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〈長周叢書〉万治制法(活版和装)
¥1,000
〈長周叢書〉万治制法(活版和装) 【判型】半紙本1冊。縦227粍。 【作者】毛利綱広(泰巌公)作。村田峯次郎編・跋。 【年代等】万治3年作。明治24年8月、自跋・刊。[東京]稲垣常三郎板。 【備考】分類「往来物」。活版和装本。袋綴じ展開収録。「長周叢書」第11回配本の1冊で、『万治制法』を収録。「長周叢書」は、村田峰次郎編、明治23-25年刊、全21冊。「群書類従」「史籍集覧」などに擬して防長関係文献を編修復刻したもの。「大江匡房卿伝」1冊、「長門国誌」「長門金匱」合1冊、「萩古実未定之覚」1冊、「万治制法」1冊、「吉田松陰先生遺文」1冊、「輝元公上洛日記」1冊などを含む。明治31年刊の続篇には「吉田物語」3冊、「温故私記」3冊がある(コトバンク参照)。『万治制法』は、『万治条目』『毛利家制法条々(当家制法条々)』『毛利藩御制法』『毛利藩三十三ヶ条』などとも呼ばれ、長門・周防両国の太守・毛利綱広が、「家祖元就の遺法に基き、深くその奥旨を鑒み、並に当時幕府の法令等を参酌して制法三十三箇条を定め、万治三年九月十四日発布」された法律。この地域では毎年正月11日に政庁で朗読されたほか、領内の童蒙の手習手本としても使用された。第1条「天下諸事之御制法宜相守事」以下、文武奨励、公事訴訟、分限・礼儀、武士心得、諸役心得、衣装・饗応、婚礼儀式、継目・養子、人沙汰、喧嘩・口論等、失火、乗輿、知行・守護、目付心得など33カ条から成る。SE03361
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茶道心得(万治3年)
¥1,000
茶道心得(万治3年) 【判型】大本1冊。縦266粍。 【作者】不明。 【年代等】万治3年3月刊。[京都]荒木利兵衛板。 【備考】分類「茶道」。袋綴じ展開収録。本書の原題は不明で、稀覯書のため原題を記載したものが未発見のため底本の後簽により仮称を付けた(本文2丁落丁のため、原題不明の別本コピーにより補充した)。本書は、古版の茶道書で、「冬の水打次第」16カ条、「出合(イデアイ)の次第上中下の位有べし」6カ条、「不時の茶の次第」20カ条、「夜の数寄の次第、付り灯の事」22カ条、「不入(イレザル)花の事」37カ条、「唐物あしらひの事」10カ条、「くさりの間の次第」85カ条、「前後の礼の事」37カ条、「風炉の次第」65カ条、「客入大形」58カ条の、合計356カ条を収録する。SE02973
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〈ひらがな〉観音経和談抄(万治4年・2種)
¥2,420
〈ひらがな〉観音経和談抄(万治4年・2種) 【判型】大本3巻1冊。収録順に縦263・260粍。 【作者】不明。 【年代等】万治4年3月刊。[京都]丁子屋三郎兵衛板。 【備考】分類「仏教」。袋綴じ展開収録。後印本も全冊収録した。「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の絵入り注釈書。単なる語注や大意に止まらず、関連事項にも多く言及し、詳しく解説する。万治4年板は刊本の最古本(『国書総目録』によれば万治4年板、寛文10年板、天和3年板等がある)。上巻は「だいがうの事」~「七なんの苦をすくひ給ふ事をほむる下(シタ)」の49項、中巻は「三どくの下」~「くはんおんはさうもくともげんじ給ふ事」の48項、下巻は「くやうをすゝむ下」~「あのくたらの事」の43項に分けて述べる。 SE02486
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堪忍記(万治2年)
¥5,240
