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元三大師御籤鈔辨解[百籤鈔・御鬮判断](寛政10年・2種)
¥2,840
★元三大師御籤鈔辨解[百籤鈔・御鬮判断](寛政10年・2種) 【判型】小本1冊。収録順に縦189・160粍。 【作者】不明。 【年代等】正徳3年7月初刊([江戸]西村屋伝兵衛原板)。宝暦2年4月再板。寛政10年1月新刻。[江戸]須原屋伊八板。 【備考】分類「天台・占卜」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。同板別本も抄録した。本書は、『元三大師御籤鈔辨解(百籤鈔)』は、一般に観音菩薩の化身のお告げで吉凶を占う「観音籤(大師籤)」の解説書。観音籤は室町時代に中国から伝わった「天竺霊籤」が後に「元三大師(がんざんだいし)観音籤(百籤)」となり、江戸時代に急速に広まった。江戸後期には図解入りの詳細な解説書も種々刊行された。底本は、序文で「百籤鈔」の由来や籤の見方(五言四句の漢詩文の解釈の仕方)や籤のひき方などを述べる。続いて、籤をひく際の「願文」「正観音千手十一面之像并真言陀羅尼」「奉送文(オクリタテマツルモン)」「占の法をしる事」「如意輪観音の呪」「御鬮合ざる時」「籤筥(ミクジバコ)」「みくじの上中下をしるす」「元三大師御伝記」を巻頭に掲げ、続いて、第1番から第100番までの吉凶とそれを敷衍する五言四句の漢詩文及び略注を半丁に2番ずつ掲げた「普門霊告百籤奇瑞の文、附和解」、さらに、それぞれの籤が示す病気・吉事・待ち人・訴訟・失せ物・言い分・屋造り・移徒・元服・婚礼・生死・買い物・道具等についての判断を述べた「元三大師御鬮吉凶判断」を見開き1丁で5番ずつ掲げる。 SE02444
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元三大師御籤鈔辨解[百籤鈔]
¥2,120
★元三大師御籤鈔辨解[百籤鈔] 【判型】小本1冊。縦157粍。 【作者】不明。 【年代等】正徳3年7月初刊([江戸]西村屋伝兵衛原板)。宝暦元年1月改板。文政7年7月再刊。[江戸]森屋治郎兵衛板。 【備考】分類「天台・占卜」。SE02443
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閑際筆記
¥3,520
閑際筆記 【判型】大本3巻7冊。縦259粍。 【作者】藤井懶斎(伊蒿子・真辺・真鍋仲庵・臧・よもぎが杣人・玄逸・藤井蘭斎)作。稲葉氏校。 【年代等】正徳5年5月、黙々軒序。正徳5年9月刊。[京都]伏見屋藤右衛門ほか板。 【備考】分類「随筆」。改題本に「和漢太平広記」あり。藤井懶斎(1628-1709)は、江戸前期の儒者。寛永5年生まれ。真名部忠庵の名で筑後(福岡県)久留米藩の医師となる。のち京都にでて山崎闇斎にまなび、朱子学の立場から仏教を批判した「閑際筆記」をあらわした。宝永6年7月12日死去。82歳。筑後出身。名は臧。字は季廉。通称は玄蕃。別号に伊蒿子(コトバンク)。SE02438
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家道訓(4種)
¥6,100
家道訓(4種) 【判型】半紙本6巻6冊(または6巻3冊)。収録順に縦221・227・222・223粍。 【作者】貝原篤信(益軒)作、茨木多左衛門(茨城信清、柳枝軒)跋。 【年代等】正徳2年(1712)1月跋・刊。[京都]茨木多左衛門板。文化12年再刊。[京都]勝島喜六郎(瑞錦堂)板。 【備考】分類「教訓」。再刊本・後印本など3種を収録(うち享保6年再刊本は袋綴じ展開収録)。士農工商の全てにおける修身斉家や家政全般のあり方を述べた仮名書きの教訓書。第4巻以降は特に「用財(財を用いる法)」について焦点を当て、私欲を抑えて倹約に徹し家業を勤める勤倹二道や分相応の生活、家屋・家財の修繕、家計収支の管理、陰徳・積善、父母の奉養、器物や書物の借用、倹約と吝嗇、粗食三養など多方面にわたる心得を説く。あえて区分すれば、理念を主とした1~3巻と、やや具体例の多い4~6巻に分けられるが、重複的な記事が各巻に散見されるなど巻構成上の明快な区分はない。 SE02364
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画筌
