍。 【作者】三宅鞏革斎(キョウカクサイ・三宅道乙ドウイツ)作。 【年代等】寛文7年4月刊。[京都]田中文内板。 【備考】分類「祭祀」。白嵜顕成「藤村庸軒をめぐる人々(2)」(『教育諸学研究』第17巻)によれば、『祭礼節解』は、三宅道乙が『家礼』を我が国の習俗に合うように注釈し、書き改めたものである。儒教では、人間を精神と肉体とに分け、精神の主宰者を魂(『祭礼節解』では神)と呼び、肉体の主宰者を魄(『祭礼節解』では神)と呼ぶ。人間は死ぬことによって、魂は天上に、魄は地下に行くことになる。そこで祭を執行する場合、先祖の魂と魄をこの世に呼び戻し、それぞれの神主に魂と魄を招く。香木を焚いて天上の魂を招き、酒を地上に置かれた茅沙に注いで地下の魄を招く。これが「降神」と云われるものである。三宅亡羊が亡くなった時、道乙は朱子の『家礼』にもとづき、日本の風土に合せ、修正すべきは修正し、略すべき所は略し、儒教式の葬送儀礼にもとづいて、喪祭を行った。しかし当時、今だ我国においては、儒教式の喪祭は理解されず、笑われたという。それで道乙は、『喪禮節解』と『祭禮節解』を著し、喪礼と祭礼について解説すると共に、『家礼』の注釈をなした。『祭礼節解』は当時の宗教儀礼の内容や式次第を知る上での貴重な資料である。 また、吾妻重二「日本における『家礼』の受容―林鵞峰『泣血余滴』、『祭奠私儀』を中心に―」(東アジア文化交渉研究 第3号)によれば、『家礼』は、遅くとも室町時代中期すなわち15世紀には完本がもたらされていたことが確認できるが、しばらくの間、特に反響をもたらすこともなく、江戸初期に初めて脚光を浴び、仏教式ではない儒教式の「礼儀」といえば『家礼』を指すようになる。陽明学者の中江藤樹はすでに寛永4年の時点で祖父を『家礼』によって祭り、陥中をもつ『家礼』式の神主を作っているから、『家礼』の祭礼実践例としてはかなり早い。慶安元年の藤樹の葬儀も、門人により『家礼』に沿って行なわれた。これら藤樹たちの神主は、今なお滋賀県高島市の藤樹書院に見ることができる。また、山崎闇斎は慶安3年に先祖の神主を作り、その祭祀も『家礼』によった。さらに闇斎は承応2年の姪の葬儀や延宝6年の会津藩士、安西平吉の葬儀も『家礼』に従って行った。京都の朱子学者、中村惕斎は明暦元年に住居の一隅に祠堂をかまえ、三世の木主(神主)を安置して祭祀を行なったが、これも『家礼』によるものであった。惕斎はその後、『家礼』にもとづく喪礼と祭礼を実施し、さらに元禄3年、喪礼の書として『慎終疏節』4巻を、祭礼の書として『追遠疏節』1巻を著わし、さらに補足として『慎終通考』7巻および『追遠通考』5巻を残した。京都の三宅鞏革斎は、藤原惺窩門人の三宅寄斎の養子であったが、慶安2年、寄斎の死去に際し、これを『家礼』および『儀礼』にもとづいて埋葬した後、寛文元年に『喪礼節解』2巻を、寛文7年には『祭礼節解』2巻を刊行した。この時期、平仮名の和文による『家礼』の解説書も著わされており、京都の書肆兼学者の大和田気求(? —1672)の『大和家礼』8巻、および中村惕斎の友人、藤井懶斎(1626—1706)の『二礼童覧』2巻などがある。以上の様に、江戸初期の17世紀初めから後半にかけて一部の儒者・儒教共鳴者により『家礼』が研究されており、『家礼』にもとづく喪礼と祭礼がたて続けに実施されているのは注目に値する現象であり、当時の儒教思想家の多くは、とりもなおさず儒教儀礼の実践者でもあった。SE02959
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摧邪評論[摧邪評輪]
¥1,000
