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★仙台往来(異本・2巻本)
¥3,480
★仙台往来(異本・2巻本) 【判型】大本2巻2冊。上下巻の順に縦274・272粍。 【作者】野瀬懌須(浪翁)作。佐藤氏(佐藤佐蔵?*14歳)書。 【年代等】元禄年間作。上巻:文久3年4月書。下巻:文久3年7月書。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『仙台往来(異本・2巻本)』は、比較的流布した『仙台状(仙台往来)』とは全く別内容の異本。下巻末尾の識語によると、元禄年間に東都(江戸)の浪翁野瀬懌須が著したもので、浅布公(元禄16年以降、麻布にあった仙台藩下屋敷を隠居所にいた4代藩主、伊達綱村であろう)に献上した旨を記す。上下2巻からなり、上巻は「新年之佳祥億福珍重申籠候畢…」で始まる1月状から6月状までの往復12通、下巻は「輑日依為三伏之残暑迎忘涼風一遊之慰興、誠々疎略之至難顕毛挙候…」で始まる7月状から12月状までの往復12通、合計24通の書簡体形式で、仙台城下の繁栄や年中行事、また、城下の産物・名所等を詳しく紹介した往来物。例えば上巻冒頭では、城中における一連の新年儀式や城下貴賤の正月風景が綴られ、さらに、漁港から陸揚げされて取引される魚類の数々、果物等の樹木や鳥類・草花・寺院・食物・馬具・武具など類別単語集団を挿入する。このように仙台城下の地理科往来として最も詳しく、成立年代が早い点でも貴重。SE03212
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★〈本目氏〉摂河往来(高精細・軽量)
¥2,520
★〈本目氏〉摂河往来(高精細) 【判型】大本1冊。縦273粍。 【作者】本目某(本目親信か)書。 【年代等】元禄11年頃作・刊。[大阪か]刊行者不明。 【備考】分類「往来物」。軽量の通常画像と、高精細の袋綴じ展開画像の2様を収録。『〈本目氏〉摂河往来』は、摂津在住の三津浦之丞(芦錘軒秀?金)から河内住の猿猴庵水月宛ての往状と、水月から三津氏への返状の2通から成る文章で、摂津・河内両国の年中行事・名所・名物のあらましを記した往来。まず往状で、三津氏が念願の河内壺井の通法寺や楠木正成ゆかりの千早赤坂古戦場等の歴覧を果たせずにいることを悔やむ文面から始まり、主に春から冬(特に7~10月に詳しい)にかけての摂津における年中行事・生活・風俗などを記す。季節の庶民行事や芸能・娯楽、また武家儀式や参勤交代の壮観な様子、さらに歓楽街の風景、長崎からの荷物(舶来品)、元禄年間の堂島川普請、日用料理・精進料理および献立、寺社祭礼などを一通り紹介した後で、このように「栄耀繁華之地」を去って「孤村片里」の地に移住した「貴殿はさぞ残念であろう」と同情する文章で結ぶ。一方、河南に住む水月からの返状は、まず往状を受けて河内の古跡のいくつかをあげ、また、様変わりする摂津の発展に驚き、さらに「田舎生活もまんざらではない」と河内の生活を縷々述べる内容となっている。衣食住に不自由なく、自然が美しく、また気楽で人間的、健康的な生活を謳歌し、河内の名工・名物、諸産業・諸職人、芸能、農作物、その他食品、運送業までを紹介する。本文を大字・6行・稀に付訓で記す。なお、小泉本の原表紙に「加西又玄作也」と記すのは事実かどうか不明だが、版下の筆耕は、角書と刊行年代から本目流初代・親信筆と推定される。また、本書同様の「都鄙論」に触れた往来として、明治16年(1883)書『山里国村記』がある。SE03210
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★〈案紙〉万手形鑑[万案紙手形鑑](3種)
¥10,120
★〈案紙〉万手形鑑[万案紙手形鑑](3種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦272・265・256粍。 【作者】苗村丈伯(艸田子)作・序。 【年代等】元禄6年5月刊。[京都]田中庄兵衛板。 【備考】分類「往来物」。同板・改編板など3種を全冊袋綴じ展開収録した。『〈案紙〉万手形鑑[万案紙手形鑑]』は、単独の証文手形案文集としては例文や注記が詳細な、本格的な証文文例集の先駆。上巻に「金銀預り手形之事」以下16通、中巻に「年切奉公人請状之事」以下15通、下巻に「質物預け手形之事」以下16通の合計47通を収録。本文を大字・5行・ほとんど付訓で記す。各例文に対して頭書に詳しく施注するのも異色。また、下巻末尾には「百年以前より当年迄年暦考」や「手形式法并に書法」などの記事を掲げる。いずれにしても、江戸後期に及ぶまで本書ほど充実した証文手形案文集は他に例がなく、手形証文に一定の形式が成立し、その重要性が社会的に認知されてきたことを示す例として注目される。なお、3本目所収の本は、初板本の書状を一部割愛したうえ、丁付け等を改刻した改編本。SE03091