¥3,120
画筌 【判型】大本6巻目録1巻6冊。縦255粍。 【作者】林守篤(魯軒)編・序。 【年代等】正徳2年1月自序。享保6年7月、平住専安序。享保6年6月刊。[大阪]河内屋吉兵衛ほか板。 【備考】分類「絵画」。絵画入門書。題簽の表記によれば、巻1「画具製法・画法口訣」、巻2「山水・水・草木・竹・岩・降枝」、巻3「禽鳥・獣類・魚類・貝蟲」、巻4「聖賢・仙人・武将・隠逸・詩客・浮屠」、巻5「七福神・和歌三神・五歌仙・歌人・源氏・戯・相撲・衣冠・器物」、巻6「紙・絹・墨・硯・諸具製法・表具定式」(底本は5-6巻合本)。/狩野派にもその門下には多く異端児が出ており、そのお蔭で江戸時代の絵画史の多彩な展開が可能になったわけだが、すでに十八世紀の初めに『画筌(がせん)』(正徳二年〔一七一二〕自序、享保六年〔一七二一〕刊)という絵入りの本を出版して狩野派の秘伝を公開してしまった、九州筑前国(ちくぜんのくに)(福岡県)の弟子(でし)狩野(がのう)、林守篤(もりあつ)のような存在も出ている。この本は、秘伝の踏襲によって画壇の全国支配を完結した狩野派にとっては許し難い内部からの暴露本となったが、絵を独学しようとする者には、理論と実技の解説、図様の実例などが懇切に用意された便利なハウ・ツー本として、大いに歓迎され、版を重ねたものであった。/出版による絵の手本の提供に先鞭をつけたのが掟きびしい狩野派の門人であったのは、意外な事実であった。その後も、文人画の流行を支えたのが中国の木版画譜(『八種画譜』『芥子園画伝』など)の和刻本であったり、写生画への関心を高めたものに長崎帰りの画家宋紫石の画集(『宋紫石画譜』)があったりと、版本による絵手本の提供と、そこに収められた図を鑑賞する楽しみの享受が、全国の絵画愛好者層に受け入れられて行くようになる。/出版による絵手本の提供とその鑑賞ということであれば、もともと版刻の絵本から出発した浮世絵にとってはお得意の分野とも言えた。また秘伝などといって隠しごとをするような体質とは無縁の世界でもあったから、機が熟せば、絵手本類の版行に火がつくのも当然であった。みずから画狂人と称し、絵筆を走らせることに日々努めた葛飾北斎が、旅先の開放的な気分で新しい企画に乗った時、その機会が到来した。文化年間、十九世紀初頭のことである(小林忠「浮世絵の構造」*学習院大学HPによる)。SE02338
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艶道通鑑
¥3,820
★艶道秘巻[遊女の内証拠] 【判型】小本1冊。縦140粍。 【作者】途呂九斎(トロクサイ)主人作。南能遊婢其石書。 【年代等】文久2年書。 【備考】分類「洒落本」。作者は国文学研究資料館DBによる。SE02141
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絵本故事談
¥4,820
絵本故事談 【判型】半紙本9巻8冊。縦224粍。【作者】山本序周(ツネチカ)作。橘守国(有税・後素軒・楢村有税子・橘大助)画。【年代等】正徳4年5月、山本序周跋。正徳4年6月刊。[大阪]大野木市兵衛(秋田屋市兵衛・宝文堂)板。【備考】分類「絵画」。彫工:吉田五郎右衛門。主に和漢の神仙・人物・名所等にまつわる故事を挿絵と文章で紹介した絵本。1巻に「松嶋之景」から「椋取る童子」までの28項、2巻に「老子」から「七福神」までの27項、3巻に「孟子」から「伯英」までの30項、4巻に「屈原」から「子英」までの30項、5巻(上下)に「日本武尊」から「篠塚伊賀守」までの34項、6巻に「卓文君」から「郝隆(カクリュウ)」までの30項、7巻に「積羽舟を沈む」から「西施」までの30項、8巻に「汲黯(キュウアン)」から「梟鳩に逢う」までの23項を収録する。なお、各項の小見出しに故事の出典を傍書する。SE02097
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〈改算広益〉永代塵劫記宝袋(明和6年)
¥2,000
