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女大学宝箱(享和2年*初板本系)
¥1,540
女大学宝箱(享和2年*初板本系) 【判型】大本1冊。縦259粍。 【作者】柏原屋清右衛門作カ。 【年代等】享保元年初刊。享和2年9月再刊。[大阪]柏原屋清右衛門ほか板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。『女大学宝箱』(初板本系)は、長らく大阪書肆・柏原屋清右衛門の看板商品の一つであった往来物で、底本は享和2年再刊本。『女大学』は一般に、本文のみ、またはそれに多少の記事を付録させたり、『百人一首』その他の女子用往来と合綴するなど種々の形態で、また、その書名も初板本『女大学宝箱』を始め『女大学宝文庫』『女大学教文庫』のように『女大学○○』の書名で極めて多数の刊本が伝わるほか、『女訓大学』なる改題本も存する。普及の面では『女今川』と並んで最も板種の多い女子用往来だが、その背景には一般に「貝原益軒作」と信じられてきた事情があったと考えられる。しかし本書の成立に柏原屋清右衛門が関わっていたことは疑いない。まず『和俗童子訓』巻之五「教女子法」全18カ条のうちの13カ条を抽出して改編した『新女訓抄』(全11カ条。正徳2年刊『女用智恵鑑』中に所収)が益軒生存中に成り、さらにこの『新女訓抄』中の7カ条を母体に、各条を短文に分けて全19カ条および後文としたものが『女大学』であった。内容は、第1条「親の教え」、第2条「女徳」、第3条「男女の別」、第4条「七去」、第5条「舅姑への孝」、第6条「夫への服従」、第7条「夫の兄弟との和睦」、第8条「嫉妬と諌言」、第9条「言葉の慎み」、第10条「家事への専念」ほか、第11条「信仰について」、第12条「分限に基づく家政」、第13条「男女の隔て」、第14条「衣服の心得」、第15条「親戚付き合い」、第16条「舅姑への孝と婚姻後の心得」、第17条「家事は自らなせ」、第18条「下女を使う心得」、第19条「婦人の心の五病」で、後文には以上の条々を幼時よりよく学ぶことが女子生涯の宝となることを強調して締め括る。初板本系『女大学宝箱』は、「女大学」本文を大字・5行・付訓で記し、頭書に「女職人之図」「同商人之図」など庶民女性の職業を紹介し(往来物では最も早い)、さらに前付に「女農業之図」「南都八景之図」「十二月色紙和歌」「源氏物語絵抄」「同引歌」、後付に「(婦人)世継草」「同産前之次第」「同産後之養生」「小児やしなひ草」「同急病妙薬」「二十四孝和解」「百人一首絵抄」などを収録する。また、本書に『百人一首』を加えた増補版も寛政期以降に数回出版されるなど、初板本系統だけで明治初年までに約20種の板種を数える。そのほか、『百人一首』や『女今川』、あるいは女用文章等と合冊されたものなども含め、『女大学』は江戸中期~明治期にかけて180種以上の刊本が発見されている。SE03389
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★〈新刻改正〉番匠作事文章(後印・破損)
¥1,400
★〈新刻改正〉番匠作事文章(後印・破損) 【判型】中本1冊。縦183粍。 【作者】不明。 【年代等】享和頃初刊([江戸]花屋久治郎(星運堂)板)。江戸後期再刊。[江戸]鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)板。 【備考】分類「往来物」。本文破損あり。袋綴じ展開収録。『〈新刻改正〉番匠作事文章』は、番匠(大工)関連の往来物では最も早い例で、その初刊は享和頃刊の花屋板と思われる。いくつかの板種があるが花屋板では、「今度拝領之屋敷、新規館向就相建者、普請奉行、修理破損、大工棟梁、作事役人立会、撰吉日良辰為致地祭…」で始まるように、武家屋敷の新築を想定して、上棟式に始まる造作の手順や家屋内外各部(門・礎・屋根・本宅・通路・台所・厩・小屋・土蔵・塀など)の名称・構造・装飾、素材・産地、部屋の格式などについて記す(本文は大字・5行・付訓)。巻頭に「聖徳太子略伝」を載せる。また、本書本文に加えて頭書に図解を掲げた『〈絵入〉番匠作事往来』『〈新板絵入〉普請番匠往来』などの類本が数種あるほか、異本として江戸後期刊『大工註文往来』(岐阜屋清七板)がある。SE03336
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★〈頭書絵入〉松島名所文章[松島名所文庫・松嶋名所往来](4種)
