往来物PDFデータダウンロード販売
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★うすもみじ(「わかみどり」下巻)
¥1,400
★うすもみじ(「わかみどり」下巻) 【判型】大本1冊。縦267粍。 【作者】長谷川妙躰(豊・筆海子)書。 【年代等】宝永4年1月刊。[江戸]御簾屋又右衛門(簾屋又右衛門)ほか板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『うすもみじ』は、宝永4年板『わかみどり』初板本の下巻。長谷川妙躰の初期の女筆手本の一つで、初板本の題簽題は、上巻『わかみどり』、中巻『わかたけ』、下巻『うすもみじ』である。下巻には、「『源氏物語』講釈に出席する意向を伝える文」以下9通を載せ、巻末に詩歌数編を掲げる。字配りは上・中巻の大半を大字・無訓の散らし書きで綴るのに対して、下巻はほぼ大字・3行・無訓の並べ書きとする。なお、本文余白に紅葉・笹・松葉・丁字などの模様を鏤める。SE03374
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★青葉山由来(宝永5年)
¥2,000
★青葉山由来(宝永5年) 【判型】大本1冊。縦275粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸前期(寛永~慶安頃)作。宝永5年12月書。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。宝永5年本は類書中の最古本。『青葉山由来』は、「往昔、用明天皇之御時、初而築此城、頼朝公之御時、結城七郎政光国分領す。家来之者至末々居住する云々。其後、成荒城、永禄年中より国分能登守住す。天正四年正宗伯父伊達彦九郎盛重国分領す…」と起筆し、用明天皇の時代から慶長5年に伊達政宗がこの地を本拠とし、さらに翌年に築城を開始し、寛永16年に二の丸が完成し、2代忠宗が移り住んだ経緯など、青葉城の由来や繁栄ぶりを記した往来物。『仙台状』の類本中最も流布したもので、宝永三年系統(『仙台状』)と宝永5年系統(『青葉山之由来』)があるが、後者は室町後期作『富山之記』の影響が見られ、より原型に近いと考えられる。内容は、「青葉山の由来」「城内・城下の様子」「伊達政宗の御諚、御台の計らいによる酒宴遊興のありさま」「奉行所の評定」の4段と結尾の言葉から構成される。最古本の宝永5年本は、本文を大字・5行・無訓で記す。なお、本書と関連の深い往来物に『仙台記』『仙台状(仙台威風状)』『仙台状(仙台状・南部状)』がある。SE03145
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★〈堀氏〉今川壁書[今川状](折本)
¥2,000
★〈堀氏〉今川壁書[今川状](折本) 【判型】折本1帖。縦285粍。 【作者】堀流水軒(直陳・観中)書。 【年代等】宝永3年9月刊。[大阪]浅野弥兵衛板。 【備考】分類「往来物」。堀流水軒が揮毫した『今川状』の折手本。奥書に「『堀氏今川』、已前より版行雖有之、筆不慥之故、此度門弟之手本乞請、今改板畢」とあり、元禄頃に先行板があった旨を記す。『今川状』は、今川貞世が弟(首題に「愚息」とあるが子息ではない)の仲秋にあてた教訓で、「一、不知文道而、武道終不得勝利事」で始まる23カ条と後文から成る往来物。文武両道を強調する室町初期を代表する武家家訓とされる。以下、無益の殺生の戒め、罪人の公正な裁き、領民に対する非道と己の奢侈の戒め、先祖の建造物保持、忠孝怠慢の戒め、公平な賞罰、臣下を見て己を慎むこと、他人の不幸を己の利としないこと、分限相応、賢臣・侫人の見極め、非道の富裕と正しい零落、遊楽と家職など、武人として弁えるべき条々を列挙し、後文でも文武両道を繰り返し強調し、上下や友人の善悪、また己の心の善悪の見極めなど武士の心得を諭す。なお、近世刊本では本文末尾に「応永十九年」と記すものと「永享元年」と記すものの二様がある。また、『今川状』古写本における2巻本の存在から前半の23カ条が先に(応永7年以前に)成立して、後文がやや遅れて増補された可能性もある。SE03097