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★万用字尽教鑑[〈絵入〉字づくし](2種)
¥3,640
★万用字尽教鑑[〈絵入〉字づくし](2種) 【判型】半紙本3巻合1冊。縦224・225粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄5年初刊。江戸中期再刊。[京都]菱屋治兵衛板(後印)。 【備考】分類「往来物」。別本上巻とも全冊袋綴じ展開収録。『万用字尽教鑑[〈絵入〉字づくし]』は、魚類・貝類・諸鳥・獣・虫・木・草花・青物・諸道具・着類・五穀(并菓子類)・家名并人之名・百官并侍小姓名・名字・名乗・月異名・国尽の17部を立てて5000語以上の語彙を集めた往来。各語彙を概ね5行(「名字」「名乗」等は6行)・付訓で記し、稀に割注を施す。本文中に「須弥山図」「八卦之文字」「十干十二支」「篇并冠尽」「京町尽」「五行いろは」「碁之詞字」「双六之詞字」「将棋之詞字」などを挟むほか、頭書の大半を本文要語の絵抄にあてる。ただし、下巻頭書は挿絵に代えて「百官」等の注釈と、俗家・僧家の書き判、京都地名、いろはの事、潮時などを適宜載せる。本書の書名は『元禄9年書目』中に見え、挿絵など版式からも元禄頃の刊行であることは明らかである。SE03047
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★七ッいろは(元禄頃・木下板)
¥1,400
★七ッいろは(元禄頃・木下板) 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。[江戸]木下甚右衛門板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『七ッいろは』(元禄頃・木下板)は、半丁5-7行書きで、各行の冒頭に見出し語の平仮名いろは(円形内に大字の平仮名。片仮名を小字で添える)を掲げ、同音の漢字6字(例えば、い行は「以・伊・畏・意・委・異」)を列記し、各漢字の左右に音訓(大半が字訓)2-6種を小字で添えたもの。「イ」~「京」「一」~「十」の58行と「十干・十二支」4行の合計62行。さらに巻末に「篆字いろは・数字」と「唐いろは」「弘法大師之いろは歌」を載せる。SE03036
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★七ッいろは[七門已呂波](元禄頃・藤田板)
¥1,400
★七ッいろは[七門已呂波](元禄頃・藤田板) 【判型】大本1冊。縦268粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。[江戸カ]藤田板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『七ッいろは[七門已呂波]』(元禄頃・藤田板)は、江戸前期の『七ッいろは』の一つ。各行にイロハ1音毎に平仮名と篆字の見出し語を大字で掲げ、小字の片仮名を添え、同音の漢字6字(例えば、い行は「以・伊・畏・意・委・異」)を掲げ、各漢字の左右に音訓(大半が字訓)2~6種を小字で添えたもの。「イ」~「京」「一」~「十」の58行と「十干・十二支」4行の合計62行。また、表紙見返しに「唐いろは」と「弘法大師之いろは歌」を掲げる。なお、底本は手書きの題簽に「七門已呂波」と記す。SE03035
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★七ッいろは(元禄頃・山形屋板)
¥1,400
★七ッいろは(元禄頃・山形屋板) 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。[江戸]山形屋利平板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『七ッいろは』(元禄頃・山形屋板)は、半丁5-7行書きで、各行の冒頭に見出し語の平仮名いろは(片仮名と篆字を小字で添える)を掲げ、同音の漢字6字(例えば、い行は「以・伊・畏・意・委・異」)を列記し、各漢字の左右に音訓(大半が字訓)2-6種を小字で付記したもの。「イ」~「京」「一」~「十」の58行と「十干・十二支」4行の合計62行。さらに巻末に「篆字いろは・数字」と「唐いろは」「弘法大師之いろは歌」を載せる。SE03034