堪忍記(万治2年) 【判型】特大本7冊(全8巻8冊中第7巻欠)。縦276粍。 【作者】浅井了意(瓢水子・松雲・羊岐斎)作。 【年代等】万治2年3月刊。[京都]滝庄三郎板。 【備考】分類「仮名草子」。『堪忍記』は8巻8冊、仮名草子、浅井了意作。万治2年、京都・滝庄三郎刊。堪忍を易の辞になぞらえ教訓した慶安4年刊の『堪忍弁義抄』に倣い、明の顔茂猷の『迪吉録(てききつろく)』を主とし、『事文類聚』『明心宝鑑』などからも取材して、人間生活の基となすべき堪忍に関する和漢古今の逸話・巷説を挙げ教訓・教誡に資したもの。序に「百(モモ)の行ひの中に、心ざしの行くところ、忍の一字を取りて、これを現はして筆に記す」という。通編25項目に分かち、それぞれの項目に簡単な概説を加えて、以下、それに関する説話を集めている。1巻は、(1)忍の字の評、(2)堪忍すべき子細、(3)忍の字に二つの元あり、(4)瞋恚をとどむる堪忍、(5)怒をとどめて忍をおこなふ、(6)貪欲をとどむる堪忍、(7)色欲をとどむる堪忍。2巻は、(8)財欲の堪忍、(9)主君の堪忍、(10)主君につかうまつる堪忍、(11)傍輩中の堪忍。3巻は、(12)子を生立(ソダツ)る堪忍、(13)父母につかうる堪忍。4巻は、(14)職人の堪忍、(15)商人の堪忍、(16)医師の堪忍。5巻は、(17)法師の堪忍、(18)友達交はりの堪忍、(19)大義を思ひたつ堪忍。6巻は、(20)婦人の評、(21)姑につかうる堪忍。7巻は、(22)憐姫(リンキ)のおもひある堪忍、(23)継子を育つる堪忍。8巻は、(24)孀(ヤモメ)になりたる堪忍、(25)陰徳を行ふべき事。但し、説話を集めることに重点が置かれたためか、必ずしも全ての話が堪忍の意義に該当するということは出来ないが、読者の興味をそそるために、作者の見聞伝誦する類話をも収めたようなところがある(「日本古典文学大辞典」参照)。/仮名草子。8巻8冊。浅井了意作。1659年(万治2)刊。別版に64年(寛文4)刊の京都版、71年刊の江戸版、1701年(元禄14)刊本やその復刻版など数多くある。序に〈百のおこなひの中に、心さしのゆくところ、忍の一字をとりて、これをあらはして、筆にしるす者也〉とあるとおり、堪忍を人間生活の基調をなすものとして、通計25章、各章に数条の和漢古今の逸話あるいは巷説を挙げ、教訓を記したものである(コトバンク)。 SE02471
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〈新板〉仮名文字遣[定家卿仮名遣](万治2年)
¥2,000
★〈新板〉仮名文字遣[定家卿仮名遣](万治2年) 【判型】横本1冊。縦136粍。 【作者】源親行作。行阿捕。藤原定家校?。 【年代等】万治2年8月刊。[京都カ]林伝左衛門板。 【備考】分類「語学」。袋綴じ展開収録。定家仮名遣は、藤原定家の著書『下官集』を始まりとする(その成立年代については、浅田徹は1210年代後半としている)。この中にある「嫌文字事」(文字を嫌ふ事)が仮名遣いについて触れたものであり、定家がこのように書くべきと定めた言葉の用例が記されている。やがてこれが南北朝時代に至り、源親行の孫の行阿が『仮名文字遣』を著したことにより増補され確立された。この『仮名文字遣』に記される仮名遣いを行阿仮名遣(ぎょうあかなづかい)とも呼ぶが、これが一般に定家仮名遣の名をもって呼ばれるものである(Wikipedia参照)。/南北朝時代の仮名遣い書。1巻。行阿(ぎょうあ)(源知行)著。貞治2年(1363)以降の成立。行阿の祖父源親行が藤原定家の「拾遺愚草」を清書したとき、定家の承認を得て統一した仮名遣いを、行阿がさらに増補したもの。中世以降、尊重された。定家仮名遣。行阿仮名遣。/仮名遣い書。行阿著。1363年以後成立。藤原定家の「下官集」に準拠し、仮名の書き分けを示す。「を・お、え・ゑ・へ、ひ・い・ゐ、ほ・わ・は・む・う・ふ」の一四項を立て、各項ごとに、その仮名を用いるべき語を列挙したもの。定家仮名遣いと呼ばれ、江戸中期まで歌人の間で用いられた。行阿仮名遣(コトバンク)。SE02376