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★文章手本頭書[文章手本首書・用文章](宝永元年)
¥3,240
★文章手本頭書[文章手本首書・用文章](宝永元年) 【判型】大本3巻3冊。上中下巻の順に縦271・257・260粍。 【作者】不明。 【年代等】宝永元年9月刊。[京都]辻勘重郎板。 【備考】分類「往来物」。各巻の端本を取り合わせて3巻揃いとし、全巻袋綴じ展開収録した。また、中巻最終丁(第24丁落丁)。『文章手本頭書[文章手本首書』は、全3巻からなる頭書入りの用文章。本文欄は、上巻に「昼食饗応の誘引状」から「八朔田面(タノモ)祝儀状」までの17通を収録。本文は大字・4行・付訓を基本としながら、上巻第17通は3行で記すなど、体裁の不統一に違和感があり、先行本の増補改訂版とも考えられる。中巻は、「元服祝儀状」から「下拙儀…」云々(1丁落丁に付き文面不明)までの10通を収録(本文は全て大字・3行・付訓)。下巻は、「初対面の人に対する礼状」から「参宮誘引状」までの11通を収録(本文は全て大字・3行・付訓)。また、付録記事として、上巻は見返に「南膽部州大日本国正統図」「篇并冠」、目録に記載の頭書は「能書伝記」「机之寸尺」「文字之濫觴」「硯之事、并濫觴故事」「筆取之事、并濫觴故事」「紙之濫觴故事」「一文字真草行之事、并待つ心指南」「弗敝竪之事」ほかを、中巻は見返に「片言直」、目録に記載の頭書は「唐土忠孝物語」「手形之書法并案文」「書札文字遣之高下」「日本四姓の濫觴」を、さらに、下巻は見返に「判形相性之事」「料理献立書様」「片仮名伊呂波」、目録に記載の頭書は「累用字尽」、巻末に「十干十二支、并異名」「百官、并侍小姓の名」「名字づくし」「名乗づくし」をそえぞれ収録する。SE03088
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字林長歌(明和板2種)
¥1,520
字林長歌(明和板2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦271・259粍。 【作者】源堅(カタシ、竹隠・固卿)作・序。細井広沢(知慎トモチカ・玄佐・公謹・二郎太夫・玉川・思胎斎・蕉林庵・奇勝堂)書・序。 【年代等】宝永7年2月自序。宝永7年5月、細井広沢序。明和6年3月、戸崎淡園(碕哲・子明・哲夫・允明・五郎太夫・浄巌)跋。明和6年秋刊。[江戸]小川彦九郎板。 【備考】分類「往来物」。明和板2種(収録内容が一部異なる)を全冊袋綴じ展開収録(見開き図再掲)した(2冊目冒頭に書袋を掲げた)。『字林長歌』は、「翰の林、深き習の、それならで、手習ふ道の、浅香山、あさきを汲て、難波津の…」のように七・五、七・五と続く長歌形式で、漢字の点画や正字・俗字・誤字の別を教えようとした往来。『小野篁歌字尽』と並んで教育史上注目すべき語彙科往来である。日用漢字約1600字について、例えば「樣(さま)・漾(ただよう)の、旁もと、羊に永(ながし)、隷字には、省て様(よう)を、用ゆべし…」のように本字・正字と略字・俗字の違い、あるいは字形の似た漢字の区別を説くが、「只正と訛を、しりわきて、俗に随がひ、用ゆべし」というのが筆者の主張である。また単に漢字に関する知識のみならず、末尾で寸暇を惜しんで学問せよと諭すように若干の教訓も含む。本文を10行・付訓で記す。本書後印本(河内屋板)には本文冒頭部(本文第1丁裏2行1段目まで)の詳細な語注「字林長歌釈文(巻1)」を付すが、巻2以降を合綴したものは未発見。 ◎禁無断転載・複製SE03022
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字林長歌(大正版2種)