¥2,560
★〈頭書絵入〉松島名所文章[松島名所文庫・松嶋名所往来](4種) 【判型】中本1冊。収録順に縦191・187・178・177粍。 【作者】黒男亭東玉画。 【年代等】享和元年頃初刊([江戸]花屋久治郎板)。文政4年8月再刊([江戸]西宮新六板*題簽商標による、また別に[江戸]森屋治兵衛板)。 【備考】分類「往来物」。初刊本および文政再板など4種を全冊袋綴じ展開収録(見開き図再掲)した。『〈頭書絵入〉松島名所文章[松島名所文庫・松嶋名所往来]』は、「抑、事旧(フリ)にたれと、松嶋は扶桑第一の好風にして、洞庭・西湖を恥す…」で始まる文章で、松島とその近在の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起などを記した往来。一部、天明8年刊『新編松島往来』の影響が見られるが、本書の場合、書簡体をとらずごく簡単に記述する点が特徴的で、全体的に他の『松島往来』と比べ地誌的事項に乏しい。本文を5行・付訓で記す。巻頭に「壺の碑ほか眺望図」「多賀城由来」、頭書に「百官名」「東百官名」を掲げる。SE03264
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★〈新板手本〉武陽菅原詣
¥1,400
★〈新板手本〉武陽菅原詣 【判型】中本1冊。縦185粍。 【作者】尾崎直中(竹寿軒)作。長雄耕節(長尾耕節・尾崎耕節)書。高井蘭山(伴寛・思明・文左衛門・三遷・哂我・宝雪庵)補。 【年代等】享和2年頃刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。 【備考】分類「往来物」。『〈新板手本〉武陽菅原詣[天神記]』は、菅原道真の略伝と江戸府内の代表的な天満宮の景観・縁起、またその沿道の風景などを記した往来。「抑、菅原の道真公は、上野国菅原の産にして、官女采女の懐にやしなはれ…」と起筆して、道真の出自と生涯、才徳などを讃え、また、道真の詠歌を引きながら遺徳を偲び、府内の天神廻り(菅原詣)をするという趣向で、金杉村牛天神を筆頭に、早稲田天神・鳴子天神・巣鴨天神・湯嶋天神・下谷忍ヶ丘天神・箕輪天神・真乳山天神・向丘柳島天神・亀戸天神・麹町天神などの天満宮や、大久保・目白・本郷・下谷・隅田川・浅草・駒形・飯田町・白金・高輪周辺の名所を紹介する。本文を大字・5行・付訓で記す。口絵に「牛天神・江戸川遠景図」と「菅家略伝」(蘭山述)を掲げる。原本に刊年を記さないが、『江戸出版書目』によれば、花屋久治郎が享和2年6月に本書を含む22点の中本往来物を上梓した。SE03261
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★〈享和新編〉日光拝覧文章(森屋板)
¥1,400
★〈享和新編〉日光拝覧文章(森屋板) 【判型】中本1冊。縦183粍。 【作者】柳塘山人作・書。 【年代等】享和元年6月書・初刊([江戸]花屋久治郎板)。江戸後期後印([江戸]森屋治兵衛板)。 【備考】分類「往来物」。後印本の森屋治兵衛板を全冊収録した。『〈享和新編〉日光拝覧文章』は、「年来の御願成就の時至候て、此度、日光山御参拝可有之旨…」で始まる1通の手紙文で、日光参詣途上の名所や日光東照宮の景観・縁起等を紹介した往来。まず千住・草加・越谷から宇都宮・今市・日光までの順路を示し、続いて日光山の縁起・由来、周辺の名所や風景、山内の結構や眺望、壮麗な建造物の様子、中禅寺湖・華厳の滝、その他の勝景・霊地の数々を記す。本文を大字・5行・付訓で記す。巻頭に「日光強飯(ごうはん)之図」「日光山名物品類」「江戸より日光迄宿次行程凡三十六里」を掲げる。SE03251
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竜田詣(中本5種)
¥1,620
竜田詣(中本5種) 【判型】中本1冊。収録順に縦185・179・181・183・177粍。 【作者】不明(一説に、近松門左衛門作とする)。 【年代等】江戸中期作・初刊。(1)享和2年頃刊(『江戸出版書目』による)、[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。(2)文化6年夏再刻、[江戸]花屋久治郎板。(3)江戸後期刊、[江戸]蔦屋重三郎(耕書堂)板。(4)江戸後期刊、[名古屋]松屋善兵衛板。(5)弘化4年春刊、[江戸]藤岡屋慶次郎板。 【備考】分類「往来物」。中本の『竜田詣』を全冊袋綴じ展開収録(見開き図再掲)した。