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伊曽保物語(稀書複製会)
¥1,860
伊曽保物語(稀書複製会) 【判型】大本3巻3冊。縦270粍。 【作者】不明。 【年代等】万治2年1月刊本([京都カ]伊藤三右衛門板)の複製(印行500部中の第102号)。 【備考】分類「仮名草子」。仮名草子。欧米で広く親しまれている『イソップ物語』の翻訳であるが、訳者不詳。『イソップ』がいつわが国に持ち込まれたかは不明であるが、16世紀の下半期にキリスト教の東洋伝播(でんぱ)とともに、その説教用の補助的教訓本として輸入されたものとみられる。『イソップ』の口語訳ローマ字本は1593年(文禄2)に天草のキリシタン学寮から出版され、訳者は日本人イルマンのハビアンであったという。本書はこれとは別系統で直接の関係は認めがたい。天草版には70話、本書には64話があるが、共通の話は25話で、それも内容文章に差がある。本書は広く読まれ、慶長(けいちょう)~寛永(かんえい)年間(1596~1644)に刊行の古活字版9種と1659年(万治2)刊の挿絵入りの整版2種および写本がある。当時の厳しいキリシタン禁制下にあって本書が盛んに読まれたのは、内容が教義とは無関係な寓話(ぐうわ)的教訓性によるものと思われる。後の教訓物仮名草子に大きな影響を与えた(コトバンク)。西洋古典翻訳という独得な内容をもった仮名草子。喩言の最終話に「出家と盗人の事」を配して仏教説話の結びのごとく「此経(物語)を見ん人は云々」としているのは、全体構成上の用意をうかがわせる(「日本古典文学大辞典」参照)。伊曽保物語は、日本で刊行されたイソップ物語の翻訳本です。前半に原作者であるイソップの生涯を描いた略伝、後半にイソップの寓話がおさめられています。世界的に有名なイソップ物語が、当時の平易な日本語で語られています。原作そのままの内容が記されている話もあれば、舞台を京都におくなどのアレンジ、場合によっては教訓がちょっとだけ日本風に変わってしまっているものもあります。が、教訓を主にした内容と例え話の親しみやすさは、原作そのままといっていいでしょう。伊曽保物語にはふたつの種類があります。ひとつはキリシタン版として1593(文禄2)年に天草で刊行されたものです。活版印刷による作成、かつ、ポルトガル式のローマ字で当時の日本語の話し言葉が記されており、国語学研究上の貴重な資料とされています。もうひとつは江戸時代初期に仮名草子として出版されたもので、古活字版と絵入り整版とがあります(京都大学HP)。SE01952
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十六夜日記(いざよひの日記)
¥1,100
十六夜日記(いざよひの日記) 【判型】大本2巻2冊。縦258粍。 【作者】阿仏尼作。 【年代等】弘安6年(1283年)頃成立。万治2年6月刊。[京都]林和泉板。 【備考】分類「紀行」。SE01920
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女初学文章(高精細)
¥3,040