摧邪評論[摧邪評輪] 【判型】大本2巻2冊。縦277粍。 【作者】不明。 【年代等】寛文7年6月刊。刊行者不明。 【備考】分類「仏教」。小澤富夫・山本眞功編著『備前心学をめぐる論争書』によれば、『摧邪評論』は岡山藩における寛文期の仏教統制に対する仏教側からの批判書である。すなわち岡山藩においては寛文5年以降にキリシタン改めを強化したが、それに伴い池田光政は他藩に見られぬ独自の廃仏興儒策(①神社淘汰と寄宮の整理策、②寺院淘汰と僧侶の還俗追放、③寺請制から神職請への転換)を断行し、寛文6年8月に「申渡九箇条」を発令した。これらの仏教統制に対する仏教側からの批判として著されたものが『摧邪評論』であり、著者も板元も記載されていない。本書ではまず光政が領民に示した「九箇条」の書付を掲げ、その排仏策が不当なことを批判・反駁する。さらに、神道の正直、儒道の誠、仏道の慈悲が根本において同じものであるという「三教一致」立場から排仏の非なることを批判した。さらに、この『摧邪評論』に対して寛文8年に儒者側から釈明・反駁を試みたのが『儒仏論聞書』であった。このように『摧邪評論』は、江戸前半期における熊沢蕃山(岡山藩における排仏論の理論的指導者)を含む儒仏論争の一端を物語る貴重な資料である。SE02951
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五倫書
¥1,100
五倫書 【判型】大本1冊。縦263粍。 【作者】熊沢蕃山(伯継)作(『国書総目録』)。 【年代等】寛文6年1月刊。[京都カ]伊吹吉右衛門板。 【備考】分類「教育」。慶安3年刊『心学五倫書』とは別内容。 SE02921
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孝経纂註
¥2,280
孝経纂註 【判型】大本1冊。縦272粍。 【作者】貝原元端(モトマサ・存斎)注。 【年代等】寛文4年9月刊。[京都]長尾平兵衛板。 【備考】分類「漢学」。冒頭部破損。SE02719
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〈和漢〉賢女物語[けんちよ物語・和漢賢女物語](2-5巻)
¥1,640
〈和漢〉賢女物語[けんちよ物語・和漢賢女物語](2-5巻) 【判型】大本4冊(全5巻中)。縦257粍。 【作者】満女(芳菊軒某母)作・序。 【年代等】寛文9年5月刊。[京都]秋田屋五郎兵衛板。 【備考】分類「仮名草子」。第1巻欠。巻1・2「親孝之部」(「よめいりせぬうちは、ちゝはゝにつかふまつるべきかんようの事」以下9話)、巻3「姑孝之部」(「嫁しては舅姑につかふまつるべき事」以下7話)、巻4・5「夫節之部」(「嫁しては夫に貞節をつくすべき事」以下14話)の3部・合計30話から成る。序文によれば、「いまやうの女は無下にものいひきたなく、作法みだりにして…よろつにつけて、をうなの道にたかへることのみぞおほかる」といった当代の現状を憂えた作者が、和漢の賢女・孝女・貞女の説話によって、父母・舅姑への孝や夫への貞節を諭した絵入り女訓書。孝・貞のために自らの死をもって代償することを随所で美化し、極めて残虐な行為が尊い自己犠牲と正当化する。なお、『本朝女鑑』や『大倭二十四孝』との関連から、本書の作者を浅井了意と見なす説もある。SE02689
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源三位頼政家集[源三位頼政卿集]
¥1,680
源三位頼政家集[源三位頼政卿集] 【判型】半紙本2巻合1冊。縦223粍。 【作者】源頼政作。 【年代等】寛文元年12月初刊。江戸中期後印。[京都]出雲寺和泉掾板。 【備考】分類「歌集」。「源三位頼政集」とも。2巻2冊。和歌。源頼政の家集。安元2年(1176)から治承2年(1178)にかけての頃、青年期から晩年まで50年にわたる作を蒐集整理、自選したと推定される。藤原俊成の『長秋詠藻』に準じ、藤原実定・同重家・同教長・同清輔・俊恵らの家集と同様に、本集も仁和寺宮守覚法親王に進献されたかとする説があるが、成立の時期・背景や内容からして首肯される。