題簽題は、(1)が『〈頭書絵入・平仮名附〉新板竜田詣』、(2・4)が『〈筆道幼学〉竜田詣〈倭文章〉』、(3)が『〈改訂再板〉竜田詣』、(3)が『〈弘化新板〉竜田詣』。『竜田詣』は、江戸中期から江戸後期にかけて広く流布した往来物。既に正徳5年刊『女童子往来』の「大和廻竜田詣さそひにやる文」や、享保19年刊『〈寺沢〉年中往来』後半部に収録されている。『往来物分類目録』は近松門左衛門による元禄頃の作とするが(底本弘化板の裏表紙にも「此竜田詣ハ近松翁ガ兄某ニ誘ハレテ大和回リヲシタルトキノ作也。秀幸誌」と記す)、現存本では宝暦6年刊『竜田詣〈并散艸〉』が最古。諸本によって異同があるが、正徳5年の「大和廻竜田詣さそひにやる文」は、「日来(ヒゴロ)申合まいらせ候竜田詣の御事、紅葉も漸々時分にて候まゝ、何比(イツゴロ)覚し召、御立候はんや…」で始まり「…御目にかゝり御物かたり申まいらせ候。めでたくかしく」と結ぶ女文形式で奈良より大和路をたどって竜田に遊び、次いで大坂を経て京都に至るまでの名所旧跡・神社仏閣等を紹介する。ただし、後世に流布したのは、「内々竜田詣之事、紅葉も漸可得時候…」で始まり「…猶又東山之参会、近日之条、心緒期其節候。穴賢々々」で終わる享保19年本所収の「竜田詣」である。底本は『竜田詣』本文を5行・付訓で記し、口絵や頭書に種々の記事を載せたもの。 ◎禁無断転載・複製SE03220
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★仙台威風状[仙台威風牒](3種)
¥3,160
★仙台威風状[仙台威風牒](3種) 【判型】特大本または縦長本1冊。収録順に縦268・277・291粍。 【作者】不明。 【年代等】享和元年~文政頃書。 【備考】分類「往来物」。享和元年写本・文化頃(裏表紙に文化6年の記載)写本・文政頃写本の3種を全冊収録(袋綴じ展開収録)。『仙台威風状[仙台威風牒]』は、『仙台状(仙台往来)』とほぼ同文で、青葉城の沿革や城下の様相、伊達政宗の御諚、六奉行の設置、仙台の名称の由来、奉行所評定および国境警備などを記した往来物。享保元年書『青葉山之由来』と比べると、本書には用明天皇から寛永16年の二の丸完成までの歴史、また、御台所主催の酒宴遊興に関する冒頭部が欠けており、『青葉山之由来』の方が古態に近いと考えられるから、本書はその異本というべきであろう。底本の享和元年本は、「奥州伊達之内宮城郡仙台と申は、抑忝茂山陰之中納言御廟裔松平陸奥守政宗…」で始まる本文を大字・4行・無訓で記す。SE03211
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★江戸方角独案内[御江戸名所独案内・江戸名所女方角](4種)
¥2,560
★江戸方角独案内[御江戸名所独案内・江戸名所女方角](4種) 【判型】中本1冊。収録順に縦178・181・181・179粍。 【作者】不明。 【年代等】明和3年春初刊。寛政9年1月再刊。享和3年3月再刻。天保4年冬再刊。[江戸]西村屋与八板。 【備考】分類「往来物」。享和板・天保板をそれぞれ2種ずつ合計4種を全冊収録した。『江戸方角独案内[御江戸名所独案内・江戸名所女方角]』は、明和2年刊『御江戸名所方角書[江戸方角]』を原型としつつも、地名等にかなりの変更を加えたもの。地名・町名7語、寺社5語、川2語を増加し、地名・町名8語、寺社31語、橋1語、川1語、その他3語を削除する。「開威(かけまくもかしこき)大江戸の街(ちまた)を云はゞ、其員(かず)八百八町に別れ、東は和田倉・八代洲河岸、雨ぐも襲(さそ)ふ竜の口…」で始まる七五調の美文を大字・5行・付訓で記す。口絵に「両国橋之風景」、頭書に「大日本国尽」「生花指南」「文章高下文字」「物の数書様事」「六曜の伝」を収める。SE03155
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★〈御家〉諸家筆用[〈四季用文〉諸家筆用](3種)
¥8,480