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★七ッいろは(元禄頃・井筒屋板)
¥1,400
★七ッいろは(元禄頃・井筒屋板) 【判型】大本1冊。縦274粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。[江戸]井筒屋板(江戸通油町の書肆、井筒屋三右衛門カ)。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『七ッいろは』(元禄頃・井筒屋板)は、半丁5-7行書きで、各行の冒頭に見出し語の平仮名いろは(円形内に大字の平仮名。片仮名を小字で添える)を掲げ、同音の漢字6字(例えば、い行は「以・伊・畏・意・委・異」)を列記し、各漢字の左右に音訓(大半が字訓)2-6種を小字で添えたもの。「イ」~「京」「一」~「十」の58行と「十干・十二支」4行の合計62行。さらに巻末に「篆字いろは・数字」と「唐いろは」「弘法大師之いろは歌」を載せる。SE03033
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★国尽〈并〉名字尽[日本六十六箇国・名字・百官之名略記]
¥1,400
★国尽〈并〉名字尽[日本六十六箇国・名字・百官之名略記] 【判型】大本1冊。縦271粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物」。全冊袋綴じ展開収録。『国尽〈并〉名字尽』は、「日本六十六箇国」3丁、「名字」2丁、「百官之名略記」1丁からなる往来物。「日本六十六箇国」は、五畿七道別に諸国名を列記したもので、国毎に割注形式で州名と郡数を付記する。「名字」は、「松井、今川、伊藤、佐藤、近藤、永井、吉岡、野田…」以下合計29の名字を掲げる。「百官之名略記」は、「玄蕃、監物、舎人、外記、内記、内匠…」以下合計27の官職を掲げる、以上をいずれも5行・付訓で記す。また、表紙見返に「十干十二支」と「片仮名イロハ」を掲げる。SE03017
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★小野篁歌字尽絵抄〈并片言直・国づくし〉
¥1,400
★小野篁歌字尽絵抄〈并片言直・国づくし〉 【判型】半紙本1冊。縦236粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄頃刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『小野篁歌字尽絵抄〈并片言直・国づくし〉』は、椿本系統の「小野篁歌字尽」の本文を5行・付訓で記し、頭書に本文の要語の図解を掲げた往来物。巻末に「片言直」と「国尽」を掲げるが、その頭書にも図解(絵抄)を載せる。SE03014
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最要鈔(元禄4年)
¥700
最要鈔(元禄4年) 【判型】大本1冊。縦274粍。 【作者】覚如(宗昭)作(口述)。従覚書(筆受)。 【年代等】康永2年(1343)4月講演。元禄4年7月刊。[京都]婦屋仁兵衛板。 【備考】分類「真宗」。第十八願文・願成就文および正信偈の一節を掲げて、和語で註釈を加えた書で、従覚に口述筆記させ、道源にえたもの(WikiDharma HP)。SE02957
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西国船路道中記[諸国案内旅雀・諸国道中記7巻](元禄14年)
¥1,000