なお、一旦成立の後、自身または他人の手で増補されたらしい作も若干ある。歌数687首。上巻は春・夏・秋・冬・賀・別・旅・哀傷、下巻は恋・雑の、10部から成る。恋の部は233首で、全体の3分の1を占める点や、その題材の豊富さ、表現が独自で、ユーモアにも富むなど、特に注目される。集中、題詠の作では、会記を示すものが140首にのぼり、出詠歌会、歌合の類は55の多数を数える。社会的地位に比して歌人活動の幅が広く、歌壇で重視された証でもあろう(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02680
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楠桜井書
¥700
楠桜井書 【判型】大本1冊。縦269粍。 【作者】不明。 【年代等】寛文元年9月序。天和2年7月刊。[江戸]山本九左衛門板。 【備考】分類「教訓」。SE02622
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楠家伝七巻書(天和2年)
¥2,760
楠家伝七巻書(天和2年) 【判型】大本7巻5冊。縦255粍。 【作者】伝恩地左近丞(正俊)作。 【年代等】寛文9年3月序。天和2年3月初刊([京都]小河多右衛門ほか板)。江戸後期後印。[大阪]河内屋源七郎板。 【備考】分類「兵法」。袋綴じ展開収録。『楠家伝七巻書』は、楠正成の重臣、恩地左近丞(正俊)が建武3年5月に著したと伝える楠流兵書。内容からして近世の偽作と考えられる。奥書に「恩地正俊より和田民部丞殿御奏上」となっているから室町将軍家へ奉ったものであろう。和田氏は南朝の名家で、後足利氏に仕えた。楠正成は武士の模範として、江戸初期より武道・兵法関連書の題材とされ、『恩地左近太郎聞書』『楠正成一巻書』『楠桜井書』『楠法令巻』『楠家伝七巻書』など正成ゆかりの兵書が盛んに編まれ、刊行されてきた。また、本書の作者に擬せられる恩地左近は楠木正成の腹心の老臣としてしばしば小説等に登場し、あたかも実在の人物のように扱うものもあるが、『太平記』には見えず、近世初期に成立の『太平記評判秘伝理尽鈔』に登場する人物であり、太平記読み(太平記を朗読し講釈する人)によって創作・流布された人物である(国文学研究資料館DB/HP「南北朝列伝」参照)。『楠家伝七巻書』(天和板)は、1巻に「治国法令」「伝法之起」「今川心性入道聞書」の3章、2巻に「軍慮巻」1章、3巻に「軍教序」「三妙無尽法(天下無敵・家満財・国兵集)」「教戦法」の3章、4巻に「地形転変之法」「火戦之法」「船軍之法」「夜討之軍法」「篝之法」「竜陣三段之図」「十死一生之合戦法」「気変応化之法」「兵気之法」ほか、5巻に「軍元立将之法」「妙術」「円謀」「労謀四箇条之事」「城中ニ謀反人ヲ求ル法」ほか、6巻に「神道正授巻」「因神起」「次第神起」「凡神ヲ念ズル法ハ軍陣ニ専トス八種ノ秘術アリ」ほか、7巻に「軍用秘術聞書」(各種問答)を収録する。 SE02621
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〈首書〉御製心経註[御製心経註解・般若波羅蜜多心経注解](寛文7年)
¥2,000
〈首書〉御製心経註[御製心経註解・般若波羅蜜多心経注解](寛文7年) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】(明)宗泐注。 【年代等】寛文7年1月刊。[京都]八尾清兵衛板。 【備考】分類「仏教」。「般若心経(般若波羅蜜多心経)」の漢文の注釈書。本文を多くの段落に分けて楷書・大字で綴り、割注形式の注釈(漢文注)を掲げるほか、頭書にも要語の漢文注を施す。SE02588
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円光大師御伝記[法然上人行状略伝]
¥14,240