★〈御家〉諸家筆用[〈四季用文〉諸家筆用](3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦273・253・255粍。 【作者】川関惟充(川関楼・琴川)編・序・跋。橘正敬(正教)書。 【年代等】享和2年6月書・刊。[江戸]須原屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物」。同板3種を収録(うち2冊を袋綴じ展開収録と通常収録にし、残り1冊を抄録した)。『〈御家〉諸家筆用[〈四季用文〉諸家筆用]』は、前半部に「書札文体」(消息例文・手本様)、後半に書簡用語・作法を収録した用文章。目録についても消息文よりも後者の方が具体的かつ詳細なように書簡用語・作法の比重が高いのが特徴。例文を大字・4行・付訓で記し、見出や目次を完備しない点では手本に近い。「書札文体」は、「新年祝儀披露状」から「歳暮祝儀状」までの42通で、武家公用文から私用文までの各種書状から成る。後半の書簡作法は同類のものでは特に詳しく、「墨次之事」以下43項にわたってあらゆる状況における書状・証文等の用語・形式・作法の基本を豊富な図解や例文によって示す。SE03071
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★〈御家〉士農工商用文大成(2種)
¥8,480
★〈御家〉士農工商用文大成(2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦227・225粍。 【作者】梁田鳥水(忠美・観古堂)書・序・跋。 【年代等】享和3年9月書・自序・跋・刊。[江戸]若林重左衛門ほか板。 【備考】分類「往来物」。同板2種を全冊、袋綴じ展開収録した。『〈御家〉士農工商用文大成』は、従来の用文章があまりに上下の格式を無視した例文が多いことを嘆いた著者が、特に士庶の区別に着目して編んだ用文章(合計84通)。全体を2部に分かち、まず「士之部」には「捧主人江年始披露状」から「遠乗誘引(とおのりさそい)之文言・同返事」までの37通を載せるが、披露状が多く、武家公務および武芸に関する例文が目立つ。一方、「農工商之部」は「於別庄饗応文言」から「就豊年神能興業状」までの47通で、もっぱら町家・農家の庶民生活に密着した例文ばかりを収録する。本文を大字・5行・所々付訓で記す。頭書には「亀井戸詣」「諸国巡」「竜田詣」「都めくり」「四季の詞」「隅田川往来」「雛形模様尽し」「楠正成壁書」を掲げる。なお、『割印帳(江戸本屋出版記録)』によれば、『諸用文通』との間で「差構」事件となったが間もなく和解した。また、本書の改題本に嘉永2年刊『〈日用〉書状文通大成』がある。SE03066
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★〈民家日用〉字尽童子教(享和2年)
¥2,240
★〈民家日用〉字尽童子教(享和2年) 【判型】半紙本1冊。縦226粍。 【作者】川合元(河井元・申甫・忠蔵)作。川合正校。文鳴画。 【年代等】享和2年1月刊。[京都]蓍屋儀兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。全冊袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。底本は本文第17丁欠(デジタル画像は別本にて補充)。『〈民家日用〉字尽童子教』は、社会生活に必要な語彙を分野別に集録した字尽型往来。漢字4-7字1句の形式で、諸国名物・京町・官名・宗旨・歴年・大唐歴年・本朝人傑・中華人傑・本朝武将・都会・行程記・書物・天地・鳥類・畜類・魚類・虫類・草木・五穀・宮室・諸道具・飲食・衣服・五体・親類・人倫・疾病・薬種・言語の29分野にわたり986句を収録。例えば「諸国名物」の冒頭「日本六十六ヶ国、五畿内山城平安城、大仏稲荷東福寺、祇園清水智恩院…」のように各句とも七五調で綴る。初版本とされる寛政10年板は未見だが、その再板である享和2年板は6行(1行2句)・付訓で記し、巻頭に席書・七夕・天神講の挿絵3葉を掲げる。後に、元治2年増補、明治3年改正の全面改刻版(『〈頭書日用重宝・伊呂波字引附〉増補字尽童子教』)が流布したが、分類の配列などに小異が見られ、さらに頭書等に「日用早引字尽(イロハ引き語彙集)」「年中時候之事」「三伊呂波」「干支六十之図」が追加されたほか、享和板の巻頭口絵は省かれ、作者名も隠蔽されてしまった。SE03019
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〈民間〉さとし草[民間さとしぐさ・民間喩草]
¥1,000
