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元三大師御鬮之記(明和9年)
¥3,440
★元三大師御鬮之記(明和9年) 【判型】縦長本1冊。縦159粍。 【作者】米山鼎峨編。 【年代等】明和9年春刊。[江戸]吉文字屋治郎兵衛ほか板 。 【備考】分類「天台・占卜」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。本書は、一般に「元三大師百籤」や「百籤鈔」と呼ばれるお御籤の解説書。底本は、米山鼎峨による明和9年板の縦長本で、巻末広告で言う「元三大師御鬮之記、懐中本、一冊」に該当する。表紙見返に「右此百籤者、以濃州大慈山小松寺之正本校正焉/元禄七年甲戌年五月大吉祥日」と記し、「籤不合時(ミクジアワザルトキ)」と御籤箱や御籤竹を図解し、寸法などを付記する。また、前付には、本書を拝読する時の作法や、御籤の上中下、「みくじあはざるとき」「如意輪観音呪」「百籤の由来とお御籤の作法」「願文・奉送文」などを載せる。続く本文は、大きく前後二部構成になっていて、前半部は100番までの御籤の吉凶と図解、また、御籤の内容を著す五言絶句(籤詩)とその大意を示すほか、最上段の頭書には「不成就日」「男女相性の事」「五性名頭字」「女名頭字吉凶」「五性花押(スエハン)の事」「有卦無卦の事」「ちしご(知死期)繰様」「御改服忌令」を載せる。また、本文後半部は100番までの御籤の吉凶ならびに各種項目別の判断を施す。 SE02446
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勧化因縁辨断集[勧化辨断集]
¥2,960
★勧化因縁辨断集[勧化辨断集] 【判型】大本3巻3冊。縦264粍。 【作者】現誉作・序。 【年代等】明和4年2月自序。明和4年2月刊。[京都]小河源兵衛ほか板。 【備考】分類「浄土」。従来『明和書籍目録』に記載の書名「勧化因縁辨断」3冊として存在が知られていたに過ぎないが、このたびその原本3冊を新発見。勧化(仏の教えを説き信心を勧める)の契機となる故事や逸話を集めた仮名書きの仏書。目次と本文の見出しが一致しないが、本文見出しに従えば、1巻は「三谷源左衛門事」と「東海道池鯉鮒(チリュウ)郷穢多之市助事」の2話、2巻は「熊野権現霊威之事、並智鑑和尚和歌之事」「女人成仏之問答」「転女成男之問答」「駿州今泉天録五良右衛門吉清事」「大唐並妙蓮尼之事」「守屋伝兵衛事」の6話、3巻は「慧心僧都宇治平等院ニテ説法之事」「指物屋新兵衛女成仏之事」「丹波国山本源蔵疫神ニ逢フ事、並念仏ハ現当両益ナル事」の3話で、合計11話を収録。 SE02432
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かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語]
¥1,000
かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語] 【判型】大本1冊。縦266粍。 【作者】加藤竹里(景範)作。岩崎尚光画。 【年代等】明和7年、中井積徳序。明和8年11月、中井積善跋・刊。[大阪]懐徳堂蔵板。 【備考】分類「実録」。川島村孝子義兵衛(革島義兵衛)伝。孝子義兵衛とは、山城国葛野郡川島村の農民で、孝行を表彰された人物であり、その行状を記たものが複数存在するが(中井竹山の『孝子義兵衛記録』、布施松翁の『西岡孝子儀兵衛行状聞書』、懐徳堂で学んだ加藤景範が著し、懐徳堂から刊行された『かはしまものかたり』など)、本書はその一つ。『かはしまものがたり』は、加藤景範著、中井履軒序、中井竹山跋、岩崎象外画。明和8年(1771)懐徳堂蔵版。明和7年、養母に対して孝養を尽くしたことにより「孝子」として幕府から表彰された山城国葛野郡川島村の義兵衛の行状を和文・挿絵入りで著したもの。川島村は竹山の妻の実家(革嶋家)の所在地で、竹山は『孝子義兵衛記録』を著して義兵衛のために積極的な顕彰運動を展開した(佐野大介「孝子義兵衛関連文献と懐徳堂との間、附翻刻」(『懐徳堂センター報2005』)および、大阪大学附属図書館HP参照)。SE02413
