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売買出世車[米穀売買出世車]・売買出世車図式[八木宝の市](2種)
¥2,320
売買出世車[米穀売買出世車]・売買出世車図式[八木宝の市](2種) 【判型】半紙本2巻2冊。収録順に縦226・225・227粍。【作者】赤松閣鬼望(東白)編・序。【年代等】正編:延享5年3月自序。延享5年5月初刊。宝暦8年10月再刊。[大阪]柏原屋嘉兵衛ほか板。正編別本:刊年不明。刊行者不明。図式:宝暦8年10月自序・刊。[大阪]柏原屋嘉兵衛ほか板。【備考】分類「経済」。『国書総目録』によれば書名は「ウリカイシュッセグルマ」。『〈米穀〉売買出世車』は米売買の投機で成功した著者が体験談に照らして綴った米穀投機の秘訣集で、『図式』は米穀売買のあらましを図解したもの。『図式』表紙見返には諸国から到着した米の升目を量る際の振籤(ふりくじ)について触れ、続いて本文で、「水揚」「米出し」「仲仕品々」「堂島渡辺橋米穀入札の躰」「米穀相場の図」「米方(やりくり)両替」「米方両替仕法」「先納切手」「出切手」の順に主として取引風景の図解(一部文書の例も示す)を交えながら説明する。 SE02045
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女孝経鏡草(女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草)
¥2,480
★女孝経鏡草(女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草) 【判型】大本2巻2冊。縦275粍。 【作者】不明。【年代等】延享5年1月刊。[大阪]本屋又兵衛板。 【備考】分類「仮名草子・往来物」。貞享5年刊『〈絵入〉蛍随筆』2巻に、1巻を追加した元禄16年刊『犬つれづれ』『草月見の友』を継承し、再び上下2巻構成に改めて板行した改題本。SE02240
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〈女一代風俗〉絵本十寸鏡[絵本女躾鑑](複製)
¥1,040
〈女一代風俗〉絵本十寸鏡[絵本女躾鑑](複製) 【判型】半紙本3巻3冊。縦223粍。 【作者】西川祐信(自得叟・文華堂)画。 【年代等】延享5年1月、滕敬亭序。延享5年1月刊。[京都]菊屋喜兵衛(菊秀軒)板の複製。 【備考】分類「絵本」。書名の十寸鏡(真澄の鏡マスミノカガミ)は、一般に「くもりなくよく澄んでいる鏡」を意味するが、序文に「銅鏡(アカガネノカガミ)は顔てらす而已(ノミ)にて心の色を見るべくもあらず。爰に内々のよしあしを明白(アカラサマ)なるます鏡の筺を開て女一代の風躰をうつしぬ」と記すように、心を照らす鏡として女子一生の教訓や通過儀礼等を絵解きした絵本。上巻には女子の遊戯(鞠・羽子板)、雛飾りと遊戯(折紙・あやとり)、読み書き、七夕、盆踊り、紡績・機織り、洗い張り、砧打ち、老父の給仕、香道を、中巻には化粧(洗髪・眉作り・髪結い)、見合い、結納、鉄漿付け、衣装選び、裁ち縫い、綿入れ、火熨斗、婚礼支度、輿入れ、婚礼祝言、色直し等、下巻には部屋見舞い、婚礼祝儀返礼、貝覆い(貝合わせ)、従順・貞節、花見、姑への孝養、眉たれ・袖留め、腹帯(帯の祝い)、下女への慈悲、出産・産湯、氏神参り(初宮参り・産土参り)、食い初め、髪置き、被初めの挿絵と簡単な説明文を添える。なお、本書の改題本に『絵本女操鑑』(本文色刷)がある。 SE02117
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絵本池の蛙
¥2,080
★絵本池の蛙 【判型】半紙本3巻3冊。縦224粍。 【作者】東鶴(赤松堂)作・序。西川祐信(自得叟・文華堂)画。 【年代等】延享2年初刊。明和5年1月再刊。[京都]菊屋喜兵衛求板。 【備考】分類「絵本・狂歌」。上巻「にくい物尽」、中巻「おかしい物尽」、下巻「うれしい物尽」から成る絵本。SE02091
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医断[醫斷]
¥1,000