★〈改算広益〉永代塵劫記宝袋(明和6年) 【判型】半紙本1冊。縦220粍。 【作者】不明。 【年代等】正徳5年11月初刊。明和6年1月再刊。[大阪]塩屋弥七板。 【備考】分類「和算」。江戸中期の簡易な『塵劫記』。表紙見返に「大数名之事」「小数名之事」「田数名之事」「諸物軽重量目」、前付に「久々の次第」「まゝ子だての算」を掲げ、本文に「八算(二之段~九之段)」「見一図~見九図」「かけてわれる算」「小判両がへの事」「金にて銭の売買の事」「万利足の事」「入子ざんの事」「金銀にて米の売買の事」「米の売買相場の割付」「すぎなり俵数を知事」「俵蔵い入つもりの事」以下、売買や諸職に関する種々の例題や、開平円法、開立円法、済統術、三角法、六角法、八角法、鼠算、升積もり等の例題を列挙する。また、裏表紙見返に「銭相場小割附」を載せる。SE02051
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〈新板絵入〉伊勢物語(正徳5年)
¥1,000
〈新板絵入〉伊勢物語(正徳5年) 【判型】大本2巻2冊。縦260粍。 【作者】不明。 【年代等】正徳5年9月刊。[大阪]渋川清右衛門ほか板。 【備考】分類「物語」。平安時代中期の歌物語。作者、成立年未詳。在原業平(ありわらのなりひら)を思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集。流布本では125の章段から成り、初冠(ういこうぶり)から臨終まで生涯をたどる形に配列。『古今集』以前に成立していたが、その後次第に章段の増補や改編が行われて成長していき、現在みる形になったのは11世紀以後。流布本は藤原定家の校訂したものであるが、かなり組織の異なる塗籠(ぬりごめ)本なども伝わる。初め業平の詠歌を中心につくられた物語が、そのうちの二条后や斎宮との禁じられた恋の絶唱から、やがて好色者の物語として、業平とは無関係な庶民の純愛の物語などが増補されていったものであろう。抒情的な作品の代表として古来広く愛され、近代にいたるまで多くの影響作を生んだ(コトバンク)。なお、底本は丁付けが途中のため、厚冊本の抜刷本である。 SE01948
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異国物語(正徳4年書)
¥2,000
★異国物語(正徳4年書) 【判型】特大本1冊。縦281粍。 【作者】不明。 【年代等】正徳4年1月書。 【備考】分類「漂流記」。最上・古館の陸奥国亘理郡の荒浜次郎助・五郎助・善三郎・六兵衛が海南広東に漂流し、無事帰国するまでの顛末を記したもの。「相馬福島荒浜の舟頭難風逢ふ事」「三ヶ所の舟頭異国所々漂はくの事」「海南広東万づ物語りの事」に分けて記す。SE01916
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〈正誤〉医学切要指南(正編)
¥1,280
〈正誤〉医学切要指南(正編) 【判型】半紙本3巻1冊。縦221粍。 【作者】岡本一抱(為竹・一得翁)作・序。 【年代等】正徳3年11月自序。正徳4年1月刊。[京都]中川茂兵衛板。 【備考】分類「医学」。SE01894
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〈新板絵入〉商人軍配団[世渡軍配団]
¥4,040
★〈新板絵入〉商人軍配団[世渡軍配団] 【判型】大本5巻5冊。縦249粍。 【作者】江島其磧作。川島叙清(ノブキヨ、川島信清)画。 【年代等】正徳2年刊カ(江島屋市郎左衛門板)。江戸中期後印。[京都]菊屋喜兵衛板。 【備考】分類「浮世草子」。『商人軍配団』は5巻5冊、浮世草子、江島其磧作、川島叙清画。別称「世渡軍配団」(尾題)。正徳2年冬、京都、江島市郎左衛門刊。内容は、京都島原の揚屋の紙屑籠から飛び出した白玉、実は貧乏の神司(カミヅカサ)と、大宮通りの俄分限の米屋の算盤玉がかたまった黒玉、実は福神の重手代(オモテダイ)が行く先を相談するのを発端(巻1)に、最後に勤倹の家から貧乏神が逃れ去ること(巻5の3)で首尾照応させて、この間に貧福にまつわる13章をおく。各章独立の短編であるが、2章連続のものが2話ある。対称的な人物やケースを関連の相で、または葛藤として取り上げ、構成の調っている点や、技巧に偏し趣向重視の姿勢が見られる点、さらに、談理・教訓的姿勢が強い点などの特徴がある。西鶴の町人物に比べ、構成の整正という点でまさるが、現実感がそれだけ乏しいのは欠点といえよう。発端・末尾の趣向は『けいせい色三味線』の二番煎じである。諸本として、江島屋の住所を削った後印本、京都菊屋喜兵衛刊の求板本があるほか、文化15年2月の江陵山人序を付した改題本『商人軍配記』(角書「出世早合点」また「立身招福」)がある。 SE01840