〈民間〉さとし草[民間さとしぐさ・民間喩草] 【判型】半紙本1冊。縦229粍。 【作者】加藤景範(竹里翁)作、中井竹山(積善)序。 【年代等】享和元年5月刊。[大阪]柏原屋清右衛門、小川屋清右衛門板。寛政12年(1800)秋序。 【備考】分類「教訓」。修身斉家のための庶民心得を綴った著者の遺稿を上梓したもの。人間は40歳前後が責任が重くなり心遣いも増え、重病にかかりやすく、時には死に及ぶ年頃であると冒頭から注意を喚起し、厄年の直前から気をつけるのではなく、その20年前からも心掛けるべきで、自らの身体を我が物と思わずに「親の形見」と考えることが養生の基本と教える。農商ともに収入は限られる一方、支出には予想外の「変」がつきまとうことから、年々確実な余剰蓄積のために家業出精に努め、常に様々な工夫をして顧客を大切にし、正道を守って勤めれば、天の冥加もあって生活も成り立つとする。また、孝行や五倫の道、不正な商い、学問の趣旨、諸芸、父母の喪、質素倹約などを説く。SE02977
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さき竹の弁[伊勢二宮考・二宮割竹辨](2種)
¥1,100
さき竹の弁[伊勢二宮考・二宮割竹辨](2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦271・265粍。 【作者】本居宣長作。 【年代等】寛政10年作。享和元年8月刊。[伊勢松坂]須受能耶(鈴屋スズノヤ)蔵板。[伊勢松坂]柏屋兵助(文海堂)ほか売出。 【備考】分類「神道」。後印本も抄録した。『伊勢二宮さき竹の弁』=宣長は、伊勢神宮の内宮・外宮の望ましい両宮関係の回復を考えていた。そのためには外宮祭神「豊受大神」の神格を明確にしなければならない。宣長の外宮論の目的はここにある。その概要は、1.豊受大神は天照大御神の重く祀らせ給う「御食津大神」である。2.豊受大神は「供奉臣列の膳部神」(吉見好和説)であるという説に対して、天孫降臨の時に天照大御神が鏡に副えて授けた御霊実であり、現御身の供奉神ではない。だから尊いというのだ。外宮問題への最初の論究は、守屋昌綱に与えた『神都考僻説弁総論』に見える。真淵説がここでも影響を及ぼしていると言われる。その後、『古事記伝』巻15(安永7年・1778)のいわゆる「外宮論」でこの問題を再び取り上げる。さらに約20年後、この問題を詳しく論じたのが『伊勢二宮さき竹の弁』である。 『自撰歌』に「さき竹の弁のしりに書ける歌」と言う詞書で2首載せる。「外つ宮を 国のとこだち とこだちと よそりなきごと いふはたが言」 とつ宮の 神は天照 日の神の いつきまつらす 御食の大神」 宣長の論に対しての批判は激しかった。まず『古事記伝外宮論弁語』外宮権祢宜・亀田末雅は、「内宮」という語が古書に見えないと言うのに対して『神宮雑例集』や「神宮三印」を引き反論した。 また門人益谷末寿は『伊勢二宮割竹弁難』で師説を批判した。末寿の言うのは、高天原でお祭りしたということは証拠がない。現世における天皇のお祭りであっても、天照大御神と関与するわけではない。しかし、宣長の主張には、信仰に根ざすものがあり、かえって文献的な証拠をさがす門人たちの困惑は大きかった(*本居宣長記念館HP)。SE02963
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さき草[佐喜艸・言葉がきさき草](3種)
¥2,160
さき草[佐喜艸・言葉がきさき草](3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦259・257・253粍。 【作者】藤井高尚作。本居大平・橘千蔭序。 【年代等】享和3年2月作。享和3年11月、序。文化3年3月刊([京都]蛭子屋市右衛門ほか板)。江戸後期後印([大阪]河内屋和助板)。 【備考】分類「歌学」。文化3年板や後印本など3種を収録(前半の1本は袋綴じ展開収録)。和歌の端書き(和歌などの前にその由来などを書き添える言葉)の書き方や心得を述べた書。近年の用例における詞書きの不適切な例をしめしつつ、種々のケースの詞書きの作法などを説く。文化3年板の書籍広告に「同大人(松屋大人)著、佐喜草、全部一冊。このふみは、今俗にいふ、歌のはしがきの近来かき誤りきたりたるを論じて、かきやう心得等をくはしく教たるふみなり」とある。