西国船路道中記[諸国案内旅雀・諸国道中記7巻](元禄14年) 【判型】横本1冊。縦110粍。 【作者】不明。 【年代等】貞享4年初刊。元禄14年1月再刊。[京都]山口茂兵衛(和泉屋茂兵衛)板。 【備考】分類「航海・道中記」。船路道中記では最も古いものの一つで、元禄板は稀少。『諸国案内旅雀』は、諸国諸街道の道中記を集成した書。海路案内記を含む。漢字かな交じり。絵入り。貞享4年初版7巻本の版木を流用、巻2・巻5を各2分冊して9冊とし、部分的改訂を加えたもの。巻1~2、東海道下りの駄賃付の例、京~大津:のりかけ111文・から尻75文・人足82文、見付~袋井:69文・45文・35文、品川~日本橋:94文・61文・41文。駄賃付の金額数字は入木(西尾市岩瀬文庫・古典籍書誌DB)。/第7巻は、京から薩摩までの船路を泊ごとの里数とともに解説。他に長門下関から奥州などを簡略に示し、季節による昼夜の長さと、日ごとの潮と月の出について記す(国文学研究資料館DB)。 SE02949
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孝経大義(元禄板)
¥1,120
"孝経大義(元禄板) 【判型】大本1冊。縦275粍。 【作者】朱文公刊誤。董鼎注。 【年代等】大徳9年(1305)11月、熊禾(ユウカ)序。成化22年(1486)9月、徐貫跋。元禄5年1月刊。[江戸]万屋清兵衛板。 【備考】分類「漢学」。SE02722
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源氏物語忍艸[源語忍草・源氏忍草・源氏物語抄](2種)
¥5,460
源氏物語忍艸[源語忍草・源氏忍草・源氏物語抄](2種) 【判型】大本5巻5冊。収録順に縦257・258粍。 【作者】北村湖春注。成島司直序(篠木信定書)。箕田休山跋。 【年代等】元禄初年作。天保5年6月序。天保8年10月官許・初刊([江戸]北島順四郎ほか板)。江戸後期再刊([江戸]須原屋佐助板)。 【備考】分類「注釈」。後印本も抄録した。『源氏物語忍艸』は、外題「源氏物語忍草」、内題「源語忍草」。1688年成立。源氏物語の梗概書だが、連歌師のための書としての側面の強い源氏大鏡や源氏小鏡とも、初学者向けの側面の強い十帖源氏等とも異なった優れた注釈書としての側面も持っており、「源氏物語の平明な入門書として類書を抜く」とまで評され写本として一部の文人たちの間に伝わってはいたものの伝本も少なく知名度も低かったが、約150年後の天保年間に至って版本として刊行されて普及した(Wikipedia)。源氏物語研究史上、北村季吟の湖月抄は余りにも有名であるが、季吟の嫡男、湖春の源氏物語忍草を知る人は少ない。芭蕉とも親交のあった彼は、父の仕事を助けながら一方で源氏物語の梗概書を作り、この一作を遺して父に先だって死んだ。「源氏物語の平明な入門書として類書を抜く」とまで評される忍草は、以後、写本として文人間に伝わっていたが、約150年後の天保年間に至って版本として普及した(Amazon)。なお、後印本巻末広告(金花堂蔵板目録)に「源氏忍草、五冊、成島公序/此書は『源氏物語』一部の大意を初学の心得やすからんために、耳ちかきことばにてさとしたるなり。『源氏』を学び給ふ人は必ずまづよみ味ひ給ふべき書なり」とある。SE02686
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傾城百人一首[〈けいせい〉百人一首](1・2・5巻)
¥1,960
傾城百人一首[〈けいせい〉百人一首](1・2・5巻) 【判型】横本3冊(全6巻中の1・2・5巻)。縦122粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄16年2月、蘭下童序・刊。刊行者不明。 【備考】分類「浮世草子」。折々に小倉百人一首と、そのもじり歌を挿入して遊女や粋人を題材にした話を展開する浮世草子で、目録によれば、1巻「推の推はみやこの面かげ、ふうりうの品さだめ」、2巻「推のぐわちは世の人ごゝろ、東仕出しのやつこかゞり」、3巻「実がたの男は世をわがまゝに、らくゐんきよの姿」、4巻「月(がち)の推はなにはの風俗、それ切りのかねのわかれ」、5巻「月の月はしよこくの取なり、これだけのちゑくらべ」、6巻「実方のけいせいは、うそをまことにはくしのせいし」。 SE02663
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君子訓(天保13年・筑前板)
¥3,560