医断[醫斷] 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】吉益東洞(ヨシマストウドウ・吉益為則)作。 鶴田元逸(鶴冲カクチュウ・九皐)編。長門瀧長愷弥八父・原行子蔵序。 【年代等】延享4年10月自序。宝暦2年春、吉益為則跋。宝暦8年春、上田秋成跋。宝暦9年2月、中西惟忠子文跋・刊。刊行者不明。 【備考】分類「医学」。『医断』は吉益東洞の医説を、門人の鶴田元逸が集録したが、その刊行を見ずに死亡したので、同門の中西深斎が改補し、「虚実」の編を追加して、宝暦9年(1759)に刊行されたものである。東洞の独創的医説を強烈にアピールした、センセーショナルな著述で、「司命」「死生」以下「元気」「脈候」「腹候」「臓腑」「經絡」「引経報使」「鍼灸」「栄衛」「陰陽」「五行」「運気」「理」「医意」「痼疾」「素難」「本草」「修治」「相異相反」「毒薬」「薬能」「薬産」「人蔑」「古方」「名方」「仲景書」「傷寒六経」「病因」「治方」「禁宜」「量数」「産褥」「初誕」「痘疹」「攻補」「虚実」の37論よりなり、東洞の思想を端的に記載している。この書が刊行されて3年後に、畑黄山が『斥医断』を著して、「鶴氏の編する所、吉益子の医断を読むに書を廃して歎ず。大意す可きもの三、流悌を為す可き者の二、其の佗理に背き道を傷りし者、偏ねく挙ぐること難し。云々」と概歎し、全編43章にわたって、『医断』の各論をとりあげ、東洞の説にはげしい論駁を加えた。以後、『医断』の「死生」論における天命説を中心として、賛否両論にわかれ、はげしい論戦が展開された。堀江道元『弁医断』田中栄信『弁斥医断』、小幡伯英『弁医断評説』、加屋恭安『続医断』などの書物も出版されて、江戸時代最大の医説論争が長く尾を引くこととなった(青山廉平「『医断』・『斥医断』─天命説を中心として─」(日本東洋醫學雜誌、Vol. 54 No. 2287-303, 2003))。東洞(元禄15-安永2)は安芸広島の人。京都に出で古医方を唱へ、臨床治療における親試実験を重んじて、その独創的な「萬病一毒論」を提唱して名声一世に挙る。これより古医方は我国独自の性格を発展せしむるに至った。後藤艮山、香川修庵、山脇東洋とともに我邦古医方の四大家と称せられる。SE01953
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〈書札往来〉文林節用筆海綱目[万宝字林文法綱鑑](延享4年・2種)
¥3,600
〈書札往来〉文林節用筆海綱目[万宝字林文法綱鑑](延享4年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦269・269粍。 【作者】山本序周原作。田中甚助編(『大阪出版書籍目録』による)。 【年代等】延享4年9月刊。[大阪]大野木市兵衛(秋田屋市兵衛)ほか板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。また、同板別本を抄録した。『〈書札往来〉文林節用筆海綱目[万宝字林文法綱鑑]』は、享保2年初刊『〈万教訓・諸礼法・書札大成〉文林節用筆海往来』の付録記事を改編した改題本。『文林節用筆海往来』は、「未逢人に遣す状」から「すそわけ物を遣状・同返事」までの286通を収録した最も浩瀚な用文章の一つ。各状とも比較的短文でほぼ同輩向けの例文となっており、これを短句に分けて大字・9行・付訓で記し、さらに割注形式で尊卑別の表現や略注を施す。書名の「節用」は、例文の配列や語彙集(頭書「節用字づくし」)で、『節用集』の如きイロハ分類を用いたことに由来し、例えば本文の「ホ」項で「奉公に出たる人に遣す状」「蛍見を催す状」「盆の祝儀につかはす状」「法躰したる人に遣す状」のように、主題の頭字によってイロハ分けするのが特徴。自序によれば、従来の用文章では例文が少なく、「四季の式目、若(もしく)は婚姻、饗応の躰をそふるのみ」であるのを不満に思い、「民間の文通すへき」例文の数々を収録したとする。『文林節用筆海綱目』は同書の付録記事、すなわち、前付・後付の全てと頭書の一部を改編したもので、前付に「文章貴点化与機杼」「摂津国惣名所図」「人倫家業絵尽」「筆道口訣」「和漢名筆略伝記」「京・江戸道中記」「書札要略」「看板書様事」「暖簾書様事」「箱の書付仕様事」「歌書書様事」「扇詩歌書様事」「色紙・短冊書様」「掛物絵讃書様」「絵馬・札書様」「日用秘事袋」、頭書「節用字づくし」「故実来歴事・同来歴絵抄」「衣食・道具づくし」「人倫支体づくし」「天地時節づくし」「文章用捨之聞書抄」「異名尽」、後付に「男女相姓之事」「十干十二支」を載せる。 SE01380