¥1,120
字林長歌(大正版2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦236・235粍。 【作者】源堅(カタシ、竹隠・固卿)作・序。細井広沢(知慎トモチカ・玄佐・公謹・二郎太夫・玉川・思胎斎・蕉林庵・奇勝堂)書・序。田代信義(恵康)編・序。 【年代等】宝永7年2月自序。宝永7年5月、細井広沢序。明和6年3月、戸崎淡園(碕哲・子明・哲夫・允明・五郎太夫・浄巌)跋。明和6年秋刊([江戸]小川彦九郎板)。大正3年12月、田代信義序・刊([千葉]田代賞栄堂版)。大正14年8月再刊(第5版、田代応明堂版)。 【備考】分類「往来物」。明和板2種(収録内容が一部異なる)を全冊袋綴じ展開収録(見開き図再掲)した(2冊目冒頭に書袋を掲げた)。『字林長歌』は、「翰の林、深き習の、それならで、手習ふ道の、浅香山、あさきを汲て、難波津の…」のように七・五、七・五と続く長歌形式で、漢字の点画や正字・俗字・誤字の別を教えようとした往来。『小野篁歌字尽』と並んで教育史上注目すべき語彙科往来である。日用漢字約1600字について、例えば「樣(さま)・漾(ただよう)の、旁もと、羊に永(ながし)、隷字には、省て様(よう)を、用ゆべし…」のように本字・正字と略字・俗字の違い、あるいは字形の似た漢字の区別を説くが、「只正と訛を、しりわきて、俗に随がひ、用ゆべし」というのが筆者の主張である。また単に漢字に関する知識のみならず、末尾で寸暇を惜しんで学問せよと諭すように若干の教訓も含む。本文を10行・付訓で記す。本書後印本(河内屋板)には本文冒頭部(本文第1丁裏2行1段目まで)の詳細な語注「字林長歌釈文(巻1)」を付すが、巻2以降を合綴したものは未発見。SE03021
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菜譜[諸菜譜]
¥1,960
菜譜[諸菜譜] 【判型】半紙本3巻3冊。縦223粍。 【作者】貝原益軒(篤信)編・序。 【年代等】宝永元年2月自序。正徳4年4月刊。[京都]小河多左衛門ほか板。 【備考】分類「本草」。貝原益軒は、「養生訓」、「和俗童子訓」の著者であるだけでなく、歴史学者、地理学者として広く国中を見て回って「筑前国続風土記」を書き、博物学者として路傍の雑草、虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している。益軒はさらに、自宅の庭で花や野菜の栽培を実践していたことも知られている。著書「花譜」と「菜譜」はこのような経験に基づいて肥料の与え方や移植の時期に至るまで植物の栽培方法について詳細に記載したものである。植物についての益軒の著述は寛文12年(1672)に「校正本草綱目」の翻刻がなされたときに、その5巻に「品目」「名物付録」を執筆したのに始まる。この頃から自宅で植物栽培を行ってきたと考えられる。元禄7年(1694)には「花譜」が、宝永元年(1704)には「菜譜」が発行された。「大和本草」の刊行はこれに続く宝永6年(1709)のことである。「花譜」と「菜譜」は「大和本草」とともに、300年前にどのような花が植えられ、どのような野菜が栽培されていたかを示す重要な文献である。益軒は農業に興味を持ち、日本最初の農業書と言われる宮崎安貞(筑前国糸島郡女原村)の「農業全書」(1697)の完成に大きく関わっている(中村学園大学HP)。SE02955
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西坂秩百番御歌(宝永3年)
¥1,000