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時宗状・鼠状・鶉状・国上状ほか(正徳6年)
¥2,440
★時宗状・鼠状・鶉状・国上状ほか(正徳6年) 【判型】特大本1冊。縦290粍。 【作者】本宮氏書。 【年代等】正徳6年閏2月書。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。本書は、「弁慶状」「仁義礼智信」「時宗助之状(時宗状・時宗下状)」「鼠状」「鶉状」「国上状」「今川状」の7本を合綴した手習本。正徳6年と比較的古い年代の写本であり、「国上状」は新発見の地理科往来、また、「時宗状」「鼠状」「鶉状」ではいずれも本書が現存最古であり、これらの成立年代の上限を究明するうえでも貴重。「弁慶状」と「今川状」は流布本と同じ。「仁義礼智信」は五常の意味を述べた漢文注と、それを敷衍した和歌を掲げたもの。「時宗助之状」は、源頼朝から曽我五郎時宗に宛てた書状を装った古状短編で、時宗を「天下に隠れなき剛の者」とし、宇佐美・久津美・津川3カ国の永代支配を保証した安堵状。「鼠状」は、「菓子盆元年薬鑵三月」という架空の年月日で「小隠里彦七」が「猫俣虎蔵」宛てに出す書簡文を装って綴った戯文の往来。「鶉状」は、籠舎に閉じ込められて「迷惑千万」な鶉の口をかりて、賢人・聖人の教えに従う武家の道、領主の心得の数々を諭した往来。「国上状(クガミジョウ)」は、国上山国上寺(新潟県燕市)参詣を希望する友人に対する返状の形式で、同寺の景観や境内の様子、御開帳時の児舞興行のあらましなどを述べた往来。 SE01478
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女文字宝鑑(正徳3年)
¥3,160
★女文字宝鑑(正徳3年) 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】長谷川妙躰書か。 【年代等】正徳3年5月刊。[京都]中川茂兵衛板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。『女文字宝鑑』は、比較的初期の頭書絵入りの女用文章。巻頭に「五段書文のちらしやう(3通)」「三だんの文ちらしやう(1通)」の散らし書きの基本(読み順を記す)を示し、続いて「はつ春につかはす文」以下の五節句・八朔・歳暮等の祝儀状14題28通(各題につき上下2通りの例文)を収録する。その筆跡は妙躰風で、いずれも大字・稀に付訓の散らし書きで綴る。このほか、頭書末尾「女ふみこと葉」に「縁組究たる方への文」「祝言に遣す文」など39通(並べ書き)を掲げる。前付に「父母に孝行のてい」「姑にしたがふてい」その他の挿絵や「女用鑑」「紋尽」「万積様の図」「万年暦大ざつしよ相生之事」「男女相姓之事并ニ歌」「むまれ月善悪の事」、頭書に「五節句之次第」「女教訓絵抄」「七夕新歌づくし」「三十六歌仙」「女歌仙」「女節用集」等、巻末に「弘法大師いろは作り給ふ」「いろはづくし」など多彩な付録記事を載せる。 SE01505
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★難波津(女筆) 【作者】長谷川妙躰(貞・豊・筆海子)書
¥4,400
★難波津(女筆) 【判型】大本3巻3冊。縦265粍。 【作者】長谷川妙躰(貞・豊・筆海子)書。 【年代等】正徳4年1月刊。[京都]岡本半七ほか板。 【備考】分類「往来物」。長谷川妙躰の散らし書き手本の一つ。上巻は婚礼祝儀状など6通、中巻は訪問客への詫び状など8通、下巻は学問について教示を乞う文など7通の合計21通を収録(大字・無訓)。四季や五節句の文を中心とするが、月順・季節順にはなっていない。このほか婚礼祝儀の文を始めとする祝儀状や種々礼状など日常の雑文章も含まれる。 11女ナニワヅ(女筆)★【往来物】55 SE01326
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★〈寺沢〉かな手本(2種) 【作者】寺沢政辰書
¥5,360