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〈倹約〉斉家論(大正7年・大本)
¥1,000
〈倹約〉斉家論(大正7年・大本) 【判型】大本2巻1冊。縦261粍。【作者】石田梅岩(勘平)作・序。【年代等】延享元年5月序。同年9月刊。明和5年春再刻。明治25年覆刻。大正7年9月再刊。[京都]上河源右衛門ほか板*梅岩贈位記念。【備考】分類「心学」。万人が生まれながらにして持っている、私心のない正直に立ち帰るための実践行としての倹約を説いた、梅岩の晩年の著作。上下2巻からなり、まず上巻は、梅岩が享保14年に開講してからの15年間を振り返り、日頃から門人に倹約を説いてきたが、その教えを長年受けてきた門人の有志が「家を治るは倹約が本」と得心し倹約の実践を誓い合ったことを紹介し、倹約に思いが至ったのは殊勝なことと讃える。しかし、衣食住は人間の楽しみだから世間並みにすべきだとある学者が批判したのに対し、梅岩は今日の衣食住は奢りそのもので、町人が破滅するのも全て愚痴と奢りのためだと戒め、富裕な町人の伊勢参りや大坂での大火事の罹災者の話を引き、平和な社会で暮らせる御高恩を強調する。下巻は、儒書の講釈の際に、梅岩が袴着用を義務づけないのは非礼であり聖人の道を説くことを批判する者との問答から始まる。梅岩は、実意のない形式的な礼こそ非礼であり、誰もが気兼ねなく聴講するための配慮だと反駁し、「文学は末、身の行ひは本」という本末を見極めることが学問の要であると述べる。続いて、門弟達が申し合わせた「倹約の序」を披露するが、これを批判する者との問答で、修身斉家のための倹約に身分の違いがないこと、名聞・利欲・色欲などの放心が不仁を招くこと、私欲に基づく吝嗇と正直に基づく倹約の違いなどを諭し、「倹約をいふは他の儀にあらず、生れながらの正直にかへし度為なり」と明言する。さらに、洪水の被害により売掛金が回収できず借金の返済もままならない商人の相談に対し、梅岩が「家財残らず売り払ひ、赤裸になり、借金を済さるべし」と助言した逸話から、「ありべかゝりの正直」を貫く意義を説き、梅岩が勧める「倹約」が単に衣服や財器のことではなく、「私曲なく心を正しふする」ことにほかならないと諭す。 SE01747
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〈倹約〉斉家論[倹約斉家論](6種)
¥1,660
〈倹約〉斉家論[倹約斉家論](6種) 【判型】半紙本2巻2冊(後印本は多く2巻合1冊、大本1冊もあり)。縦223粍(冒頭収録本のサイズ。他は割愛)。 【作者】石田梅岩(勘平)作・序。 【年代等】延享元年5月序。延享元年9月刊。[京都]小河新兵衛板。 【備考】分類「心学」。初板本(半紙本2冊本)を始め、明和5年春再板本、明治25年覆刻本(京都・修正舎施印*梅岩先生百五十年祭記念)、大正7年再板本(明治25年板再刊、[京都]上河源右衛門ほか板*石田梅岩贈位記念)など合計6種を収録した。『〈倹約〉斉家論』は、万人が生まれながらにして持っている、私心のない正直に立ち帰るための実践行としての倹約を説いた、梅岩の晩年の著作。上下2巻からなり、まず上巻は、梅岩が享保14年に開講してからの15年間を振り返り、日頃から門人に倹約を説いてきたが、その教えを長年受けてきた門人の有志が「家を治るは倹約が本」と得心し倹約の実践を誓い合ったことを紹介し、倹約に思いが至ったのは殊勝なことと讃える。しかし、衣食住は人間の楽しみだから世間並みにすべきだとある学者が批判したのに対し、梅岩は今日の衣食住は奢りそのもので、町人が破滅するのも全て愚痴と奢りのためだと戒め、富裕な町人の伊勢参りや大坂での大火事の罹災者の話を引き、平和な社会で暮らせる御高恩を強調する。下巻は、儒書の講釈の際に、梅岩が袴着用を義務づけないのは非礼であり聖人の道を説くことを批判する者との問答から始まる。梅岩は、実意のない形式的な礼こそ非礼であり、誰もが気兼ねなく聴講するための配慮だと反駁し、「文学は末、身の行ひは本」という本末を見極めることが学問の要であると述べる。