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かざし抄(挿頭抄)
¥1,500
かざし抄(挿頭抄) 【判型】半紙本3巻3冊。縦229㎜。【作者】富士谷成章(不尽谷氏)口授。吉川彦富・山口高端筆記・序。 【年代等】明和4年2月序・初刊。江戸中期刊カ。刊行者不明。 【備考】分類「語学」。文首・語頭にあって付属的に下へ係っていく、連用・連体修飾語、代名詞・感動詞・接続詞、接頭語などを挿頭(かざし)と呼び、それぞれについて解説・研究した書。 SE02328
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学道用心集聞解[永平初祖学道用心集聞解]
¥2,480
★学道用心集聞解[永平初祖学道用心集聞解] 【判型】大本2巻1冊。縦256粍。 【作者】面山瑞方(永福老人)作(述)。恵観編(筆記)。 【年代等】明和3年5月、可翁叟(円髄)跋。明和3年8月、面山慈方序・初刊。江戸後期後印。[京都]小川多左衛門(柳枝軒)板。 【備考】分類「曹洞」。『学道用心集』は、道元禅師によって示された、修行僧が仏道を学ぶ際の用心(心の用い方・こころえ)が、全十則で示されている。全体は全十則で構成され、それぞれ以下のような題名と内容をしている(原漢文・各則の数字はない)。厳密に文献を引用して書かれたものでもなく、全体として詩想豊かな文言によった随筆であり、道元禅師が中国から伝えた正伝の仏法が坐禅(只管打坐)に依っていることを示している。永平寺6世曇希によって延文2年(1357)に開版されたため、比較的早い時期からの流布が考えられるが、現在この「延文本」自体は散逸しており、見ることができない。さらに、後の宗門の伝承にも『学道用心集』について論じたものがない。おそらく、瑩山禅師の弟子あたりまでには知られていただろうが、既に当時の宗門の修行体系に即していなかったことも考えられ、あまり重要視されなかったのだろう。江戸時代に入り、幕府による学問奨励が各宗派に勧められたが、特に開祖の見解は重要視された。そこで、面山師が江戸期に開版し、その後明治時代に入り道元禅師の研究がなされるようになると、次第に「全集」等に所収され、広まった。江戸時代に入って『学道用心集』が世に広まったが、それに従い様々な註釈書が書かれ、提唱が行われた。その内最も重宝されたのが面山の『永平初祖学道用心集聞解』である(つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉HP)。SE02310
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学語編
¥2,220
学語編 【判型】中本1冊。縦177粍。【作者】大典顕常編。竺常序。【年代等】明和9年9月刊。[京都]小林庄兵衛ほか板。【備考】分類「辞書」。凡例に「此編は典籍便覧・名物六帖・郷談正音(キョウダンセイオン)・雑字通攻等諸の類書を主とし、其他諸書より采出する者なり。繁冗を憚て一一本書を引ざれども一語も憑拠なきはなし。間常語に非ず類書に見えざるものは其書を識す」とある。これらの語を、天文・時令・地理・朝廷・居処・人倫・人品・釈道・鬼神・官職・政刑・身体・性情・言語・行事・生産・交遊・行旅・文才・伎戯・雑語類(以上、上巻で21類)・生齢・書記・画軸・文具・飲食・衣服・財産・金玉・磁器・漆器・響器・火燭・刀鉄・兵器・耕具・舟輿・食器・香具・数量・印記・身具・家具・雑器・五穀・食菜・花草・雑草・花木・樹木・果蓏・鱗介・飛禽・走獣・虫豸類(以上、下巻で34類)の合計55類に分けて列挙する。SE02305
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温泉奇効記[草津温泉来由記]
¥1,400
