往来物PDFデータダウンロード販売
-
閑田文草[閑田文章]
¥4,700
閑田文草[閑田文章] 【判型】大本5巻5冊。縦257粍。 【作者】伴蒿蹊(資芳スケヨシ・閑田子・閑田廬)作。増田春耕書。 【年代等】享和2年8月、浦世纉序。享和2年6月、伴資規(直樹)序。享和3年3月刊。[京都]文台屋太兵衛ほか板。 【備考】分類「和文」。袋綴じ展開収録。当時の随一の文章家と目された伴蒿蹊の和文集。文章を17種に分類してそれぞれ1編ないし数編(2~24編)を集録したもの。巻1は「辞」24編、「説」4編、「解」5編。巻2は「序(跋)」24編、「辨」2編。巻3は「箴」6編、「記」17編、「記」17編、「記事」1編、「論」3編、「頌」3編。巻4は「文」12編、「伝」3編、「賦(長歌)」3編、「銘」4編、「碑」1編、「書」9編、「賛」13編。巻5は「雑体」および「門人等文集」。/伴蒿蹊(文化3.7.25(1806.9.7)~享保18.10.1(1733.11.7))は、江戸中期の歌人、和文作家。幼名富二郎、名資芳、号閑田子、閑田廬。蒿蹊は号。京三条高倉西町の豪商伴弥兵衛家に生まれる。本家の伴資之の養子となったが、実父母を相次いで失い、実家は断絶、以後も妻に相次いで先立たれ、実子を得ないなど、家庭的には不幸であった。明和5(1768)年薙髪隠居し、悠々自適の生活に入る。蒿蹊が文芸の世界に遊ぶことができた理由はひとえに、その経済的な余裕にある。また伴家の代々には北村季吟に歌を学ぶような好学の風が伝統としてあったので、蒿蹊の素養は十分に培われていた。武者小路実岳に師事。実岳没後は特に師に就かず、己の好む所を楽しむ。京の文人との交流は繁く、自らも和文の達人として高く評価されるに至る。小沢蘆庵や上田秋成との交渉は有名。蒿蹊の名を最も高からしめた『近世畸人伝』の達意の文章にみられる通り、その本領は和文にあった。和文の文体論として価値の高い『国文世々の跡』や和文集『閑田文草』、随筆『閑田耕筆』などがあり、歌集に『閑田百首』『閑田詠草』などがある。当時の堂上歌人よりも高く和歌和文の才を称せられるほどの実力者であったが、現在必ずしも正当な評価を得ているとはいい難い。<参考文献>宗政五十緒編『近世畸人伝・続近世畸人伝』、清水勝「関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊」(『近世文芸』40号)、風間誠史『伴蒿蹊集』 (久保田啓一)(コトバンク)。SE02467
-
河内名所図会[河内国名所図会]
¥5,440
河内名所図会[河内国名所図会] 【判型】大本前後2編6巻6冊。縦258粍。 【作者】秋里籬島(湘夕・舜福)作・序。丹羽桃渓(丹元国・靖中庵)画。 【年代等】享和元年7月、花山院大納言(右大将愛徳卿)序。享和元年秋自序。享和元年11月刊([大阪]森本太郎板)。明治初年後印。[大阪]柳原喜兵衛板。 【備考】分類「地誌」。『河内名所図会』は、江戸時代後半の享和元年に秋里籬島が文章を書き、丹羽桃渓が絵を描いた河内の地誌・案内書。各郡ごとに、当時の名所・旧跡・寺社を紹介している。この種の名所図会は、安永9年の『都名所図会』に始まり、以後、諸国諸地方で発刊され、好評を博した。特に、『河内名所図会』は今日、発掘で話題となる文化財の当時の描写や口碑・伝説のたぐいを収録し解説しているものが多い(大阪日日新聞HP参照)。SE02414
-
仮名大意抄
¥700
仮名大意抄 【判型】大本1冊。縦263粍。 【作者】村田春海ハルミ(平春海・織錦斎ニシゴリノヤ)作。 【年代等】享和元年8月作。文化4年刊。[江戸]織錦斎蔵板。 【備考】分類「語学」。 SE02373