西坂秩百番御歌(宝永3年) 【判型】横本1冊。縦120粍。 【作者】花岡久弥(大藤重房)書。 【年代等】宝永3年1月書。 【備考】分類「歌謡」。比較的古い御詠歌集。書名の通り、西国三十三番・坂東三十三番・秩父三十四番の日本百観音の御詠歌を列記した写本。日本百観音は、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所を総合した日本を代表する100の観音巡礼で、結願寺は秩父三十四箇所の三十四番水潜寺。ちなみに、西国三十三所は、近畿地方2府4県と岐阜県に点在する33カ所の観音霊場で、第1番「那智山青岸渡寺(那智山寺)」~第33番「谷汲山華厳寺」。坂東三十三箇所は、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県の33カ所の観音霊場で、第1番「大蔵山杉本寺(杉本観音)」~第33番「補陀洛山那古寺(那古観音)」。秩父三十四箇所は、埼玉県秩父地方の34カ所の観音霊場で、第1番「誦経山四萬部寺」~第34番「日沢山水潜寺」(Wikipedia参照)。 SE02954
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御法度書(安永9年)
¥1,000
御法度書(安永9年) 【判型】大本1冊。縦269粍。 【作者】不明。 【年代等】宝永元年制定。安永9年3月書。 【備考】分類「法制」。宝永元年の御法度書(五人組帳前書)の写し。信州佐久郡大沢村。SE02900
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〈天満神明〉氷の朔日(稀書複製会)
¥700
〈天満神明〉氷の朔日(稀書複製会) 【判型】半紙本1冊。縦213粍。 【作者】近松門左衛門作。山田清作編(複刻)。 【年代等】宝永6年初刊([京都]山本九兵衛板)。大正12年3月複刻。[東京]米山堂板。 【備考】分類「浄瑠璃」。稀書複製会3期9回。初刊年代は、名和久仁子「『傾情山姥都歳玉』考」『都市文化研究』3号(2004年)による。同論考に、「宝永六(1709)年 加賀掾七十五歳の項に『天満神明氷の朔日』山本九兵衛板。絵入17行本。大阪府立図書館蔵。内題は「上 氷の朔日 近松門左衛門作」とある。題簽は、上郭に とあり、中央に氷の朔日、下郭に三行にわたつて、二条通」正本屋」九兵衛とある。脇方簽の中央に、太夫加賀掾、右手に、宇治嘉太夫、宇治伊太夫、宇治甚太夫、左手に、おやま大蔵善右衛門、男人形清水三郎五郎、手つま辰松幸助とある」との説明がある。SE02785
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好色閻魔歌舞記[〈好色〉ゑんまかぶ記・新小夜嵐]
¥2,720
好色閻魔歌舞記[〈好色〉ゑんまかぶ記・新小夜嵐] 【判型】横本3冊(全6巻中の2・3・6巻)。縦129粍。 【作者】西沢一風作カ。 【年代等】宝永6年6月刊。[大阪]油屋平右衛門ほか板。 【備考】分類「浮世草子」。6巻刊記に西沢一風作『傾城伽羅三味線』の広告(広告文で「今年七月に出来」とあるため、『傾城伽羅三味線』の刊年も宝永6年刊と判明する)があるため同じ作者と思われる浮世草子。他に所蔵のない新出史料のため全体の構成は不明だが、2巻は「地獄の釜、明方の景色」「娑婆と冥途の盗人」「閻魔王の色あそび」の3章。3巻は、「葬頭川の姥桜」「恋の身替、平野や岩」「五鬼前鬼坊が行力」の3章。6巻は、「亡者が原大合戦」「我身の悪を見るめ、かぐはな」「丹前六法弘誓の舟」の3章。SE02750
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原忠和語抄
¥2,000
原忠和語抄 【判型】大本1冊。縦244粍。 【作者】吉田守永作。福嶋清介書。 【年代等】宝永7年11月自序。正徳3年刊([江戸]須原屋茂兵衛板)。寛政3年5月書。 【備考】分類「教訓」。正徳3年刊本の写し。自序冒頭で「夫、忠孝の重き事天地のごとく広大無辺なり。然りといへども、世もつて孝の重き事知りて、忠の源太成事(忠が最も本源的で重要であること)を知る者すくなし」と述べるように、主に忠にまつわる心得を柱に、武士諸般の心構えを説いた仮名書きの教訓書。