★温泉奇効記[草津温泉来由記] 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期刊(明和4年以前刊)。板。 【備考】分類「医学」。本書には諸本いずれも刊記がなく、伝本も少ないが、底本には「明和四年」の書き入れがあり、初刊年代の特定の根拠になるうえで重要。草津温泉の効能などを記した書。まず草津温泉の来由についていくつかの説を掲げ、効能にも触れる。また、温泉に因む「薬師如来霊夢の和歌」「行基ぼさつの歌」を掲げ、続いて、「温泉能毒大略」、滝之湯以下主な温泉の効能、さらに「入湯の考」「滝の湯」「御座の湯」などに分けて詳述する。 SE02233
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〈増補絵入〉小笠原流百箇条(明和7年3種)
¥1,160
〈増補絵入〉小笠原流百箇条(明和7年3種) 【判型】半紙本1冊。縦225粍。【作者】下河辺拾水画。【年代等】明和7年8月刊。[大阪]尼屋貞次郎板。【備考】分類「礼法」。後半に後印本2種([大阪]勝尾屋六兵衛板、[大阪]河内屋和助板)を抄録した。本書前半部を寛永9年6月刊『小笠原百箇条(躾方竹馬抄)』から、また、後半部を寛永6年4月刊『初学文章抄』を一部改編した寛永11年刊『初学文章并万躾方』前半部(第54条まで)から採録し、さらに、適宜挿絵を組み込んで童蒙用に編んだ小笠原流礼法書。本書とほぼ同内容の類書が江戸後期に何種類も刊行された。前半部は『小笠原百箇条』とほぼ同内容で、最初に「先、奉公人の心持、主人の気にあわんあわんとする事はあしく候」云々の心構えを説いたうえで、「先第一披露書百ヶ条可嗜次第」(いわゆる「百箇条」)を列記する。これは他人(上輩・同輩・女性)の前で慎むべき不躾な行為を列挙したもので、「一、人前にて楊枝をつかふ事」以下89カ条の禁止項目から成る(備考欄参照)。続けて、「鷹に会う時の礼の事」「輿にあひての礼の事」「石を立たる庭を見物仕(る)事」以下85項を所々図解を交えながら説く。後半の「増補 文法初学用文章(文法用文章)」に、第1条「ひさしくあはぬ人につかはす状」から第51条「証文のしたゝめやう」までを収録する。これは寛永11年刊『初学文章并万躾方』前半部をほぼ踏襲したものである。したがって表題の「増補」とは、『小笠原百箇条』に『初学文章并万躾方』の書状例文を追加したことを示すのであろう。これは書札礼を含まない『小笠原百箇条』の欠を補うものとも言えるが、増補部分の記事は書札礼というよりも書簡用語集と言うべきものである。要するに本書は、江戸前期の『諸礼集』『大諸礼集』の如き武家故実を省き、起居進退の主要作法だけを記述したものである。ちなみに、『小笠原百箇条』はもとより100カ条に満たず、江戸前期刊本では90カ条だったが、末尾の方の「一、折紙を封ぜずしてつかはす事」の次の「一、東」が意味不明と見なされたためか、江戸中・後期の諸本ではこれを省く89カ条を掲げるのが通例である。SE02185
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〈絵本〉大和詩経(絵本倭詩経・盤桂(珪)禅師さとし歌)
¥2,000
★〈絵本〉大和詩経(絵本倭詩経・盤桂(珪)禅師さとし歌) 【判型】大本1冊。縦252粍。 【作者】馬山樵夫編・序。柳原源(厡)次郎画。 【年代等】明和7年冬序。明和8年初刊。天明2年秋求板。江戸後期後印。[京都]須磨勘兵衛(弘簡堂)板。 【備考】分類「絵本・教訓」。彫工=藤江文助。後半に収録の「女大学」は割愛した。 SE02120
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餌袋日記[ゑふくろ日記](2種)
¥1,000