-
〈日光道中付〉奥道中附〈道法だちんづけ〉
¥1,400
★〈日光道中付〉奥道中附〈道法だちんづけ〉 【判型】小本1冊。縦126粍。 【作者】不明。 【年代等】享和2年刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。 【備考】分類「地誌」。SE02194
-
小笠原流諸礼折形[小笠原諸礼折形・折形本躰伝・良薬躾方](2種)
¥2,000
★小笠原流諸礼折形[小笠原諸礼折形・折形本躰伝・良薬躾方](2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦226・225粍。 【作者】菊池貞蔵(松山・武直)作・序。*『良薬躾方』は雪石道人作・序、歌川国麿画。 【年代等】享和元年跋・刊、嘉永4年11月以降増補・再刊。[江戸]菊屋幸三郎(金幸堂)板。 【備考】分類「往来物・礼法」。同板別本も抄録した。また、冒頭に書袋を掲げた。本書は、享和元年『折形本躰伝』に、弘化4年刊『良薬躾方』(ただし末尾4丁を除く)を増補した礼法書(『良薬躾方』については後掲)。『折形本躰伝』は小笠原流折形の比較的詳しい図解書である。序文によれば折形は「木・火・土・金・水」の五行から生じた「天の節文(節度を守り、程良い飾り付けすること)」であり、同書は菊池家伝来の折形とする。本書に掲げる折形図は前半部(第11丁裏まで)の「極真の熨斗包」以下116六図と、「男蝶・女蝶」以下14図(水引を朱刷りとする)の合計130図である。作者の詳細は不明だが小笠原流を自称した礼法家であろう。「小笠原流…」の書名も出版の際に書肆が付けたものとも考えられる。このように小笠原家以外の礼法家が続出して一人歩きしたのが江戸時代の小笠原流礼法であった。また『良薬躾方』は、食礼を主とする礼法・婚礼全般を概説した往来物。前半は「喰方之次第、膳に向ひ様之事」以下65カ条で食礼および給仕方作法を述べ、後半「当時婚礼略式」は床飾り・祝言膳部・色直し等について記す。また巻末に、「斉家丸」「修身丸」「六親和合丸」「放党丸」「富貴丸」と題した修身・斉家・家内和合・貧富等の平易な教訓を載せる。本文を小字・14行・付訓で綴り、本文中に挿絵数葉を挟む。なお、本書の宣伝のために出版された安政2年刊『きさらきつみ草』によれば、本書は嘉永4年初刊、同7年再刊で、価格は「銀一匁」であった。 SE02184
-
大歌所御歌
¥1,400
★大歌所御歌 【判型】大本1冊。縦251粍。 【作者】橘千蔭(加藤千蔭・優婆塞竺愷(ウバソクチクガイ)・芳宜園(ハギゾノ))作。 【年代等】享和元年4月書・初刊。明治初年後印。[東京]金花堂板。 【備考】分類「和歌」。井上淳風刻字。「あたらしき 年の始めにかくしこそ ちとせをかねて たのしきをつめ」から「ちはやぶる かものやしろのひめこまつ よろず世ふとも色はかはらじ」(藤原敏行朝臣)までの約30首を記した陰刻手本。大歌所は昔の雅楽寮から分かれて平安初期に設けられた役所、宮廷の儀式、神事に演じられる歌舞・音楽を楽人に教習させ演奏させたところである。歌は古来から伝承されたものであって、大歌所御歌は全部で32首、うち大歌所御歌5首、神遊び歌13首、東歌14首に分れる。神遊び歌とは神前で神事として奏する歌舞に用いられる歌で、神々の栄えを寿ぐ歌が多い。東歌とは東国の歌で、万葉集巻十四は「東歌」となっているがこれと同じで道奥の歌、相模の歌、日立の歌、甲斐の歌、伊勢の歌、冬の賀茂の祭の歌などがある(クラブ毒身主義HP参照)。