序文によれば、上杉謙信が創始した「日本武法、忠孝を重んずるの道」である「天勝速日伝」の教えを学んだ著者が、子孫に忠の道理を伝えるために平易な仮名書きにしたものという。本文は長短含む全45カ条で、「日々に改みがき血気の好嫌ひ(を)はなれ、本心の侭に行う」という忠の本質から説き始め、以下、武士の道、諫諍、武士の嗜み(戦法并に弓馬・鎗・太刀)、家来への慈悲と家来の使い方、主君の言行に関する心得など、忠臣たる者の心持ちや振る舞いを始め、武士としての心掛け全般を記す。最後に、以上の条々は「人知顔にして油断有所」であるため怠慢なく努めること、「常住の行勤」とともに「変道の職分(有事の心得)」が大切なことを説いて結ぶ。 SE02694
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京城勝覧[〈天明再板〉京都めぐり]
¥2,240
京城勝覧[〈天明再板〉京都めぐり] 【判型】中本2巻2冊。縦188粍。 【作者】貝原益軒(篤信)作・序。下河辺拾水画。 【年代等】宝永3年1月自序。享保3年春初刊。天明4年夏再刻。[京都]平野屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「地誌」。金,廷恩「近世案内記における観光モデルコースの登場:貝原益軒著『京城勝覧』から見えるもの」は次のように指摘する。 → 近世は、街道の整備と庶民生活の経済的向上にともない、楽しむ旅が大衆化した時代であった。京都の寺社では、近世初期から遠忌・開帳を盛んに催して客の誘致につとめており、旅人の来訪による経済効果も無視できない水準にまで達していた。このような時代背景の中で、モデルコースを収録した案内記が登場した。それは、アクセスに重点を置いた内容で、旅人が携帯して参照できるよう、小型に作られた実用書であった。そこに収載されたモデルコースとは、定められた基点から出発して、道なりの名所を順覧し、基点に戻るというものであり、現在のワンデープランや周遊モデルコースにつながるわかりやすい観光案内の原型と言える。SE02661
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木曽路之記[岐蘇路之記・東山道記・東山道西帰之記]
¥2,380
木曽路之記[岐蘇路之記・東山道記・東山道西帰之記] 【判型】中本2巻1冊。縦179粍。 【作者】貝原益軒(貝原篤信・損軒)作・序。 【年代等】宝永6年1月自序。正徳3年1月刊。享保6年再刊。[京都]茨木多左衛門(柳枝軒)板。 【備考】分類「紀行」。袋綴じ展開収録(見開き図は再掲)。東山道のうち武蔵・上野・信濃・美濃・近江について記した紀行文。見返に「此書、江戸より武蔵・上野・信濃・美濃・近江五ヶ国の道路を記せり。東山道の内、下野・陸奥・出羽の事は道筋に有、されば記されず。しかれども、又、東山道記ともいふべし」と記す。SE02517
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韻鏡諸鈔大成(宝永2年)
¥6,920
韻鏡諸鈔大成(宝永2年) 【判型】大本7巻9冊。縦257粍。 【作者】馬場信武(尾田玄古)編・序。 【年代等】宝永2年5自序。宝永2年5月刊。[京都]教来寺弥兵衛ほか板。 【備考】分類「音韻」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。漢文字の四声七音反切について解説したもの。 SE02017
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看命一掌金和解[一掌金和解]
¥1,960