餌袋日記[ゑふくろ日記](2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦251・257粍。 【作者】本居大平(稲掛イナガケ・茂穂モスイ・藤垣内フジノカキツ・稲掛大平)作。本居内遠跋。 【年代等】明和9年3月作。嘉永7年2月、佐々易直跋。嘉永7年3月、出雲宿祢(尊澄)序・刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「紀行」。同板別本も抄録した。『餌袋日記』は、本居大平17歳時の芳野記行(吉野山の旅日記)。本書の経緯については本居内遠の跋文に詳しいが、それによると、明和9年3月に鈴屋翁(本居宣長)に随って長谷川常雄、覚性院戒言法師とともに芳野(吉野山)へ旅行をした時の見聞をまとめたもの。同じ旅行中に宣長が著した紀行文が『菅笠日記』である(吉見孝夫「本居宣長周辺のことば遊び」(札幌国語研究17:85-94、2012)参照)。ちなみに、宣長の紀行文として『菅笠日記』(43歳吉野飛鳥行き)や、歌で綴った紀行は『むすび捨たるまくらの草葉』(64歳京から近江を経て名古屋)、『紀見のめぐみ』(65歳、和歌山から大坂、京を経る)などがあり、同行者のものとして『餌袋日記』(吉野飛鳥行、大平著)、『藤のとも花』(寛政元年名古屋行、大平著)、『己未紀行』(寛政11年和歌山行、大平著)、『鈴屋大人都日記』(享和元年京都滞在中、石塚龍麿著)などがあり、これらの紀行文や道中で詠んだ和歌などによって旅行中の様子を垣間見ることができる(本居宣長記念館HP参照)。SE02088
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〈盤珪禅師〉うすひき歌[〈盤珪禅師御法歌〉うすひき歌・雨乞の歌・盤珪禅師臼挽歌]
¥700
〈盤珪禅師〉うすひき歌[〈盤珪禅師御法歌〉うすひき歌・雨乞の歌・盤珪禅師臼挽歌] 【判型】大本1冊。縦259粍。 【作者】盤珪永琢(バンケイヨウタク)作。自得斎編・序・跋。 【年代等】明和5年11月、会翁自得斎序。明和6年3月刊。[大阪]糸屋市兵衛ほか板。 【備考】分類「禅宗」。内題の後に「雨乞の歌ともいふ」とあるように、吉野山中で修行中の盤珪永琢が、旱天続きに、「生れ来りし古へ問へば何も思はぬこの心」以下、七七七五調の歌21首を作り、氏宮にて村民にこれを歌い踊らせたところ、霊験ありとして伝えられた雨乞踊歌という。また、この「宇須挽歌」が庵中にあったので、盤珪没76年後に上梓した旨記してあるが、編者自得斎については未詳。盤珪禅師の吉野入山は慶安2年(1649)と承応元年(1652)から2年に及ぶ。臼挽歌は、他に愛媛県郷土史家、曽我正堂書写の『盤珪禅師麦搗歌』付録として収載、また長井石峯著『盤珪和尚』所載「臼ひき歌」42首中にも全歌共在する(「日本思想史文献解題」参照)。SE02031
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宇比麻奈備[百人一首初学]
¥3,740
宇比麻奈備[百人一首初学] 【判型】大本3巻5冊。縦279粍。 【作者】賀茂真淵(加茂真淵)作・序・跋。 【年代等】明和2年冬自跋。天明元年11月刊。[京都]勝村屋治右衛門ほか板。 【備考】分類「和歌」。上之一:篁(途中)まで、上之二:篁(途中)より三条右大臣まで、中之一:貞信公より謙徳公まで、中之二:好忠より行尊まで、下之終:周防内侍より。自跋により、明和2年冬の成立で、以前に著した『百人一首古説』5巻5冊の誤りを正し、増補したものと知られる。時に真淵は69歳。『百人一首古説』は版行されず、写本のみが伝存しているが、師荷田春満の説の影響を大きく受けているとされている。内容は、『小倉百人一首』の注釈書で、上巻は天智天皇~三条右大臣、中巻は貞信公~前大僧正行尊、下巻は周防内侍~順徳院の、それぞれの作者の歌の注釈を収めている。序の中で、古学を深山に入ることにたとえていること、『百人一首』の成立の周辺事情に論及していること、などは注目されよう。歌の注釈にあたっては、作者名の次に、その伝記に関する資料を提出して考証し、その上で歌の注解に入っている。語釈がかなり詳しく、「古今の序に」「後撰に」「白氏文集に」というように一々用例をあげながら考証している点や、とりわけ『万葉集』を多く引用しながら注解を進めている点など、その特色の一つと言える。また「或説」「契沖いはく」「春満いはく」というように、諸説の典拠を明記していることも、見るべき点である。しかし、全体的に考証に偏り、鑑賞的な要素に乏しいという面を有している。のちに香川景樹が『百首異見』で、『宇比麻奈備』を批判的に取りあげていることも注目される(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02020