★円光大師御伝記[法然上人行状略伝] 【判型】大本10巻5冊。縦259粍。 【作者】武藤西察(セイサツ)編・書。 【年代等】寛文6年2月作。寛文6年8月刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋喜兵衛ほか板。 【備考】分類「伝記」。編者の武藤氏は往来物作者と同一人と思われる(同時代で筆跡酷似)。本書は法然上人の生涯における化導、御利益について、諸伝説に漏れたところを補い、上人の徳行を讃仰して報恩謝徳のため、愚痴の道俗をすすめんがために作られたもので、上下二巻にわけ詞と絵をもって記している。本書の題簽は殆んど判読不明であるが僅か「…光大…」とみえ、「円光大師御伝記」ではなかったかと思われる。内題は「法然上人行状略伝」である。本書の書誌学的な価値は明らかではないが、寛文六年(一六六六)年の絵詞「黒谷法然上人一代記」十巻十冊、宝暦八(一七五八)年に前者と同じ内容の「円光大師御伝記」五冊の絵入法然上人伝の系譜の上に位置づけられるものといえる(仏教大学図書館HP)。SE02125
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観音経鈔[観音経抄]
¥1,000
観音経鈔[観音経抄] 【判型】大本2巻1冊。縦260粍。 【作者】智沅(チゲン)注。 【年代等】寛文元年11月刊。[京都]村上勘兵衛板。 【備考】分類「仏教」。SE02479
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顔氏家訓(校定顔氏家訓)
¥4,120
★顔氏家訓(校定顔氏家訓) 【判型】半紙本2巻2冊。縦239粍。【作者】顔氏(顔之推)作。朝倉璞序。【年代等】寛文2年3月初刊。文化7年7月再刊。文化7年7月刊。巌桂園蔵板。[京都]葛西市郎兵衛売出。【備考】分類「漢学・教訓」。がんしかくん【顔氏家訓 Yán shì jiā xùn】 中国,6世紀の顔之推の著。20編から成る。著者のゆたかな人生経験に裏うちされたこの書物は,たんに一家内の子弟たちを訓戒することばに終始するだけでなく,六朝時代における江南と華北両社会の家庭生活,風俗,儀礼,学術,宗教など,多方面にわたる知識を提供する。後世,家訓の祖と仰がれた。日本への伝来も早く,吉備真備の《私教類聚》はその影響のもとに成ったという。(コトバンク) SE02450
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花壇綱目[花段綱目](享保元年)
¥1,320
花壇綱目[花段綱目](享保元年) 【判型】半紙本3巻合1冊。縦225粍。 【作者】水野元勝作。松井頼母増補。 【年代等】寛文年刊作。延宝9年4月初刊(山本八兵衛ほか板)。享保元年9月再刊。[大阪]柏原屋与市板。 【備考】分類「園芸」。袋綴じ展開収録。江戸時代の園芸家,水野元勝の著書。3巻。1664年脱稿,1681年刊。1716年に再版。日本最初の園芸書。花卉200余種についてその形状や栽培法を記述したもの(コトバンク)。江戸初期に植栽技術を総合的に解説し、世界初の園芸技術書と言われ、四季折々に花を眺めて楽しむ日本ならではの自然特性を生かしたガーデニングについて記した書。植栽技術を総合的に解説した江戸前期の園芸書であり、世界最初のガーデニング書とも言われる(「解読花壇綱目」解説参照)。SE02343
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戒殺物語(寛文4年)
¥2,000