具体的には、「歌のことば書の大むね」「ものにしるしおく歌のことば書」「たかき人に見せまゐらする歌のことば書」「さきの人におくる歌のことば書」「ことば書はかきやすからぬ事」「むかしのことば書はまことをしるしたる事」「言すくなにかくべき事」「歌にいへる事はことば書にはかゝざる事」「ことば書は歌にもらしたることをかく事」「あとさきにいひてあやをなす詞」「一わたりいひ終りて、又たちかへり事のよしをいへる例」「某をよめると云と、某を見聞してよめると云は、けぢめある事」「同じやうなる歌のことば書も并びたるはいさゝかづゝかきかへたる事」「歌の詞をかく事」「人のいひかけたる詞をかく事」「題をかく事」「絵にかけるうたを題してよみたる歌のことば書」「月日をかく事」「歌のおくにも詞をそふる事」「しかじかの中にといへる例」「おくりこたへの歌のかきつらねやう」「花をさすといふ事」「おなじてにをはのかさなれる事」「今の世の心にはあやしく思ふてにをは」「字音の語によしあしある事」「馬のはなむけによみたる歌のことば書」、この後は、「ありければ」「ついでに」「まうで」「あひだ」「もてあそぶ」「より」「侍」の用例の適否などを述べ、さらに、「歌どもとしるす事」「ことば書すまじき歌の事」について記す。 SE02962
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西国巡礼奉納経(享和3-4年)
¥700
西国巡礼奉納経(享和3-4年) 【判型】大本1冊。縦246粍。 【作者】不明。 【年代等】享和3-4年書。 【備考】分類「仏教」。『西国巡礼奉納経(仮称)』は、西国三十三所の御朱印帳(納経帳)。「納経帳」は、本来、写経を奉納した証し(納経受取という書付と判)であったが、後に、金品を納めて寺の本尊と参詣の年月日を記入して判をもらう帳面を指すようになった。底本は、享和3-4年頃の西国三十三所で、墨付き21丁の帳面。SE02948
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御伝絵略解[〈高祖聖人〉御伝絵略解]
¥1,500
御伝絵略解[〈高祖聖人〉御伝絵略解] 【判型】大本5巻5冊。縦264粍。 【作者】西村中和(梅渓)画。金影道人(幽篁館)序。 【年代等】享和2年1月御免。文化7年4月刊。[京都]北村四郎兵衛ほか板。 【備考】分類「真宗」。親鸞上人の絵入り一代記。見返しに「此書は、高祖聖人御誕生より御入滅まで御一代の御行状を悉敷、平がなにやわらげ、其いにしゑ御化導御苦労の有様を目のあたり拝見する如く絵入にして信心相続の助縁とするものなり」とある。SE02877
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〈諸用〉附会案文[諸用附会案文](後印・大嶋屋板)
¥1,120
〈諸用〉附会案文[諸用附会案文](後印・大嶋屋板) 【判型】中本1冊。縦181粍。 【作者】十返舎一九作・画。浅葉庵音芳(古河半右衛門・伊勢屋半右衛門・野咲梅輔・十二月庵)序。 【年代等】享和4年1月序・初刊。江戸後期後印。[江戸]大嶋屋伝右衛門(文永堂)板。【備考】分類「滑稽本」。末尾に初板本([江戸]駿河屋半兵衛(茶林堂)板)を抄録。また、再板本「序四丁」に汚損があるため初板本で補充した。本書は当時通行の用文章をもじった滑稽本。「天道様え年頭状」「日蝕御見舞之文」「雨乞之文」「地震の鯰え遣す文」「極楽へ遣す添状」「仏になりたるを賀す文」「幽霊指留に遣す文」「竜宮へ頼状」「乙姫病気見廻之文」「鼠之嫁入を賀す文」など、「日用入らざる文言」の奇抜な例文30通を載せる。巻頭・頭書の記事も往来物のパロディーで、「文字之由来」「筆之由来」「墨之由来」「紙之由来」「士農工商画抄」「伊呂波之発端之事」「書用無重宝記」「手形証文尽」「月之異名」「苗字づくし」「無筆の文言」「筆法伝授」「扁づくし」「生花指南」「算盤早割」「妙薬秘伝」「知恵海書抜法」などを収録する。また、初板本に付された『増補附会案文』広告や豊事也跋文等は後印本では削除された。SE02850
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〈諸用〉附会案文[諸用附会案文](享和4年・駿河屋板)
¥1,000
〈諸用〉附会案文[諸用附会案文](享和4年・駿河屋板) 【判型】中本1冊。縦181粍。 【作者】十返舎一九作・画。浅葉庵音芳(古河半右衛門・伊勢屋半右衛門・野咲梅輔・十二月庵)序。豊事也(駿河屋半兵衛か)跋。 【年代等】享和4年1月序・刊。[江戸]駿河屋半兵衛(茶林堂)板。【備考】分類「滑稽本」。当時通行の用文章をもじった滑稽本。「天道様え年頭状」「日蝕御見舞之文」「雨乞之文」「地震の鯰え遣す文」「極楽へ遣す添状」「仏になりたるを賀す文」「幽霊指留に遣す文」「竜宮へ頼状」「乙姫病気見廻之文」「鼠之嫁入を賀す文」など、「日用入らざる文言」の奇抜な例文30通を載せる。巻頭・頭書の記事も往来物のパロディーで、「文字之由来」「筆之由来」「墨之由来」「紙之由来」「士農工商画抄」「伊呂波之発端之事」「書用無重宝記」「手形証文尽」「月之異名」「苗字づくし」「無筆の文言」「筆法伝授」「扁づくし」「生花指南」「算盤早割」「妙薬秘伝」「知恵海書抜法」などを収録する。また、初板本に付された『増補附会案文』広告や豊事也跋文等は後印本では削除された。SE02849