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医事或問(吉益東洞)
¥1,300
医事或問(吉益東洞) 【判型】大本2巻2冊。縦266粍。 【作者】吉益東洞(ヨシマストウドウ、為則・公言・周助・東庵)作。 【年代等】明和5年、吉益猷之跋。明和6年2月自序・刊。[京都]菱屋孫兵衛板。 【備考】分類「医学」。京都で開業し古医方を唱えたが認められず貧窮に苦しんだが、後に山脇東洋に見出され、古医方の第一人者として名を馳せた吉益東洞が晩年に著した著作。問答形式で、著者の生命観や医術の根本を述べる。鈴木博夫氏は、「生命について─吉益東洞の「医事或問」から」で『医事或問』について、「彼(東洞)の大志は二千年間途絶えていた中国本来の医学を復活することで、江戸中期以後のわが国の漢方に独特の発展をもたらした。彼の著書にはすぐれたものがあるが、私は特に「医事或問」に共感を覚える。何故ならこの著書は彼の死4年前のもので、彼の医学に対する態度とか生命観、教訓などこの本に結集し、済世救命のために生命をかけて開いた自分の医学を、やがて来る死後、後人に誤りなく伝えたいという熱誠が溢れているからである。……「生死は天の司にして人の司所にあらず。医者は只病苦を救う職分」は、『医事或問』を貫く大きな主題で、これがわかれば東洞の事は、過半わかったと言って差し支えない。当時この説は「天命弁」として激しい議論の中心となった。……つまり「死生は、天の命なり」というような絶対面がある事を彼の研鑽から確立したのである。……生命観なき医書のみ多く読まざるを得なかった私が『医事或問』の中に、生命の心髄や医術の急所を発見した時、どんなに嬉しかったか、今日なお懐かしい。その後時にふれ折にふれ、『医事或問』を拝読するたびに、私を勇気づけてくれた事を、東洞先生に感謝したい」と述べている。SE01926
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安産いはたおび[〈安産〉いはたをひ]
¥1,400
★安産いはたおび[〈安産〉いはたをひ] 【判型】中本1冊。縦190粍。 【作者】加藤寿白作。加藤寿徳校・跋。 【年代等】明和5年3月、加藤寿徳跋・刊。[江戸]西村源六ほか板。 【備考】分類「医学」。ほぼ前文仮名書きの平易な文章で、産前後の養生や胎教心得など養育の基本を説いた産育書。天地自然の道理に従えば難産には成らないとし、安産の為の心得を出産までの経過に沿って順々に諭す。また、難産になる七因(安逸・奉養・婬欲・憂疑・軟怯・倉惶・虚乏)や受胎の四要(食物・耳目の慎み・心の安静・腹の緊束)などの禁忌にも言及する。 SE01881
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女文章色紙箱[女堪忍記大倭文]
¥2,480
★女文章色紙箱[女堪忍記大倭文] 【判型】大本1冊。縦254粍。 【作者】長谷川妙躰書(書籍広告による)。 【年代等】明和5年初刊。江戸中期後印。[大阪]和泉屋卯兵衛板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『女文章色紙箱』は、正徳3年刊『女堪忍記大倭文』の改題本。題簽・見返(目次上欄の『女堪忍記大倭文』の書名を削除)・奥付(刊記および「不成就日」「灸忌日」の記事を載せる)のみを改めたほかは正徳板に同じ。なお本書初板本の刊記は、明和5年再刊『女中庸瑪瑙箱』と同じもの。『女堪忍記大倭文』は、比較的短文の女文18通を収録した女用文章。四季・五節句等の手紙を妙躰独特の散らし書きで綴るが、妙躰の手本では数少ない頭書入りの女子用往来である(本文の付訓も妙躰の手本では異例)。書名の由来は、巻頭「忍の字解」や頭書「女堪忍記(「姑につかふる堪忍」の教訓や孝女・賢女の略伝)」などの記事による。このほか、養蚕から製糸までの過程を詳述した記事や、「女歌人の伝」「百人一首」「秋野七種」「鴬蛙牛歌よむ事」「諸寺略縁起」「女用文章(本文とは主題を異にする「結入の方へ遣文」以下15通の例文)」「女中文の封様の事」「女中髪結やう」「女大和こと葉」「歌書かなつかひの事」「五色のほめことば」「当流紋つくし」「女和歌三神」等の記事を載せる。本書には書家名を記さないが、享保20年刊『女用文章唐錦』に本書が妙躰筆であることを明記する。 SE01500