大歌(おおうた)とは、奈良時代以降、宮中の節会などで歌われた歌謡。その歌詞の古いものは『琴歌譜』に見られる。『琴歌譜』は11月の豊明節会と、正月の三節会(元日・七日白馬節会・十六日踏歌節会)の歌謡を記すもので、『古事記』に見えるものと同一の歌謡を含む貴重なものである。しかし、これに続く『古今和歌集』の「大歌所御歌」の和歌はかなり異なる。いずれにせよ、『西宮記』によれば相当数の歌が歌われたようであるが、詳細は不明である。後には、豊明節会において、五節舞に合わせて歌うものだけになったと思われる。近世は、五節舞そのものを「大歌」と記載している(Wikipedia参照)。SE02156
-
絵本年代記[本朝年代記図会](初篇)
¥2,640
絵本年代記[本朝年代記図会](初篇) 【判型】大本5巻5冊。縦253粍。 【作者】秋里籬島(池田舜福・湘夕・籬島軒)作。西村中和画。賀茂季鷹序。 【年代等】享和2年初刊。江戸後期後印。[京都]丸屋善兵衛(山中瑞錦堂)板。 【備考】分類「年代記」。神代から49代光仁天皇崩御の天応元年(782)12月までの絵入り年代記で、初篇のみ刊行。宮武外骨『筆禍史』に、「秋里湘夕(籬島)の著にして、挿画は西村中和の筆なり、湘夕が盛んに名所図会の類を編纂せる間に於て著したるものにして、神代より人皇四十九代までの年代記を大本五冊に分てり、『絶焼録』の絶版書目中に此書を加へてあれど、其絶版の理由は解し難し、或は『天神七代記』に類せるものならんか」とある。SE02113
-
絵本東わらは
¥1,000
絵本東わらは 【判型】特大本2巻2冊。縦302粍。 【作者】歌川豊広画。南仙笑楚満人戯言。山陽堂序。山口清蔵彫。 【年代等】享和4年1月序。[江戸]和泉屋市兵衛原板。大正6年5月複製([東京]風俗絵巻図画刊行会・吉川弘文館板)。 【備考】分類「絵本」。「風俗絵巻図画刊行会叢書」32・33巻。SE02090
-
〈諸流秘伝〉生花早指南[挿花早指南](後編)
¥2,000
★〈諸流秘伝〉生花早指南[挿花早指南](後編) 【判型】中本1冊。縦190粍。 【作者】奏寿斎豊雪編・序。 【年代等】享和元年秋自序。享和元年8月刊。[江戸]大和田安兵衛板。 【備考】分類「花道」。寛政11年刊『〈諸流秘伝〉生花早指南[挿花早指南](前編)』の後編。「四季挿華式、附口伝・指図五十瓶」「客に花所望する時心得の事、附花盆飾図式」「花器と薄板取合の事」「挿花床に置様の事」「花台の心得」「垂撥を用る心得の事」「花に露うつ時節の事、同露うたざる花器の事」「高き所の花挿方心得の事」「陰陽の事、付挿方」「真行草といふ説」「花器見立の事」「名物の花器へ挿事」「挨拶の花といふ事」など22項と、附録「挿花の由来の事」を収録する。SE01908
-
百人一首抄[百人一首新抄](石原正明・3種)
¥1,860
百人一首抄[百人一首新抄](石原正明・3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦266・267・256粍。 【作者】石原正明(マサアキラ、喜左衛門)作・跋。 【年代等】享和4年1月跋・刊。著者蔵板カ。表紙の異なる同板3種を収録した(冒頭の収録書は袋綴じ展開収録、末尾の別本は抄録)。後印本は[江戸]須原屋茂兵衛板。 【備考】分類「百人一首・和歌注釈」。「小倉百人一首」の簡潔・平易な注釈書。後印本表紙見返に「小倉百首の注釈世にあまたありといへども、ふやうなる事のみおほく、歌のこゝろをもあやまりあるは、高きをつとめて親しからずあるは、くはしきに過てくだくだし。今、此書はみやびたるこゝろこと葉を今の世の常語にときなし、句ごとに注解をくはへ、かつ一首のこゝろをときしめして初学の便とす」とある。「小倉百人一首」の各首について作者と出典に続けて、語句毎に簡潔な割注を施したうえで、最後に、和歌の大意を記す。 SE01616