続いて、門弟達が申し合わせた「倹約の序」を披露するが、これを批判する者との問答で、修身斉家のための倹約に身分の違いがないこと、名聞・利欲・色欲などの放心が不仁を招くこと、私欲に基づく吝嗇と正直に基づく倹約の違いなどを諭し、「倹約をいふは他の儀にあらず、生れながらの正直にかへし度為なり」と明言する。さらに、洪水の被害により売掛金が回収できず借金の返済もままならない商人の相談に対し、梅岩が「家財残らず売り払ひ、赤裸になり、借金を済さるべし」と助言した逸話から、「ありべかゝりの正直」を貫く意義を説き、梅岩が勧める「倹約」が単に衣服や財器のことではなく、「私曲なく心を正しふする」ことにほかならないと諭す。なお、初板本(小河新兵衛板)刊記部分の書籍広告中に、「倹約斉家論 二冊 同(石田先生)撰 童蒙ノ為ニ四民日用家脩ノコトヲ平仮名ニテ記ス」と紹介する。また、この初板本では下巻末尾の「門人蔵板」の記載がなく、明和5年板以降に付記された。 SE01748
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町人身体柱立[〈町人〉身体はしら立・身躰柱立](寛政4年) 【作者】周防由房作。
¥1,000
町人身体柱立[〈町人〉身体はしら立・身躰柱立](寛政4年) 【判型】半紙本1冊。縦228粍。 【作者】周防由房作。手島堵庵(信)補(附録)。 【年代等】延享5年9月作。明和5年春、堵庵補。明和7年6月初刊([京都]銭屋七郎兵衛・文台屋多兵衛板)。寛政4年秋求板。[京都]銭屋荘兵衛板。 【備考】分類「心学」。「始末の工夫」「貧福現在鑑」「子供養育の積り」「凡人間一代酒入用の積」「凡人間一代煙草入用之積」「凡人間一代油元結入用の積り」の6章に分けて商人一生の始末を説いた教訓書。生涯に要する各種費用を示した上で日々の始末の重要性を説くのが特徴で、例えば子育てについても、12歳までに要する養育費を「下品」「中品」「上品」に分けて細かく見積もり、さらに正確を期すためには閏月、髪置・袴着・嫁入・婿入等の通過儀礼や病気その他の不時の出費も考慮すべきと説く。後半は堵庵による補足で、前半の心得が単なる貨殖ではないことを指摘し、始末の根本が「正直(ありべかかり)」で、正直・本心の土台があればこそ「身体柱立」も万全になることを諭す。なお、『江戸出版書目』185頁に「身体柱立 一冊 墨付廿七丁/同(明和七)年六月/堵庵作/板元 京 文台屋太兵衛/売出 須原や茂兵衛」とある。 SE01769
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羽倉目安(延享2年) 作者 甚平書
¥700
羽倉目安(延享2年) 【判型】特大本1冊。縦275粍。 【作者】甚平書。 【年代等】延享2年2月書。 【備考】分類「往来物」。山田村・甚平旧蔵書。底本は、末尾の記載から天和3年の重写本と思われる。裏表紙見返しに「悪筆手跡見苦御座候間、一見之後者反古ニ成可被下候」と記す。『羽倉目安』は、越後国魚沼郡妻有庄羽倉村(新潟県津南町寺石)と信濃国水内(みのち)郡森村(長野県栄村)との間に起こった山論に関して幕府に提出した訴状を手習本にした目安往来物。『白峯銀山目安』の影響下に生まれたと考えられる。内容は、寛文12年(1672)6月に羽倉村が幕府に提訴した訴状と、同年8月の森村からの返答書からなる。幕府評定所からは検使が派遣されて実地検分が行われ、延宝2年(1674)8月の幕府裁定により論地は羽倉村領とされた。『羽倉目安』は家蔵本でも17点、新潟県内で20点以上とかなりの流布を見た。 SE01465
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羽倉目安[越後信州森村返答書写](延享2年)
¥1,400