看命一掌金和解[一掌金和解] 【判型】横本1冊。縦128粍。 【作者】一行(大慧禅師*唐の人、683-727)作。胡文会堂校。馬場信武(尾田玄古)注(和解)。 【年代等】宝永2年9月刊。[大阪]柏原屋清右衛門ほか板。 【備考】分類「占卜・医学」。初期の八卦の主要な占法は借度法といい、年齢数による循環の方式による占いであるが、こうした循環方式の原形について、馬場信武は中国の『看命一掌金』に注目したらしく、元禄2年(1689)に和刻本『新刻看命一掌金』が出版された後、自ら宝永2年(1705)に『新刻看命一掌金和解』を著している。『看命一掌金』は唐代の一行禅師という僧侶によって著されたとされるもので、12星を配した円形の図、十二月生、十二時生、十二時初中末生人吉凶といった内容になっている。和刻本の序文には「男順行女逆行吉凶可驗矣。」の語があり、循環の方向と男女の区別について、日本の八卦占法と同様の機構となっていることがわかる(江戸の易占HP参照)。 SE02491
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〈重刻正字〉画引十体千字文綱目(2種)
¥1,460
〈重刻正字〉画引十体千字文綱目(2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦226・222粍。 【作者】不明。 【年代等】宝永元年6月初刊。宝暦6年6月再刊。天保7年1月再刊。嘉永2年3月再刊。[京都]天王寺屋市郎兵衛板。 【備考】分類「書道」。天保7年板も抄録した。周興嗣の『千字文』を楷書・小篆・大篆・署書・摸印・隷書・行書など様々な書体で綴り、頭書に「偏冠尽」。SE02311
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〈増補〉華夷通商考(増補華夷通商考)
¥3,600
〈増補〉華夷通商考(増補華夷通商考) 【判型】半紙本5巻5冊。縦225粍。 【作者】西川如見(求林斎)作。錦山楼序。 【年代等】宝永5年3月刊記。宝永6年2月序・刊。[京都]梅村弥右衛門、今井七郎兵衛板。 【備考】分類「外国地誌」。SE02279
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雨中訓(亀山訓)
¥2,000
★雨中訓(亀山訓) 【判型】大本1冊。縦245粍。 【作者】松平乗邑(ノリサト)作。【年代等】宝永8年作・書。 【備考】分類「教訓」。松平乗邑は貞享3年生まれ、延享4年没(61歳)の大名で、宝永7年に伊勢亀山藩主となる。後、勝手掛老中となり、享保の改革で活躍した。 SE02041
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改正増補〉医道日用綱目(医道日用重宝記)
¥3,560
〈改正増補〉医道日用綱目(医道日用重宝記) 【判型】横本1冊。縦110粍。 【作者】本郷正豊(芳菊堂)作・序。 【年代等】宝永6年9月自序。安永9年3月再刊。[大阪]柏原屋清右衛門板。 【備考】分類「医学」。末尾に、異板の延享4年板を抄録した。SE01983
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〈伊勢山田選集〉伊勢大神宮続神異記[おかげまいり宝永神異記]
¥1,900
〈伊勢山田選集〉伊勢大神宮続神異記[おかげまいり宝永神異記] 【判型】半紙本2巻2冊+異板下巻1冊。縦225(2冊本)・221(下巻)粍。 【作者】中西弘乗(度会弘乗)作。 【年代等】宝永3年1月、宮秋陽序。宝永3年1月、馬瀬秦(成美)跋。元文4年3月刊。[京都]菊屋喜兵衛ほか板。 【備考】分類「神社」。2冊揃いは元文板。下巻1冊は宝永板か。『伊勢太神宮神異記』は、伊勢神宮に関する神異霊験の出来事を記した書。豊受大神宮(外宮)の禰宜度会延佳の著。上下2巻。奥書によれば、寛文6年7月12日に稿を成し、伊勢山田にて刊行された。その版木は神宮の豊宮崎文庫に奉納されたという。霊験譚編集の趣旨は、神宮にまつわる神異のうち、民間信仰者の「妄言」による「妖術奇怪」に属することを避け、信心をもととした神の感応を明らかにしうる霊験について記したとする。俗説の否定、民衆の教化と神職たちの心構えを正すことを目指したものといえる。著者が外宮の詞官だったため、外宮神主の話とするものが多い。神域侵犯や肉食禁忌のことなど多様な話が収められている。同類の書に度会(中西)弘乗編『伊勢太神宮続神異記』2巻がある。宝永3年、伊勢山田で刊行された。延佳の神異記を意識し、その続編として子女教化のため著わしたもので、前年のお蔭参りの各地の様子を神異の現れとみて記しており、前著とは構想を異にしている(古代史ブログ講座参照)。SE01938