★戒殺物語(寛文4年) 【判型】大本2巻合1冊。縦270粍。 【作者】不明。 【年代等】寛文4年1月刊。刊行者不明。 【備考】分類「仮名草子」。『戒殺物語』は、殺生をテーマとして種々の寓話を載せた仮名草子。2巻2冊で、上巻は、「戒殺の事」「誕生日に殺生すべからざる事」「子を生て殺生すべからざる事」「兄弟三人の子瘂子(オシ)になりける事」「獐(クジカ)を殺すとて、我子を殺しける事」など9話、下巻は、「婚礼に魚鳥を用ひまじき事」「殺さつゝも過去の業といふ問答の事」「客をもてなす為に殺生すべからざる事」「生々流転して互に六親眷属となる事」「羊を食して死せし事」など14話。SE02275
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温泉遊草[温泉游草](2種)
¥1,000
温泉遊草[温泉游草](2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦261・267粍。 【作者】深草元政(げんせい)(日政(にっせい)・霞谷妙牛子(かこくみょうぎゅうし)・草山妙子(そうざんみょうし)(玅子)・石井元政(もとまさ))作。片山松庵(朴元(ぼくげん))編・序。 【年代等】寛文8年12月、松庵朴元序・初刊。明治初年後印。[京都]平楽寺書店板。 【備考】分類「紀行」。同板2種を収録(別本は書袋を収録し本文は抄録)。本書は深草元政が二度にわたる有馬温泉での湯治旅行の模様を記した漢文の紀行文と旅中の折々に詠じた詩歌を収めたもの。元政の死去(寛文八年二月一八日)後に、その遺稿を見出した片山松庵が編集し、同年暮れに出版したもの。内容は、①寛文五年九月の「温泉遊草」および②寛文七年二月の「温泉再遊」と、両作品の間に挿入した③片山松庵作「悼霞谷山人詩并序」の三編から成る。①の「温泉遊草」は京都出発後の道中の様子や出来事などを記した「温泉紀行」を始め、「与慧明書」「仏座巌記」「楼岸」「天王寺拝聖徳太子十六歳像」など長短含む二〇数編で、最後の「温泉紀略」では温泉の祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)以来の温泉関連の故事を種々記す。②の「温泉再遊」は、まず「留別慧明〈有序〉」で、まず、湯治の効果を実感した作者が再び有馬を訪れるまでの経緯や、京都を旅立つ際に弟子の慧明に与えた留別の漢詩を掲げた後、「馬山途中吟」「旅宿有感」等の漢詩文のほか、「偶作」と題した漢詩文や詞書を添えた和歌六首を載せる。また、③「悼霞谷山人詩并序」では、元政の略歴と恩師追悼の七言絶句七編を掲げる。/温泉に関する江戸期刊本では最古の部類。寛文5年9月(「温泉遊草」)と寛文7年冬(「温泉再遊」)の2度にわたり、京都深草に住む作者が有馬温泉に湯治に出かけた折の紀行。再遊には和歌が含まれる。江戸時代、「温泉」を冠した作品はいくつか残るが、効能などを記したものが多く、本書のような文学的作品は案外少ない。そのためか、何度も版を重ねており、この本も明治に入って刷られたものである。元政(げんせい)[1623~1668]は、江戸前期の日蓮宗の僧。俗名は石井吉兵衛、法名は日政、号は不可思議、日峯妙子など。深草の元政と通称。父・石井元好は地下官人の家柄で、梶井宮に出仕し、のち毛利輝元の家臣となったが、仕えを退き京都に住む。13歳で彦根藩主・井伊直孝に出仕、26歳で仕えを退き、京都の日蓮宗妙顕寺の日豊のもとで出家し、仏道を修行した。学僧であったが、漢詩では石川丈山と並び称せられるほどに文学者としても有名。和歌は松永貞徳の門人で、家集に『草山和歌集』。和文では『身延道の記』、漢文では『草山集』、『扶桑隠逸伝』など多くの著書、校訂本(福岡大学図書館HP参照)。 SE02235
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韻会捷見(寛文11年)
¥6,760
★韻会捷見(寛文11年) 【判型】半紙本4巻合1冊。縦225粍。 【作者】不明。 【年代等】寛文11年8月刊。[京都]村上平楽寺板。 【備考】分類「音韻」。袋綴じ展開収録。漢字の部首と画数で即座に平仄を引けるようにした韻書。各漢字の右側に「古今韻会」の、左側には「小補韻会」の巻数および丁付けを記して利便性を高めている。なお、底本は渋沢栄一・渋沢敬三・衣笠豪谷ほか旧蔵本。 SE02016