-
女用傍訓大全(百人一首)
¥2,240
女用傍訓大全(百人一首) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】不明。 【年代等】享和元年3月刊。[江戸]前川六左衛門板。 【備考】分類「百人一首」。厚冊本(約5cm)。『女文章四季詞鑑』に「百人一首」を増補したもの。 SE01593
-
〈心学〉世渡名所図会[〈心学世渡〉名所図解]
¥3,440
★〈心学〉世渡名所図会[〈心学世渡〉名所図解] 【判型】半紙本5巻合1冊。縦226粍。【作者】春里湘朝(顕カ)作。速水春暁斎画。 【年代等】享和2年2月刊。[京都]円屋源八郎ほか板。【備考】分類「心学」。人間一生の心得を名所廻りの旅路に見立てて説いた戯文(ぎぶん)で、見開き挿絵を随所に掲げて名所図会風に作る。もと全10卷の構想だったが、「児輩の耳目に納得しやすき」5巻を上梓したという。 SE01824
-
礼道階梯[食礼楷梯]
¥2,000
★礼道階梯[食礼楷梯] 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】田島養元(泥尾・池竜・昆明淵)作・跋。自寛斎画。 【年代等】享和3年9月刊。[名古屋]風月堂孫助板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。『礼道階梯[食礼楷梯]』は、前半に「食礼楷梯」、後半に「礼道階梯」を収録した往来物。前半「食礼楷梯」は、「大概食礼のはしがゝりを物語申候ゆへ御聞候へ」と起筆し、読者に話しかけるような口調で食礼のあらまし、特に「忌み箸(嫌い箸)」など食事の禁忌について平易に説く。ただし同本文は、三浦久之丞(ひさのじょう)(庚妥(つぐやす))作、享保8年(1723)刊『便用謡(べんよううたい)』のうち、8歳以後の諸礼躾方を説いた「躾之端」を丸々引用したものである。また、後半の「礼道階梯」も『便用謡』を参酌したもので、「一、皆人のよるべき者を道といふ。道をはなれていづこにか往来(ゆきき)あらんや。其道の六草の芸の初なる、先、礼道ををしふべし…」と筆を起こして、礼の大意や給仕方礼法、起居進退、請け取り渡し、進物積み方などの作法全般を説き、特に孝養について言及するのが特徴。礼の理念として「礼は謙遜・辞譲とて皆へり下る事ながら、其の程々を知らざれば諂ふに似つ。威儀なくて慇懃尾籠に落ぬべし。また、ゐぎのみかちて和せざるは、傲惰(ごうだ)の人に似たるぞや」と述べ、また、「礼儀の本は、おのが身をみづからひきく、人様を尊ぶこそは大意なれ」と諭すほか、物の授受に右手を使うことを説き、長い物・丸い物・四角い物の持ち方を始め基本的な動作について詳述する。なお、頭書に「諸礼之図式」「中国善行伝」を掲げ、前付に「五節句由来」等の記事を載せる。本書は後に『諸礼大学』(前半部「食礼大学」、後半部「諸礼大学」)と改題されたが、この改題本にも滄浪子序を付すものと高井蘭山序を付すものの2種あり、さらに前半部を「食礼大学」、後半部を「諸礼大学」とする一本のほかに、その双方の首題を「諸礼大学」とする別本もある。 SE01394
-
眠覚し余音[〈児女教訓〉以呂波歌、〈児女教訓以呂波歌〉眠覚し余音]
¥2,000