羽倉目安[越後信州森村返答書写](延享2年) 【判型】特大本1冊。縦296粍。 【作者】不明。 【年代等】延享2年1月書。 【備考】分類「往来物」。『羽倉目安[信濃越後境論]』は、越後国魚沼郡妻有(つまあり)庄羽倉(はくら)村(新潟県津南町寺石)と信濃国水内(みのち)郡森村(長野県栄村)との間に起こった山論に関して幕府に提出した訴状を手習本にした目安往来物。『白峯銀山目安』の影響下に生まれたと考えられる。内容は、寛文12年(1672)6月に羽倉村が幕府に提訴した訴状と、同年8月の森村からの返答書からなる。幕府評定所からは検使が派遣されて実地検分が行われ、延宝2年(1674)8月の幕府裁定により論地は羽倉村領とされた。『羽倉目安』は家蔵本でも17点、新潟県内で20点以上とかなりの流布を見た。底本は、松野山(松之山*十日町市カ)海野村?の若月友右衛門旧蔵。 08社ハクラメヤス05(延享2年)【往来物】16 SE01032
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★長雄かな文集(2種) 【作者】長雄耕雲・中村采女書。佐藤対雲校
¥4,000
★長雄かな文集(2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦267・271粍。 【作者】長雄耕雲・中村采女書。佐藤対雲校。 【年代等】延享3年10月書。明和2年9月跋・刊。[江戸]奥村喜兵衛板。 【備考】分類「往来物」。同板別本も抄録。江戸初期撰作と見られる『仮名教訓』(『続群書類従』巻946所収)から派生した往来物の一つ。『仮名教訓』は、承応3年頃刊『女手本(かほよ草)』や元禄5年書『女教訓書』を始め、江戸末期・明治初年に至るまで本文内容を少しずつ変えながら種々の改編・改題本(『西三条殿長文』『女教補談嚢』『嫁女教訓書』『長雄かな文集』『女教訓岩根松』『今川娘教訓』『烏丸帖』等)が編まれた。内容はいずれも大同小異で全編1通の仮名消息文中に10-11カ条の新婦の心得を綴ったもので、本書の場合、『仮名教訓』の第1条「慈悲の心」~第10条「他人からの贈り物などの心得」の10カ条のうち、第4条「夫に対する心懸け」を前後で2カ条に分けたため、合計11カ条となった本文を大字・4行・無訓で綴る。 11女ナガオカナブンシュウ(2種)★【往来物】50 SE01325
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★〈荒木流〉女筆初音の道 【作者】荒木慈忍(慈忍尼)書。松貞尼(勢陽艸庵)跋
¥4,000
★〈荒木流〉女筆初音の道 【判型】大本2巻合1冊。縦269粍。 【作者】荒木慈忍(慈忍尼)書。松貞尼(勢陽艸庵)跋。 【年代等】延享2年9月刊。[名古屋]木村久兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。比較的短文の女文22通を収録した女筆手本。大字・無訓の散らし書きまたは並べ書きで綴る。上巻に「新年祝儀状」~「雪中に安否を問う文」の11通、下巻に「安否を問う披露文」~「歌かるたの件を承諾する文」の11通を収録する。上巻は四季贈答の手紙、下巻は諸用件や祝事に伴う手紙が中心。各巻冒頭に女性芸能図を掲げる。跋文によれば、門人・松貞尼の勧めによって上梓したものという。 11女ニョヒツハツネノミチ★【往来物】30 SE01340
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★女孝経鏡草[女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草](延享5年)
¥4,960
★女孝経鏡草[女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草](延享5年) 【判型】大本2巻2冊。縦275粍。 【作者】不明。 【年代等】延享5年1月刊。[大阪]本屋又兵衛板。 【備考】分類「往来物・仮名草子」。『女孝経鏡草[女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草]』は、貞享5年刊『〈絵入〉蛍随筆』2巻に1巻を追加した元禄16年刊『犬つれづれ草月見の友』を継承し、再び上下2巻構成に改編した改題本。内容は、実用本位ですべてを割り切ろうとするのではなく、心を慰める花・紅葉を賞翫する精神性を求める条に始まり、交際の心得、主・親・師匠に仕える順、信仰、学問、夫婦の仲、子供の躾方、貸借、食物、文字、その他、七去・三不去、三従などの女訓や年中行事の来由、諺の解説など種々雑多な事象について随筆風に記す。各条の長さは一定しないが、上・下巻ともに25条から成る。生死、善悪や徳目(忠、義理など)に関する考え方や行動について、最初に両極端の2例を挙げ、最後にその中庸をとってまとめる形式を多用する点と、下巻後半で季節、夫婦相性、弔いなどについて重点的に陰陽五行説を展開する点が特徴。本文をやや小字・10行・付訓で記す。 11女オンナコウキョウカガミグサ(延享5年)★【往来物・仮名草子】62 SE01173