★〈寺沢〉かな手本(2種) 【判型】本冊。収録順に縦268・267粍。 【作者】寺沢政辰書。 【年代等】正徳5年1月刊。[江戸]野田太兵衛(量久)ほか板。抄録本は、万延元年閏3月跋・刊。[越後国魚沼郡木落村]小幡佐忠太蔵板。 【備考】分類「往来物」。『〈寺沢〉かな手本』とその抄録本の2種を収録。『〈寺沢〉かな手本』は、寺沢流の散らし書きの書道手本で、「春雨の御つれづれ、『源氏』御なかめのよし、紅は染るに色をますにて候へは、御学問も御うら山しくぞんじ候。めでたくかしく」のような仮名文を大字・無訓で綴ったもの。全3巻で、上巻は春雨の徒然に『源氏物語』を学ぶ人への激励の手紙から菖蒲節句祝儀の礼状までの6通、中巻は七夕祝儀状から歳暮祝儀状までの4通、下巻は御機嫌伺いの文から名月の感想を述べた文までの4通と和歌10首および「平仮名いろは」を載せる。下巻後半部を除き、武家ないし上層庶民の女子用消息に頻用される例文が中心。なお、本文末に「菊月日、寺沢氏」と記載するのは、本書刊行(正徳5年1月)の前年の正徳4年9月を示すか。また、後半の『〈寺沢〉かな手本』は、寺沢流を崇敬する小幡氏が江戸に出張の折、たまたま本書(下巻のみと思われる)を入手したため、同好の士に頒布するために複刻したものという。この抄録本は正徳板の下巻のみを模刻したもので、概ね正確に複製してあるが、字間や行数が異なる丁もある。また、製本所は江戸浅草の伊豆屋清助とあるので、江戸で上梓したものである。 11女カナデホン-テラサワ(2種)★【往来物】67 SE01274
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★〈合類絵鈔〉万宝御成敗式目(正徳3年・2種) 【作者】北条泰時編
¥6,000
★〈合類絵鈔〉万宝御成敗式目(正徳3年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦258・254粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】正徳3年5月刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物・法制」。同板2種を全冊収録した。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。底本は、「御成敗式目」の本文を大字・6-7行・付訓で記し、前付や頭書などに種々の記事を載せたもの。前付に「中将棊之図」「楊弓射礼并道具一色之名所、附寸法」、頭書に「将棊作物抄」「囲碁作物抄」「和礼しつけがた」「献立之書様」「立花砂物并生花」「呪咀調法記秘伝」「瀟湘八景之詩歌」「近江八景之詩歌」「茶湯指南」「掛物軸物かけ巻の仕様」「当御代武家之式目」「御高札式目(天和御式目)」を収録する。 08社バンポウゴセイバイシキモク(正徳3年・2種)★【往来物・法制】75 SE01044
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★佐々礼石[さゞれ石]〈女筆〉(4種) 【作者】長谷川妙躰(豊・筆海子)書
¥10,160
★佐々礼石[さゞれ石]〈女筆〉(4種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦273・282・265・265粍。 【作者】長谷川妙躰(豊・筆海子)書。 【年代等】正徳3年1月刊。[江戸]万屋清四郎ほか板。 【備考】分類「往来物」。正徳板2種と無刊年本端本2種の合計4種を収録。『さゞれ石〈女筆〉』は、時候挨拶の手紙や家族の近況を知らせる手紙など、種々の例文を散らし書きにした長谷川妙躰の女筆手本。3巻3冊。上巻は、「子の日」(新春)、「杜若」(初夏)の時候の手紙文に始まり、次いで、つれない相手を恨む内容の文、さらに物柔らかに僻んだ心を直せと諌める手紙文で終え、巻末に『古今』『新古今』からの和歌2首を掲げる。中巻は、初秋から冬にかけての情緒的な消息文で、「七夕」を題材とする前半は「星合の空」「梶の葉」などの歌語を配し、神無月を経て、「人めも草もかるゝばかり」「野辺の冬草」「冬草のうへにふりしく白雪」と冬に至り、末尾に『和漢朗詠集』から抄録した和歌を掲げる。下巻は、家族が息災であることを詳述した後で、京都の名所旧跡と年中行事等を紹介する。各巻表紙見返に口絵を掲げるが、うち上巻見返の挿絵は妙躰自身の肖像画と思われる。 11女サザレイシ-ニョヒツ(4種)★【往来物】127 SE01280