君子訓(天保13年・筑前板) 【判型】半紙本3巻3冊。縦230粍。 【作者】貝原益軒(久兵衛・篤信・損軒)作。 【年代等】元禄16年作。天保10年10月、月形質(鷦窠・君璞)跋。天保12年閏1冊、林培斎(皝・用韜・檉宇テイウ)序。天保13年5月(至日)、江藤良東跋。天保13年7月刊。[筑前夜須郡曽根田村]佐藤藤右衛門板。 【備考】分類「儒学・教訓」。治民経済の道を論じた書。自序に「公侯大人の見聞に富める人のために記すにはあらず、只一村を治むる小吏、一郡を預かる代官のうちに、古の道に志ありて、経史を見聞するに便なき人のため」に記したとあるが、主として経史を引用して、平易に経済の道、民を治める法、古の道を述べたもので、その太平の世に生をうけたことを感謝しつつ、なぜ、そのような太平の世となったか、恵みの原因を追求し、それに報いるよう努力すべきことを説く(「日本思想史文献解題」参照)。なお、本書の初刊は天保13年8月板(夜須郡曽根田村・佐藤藤右衛門蔵板)で、天保14年板とは全くの異板であり、「数村の大庄屋をつとめた佐藤藤右衛門が天保十年(1839)頃、未刊の益軒著作「君子訓」の写本数本の校訂を月形質に依頼し、更に当時江戸の林家に入門していた筑人江藤良東(えとう・りょうとう)を介して林培斎(はやし・ばいさい)の序を乞い、久留米の彫師中沢嘉右衛門に板刻させて刊行した私版の一つ」で、「村主、村役人などといった人々の為の訓えを述べたもの。所謂益軒十訓の内の一書である。益軒著述の多くがその生前京都の茨城氏(柳枝軒)などの大書肆から刊行されているのと違って、本書は筑前の一庄屋の手で、しかも久留米の彫師を起用して田舎版として刊行された所に、大きな意義があり、更に本書は田舎版の通例に似ず、彫り、摺り共に見事な出来栄えを示している」(福岡大学HP)。 SE02641
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九想詩諺解
¥1,480
九想詩諺解 【判型】大本2巻1冊。縦257粍。 【作者】坂内直頼(サカウチナオヨリ、坂内山雲子・白慧・葉山之隠士)作・序。 【年代等】元禄6年秋自序。元禄7年2月刊。[京都]永田調兵衛板。 【備考】分類「漢詩・注釈」。袋綴じ展開収録。上巻は蘇東坡(蘇軾)作「九想詩」の注釈書、下巻は「貝葉ノ金句并ビニ倭漢ノ明言」。九相図(九想図、くそうず)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である。名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。九相図の場面は作品ごとに異なり、九相観を説いている経典でも一定ではない。『大智度論』『摩訶止観』などでは以下のようなものである。①脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。②壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。③血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。④膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。⑤青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。⑥噉相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。⑦散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。⑧骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。⑨焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。──死体の変貌の様子を見て観想することを九相観(九想観)というが、これは修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと知るための修行である。九相観を説く経典は、奈良時代には日本に伝わっていたとされ、これらの絵画は鎌倉時代から江戸時代にかけて製作された。大陸でも、新疆ウイグル自治区やアフガニスタンで死屍観想図像が発見されており、中国でも唐や南宋の時代に死屍観想の伝統がみられ、唐代には九相図壁画の存在を示唆する漢詩もある。仏僧は基本的に男性であるため、九相図に描かれる死体は、彼らの煩悩の対象となる女性(特に美女)であった。題材として用いられた人物には檀林皇后や小野小町がいる。檀林皇后は信心深く、実際に自身の遺体を放置させ九相図を描かせたといわれる(Wikipedia参照)。SE02627