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伊勢参宮按内記[両宮按内記]
¥1,680
伊勢参宮按内記[両宮按内記] 【判型】半紙本2巻合1冊。縦224粍。 【作者】講古堂主人(藤原伊兵衛・加藤長兵衛・藤原重邑)作・序。 【年代等】宝永4年8月自序。宝永4年9月初刊([京都]今井喜兵衛ほか板)。元文4年3月再刊。[京都]菊屋喜兵衛ほか板。 【備考】分類「地誌」。伊勢両宮参詣の絵入り案内記。 SE01934
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〈教諭〉意散迷艸[いさめ草・諫草・愚蒙いさめ草]
¥1,840
〈教諭〉意散迷艸[いさめ草・諫草・愚蒙いさめ草] 【判型】大本2巻2冊。縦261粍。 【作者】勝田祐義作カ。 【年代等】宝永3年4月序・初刊。江戸後期再刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。 【備考】分類「教訓」。後印の別本も抄録した。自らの亀鑑として、また子孫の教訓のために「聖賢ノ金言佳句」を集めて編んだ童蒙用教訓書。上巻に131項、下巻に96項の合計227項を収録する。主に、学問・教育の大切さや儒教倫理、金銭の価値、その他日常生活の心構えなど諸般の内容に及ぶ。本書には、挿絵数葉を含む絵入り本もあるが、天明2年再板本では挿絵が削除された。また、本書から約半分の109項を任意に抽出した改編本『子孫宝草』(伊藤芳脩編)が文化13年に刊行されている。なお、本書初板本には作者・板元名とも無記載だが、『正徳五年書目』には板元に「梅村」とあり、『享保14年書目』は作者を勝田祐義とする。SE01919
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会津孝子伝(2種)
¥6,200
★会津孝子伝(2種) 【判型】半紙本5巻5冊。収録順に縦226・226粍。 【作者】森与兵衛(守次・雪翁・雪斎)・森与市郎(守命)作。執斎希賢(マレカタ)序。 【年代等】宝永7年6月森雪翁序。享保16年3月序。寛保2年1月刊。[京都]茨城多左衛門・梅村弥右衛門板。 【備考】分類「伝記」。同板2種を収録した。本書は、会津領内で褒賞を受けた人物を始めとする忠孝者たちの伝記。作者の森守次は、若松城下の町名主役。為政者の目から見た理想の農民や商人・職人が中心だが、会津の庶民の暮らしや生き方の一端をが分かる史料として興味深い。『日本教育文庫・孝義篇』に翻刻を収める。『日本教育文庫・孝義篇』に翻刻を収める。なお、福島県立博物館HPに次の解説がある。「江戸時代には、儒教の教えが社会に広まり、親に対する孝、主人に対する忠などの徳目が尊重されました。諸藩では、庶民教化のねらいから、孝行者や忠節者の表彰が行われ、会津藩でも、保科正之の治世以降、領民に対する褒賞がたびたび行われました。「会津孝子伝」は、会津領内で褒賞を受けた人物をはじめとする忠孝者たちの伝記です。作者の森守次(雪翁)は、若松城下の町名主役を勤め、学問も修めた人物で、宝永7(1710)年に、この書物をまとめました。とりあげられている忠孝者たちは、為政者の目から見た理想の農民や商人・職人たちということもできます。また当時の社会の考え方を基準に選ばれた「善行」なので、現代人にとっては違和感を覚える内容も含まれています。それでもなお、この書物が魅力的なのは、描き出されることの少ない会津の庶民の暮らしや生き方を伝えているからではないでしょうか」。 SE01832