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★女堪忍記大倭文 【作者】長谷川妙躰書
¥5,360
★女堪忍記大倭文 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】長谷川妙躰書。 【年代等】正徳3年9月刊。[大阪]吉田孫兵衛板。 【備考】分類「往来物」。末尾に改題本の明和5年刊『女文章色紙箱』を抄録した。『女堪忍記大倭文』は、比較的短文の女文18通を収録した女用文章。四季・五節句等の手紙を妙躰独特の散らし書きで綴るが、妙躰の手本では数少ない頭書入りの女子用往来である(本文の付訓も妙躰の手本では異例)。書名の由来は、巻頭「忍の字解」や頭書「女堪忍記(「姑につかふる堪忍」の教訓や孝女・賢女の略伝)」などの記事による。 11女オンナカンニンキヤマトブミ★【往来物】67 SE01166
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会津目安・同返答書[白峯銀山目安](正徳3年) 【作者】高田越後少将上総介御内御役人書
¥2,000
会津目安・同返答書[白峯銀山目安](正徳3年) 【判型】特大本1冊。縦295粍。 【作者】高田越後少将上総介御内御役人書。 【年代等】正徳3年1月書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。筆者は底本最終丁の書き入れによるが、これは越後魚沼郡宮村で使用された手習本。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ02(正徳3年)【往来物】33 SE00994
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御成敗式目(正徳5年・風月板) 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋
¥2,000
御成敗式目(正徳5年・風月板) 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋。 【年代等】正徳5年2月刊。[?]風月板。 【備考】分類「往来物・法制」。袋綴じ展開収録。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク(正徳5年・風月板)【往来物・法制】44 SE00938
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★〈金銀〉御吹替条目[金銀吹替御条目・金銀吹替御触書] 【作者】堀流水軒書・跋
¥4,000
★〈金銀〉御吹替条目[金銀吹替御条目・金銀吹替御触書] 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】堀流水軒書・跋。 【年代等】正徳4年8月刊。[大阪]浅野弥兵衛。 【備考】分類「往来物・貨幣」。正徳4年5月に幕府が出した「金銀復旧令」に伴う覚書や法令類を手本として認めたもの(筆者の巻末識語に「為小子之手本書与之訖」とある)。いずれも正徳4年5月15日付けで、「覚」、「金銀通用の法を定められ候条々」7カ条、「新古金銀割合次第」4カ条、および「諸国商人両替し候輩に可申渡事」を大字・4行(最後の「諸国商人…」は5行)・無訓で認める。例えば、冒頭の「覚」は、「一、慶長年中被定置候金銀の法、元禄年中に至て始而其品を被改、宝永の始ふたゝひ銀の品を被改候より以来、諸物価も年々に高直になり来り、世の難儀に及ひ候によりて前御代御治世の始より、金銀の品慶長の法のことくになし返さるへきよし…」と起筆して正徳2年10月の「金銀吹替ニ付被仰出御書付」に至る事情から正徳の改鋳の経緯に触れたうえで、この方針を遵守しない者は厳罰に処せられる旨を述べる。また、これに続く各条々には、このたびの改鋳に伴う金銀貨幣の取り扱い、また諸国両替商に対する訓戒等を載せる。『吹替御式目』と同様に、当時の金融政策に敏感に呼応し、これを手習い手本化した点が注目される。底本は戸川残花(蔵書印「残花書屋」)旧蔵書で、さらに「亡羊蔵書(山本亡羊カ)」の蔵書印を押す。なお、戸川残花(1855-1924)は、明治-大正時代の詩人、評論家。安政2年10月22日生まれ。もと旗本。維新後、大学南校、慶応義塾などに学ぶ。牧師として活躍する一方、「文学界」に長詩「桂川」などを発表する。江戸時代史を研究し、「旧幕府」を主宰。紀州徳川家南葵文庫主任。日本女子大教授(日本女子大創立に尽力)。大正13年12月8日死去。70歳。江戸出身。本名は安宅(ヤスイエ)。著作に「幕末小史」など。 08社キンギン-オフキカエジョウモク★【往来物・貨幣】43 SE00909