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広駅道中記[〈東海道・木曽路〉広駅道中記]
¥1,240
広駅道中記[〈東海道・木曽路〉広駅道中記] 【判型】横本1冊。縦114粍。 【作者】不明。 【年代等】享和2年3月刊。[江戸]前川六左衛門ほか板。 【備考】分類「交通・道中記」。袋綴じ展開収録。東海道と木曽道中を中心とする道中記で、重宝記と称するように携帯版としては比較的詳しい内容となっている。いずれも江戸からの下り道中について、次宿までの距離、駄賃・人足賃、本陣・脇本陣・問屋・渡船場の川越役人の名前、街道筋の神社・仏閣・名所・旧 跡などを簡潔に記した実用的な絵入りの道中記。見返の 詞書きに「諸方のまハり道に至る迄くはしく書きあつむ」とあるように、「東街道重宝記」につづいて「伊勢参宮道中記」「遠州秋葉山并鳳来寺へ道法」を掲載し、「木曽道中重宝記」 の後に「東より信州善光寺迄道案内」「江戸より鹿島へ道法」「行徳より香取道」を書き記す。例えば、掛川から秋葉山へ詣で、さらにそこから鳳来寺へと足を延ばし、東海道御油宿へ出る約 26里の道筋を紹介する。庶民の旅が隆盛になったとはいえ、誰もが好きなときに旅に出かけられたわけではない。そのため、例えば伊勢神宮を目指す人が途中で秋葉山・鳳来山へ詣で、伊勢参拝の後は善光寺へも足をのばすことも多かった。一冊で東海道や中仙道筋、さらにはそこから延びる周辺社寺への道法が分かる本書は、旅の携帯道中記として重宝したであろう(静岡県立中央図書館HP参照)。 SE02709
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〈壬戌〉羇旅漫録[馬琴道中記]
¥2,620
〈壬戌〉羇旅漫録[馬琴道中記] 【判型】半紙本3巻3冊。縦230粍。 【作者】曲亭馬琴(蓑笠翁・著作堂)作(遺稿)・序・跋。渥美正幹(垣庵幹)校。川辺花陵・渡辺小華画。 【年代等】享和2年11月自跋。文化9年春自序。明治16年3月、版権免許。明治18年5月刻成。明治19年5月刊。[東京]須原鉄二(畏三堂)板。 【備考】分類「随筆」。定価金95銭。きりょまんろく【羇旅漫録】随筆。曲亭馬琴著。1803年(享和3)刊。馬琴36歳のとき、彼の生涯ただ一度の京坂旅行の記録。往復の道中および京坂摂地方で見聞した奇事、奇談、風俗、流行、古跡、人物などを、ときには図を挿入して、全157条にわたって克明に記している。それらは資料として貴重だが、馬琴にとっても、自国の文化・歴史・民俗についての識見を大きく拡大する機となり、後の著作活動に少なからぬ影響を及ぼした。(コトバンク)SE02590
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義士夜討高名咄[義士高名咄]
¥1,000
義士夜討高名咄[義士高名咄] 【判型】半紙本2巻1冊。縦222粍。 【作者】承天則地(広岳院承天禅師)作。 【年代等】享和3年8月、越智直澄序。弘化5年2月序・刊。[江戸]泉岳寺蔵板(板元は別本による)。 【備考】分類「伝記」。赤穂義士の伝記。序文に「義士の面々本懐を達せし後、芝泉岳寺に至り門前におゐて評議しけるは、定めて上杉家吉良氏よりも追人(オッテ)来るべし、最早、本望は遂たり。此うへは、無用の身命なれば、太刀のをるゝ迄命のつゞかん程戦ひ討死すべしなんどゝ大勢のゝしりける。其ほか往来の見物も多く付添て、その物音おびたゞ敷きこへけるにぞ、門番人、何事やらんとその躰を見るに、異形の武士大勢手毎に血をそみたる鑓・長刀を引さげ、手足も血だらけなるが、門内へ押入んとする故、番人大きに驚きかけ出し、小門を戸ざしける」と書き出し、その時の現場の模様を記した広岳院書記本の写本が「その事実公然として諸書にすぐれたれば、感賞のあまり同志の人にも及ぼしたく」願い、同写本を最小限の字句の校訂を施した上で上梓したもの。SE02508
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〈再校〉江戸砂子[〈再校〉江戸砂子温故名蹟誌・再校江府名跡志]
¥6,460