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句雙紙[句双紙]〈片カナ附〉
¥3,360
句雙紙[句双紙]〈片カナ附〉 【判型】横本2巻2冊。縦123粍。 【作者】東陽英朝編。 【年代等】元禄6年9月初刊([京都]井上忠兵衛門ほか板)。江戸中期後印。[京都]小川多左衛門(柳枝軒*朱印を押す)板。 【備考】分類「禅宗・漢詩文」。もと『宗門葛藤集(句双葛藤鈔・葛藤集)』と題した禅林句集で、もと文明年間に編纂され、江戸前期に至るまで大きく3系統の派生を示した。元禄板は室町末期写本(蓬左文庫本)を大幅に増補した第2類に属す。編者については、貞享5年頃刊行の『禅林句集』跋文によれば、『句双紙』は東陽英朝の編集とされる(近藤良一「『句双紙抄』について(2)」、北海道駒澤大学研究紀要20)。 SE02626
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公事根源集釈
¥2,780
公事根源集釈 【判型】大本3巻3冊。縦281粍。 【作者】松下見林(慶摂ヨシカネ・西峯・秀明)作。 【年代等】元禄7年6月刊。[京都]村上勘兵衛板。 【備考】分類「有職故実」。一条兼良が室町時代に著した有職故実書『公事根源』の代表的な注釈書。全3巻で、上巻に正月部の第1「四方拝」から第35「外記政始(ゲキノマツリゴトハジメ)」まで、中巻に正月部の第36「吉書始」から6月部の第104「大祓」まで、下巻に6月部の第105「鎮火祭(ヒシズメノマツリ)」から12月部の第176「追儺(ツイナ)」までを収録し、それぞれ頭注を施したもの。なお『公事根源』は、後醍醐天皇の『建武年中行事』や祖父二条良基の『年中行事歌合』などを参考にして元旦の四方拝から大晦日の追儺までの宮中行事100余を月の順序で記し、起源・由来・内容・特色などを記したもので、奥書によると、応永29年(1422)に兼良が自分の子弟の教育のために書いたものとあり、また後世に書かれた識語には室町幕府将軍足利義量の求めに応じて、19歳の兼良が何の書物も見ずに書いて進ったともある。本文に『年中行事歌合』からの本文引用が多く兼良の著作と呼ぶべきではないとする説もあるが、こうした著作方法は当時の学問では広く行われており兼良が独自に採用した他書の所説も含んでいることから兼良独自の著作とするべきであるとする反論もある。後世において重んじられ、『公事根源集釈』(松下見林)・『公事根源愚考』(速水房常)・『公事根源新釈』(関根正直)等の注釈書が書かれている(Wikipedia参照)。 SE02620
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〈草形出生〉草花絵全書(艸花絵前集)
¥2,600
〈草形出生〉草花絵全書(艸花絵前集) 【判型】大本3巻3冊。縦277粍。【作者】伊藤伊兵衛四世(東武江北染井住人・染井の野夫)作・画。 【年代等】元禄12年10月序・刊。[江戸]須原茂兵衛板。 【備考】分類「植物」。内題に「前集」とあるが、本書の続編はない。底本は中巻の最初に刊記が綴じられているが、本来、下巻末に来るべきもの。 SE02614
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〈再刻〉琴曲鈔〈新組入〉[琴曲抄](宝暦13年)
¥1,800
〈再刻〉琴曲鈔〈新組入〉[琴曲抄](宝暦13年) 【判型】横本2冊。縦122粍。 【作者】不明。 【年代等】元禄7年9月作。元禄8年2月序・初刊。宝暦13年春再刊。[京都]中川藤四郎ほか板。 【備考】分類「歌謡」。袋綴じ展開収録。末尾に元禄板の江戸中期後印本上巻を抄録。箏組歌の奏法注記および注釈付歌本。挿図入り。目録に解説・収録曲記載あり(国文学研究資料館DB)。箏曲組歌の文献。題簽『琴曲鈔新組入』。横本2冊。元禄8(1695)年序(木下順庵か)、奥書刊記同7年。八橋検校作曲十三組と新組新曲2曲の15曲を収録。歌詞の右に奏法を注記し、各歌のあとに簡単な歌詞の注釈を付す。京都梅村弥右衛門らが出版。宝暦13(1763)年、文化6(1809)年に後刷再版。宝暦5(1755)年の安村検校校訂の『撫箏雅譜集』など、のちの組歌本の規範となった。/日本音楽の文献。箏組歌の歌本。横本2冊。題簽には《琴曲鈔》とある。八橋検校作の組歌13曲ほか2曲を収録。歌詞の右に〈かけづめ〉などの演奏法を部分的に記譜し、各歌のあとに簡単な注釈を付す(ただし、八橋の《四季曲》《扇曲》《雲井曲》には記譜がついていない)。京都梅村弥右衛門ほかにより刊行され、序文は1695年(元禄8)、奥書の刊記は1694年。1763年(宝暦13)、1809年(文化6)に再刊(コトバンク)。 SE02593