★女初学文章(高精細) 【判型】大本3巻3冊。縦260粍。 【作者】和田宗翁(以悦・一華堂・一花堂・切臨・持阿上人)作。窪田やす(*窪田宗保息女)書。 【年代等】万治3年6月刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物」。『女初学文章』は、寛永6年刊『初学文章抄』上・中巻の主題に沿って編んだ女筆手本兼女用文章(本書主題の62%は『初学文章抄』の模倣)。上巻に「用の事ありて文をつかはす事・同返事」以下の往復文20通、中巻に「やくそくなしに物をかりにやる文・同返事」以下21通(うち「弔状」のみ返事なし)、下巻に「乱舞に人をしやうじて礼にやる文・同返事」以下22通の合計63通を収録する。娘の宮仕えのための事前教育を依頼する手紙や、賀茂川の石伏(淡水魚)や桂川の鮎を贈る手紙など、主として京都の上・中流階級の女性の日常生活に関する例文が多い。四季時候の手紙がごく少数で、実用的な用件中心の例文が大半を占めるのが特徴。いずれも大字・無訓の散らし書きにするが、そのうち弔状の散らし書きは異例で、他の往来物にはほとんど例がない。また、本文上欄を界線で仕切って頭書欄を設け、例文中の語注や若干の書簡作法を記し、本文との対応関係を丸付き数字で示す。女子用往来における頭注の最初の例と思われる。いずれにしても本書は、女用文章・女筆手本の先駆的な例として重要である。なお、『貞享2年書目』には本書の増補版と目される『増補女初学文章』が見えるが未詳。 SE01488
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女式目・儒仏物語(万治3年・2種)
¥5,080
★女式目・儒仏物語(万治3年・2種) 【判型】大本3巻3冊(底本は「女式目」大本2冊本、「女式目」2巻合1冊本、「儒仏物語」1冊)。収録順に縦273・260・260粍。 【作者】最登波留(野田基春・野田弥兵衛)作・跋。 【年代等】万治3年2月跋・刊。[京都]中野弥兵衛板。 【備考】分類「往来物・教訓」。『女式目・儒仏物語』は、『女式目』2巻・『儒物物語』1巻を合わせた3冊本で、原題簽は「女式目(上・中)」、「儒仏物語(下)」。『女式目』は、近世の女訓書では寛永14年刊『女訓抄』や慶安3年刊『をむなかゝ見』に次いで古い初期の女訓書で、上巻には「一、うへうへの上臈方の作法」以下、「町人などの女房」「みやづかへの女房」「町人などにつかふる女房」「おなじくお乳うば」「尼」など各種作法と、「女子おさなき時よりそだてやうの作法」「もろこしのしうげんの作法」「五常の次第」「五倫の次第」「五戒の次第」のまでの11章、下巻には「女とりわけ手ならひし給ふべき事」「文かき給ふべき上中下の次第」「文ことばおなじやうなる事あらまし」の3章を収録する。上巻では女性の作法・心得や、女子の養育や五常・五倫、五戒・十悪などの儒仏の教えについて諭す。下巻は、女子の手習いや手紙の書法・用語など日常生活に必要な教養を主とする。本書は『をむなかゝ見』からの影響が色濃く、例えば下巻第2章の女性書札礼なども同様の主張を展開するが、『をむなかゝ見』よりも具体的な記述が目立つ。本文中に「下々おほくめしつかい給ふてい」「びくに物かたりのてい」「しうげんのざしきのてい」など挿絵8葉を掲げる。後に『〈貞節教訓〉女式目』の書名で寛延4年、宝暦4年に再刊されたが、挿絵は一新された。また、『儒仏物語』は、愚かで道理を弁えない者達数名の世間話の中で、ある人が「儒教と仏教について少しでも知っている人がいたら噺を聞かせて欲しい」と言い出したのに対して、「ある所でこんな話を聞いたのだが…」と切り出したのをきっかけに始まった儒仏問答の形式で、儒教と仏教の起原や儒教のあらまし(三皇五帝、孔門、徳行技芸、五常五倫、葬礼等)や仏教のあらまし(釈尊成道・入滅の経緯、諸宗の祖師や概要、教義・行法、女人成仏、念仏・題目等)などを諭したもの。 SE01487
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★御当家御制法[毛利家制法条々・万治制法・万治条目] 【作者】毛利綱広(泰巌公)編、三戸治郎吉書
¥4,000