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女訓三才図絵(百人一首)
¥3,560
★女訓三才図絵(百人一首) 【判型】大本1冊。縦267粍。 【作者】不明。 【年代等】明和9年1月初刊。安永2年1月再刊。[江戸]吉文字屋次郎兵衛ほか板。 【備考】分類「百人一首」。「百人一首」に「散らし文」その他の記事を多数盛り込んだ女子用往来。巻末広告に、「女訓三才図会、百人一首、歌仙、一切女の重宝あらゆることもらさず、ことごとくのするなり。一冊」とある。 SE01583
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女教訓綱目(百人一首)
¥1,680
女教訓綱目(百人一首) 【判型】大本1冊。縦266粍。 【作者】北尾雪坑斎(辰宣)作。 【年代等】明和6年1月刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。 【備考】分類「百人一首」。 SE01545
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百人一首略解[百人一首解](3種)
¥2,140
百人一首略解[百人一首解](3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦269・272・254粍。 【作者】栗本英暉注。本居公校閲。 【年代等】明和8年初刊。江戸後期再刊。[京都]山城屋佐兵衛(藤井文政堂)板。 【備考】分類「百人一首・和歌・注釈」。後印本など3種を収録(早印本を全冊収録し、他は抄録)。本書は、小倉百人一首を俚諺を用い、通俗的かつ簡潔に解説した註釈書。明和8年刊『百人一首解』の改題本。改題にあたり宝暦6年夏自序を削除した。見返に「小倉百首に俚諺をそへ、事少なに歌の意(ココロ)をさとしぬれば、此釈の格をもて俗言にうつし見給はゞ、自ら、手にをはとゝのひ、又てにをはの迷ひを定め、歌の言葉を得ること、此書にしくはあらじ」と本書の概要を紹介する。/和歌本文の所々に言葉を補なって読解の助けとしさらに割注をも加えている(国文研DB)。 SE01620
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西岡孝子行状聞書[西岡孝子儀兵衛行状聞書]
¥2,000
★西岡孝子行状聞書[西岡孝子儀兵衛行状聞書] 【判型】半紙本1冊。縦227粍。【作者】布施松翁(矩道(ノリミチ))作・序。 【年代等】明和7年5月刊。[京都]銭屋平治郎板。 【備考】分類「心学・伝記」。山城国葛野郡(カドノゴオリ)西岡(ニシノオカ)川嶋村二町縄手(ニチョウイテ)の孝子・儀兵衛の行状を綴り、その孝子ぶりを讃えた書。底本は石川謙旧蔵書。 SE01793
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★采女玉章[采女文・〈幽閑(間)貞静〉女教操文章](2種)
¥3,840