★眠覚し余音[〈児女教訓〉以呂波歌、〈児女教訓以呂波歌〉眠覚し余音] 【判型】大本1冊。縦263粍。 【作者】上河淇水(正揚)作。国栖●(伯修)序。 【年代等】享和3年2月序・刊。[京都]蓍屋儀兵衛、鷦鷯総四郎板。 【備考】分類「心学」。上河淇水が童蒙教化のために心学や人道の要点を詠んだ道歌集。 SE01797
-
〈上元開運・甲子利益・大黒天〉富久貴足神之伝授[福来る神の伝授](2種) 【作者】脇坂義堂(不学庵)作
¥2,120
★〈上元開運・甲子利益・大黒天〉富久貴足神之伝授[福来る神の伝授](2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦225・225粍。 【作者】脇坂義堂(不学庵)作。 【年代等】享和4年春作・刊。[京都]吉田屋新兵衛(文徴堂)板。 【備考】分類「心学」。同板2種(ただし扉の有無に違いがある)を全冊収録した。『富久貴足神之伝授[福来る神の伝授]』は、大黒天のお告げによって真の幸福や福徳を悔悟するという筋書きで記した絵入りの心学書。本書脱稿の享和4年甲子の春に合わせ、甲子大黒(甲子の日に大黒天をまつること)にふさわしい甲子の元旦に「そろばん屋の算右衛門といふ勘定つよき男」が大黒天を祀って大身体(大金持ち)を願いつつ寝入った夢の中に大黒天が現れ、「寝て居て果報の来たるべきや」とその心根を戒め、まず、甲子年を喜び、甲子を祭る意味を理解すること、何事も最初の心得が重要であり、甲子は天地万物の根元として極めて重要であること、大黒天の福相や姿の意味などから説き明かし、随時、教訓歌や警句・金言・寓話等を織り交ぜて平易に諭す。以下、大黒天と算右衛門の問答を通じて、「果報は寝て待て」よりも「果報は練りて待て」が大事なこと、一休和尚の「世の中に寝たほど楽はなき」の真意、 白鷺女房と烏女房の逸話や、疱瘡による痘跡(あばた)の醜い女性の逸話などを引きながら縷々説き明かす。こうして道理を悟った算右衛門は、最後に「世に勘定の勘定たる利づめ至極の勘定は、誠にまさる徳はあらじ。誠にまさる宝はあらじ。誠にまさる福はあらっじ、誠にまさる禄はあらじ、誠にまさる寿はあらじ…」と気付いた瞬間に夢から覚め、同時に、真の悟道発明の境地に至る。 SE01806
-
〈心相口受〉和合長久の伝受[伝授](2種) 【作者】脇坂義堂作
¥1,000
〈心相口受〉和合長久の伝受[伝授](2種) 【判型】半紙本1冊。縦223(吉田新兵衛ほか板)・225(刊行者不明)粍。 【作者】脇坂義堂作。 【年代等】享和2年2月作・刊。[京都]脇坂仙治郎・吉田新兵衛板。 【備考】分類「心学」。同板別本も全冊収録した。脇坂義堂の「伝授もの」シリーズの一つで、観相家と相談者との問答形式で夫婦和合を説いた心学書。まず、夫との離縁を覚悟した女性が「夫婦和合の人相」の秘訣を尋ねる相談に対し、観相の翁は、ある国に住む歌人諫度言(いさめたくげん)の話を引く。朝夕喧嘩・口舌が絶えない夫婦に対し諫度言が、互いの悪口(あっこう)・雑言を三十一字(みそひともじ)の和歌に詠むように奨め、それを夫婦に誓わせる。その翌朝から、夫が「あづき餅のやうなつらをばふくらかし 猶やきもちをやくたいもなき」と詠めば、妻が「またしても又あく性をすり鉢の 嬶が顔までみそを付きやるか」と答える和歌の応酬が始まるが、悪口も二、三首で自然と止んでしまう。諫度言は二人を誉め、「明日からは四季の心を込めれば一入(ひとしお)良かろう。和歌の大意は素直な心で、仇をも恩で返す優しい心が大切だ」と諭して夫婦をもてなす。さらに翌日は亭主には下の句に「かんにんするが家の福徳」、女房には「まけてさへいりや其身安心」を付けて詠むように助言する。こうして二人の心が徐々に変化していき、ついには、亭主が「女房は愛する物と知りながら 昼は麁末にせしぞおろかや」と詠めば、女房は「夫にはしたがふ物と知りながら 夜のみとこそ思ひしぞうき」と応えた寓話から夫婦和合の秘訣を諭す。 SE01828