〈再校〉江戸砂子[〈再校〉江戸砂子温故名蹟誌・再校江府名跡志] 【判型】半紙本6巻8冊。縦225粍。 【作者】菊岡沾凉(崔下庵・米山翁・南仙子)作・序。丹治庶智(タジヒチカトモ、政逸・恒足軒)補・校・序。冬渉(牧冬映)校。 【年代等】享保17年5月、崔下庵沾凉作・序。明和7年8月、丹治政逸序。明和9年冬、田維辛跋・刊。[江戸]須原屋伊八板。 【備考】分類「地誌」。『江戸砂子』(えどすなご)は江戸時代中期に著された江戸の地誌。著者は俳人菊岡沾涼。後に著者自身により『続江戸砂子』が出て、後世には増補版『再校江戸砂子』が刊行された。江戸地誌の前作である貞享4年(1687年)の『江戸鹿子』出版から年月が経過し、比定地の不明となった地名が出現するなど、実用に堪えない点が多く出てきたため、菊岡沾涼と有力版元万屋清兵衛が時代の要請に応えるかたちで出版された。編集には8年が費やされた。江戸地誌としては最も流布したものとなり、後世まで出版が継続された。SE02078
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閑田文草[閑田文章]
¥4,700
閑田文草[閑田文章] 【判型】大本5巻5冊。縦257粍。 【作者】伴蒿蹊(資芳スケヨシ・閑田子・閑田廬)作。増田春耕書。 【年代等】享和2年8月、浦世纉序。享和2年6月、伴資規(直樹)序。享和3年3月刊。[京都]文台屋太兵衛ほか板。 【備考】分類「和文」。袋綴じ展開収録。当時の随一の文章家と目された伴蒿蹊の和文集。文章を17種に分類してそれぞれ1編ないし数編(2~24編)を集録したもの。巻1は「辞」24編、「説」4編、「解」5編。巻2は「序(跋)」24編、「辨」2編。巻3は「箴」6編、「記」17編、「記」17編、「記事」1編、「論」3編、「頌」3編。巻4は「文」12編、「伝」3編、「賦(長歌)」3編、「銘」4編、「碑」1編、「書」9編、「賛」13編。巻5は「雑体」および「門人等文集」。/伴蒿蹊(文化3.7.25(1806.9.7)~享保18.10.1(1733.11.7))は、江戸中期の歌人、和文作家。幼名富二郎、名資芳、号閑田子、閑田廬。蒿蹊は号。京三条高倉西町の豪商伴弥兵衛家に生まれる。本家の伴資之の養子となったが、実父母を相次いで失い、実家は断絶、以後も妻に相次いで先立たれ、実子を得ないなど、家庭的には不幸であった。明和5(1768)年薙髪隠居し、悠々自適の生活に入る。蒿蹊が文芸の世界に遊ぶことができた理由はひとえに、その経済的な余裕にある。また伴家の代々には北村季吟に歌を学ぶような好学の風が伝統としてあったので、蒿蹊の素養は十分に培われていた。武者小路実岳に師事。実岳没後は特に師に就かず、己の好む所を楽しむ。京の文人との交流は繁く、自らも和文の達人として高く評価されるに至る。小沢蘆庵や上田秋成との交渉は有名。蒿蹊の名を最も高からしめた『近世畸人伝』の達意の文章にみられる通り、その本領は和文にあった。和文の文体論として価値の高い『国文世々の跡』や和文集『閑田文草』、随筆『閑田耕筆』などがあり、歌集に『閑田百首』『閑田詠草』などがある。当時の堂上歌人よりも高く和歌和文の才を称せられるほどの実力者であったが、現在必ずしも正当な評価を得ているとはいい難い。<参考文献>宗政五十緒編『近世畸人伝・続近世畸人伝』、清水勝「関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊」(『近世文芸』40号)、風間誠史『伴蒿蹊集』 (久保田啓一)(コトバンク)。SE02467
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河内名所図会[河内国名所図会]
¥5,440
河内名所図会[河内国名所図会] 【判型】大本前後2編6巻6冊。縦258粍。 【作者】秋里籬島(湘夕・舜福)作・序。丹羽桃渓(丹元国・靖中庵)画。 【年代等】享和元年7月、花山院大納言(右大将愛徳卿)序。享和元年秋自序。享和元年11月刊([大阪]森本太郎板)。明治初年後印。[大阪]柳原喜兵衛板。 【備考】分類「地誌」。『河内名所図会』は、江戸時代後半の享和元年に秋里籬島が文章を書き、丹羽桃渓が絵を描いた河内の地誌・案内書。各郡ごとに、当時の名所・旧跡・寺社を紹介している。この種の名所図会は、安永9年の『都名所図会』に始まり、以後、諸国諸地方で発刊され、好評を博した。特に、『河内名所図会』は今日、発掘で話題となる文化財の当時の描写や口碑・伝説のたぐいを収録し解説しているものが多い(大阪日日新聞HP参照)。SE02414