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一念多念文意
¥2,400
★一念多念文意 【判型】大本1冊。縦258粍。 【作者】親鸞作。 【年代等】寛文4年2月刊。[京都]洛東七条寺内彫刻。 【備考】分類「真宗」。『一念多念証文』は、親鸞聖人が、同じ法然上人門下の隆寛律師が著した『一念多念分別事』に引証した経釈の要文、および関連する諸文を、一念・多念の問題に関する証文としてあげ、それに註釈を施したもの。『一念多念文意』『一多文意』とも称され、また『一多証文』『証文』とも称される。全体を2段に分け、前段は「一念をひがごととおもふまじき事」として、一念に関する要文を13文引証し、また後段は「多念をひがごととおもふまじき事」として、多念に関する要文を8文引証する。そして専修念仏は一念・多念のいずれにも偏執しない念仏往生の義であることを明らかにする。法然上人門下におこった一念・多念の諍論に対して、一念や多念に偏執してはならないことを諭したのが隆寛律師の『一念多念分別事』であり、その意をうけたのが本書であるが、前段に引かれる13文の証文のうち、『一念多念分別事』からの引文はわずかに3文であり、また、後段では8文のうちの5文ほどが同書からの引文であることなどからも、本書が単なる『一念多念分別事』の註釈書ではないことが知られる(WikiArcHP参照)。 SE01957
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伊勢物語拾穂抄(2種)
¥2,720
伊勢物語拾穂抄(2種) 【判型】大本5巻5冊。収録順に縦271・267粍。 【作者】北村季吟注。北村湖春書。 【年代等】寛文3年4月、周令跋。延宝8年8月初刊。江戸前期再刊。刊行者不明。 【備考】分類「物語・注釈」。延宝板も抄録した。『伊勢物語』の旧注である『伊勢物語愚見抄』『伊勢物語肖聞抄』『伊勢物語惟清抄』『伊勢物語闕疑抄』などを取捨選択して、師・松本貞徳の説を加えながら、『闕疑抄』を中心に巧みに諸注を整理集成したもの(日本古典文学大辞典)。 SE01944
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貞永式目諺解[御成敗式目諺解](寛文9年)
¥7,600
★貞永式目諺解[御成敗式目諺解](寛文9年) 【判型】大本6巻6冊。縦275粍。 【作者】清原宣賢(舟橋宣賢・環翠軒・宗尤)注。 【年代等】天文3年閏1月作。寛文9年9月刊。[京都か]村田庄五郎板。 【備考】分類「往来物・法制」。『貞永式目諺解[御成敗式目諺解]』は、『御成敗式目』の注釈書中、最も詳細かつ最古の刊本。慶長-元和(1596-1624)頃古活字本『式目抄』を製版本で再刊したもの。第1巻冒頭で鎌倉政権樹立の経緯や『式目』の由来について10丁に及ぶ詳細な記事を載せ、続いて、『御成敗式目』の名称の意味、さらに『式目』各条を数段に句切り、和漢の諸書から引用して極めて詳しい注を施す。本文を楷書・やや小字・11行・付訓の漢字・片仮名交じり文で記す。また「天文三年閏正月廿八日」の跋文には、清三位入道環翠軒宗尤が祖父・常忠(業忠)の説によって既に注釈書を著してあったが、局務外史業賢がそれを盗んだので、再び本書を著したとある。 SE01459
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百人一首抄(細川幽斎・寛文3年)
¥1,460
百人一首抄(細川幽斎・寛文3年) 【判型】大本3巻1冊。縦261粍。 【作者】細川幽斎注。 【年代等】寛文3年4月刊。[京都]安田十兵衛板。 【備考】分類「百人一首」。 SE01614