-
石田勘平一代記[石田先生事蹟・石田氏事蹟略] 【作者】栄松斎長喜
¥2,000
★石田勘平一代記[石田先生事蹟・石田氏事蹟略] 【判型】半紙本1冊。縦227粍。 【作者】栄松斎長喜(百川子興モモカワシコウ)画。 【年代等】享和2年、浜釣散人序。享和2年1月刊。[江戸]若林重左衛門板。 【備考】分類「心学・伝記」。石門心学開祖、石田梅岩の伝記。巻頭に梅岩講釈図と梅岩少年期・栗拾いの図を掲げる。門人高弟による正統な梅岩の伝記である文化3年刊『石田先生事蹟』(京都板)よりも数年早く江戸で刊行された。 SE01649
-
〈長雄〉増補婚姻女国尽 【作者】岩岡耕渕(慶山・信景)書
¥2,000
★〈長雄〉増補婚姻女国尽 【判型】大本1冊。縦270粍。 【作者】岩岡耕渕(慶山・信景)書。 【年代等】享和2年12月、江沢耕営(玉川*岩岡耕渕門人、14歳)跋。享和3年春書・刊。[江戸]奥村喜兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。彫工、細字茂八。袋綴じ展開収録。『〈長雄〉増補婚姻女国尽』は、岩岡耕渕が門人の江沢耕営に書き与えた書道手本を上梓したもの。耕営の熱望によって上梓の運びとなり、その経緯を当時14歳だった耕営が跋文に記した。滝沢馬琴作、寛政12年刊『〈幼婦筆学〉国尽女文章』の改編版で、婚礼祝儀状に見立てた文章で諸国の国名と婚礼関連の贈答品の名称を列記した往来物。「増補」と称するように、寛政板と比べると随所に文言の増補や改変が行われている。「御姫様御儀、此たび山城守様御媒にて、大和守様え御縁組相整、御日柄能御結納進ぜられ御互に御めで度様上まいらせ候。だんだん御道具も揃ひ候御事、先、御幕箱、御弓・蟇目、御鈴守、御挟箱、御長刀は河内守様、御厨子・黒棚・簇(シイシ)箱は和泉守様…」で始まり、「…薩摩守様、壱岐守様、対馬守様とは近き御続様のよし、御化粧料等進ぜられ候て、幾久しく万々年も御長久御繁昌あそばし候御事にて御座候。千秋万歳めでたくかしく」と結ぶ文章を大字・4行・所々付訓で記す。 SE01408
-
★〈頭書絵入〉年中衣裳文章[衣裳文章](2種) 【作者】高井蘭山作
¥4,000
★〈頭書絵入〉年中衣裳文章[衣裳文章](2種) 【判型】中本1冊。収録順に縦181・182粍。 【作者】高井蘭山作。 【年代等】享和頃刊([江戸]花屋久治郎(星運堂)原板)。江戸後期再刊。[江戸]森屋治兵衛板(後印)。 【備考】分類「往来物」。原装後印本と題簽欠早印本の2種を全冊収録した。本書は日本における衣装の由来と四季時服について綴った往来。古代人の衣装から天の棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)が神孫・八千々姫命(やちじひめのみこと)に神々の御衣を織らせた故事、また応神天皇の時代に呉より渡来した呉織(くれはとり)・漢織(あやはとり)によって機織りの技術が初めて日本に伝わった故事、貴族における装束の概略に触れた後、武家以下の年中時候の衣装(時服)や婚礼・葬儀・祝儀の際の服装や平服等について述べる。頭書(3丁表まで)に「織物字尽」、巻頭に「女子養蚕図」「呉服・木綿由来」、巻末に「染色字尽」を掲げる。 08社ネンチュウイショウブンショウ(2種)★【往来物】28 SE01025