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〈覚鑁大師〉孝養集(元禄板)
¥2,580
〈覚鑁大師〉孝養集(元禄板) 【判型】大本3巻3冊。縦260粍。 【作者】伝覚鑁(カクバン)作。 【年代等】元禄7年1月初刊。明治初年後印。[京都]婦屋仁兵衛原板、藤井佐兵衛後印。 【備考】分類「真言」。寛永板とはかなりの異同がある。 SE02585
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救民妙薬集[増補救民妙薬集](文化3年・2種)
¥3,920
救民妙薬集[増補救民妙薬集](文化3年・2種) 【判型】横本1冊。収録順に縦110・107粍。 【作者】穂積甫庵(宗与)原作。貝原益軒捕。柳枝軒(小川多左衛門)校訂。 【年代等】元禄6年、穂積甫庵序。文化3年3月、和田哲序。文化3年4月、柳枝軒跋。文化3年秋増補・再刊。[京都]小河源兵衛ほか板。 【備考】分類「医学」。同板2種を袋綴じ展開収録した。元禄6年、徳川光圀が侍医の穂積甫庵(鈴木宗與)に命じて、身近な薬草397種の効能・使用法を記した手引書を作らせ、領民に配布した本邦最初の家庭医学書(小さな資料室HP参照)。水戸藩では、光圀以来人間の生命にとってもっとも重要な医学・医療についての関心もすこぶる高く、その関心は以後長く継承され、斉昭時代を経て幕末に至っているのであって、この伝統は水戸藩の一つの大きな特色をなしている。光圀時代の医学として注目されるのは、侍医の鈴木宗与(穂積甫庵)が光圀の命を受け、『救民妙薬』を編纂したことである。この書は元禄6年(1693)に上梓された。内容は、酒毒・蛇毒・鼠咬・痔・霜焼・虫歯など130 項目、397種の処方を収める。今日から見て効用に疑問を抱くものもあるが、「補薬」として枸杞酒(くこしゅ)を挙げているのは興味深い。光圀は、西山荘に隠居後、病気になっても医者にかかれず、薬もない、ただ寝ている領民がいることを心配し、身近で入手しやすい薬を教えて領民たちを救いたいという光圀の愛情に溢れた思いから作らせた冊子である。「大日本史」を編纂した彰考館から刊行し、持ち運べるように手帳サイズで、漢字には振り仮名を付したこの冊子は無料で村々に配布され、藩内のみならず藩外の人々にも読まれ、何度も版を重ねてた。目録に従って、すぐにその内容が引けるように工夫されており、日本初の家庭医学書と言われる。例えば、「蛇に咬まれた時の薬では、アオシトド(あおじ:鳥の名)を黒焼きにして粉にしてつけるとよい」とか、「ネズミに咬まれた時は、猫の糞を糊でうすめてつけるとよい」「猫の黒焼きを酒で用いるとよい」「黒猫の肉をみそ汁で煮て用いるとよい」など信じられないことも書かれている。また第128「堕胎の事」については後の版では削除されている。さらに第130「食い合わせの事」では30種類の食物上の禁忌が記されており、当時の食生活が分かる(「水戸は天下の魁」参照)。 SE02549
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喫茶養生記(元禄7年板複製)
¥1,000
喫茶養生記(元禄7年板複製) 【判型】大本2巻1冊。縦260粍。 【作者】明庵栄西(明庵ミンナン)作。 【年代等】承元5年作。建保2年再編。複製本は、元禄7年跋・刊(両足院蔵板)の複製に解説を施した和装本。昭和51年6月、[静岡市]竹澤製茶株式会社発行*非売品)。 【備考】分類「茶道」。『喫茶養生記』は、喫茶の薬効を説いた書。上下2巻。茶書としてはわが国最古のもの。著者は建仁寺(けんにんじ)開山栄西(えいさい)禅師。初治本は1211年(建暦1)、再治本は1214年(建保2)に成立。上巻には茶の生理学的効能を説く「五臓和合門」を叙し、下巻には鬼魅(キミ)を駆逐する桑の病理学的効能を説く「遣除鬼魅門」を叙す。茶と桑の薬用効能をあわせ説いたところから、室町時代には「茶桑経(チャソウキョウ)」ともよばれ、それはおりしも茶の湯成立期にあたり、本書が茶書として関心をもたれたことを例証して興味深い。なお1214年2月、将軍源実朝が二日酔いで苦しんだとき、茶一服とともに「茶徳を誉める書物」としてこの書が献じられた条が『吾妻鏡』にみえる(コトバンク)。SE02529