★御当家御制法[毛利家制法条々・万治制法・万治条目] 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】毛利綱広(泰巌公)編、三戸治郎吉書。 【年代等】万治3年9月成立。江戸中期書か。 【備考】分類「往来物・制法」。『御当家御制法(万治制法)』は、長門・周防両国の太守・毛利綱広が、「家祖元就の遺法に基き、深くその奥旨を鑒み、並に当時幕府の法令等を参酌して制法33カ条を定め、万治3年9月14日発布」された法律で、同地域では毎年正月11日に政庁で朗読されたほか、領内の童蒙の手習い手本としても使用された。第1条「天下諸事之御制法宜相守事」以下、文武奨励、公事訴訟、分限・礼儀、武士心得、諸役心得、衣装・饗応、婚礼儀式、継目・養子、人沙汰、喧嘩・口論等、失火、乗輿、知行・守護、目付心得までを33カ条で記す。底本はこれを手習本として書したもの。 08社ゴトウケセイホウ・モウリケセイホウジョウジョウ・マンジセイホウ・マンジジョウモク★【往来物・制法】31 SE00961
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万治制法[当家制法条々] 【作者】毛利綱広制定
¥2,440
万治制法[当家制法条々] 【判型】大本1冊。縦249粍。 【作者】毛利綱広制定。 【年代等】万治3年9月制定。江戸後期書か。筆者15歳の書と明記、手習い用に記されたものであろう。 【備考】分類「往来物・法制」。 08社マンジセイホウ(野村某書)【往来物・法制】61 SE01055
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★〈ゑ入〉女訓抄(万治元年)
¥13,520
★〈ゑ入〉女訓抄(万治元年) 【判型】大本。3巻6冊。縦265粍。 【作者】不明。 【年代等】万治元年再刊。[京都]婦屋仁兵衛板。 【備考】分類「往来物・教訓・仮名草子」。『女訓抄』は、寛永(1624-44)から享保(1716-36)にかけて普及した近世初期の代表的女訓書。永正7年(1510)作『慈元抄』(『群書類従』巻478所収)下巻に「『女訓集』云。天上人中より始て。山野の鳥獣。江河の鱗。螻蟻蚊虻に至るまで。子をおもふ道に不惑といふ事なし…」と、本書序文の4分の1相当(寛永19年板の半丁分)を引くため、室町中期以前(一説に鎌倉時代)の成立で、原題は『女訓集』であったと考えられる。序文には還暦を過ぎた老人が子女のために書き記した教訓とするが、虚構とする説もある。第1「四たう八く(四道八苦)の事」、第2「五しやう三しう(五障三従)の事」、第3「けいし(継子)をかへり見る事」、第4「しよしうふち(諸衆扶持)の事」、第5「しんだい(身体)をおさむへき事」、第6「しゆくん(主君)につかふへき事」、第7「とも(友)にましはるへき事」、第8「げいのふ(芸能)あるへき事」、第9「こけ(後家)のふるまいの事」、第10「ごしやう(後生)ぜんしやう(前生)の事」の10章から成る。和漢の故事・略伝や内典(『華厳経』)・外典(『孝経』『帝範』)を引きながら、四道・四苦八苦・女の五障・三従・四恩、女性の三事(身だしなみ)、悪女の容姿と行跡、七去、分限、養生・化粧、十悪(十戒)、交友、諸芸、仏教的世界観、十二月異名・五節句、仏名、後家の心得、後生菩提・仏教諸宗など、仏教中心の女子教訓を展開する。寛永16年古活字本は本文をやや小字・13行・無訓、寛永19年製版本はやや小字・11行・無訓のほとんど仮名書きで、漢字を多用した『慈元抄』とは趣を異にする。また、寛永19年板の再板本である万治元年板(底本)には挿絵(全29丁・58葉)を交えた版もあるが、絵入り本の初見は『延宝3年書目』以降だから、その刊行は寛文(1661-73)末年以降と思われる。なお、徳島県阿波国文庫旧蔵の寛永14年古活字本は戦災で焼失したため、現存最古本は大東急記念文庫蔵の寛永16年古活字本である。 11女ジョクンショウ-エイリ(万治元年)★【往来物・教訓・仮名草子】169 SE01292