-
滝本流女大学(2種) 【作者】阿部義致(什志)書・跋
¥2,640
滝本流女大学(2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦255・261粍。 【作者】阿部義致(什志)書・跋。 【年代等】享和2年書。文化4年3月初刊。文政10年5月補刻。[仙台]伊勢屋半右衛門板。 【備考】分類「往来物」。文化板と文政板の2種を全冊収録した。『女大学』は、『女今川』と並んで最も板種の多い女子用往来で、その背景には一般に「貝原益軒作」と信じられてきた事情があったと考えられる。しかし本書の成立に柏原屋清右衛門が関与していたことはほぼ確実で、まず『和俗童子訓』巻之五「教女子法」全18カ条のうちの13カ条を抽出して改編した『新女訓抄』(全11カ条。正徳2年刊『女用智恵鑑』中に所収)が益軒生存中に成り、さらにこの『新女訓抄』中の7カ条を母体に、各条を短文に分けて全19カ条および後文としたものが『女大学』であった。内容は、第1条「親の教え」、第2条「女徳」、第3条「男女の別」、第4条「七去」、第5条「舅姑への孝」、第6条「夫への服従」、第7条「夫の兄弟との和睦」、第8条「嫉妬と諌言」、第9条「言葉の慎み」、第10条「家事への専念ほか」、第11条「信仰について」、第12条「分限に基づく家政」、第13条「男女の隔て」、第14条「衣服の心得」、第15条「親戚付き合い」、第16条「舅姑への孝と婚姻後の心得」、第17条「家事は自らなせ」、第18条「下女を使う心得」、第19条「婦人の心の五病」で、後文には以上の条々を幼時よりよく学ぶことが女子生涯の宝となることを強調して締め括る。底本の仙台板は、『女大学』本文を大字・5行・付訓で記したもので、巻頭に「夫に順ふ事」「舅姑につかへる事」掲げる。 11女タキモトリュウオンナダイガク(2種)【往来物】66 SE01315
-
★〈新編四民用字〉童訓名数往来(〈新刪〉童訓名数往来・名数往来) 【作者】不明
¥2,800
★〈新編四民用字〉童訓名数往来(〈新刪〉童訓名数往来・名数往来) 【判型】中本1冊。縦179粍。【作者】不明。【年代等】享和3年3月刊。[江戸]西村与八板。 【備考】分類「往来物」。「夫、清(すめ)るは天と昇、濁るは地と降(くだり)、是を両儀といふ。その中に人を生ず。これを天地人の三才といふ…」で始まる文章で、三才・三光・四季・四徳・六時・四方・四維・五行・五色・十幹・十二支・四霊・四神・六畜等々の名数とその関連語を列挙した往来。見返に「此書先板は宝暦庚辰春焼已す。夫より当年まて四十四年、卯本を絶す…」と記す。 08社ドウクンメイスウオウライ★【往来物】18 SE01019
-
〈諸民通用〉手紙之文言(天保3年) 【作者】十返舎一九作・序。内山松陰堂書(天保以降の諸本)
¥4,760
〈諸民通用〉手紙之文言(天保3年) 【判型】中本1冊。縦182粍。 【作者】十返舎一九作・序。内山松陰堂書(天保以降の諸本)。 【年代等】享和2年2月初刊。天保3年7月再刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物」。「年頭披露状」以下115通の消息文例(1通を除き全て往復文)から成る。俗用の短文が中心で、前半は四季・五節句祝儀状や通過儀礼に伴う手紙、後半は町人同志でやりとりする雑多な例文を満載する。貸借・病気・災害・商取引に関する例文や、中には「大酒に沈る人之遣す文」「倡家に沈る人之遣す文」など教訓色の濃い例文も含む。冒頭の23通が五節句や四季に伴う書状で、それに続く12通は出産・疱瘡・元服・養子・婚礼といった通過儀礼的な書状、その他は主として町家における吉凶事や諸事にまつわるもの。本文を大字・5行・所々付訓で記す。 03消テガミノモンゴン-ショミンツウヨウ(天保3年)【往来物】119 SE00281