★采女玉章[采女文・〈幽閑(間)貞静〉女教操文章](2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦269・267粍。 【作者】伝小野菊作。長友松軒書。戸出某(玄海堂門人)跋。 【年代等】明和5年7月、穂積以貫(伊助・能改斎・遵古先生)序。明和5年11月刊([大阪]安井清蔵ほか板)。改題本は安永3年1月刊([大阪]田原平兵衛板)。 【備考】分類「往来物」。改題本も全冊袋綴じ展開収録した。『采女玉章』は、跋によれば、竜造寺政家家臣である瀬川采女の妻・菊女(小野摂津守息女)が文禄の役(文禄元年(1592))に出征した夫を偲んで書いた女文1通を手本にしたもの。その恋慕の情の深いことが秀吉の心を打ち、瀬川采女の帰国が許されたという。「こかるゝまゝの胸の煙はるゝ間もなき泪の雨、一かたならぬおもひの闇にふししつみ、いつをかきりに露の身のきえはてぬまに、夢はかりかくそとしらせまいらせ度…」で始まる本文を大字・ほぼ4行・無訓で記す。多く並べ書きに近い散らし書きだが、引用した古歌では散らし方に変化を持たせる。なお、本書の改題本『女教操文章』が安永3年に刊行されたほか、江戸後期にほぼ同内容の『貞女志満津文』も出版された。 SE01482
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女文章色紙箱[女堪忍記大倭文]
¥2,480
★女文章色紙箱[女堪忍記大倭文] 【判型】大本1冊。縦254粍。 【作者】長谷川妙躰書(書籍広告による)。 【年代等】明和5年初刊。江戸中期後印。[大阪]和泉屋卯兵衛板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『女文章色紙箱』は、正徳3年刊『女堪忍記大倭文』の改題本。題簽・見返(目次上欄の『女堪忍記大倭文』の書名を削除)・奥付(刊記および「不成就日」「灸忌日」の記事を載せる)のみを改めたほかは正徳板に同じ。なお本書初板本の刊記は、明和5年再刊『女中庸瑪瑙箱』と同じもの。『女堪忍記大倭文』は、比較的短文の女文18通を収録した女用文章。四季・五節句等の手紙を妙躰独特の散らし書きで綴るが、妙躰の手本では数少ない頭書入りの女子用往来である(本文の付訓も妙躰の手本では異例)。書名の由来は、巻頭「忍の字解」や頭書「女堪忍記(「姑につかふる堪忍」の教訓や孝女・賢女の略伝)」などの記事による。このほか、養蚕から製糸までの過程を詳述した記事や、「女歌人の伝」「百人一首」「秋野七種」「鴬蛙牛歌よむ事」「諸寺略縁起」「女用文章(本文とは主題を異にする「結入の方へ遣文」以下15通の例文)」「女中文の封様の事」「女中髪結やう」「女大和こと葉」「歌書かなつかひの事」「五色のほめことば」「当流紋つくし」「女和歌三神」等の記事を載せる。本書には書家名を記さないが、享保20年刊『女用文章唐錦』に本書が妙躰筆であることを明記する。 SE01500
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倭百人一首玉柏(明和3年)
¥1,120
倭百人一首玉柏(明和3年) 【判型】大本1冊。縦255粍。 【作者】北尾雪坑斎(辰宣)画。 【年代等】明和3年9月刊。[大阪]柏原屋源兵衛ほか板。 【備考】分類「百人一首」。前付冒頭部落丁。 SE01628
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坐談随筆
¥700
坐談随筆 【判型】半紙本1冊。縦227粍。【作者】手島堵庵(東郭子)述。有山玄統(アリヤマゲントウ)編・跋。 【年代等】明和8年春跋。同年1月刊。[京都]銭屋七郎兵衛ほか板。 【備考】分類「心学」。手島堵庵(東郭子)の口述記録で、弟子の疑問に答えた問答を上梓したもの。 SE01700
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心学施印集(6点)
¥2,000
★心学施印集(6点) (1)枢要〈忠孝二字解〉 (心学施印)【判型】半紙本1冊。縦226粍。【作者】手島堵庵作。【年代等】江戸中期(明和7年以前)刊。刊行者不明。【備考】分類「心学」。忠孝を説いた宋丞相文天祥語(そうのじょうしょうぶんてんしょうのことば)を掲げて平易に解説した小冊子の施印本。 *以上に続けて、(2)潔矩、(3)夢中感得の小うた十二首、(4)〈児女〉ねむりざまし、(5)心学施印集(11枚)、(6)御書出之写〈土売孝行記〉を収録。 SE01736