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大和道中記(女筆) 【作者】不明
¥2,000
大和道中記(女筆) 【判型】特大本1冊。縦317粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期頃書。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録のうえ装丁状態の見開きに合成。『大和道中記』は、流布本の『竜田詣』の本文を散らし書きにした妙躰流の女筆手本。『竜田詣』は、江戸中期以降にかなり流布した往来物で、刊本では正徳5年(1715)刊『女童子往来』(「大和廻竜田詣さそひにやる文」)や享保19年(1734)刊『〈寺沢〉年中往来』後半部にも収録されているものが初期の例である。岡村金太郎編『往来物分類目録』は近松門左衛門による元禄頃の作と記すが、現存の単行刊本では宝暦6年(1756)刊『竜田詣〈并散艸〉』(大本)が最古である。諸本によって内容に異同があるが、正徳5年の「大和廻竜田詣さそひにやる文」は、「日来(ひごろ)申合まいらせ候竜田詣の御事、紅葉も漸々時分にて候まゝ、何比(いつごろ)覚し召、御立候はんや…」で始まり「…御目にかゝり御物かたり申まいらせ候。めでたくかしく」と結ぶ女文形式で奈良より大和路をたどって竜田に遊び、次いで大坂を経て京都に至るまでの名所旧跡・神社仏閣等を紹介する。ただし、後世に流布したのは、「内々竜田詣之事、紅葉も漸可得時候…」で始まり「…猶又東山之参会、近日之条、心緒期其節候。穴賢々々」で終わる享保19年本所収の「竜田詣」の方である。底本は前者とほぼ同文で、「内々竜田もふでの事、紅葉もやうやう時分にて候べく候まゝ何比に思召御立候はんや…」で始まり、「…道の様子は不案内に候まゝ御めもじにて申合候べく候。かしく」と結ぶ文章を散らし書きで綴る。また、巻末に、明石縮(あかしちぢみ)等のお礼状など5通の手紙文も散らし書きで記す。 06地ヤマトドウチュウキ(女筆)【往来物】30 SE00795
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★〈堀氏流水軒〉泰平往来〈国尽官名〉(2種) 【作者】堀流水軒(直陳)作・書
¥5,380
★〈堀氏流水軒〉泰平往来〈国尽官名〉(2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦255・255粍。 【作者】堀流水軒(直陳)作・書。 【年代等】正徳4年3月刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物」。同板別本も全冊収録した。「泰平往来」「諸国(大日本国尽)」「官名」から成る手本。「泰平往来」は、まず「抑江府年頭之御規式、元日、二日、御一門之御方々、国主、城主之歴々、三献之御祝、其外、諸侯昵近之面々…」と筆を起こして、正月朔日、2日に将軍家一門、各国諸侯以下諸役人、続いて3日に諸大名の子息以下の新年挨拶を始め、5日寛永寺僧侶の挨拶、6日諸国寺社の挨拶、7日「七種之御粽」献上、11日御具足祝いを始めとする新年儀式のあらましと城中の模様を綴り、君主を「前代未聞の名君」と讚える。後半では、まさに「国家安全、理民長久の瑞相、泰平繁昌」の今日の江戸は、日本諸国のみならず中国・朝鮮・琉球・オランダなど近隣諸外国からも崇敬されることを述べた後、江戸府内、東西南北の地名と繁栄ぶりを紹介する。このように『泰平往来』は、寛文9年(1669)刊『江戸往来』に、後の文化2年(1805)刊『御江戸名物往来』や『(江戸)繁栄往来』の要素を加味した地理科往来といえよう。「国尽」は五畿内以下の諸国名、「官名」は「太政官・左大臣・右大臣…」から「…督・佐・尉・志」までの官名・官位を列挙する。 06地タイヘイオウライ(2種)★【往来物】66 SE00744