-
〈諸民通用〉手紙之文言(再板本8種) 【作者】十返舎一九作・序。内山松陰堂書(天保以降の諸本)
¥6,760
〈諸民通用〉手紙之文言(再板本8種) 【判型】中本1冊。収録順に縦183・185・182・182・181・178・180・172粍。 【作者】十返舎一九作・序。内山松陰堂書(天保以降の諸本)。 【年代等】享和2年2月初刊。文化2年再板。文化13年7月3板([江戸]西村屋与八板)。別本1:文政7年8月4板([江戸]西村屋与八板)。別本2:天保3年7月5板([江戸]西村屋与八板)。別本3:天保3年7月5板後印([江戸]和泉屋市兵衛板)。別本4:天保3年7月5板([江戸]山城屋新兵衛板*刊記は[江戸]青木屋嘉助板)。別本5:文久2年7月6板([江戸]吉田屋文三郎板)。別本6:文久2年7月6板([江戸]吉田屋文三郎板)の増補版(後半に「証文文例等33丁増補」)。別本7:明治初年再刊本([東京]吉田屋文三郎板)。 【備考】分類「往来物」。文化13年三版を全冊収録し、さらに、その後の再板本諸本を抄録した。『〈諸民通用〉手紙之文言』は、「年頭披露状」以下115通の消息文例(1通を除き全て往復文)から成る。俗用の短文が中心で、前半は四季・五節句祝儀状や通過儀礼に伴う手紙、後半は町人同志でやりとりする雑多な例文を満載する。貸借・病気・災害・商取引に関する例文や、中には「大酒に沈る人之遣す文」「倡家に沈る人之遣す文」など教訓色の濃い例文も含む。冒頭の23通が五節句や四季に伴う書状で、それに続く12通は出産・疱瘡・元服・養子・婚礼といった通過儀礼的な書状、その他は主として町家における吉凶事や諸事にまつわるもの。本文を大字・5行・所々付訓で記す。 03消テガミノモンゴン-ショミンツウヨウ(再板本8種)【往来物】169 SE00280
-
★〈新鐫〉身延詣[甲州身延詣・身延往来](3種) 【作者】円亭九狐作。寿高画
¥4,880
★〈新鐫〉身延詣[甲州身延詣・身延往来](3種) 【判型】中本1冊。収録順に縦188・190・180粍。 【作者】円亭九狐作。寿高画。 【年代等】享和元年頃初刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。文政4年8月求板。[江戸]山本平吉(栄久堂)板。 【備考】分類「往来物」。初板本2種と文政4年求板本の3種を全冊収録した。別本2の裏表紙に「文化十一歳」の記載がある。本書は、江戸麹町より府中六所明神・八王子・大月・笛吹川・甲府等を経て身延山に至る沿道の名所旧跡・神社仏閣と、身延山・久遠寺の景趣・縁起・結構などを記した往来。「去頃、御物語申候身延詣之事、折節、花も咲合候へは、今月中旬頃出立可然候…」で始まる一通の手紙文で、参詣路のあらましを紹介する。本文を大字・5行・付訓で記す。巻頭に「身延山略絵図」、頭書に「高祖御一代略記」を掲げる。なお、文政4年求板本の巻末には、日本橋から身延までの絵地図を掲げる。このほか、本文をやや大字・六行・付訓で記し、口絵・頭書を一切付けない『〈改正〉身延往来』(江戸・新庄堂板)も幕末に刊行された。 06地ミノブモウデ・コウシュウミノブモウデ(3種)★【往来物】61 SE00787