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★女諸礼集(万治3年) 【作者】不明
¥15,360
★女諸礼集(万治3年) 【判型】大本7巻6冊。縦268粍。 【作者】不明。 【年代等】万治3年1月初刊。[京都]山田市郎兵衛板。同板後印に[京都]田中文内板がある。 【備考】分類「往来物・礼法」。『女諸礼集』万治3年初板本(大本)の初刷本(山田板*底本4-6巻)と、万治板後印本(刊行者不明*底本1-3巻)および、万治3年板後印(田中板*刊記のみ)の3種を取り合わせ全巻を調えた。ただし、1巻に小袖図等の落丁があるため、天和板によって補充した。万治板は袋綴じ展開収録(見開き図再掲)、天和板は通常収録。『女諸礼集』は、近世最初の大系的な女性礼法書で、大本と半紙本の2種がある(半紙本は稀書複製会本が知られるが、落丁があるほか乱丁も甚だしい不完全なもの)。内容は、一之巻(題簽下部「しつけがた・四きこそで・ひながた」*以下同)が「女房つねにわきまふべき色々」「女はうしつけかたの次第」「よろづくいかたの次第」「くいかたかよひの次第」の四章、二之巻(「正月かゝみのづ」)が「ぢよようかたかよひの次第」「みやづかへする人心いれの次第」の二章、三之巻(「しうげん・たのみ」)が「嫁取云入真草の次第」「よめ入の次第」の二章、四之巻(「けしやう・水し(御厨子)・くろだな(黒棚)」)が「真のしうげんの次第(女房向輿座入の次第)」「さうのしうげんの次第」の二章、五之巻(「さんやたんじやう・げんぶく」)が「産屋の次第」「誕生の次第」「元服の次第」の三章、六之巻(「しうげん・しやくの次第」)が「四季の小袖模様」「酌取やうの次第」の二章、七之巻(「しうげん・しやくの次第」)が「正月かゞみのかざりやうの事」「女官の次第」「服いとまの次第」「諸神さんけいの事」等の記事から成る。以上を、先行する女性礼法書と比較すると、『女諸礼集』は、①結納から婚礼祝言、また婚礼道具や飾り物までを含め婚礼関連の記事が新たに加わり、かつ本書において大きなウエートを占めること、②出産や通過儀礼(三日祝い・七夜・食初・髪置・袴着・元服等)に関する記事が加わったこと、③四季時服や四季の飾り物の記事が加わったこと、④婚礼儀式や進物等の積み方、膳部など図解が増え、細部に関する具体的な情報が随所に盛り込まれたこと、⑤服忌や信仰・参詣など種々の細かい記事が加わったこと、などが大きな特徴として指摘できる。ただし、これら『女諸礼集』の特徴のうち新たに加わった記事の数々は、寛永板『諸礼集』の構成からも知れるように、小笠原流礼法にもともと包括されていた内容である。したがって『女諸礼集』は、従来の女性礼法書よりも一般の小笠原流礼法書の構成や内容に一段と接近したものとなったが、書札礼が全く含まれない点が一般の小笠原流礼法書と大きく異なる(寛延4年刊『女諸礼綾錦』以降の改編で書札礼を完備するようになったことと対照的である)。なお、初期刊本では万治3年板のうち7巻末尾(「女官」以下8丁)を割愛した元文3年求板本([大阪]田原屋平兵衛板)や、万治板とは異板で内容も一部異なる天和3年板([大阪]池田屋三郎右衛門板)のほか、延宝三年板([大阪]本屋清左衛門ほか板)、貞享5年板([京都]平野屋佐兵衛板)などがある。また、当時家々で秘伝とされた礼法を公開した意義は大きく、本書を町人向けに再編集した寛延4年刊『女諸礼綾錦』や天保12年刊『〈新増〉女諸礼綾錦』などの展開を通じて、女性礼法の一般化に多大な影響を及ぼした。 11女オンナショレイシュウ(万治3年・大本)★【往来物・礼法】192 SE01200