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★〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉[寺子新式目](3種) 【作者】笹山梅庵(大海堂)作・書
¥7,280
★〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉[寺子新式目](3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦262・260・253粍。 【作者】笹山梅庵(大海堂)作・書。【年代等】元禄8年5月書。江戸中期(延享元年以前)初刊(刊行者不明)。天明8年春再刊([大阪]吉文字屋市兵衛板)。 【備考】分類「往来物」。江戸中期刊本2冊を全冊収録し、後半に天明8年板『寺子新式目』を抄録(天明板は元禄8年5月の記載を削除)。『〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉』は、「字形」および「笹山梅庵寺子制海之式目」から成る手本。元禄8年刊『手習仕用集・手習新式目』から『手習新式目』を独立させ、その冒頭に「字形」を合綴したもの。「字形」は「月・年・行…」などの漢字を大字3行(1行4字)で掲げて、点画等の名称や形を示した往来。後半の「式目」は『手習新式目』に同じ。謙堂文庫本に「延享元年」の書き入れがあるため、初刊はそれ以前である。なお、本書と同様の単行本(「字形」等の増補なし)に天明8年刊『寺子新式目』がある謙堂文庫本に「延享元年」の書き入れがあるため、初刊は延享以前。 04教テラコジュボクショウナラビニシンシキモク・テラコシンシキモク(3種)★【往来物】91 SE00519
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長雄江戸往来[自遣往来](明和6年・2種) 【作者】長雄耕雲書
¥2,080
長雄江戸往来[自遣往来](明和6年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦271・271粍。 【作者】長雄耕雲書。 【年代等】延享3年10月書。明和8年7月刊。[江戸]前川六左衛門板。 【備考】分類「往来物」。同板別本も抄録した。『江戸往来』本文を大字・4行・無訓で記した長雄流の陰刻手本。『江戸往来』は、全編1通の手紙形式を採り、第一に年始の挨拶、第二に千代田城内での将軍家を中心とする年始の儀式ならびに行事の有様、第三に諸国より流入する土産・菓肴・衣服・器財・舶来の品々、第四に江戸の広さおよび町々の方角と武家民家の密集する様子、第五に明暦年中に玉川の水を東南の地に引いたことや、万治年中に隅田川に両国橋をかけたこと、第六に不忍池遊興の状況を叙して御代の泰平を謳歌する。このように江戸の案内書も兼ねることから、内題を『自遣往来』としたとも考えられ、この書名によっても普及した往来である。その構成においては、『駿河状(駿府往来)』よりの影響を受けているが、同時に第3~6項は江戸の武家・庶民が営む生活に即した独自の内容であり、地理科往来・地誌型の代表的な往来となった。 06地ナガオエドオウライ・ジケンオウライ(明和6年・2種)【往来物】52 SE00760
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★〈玉置〉風月往来(延享元年) 【作者】玉置栄長書
¥4,000
★〈玉置〉風月往来(延享元年) 【判型】大本1冊。縦274粍。 【作者】玉置栄長書。 【年代等】延享元年9月書・刊。[江戸]西村源六板。 【備考】分類「往来物」。『風月往来』を大字・4行・無訓で記した玉置流手本。『風月往来』は、「新春之御慶賀重畳申籠候畢。抑子日御会難忘存候…」で始まる新年状以下毎月1通、1年12カ月12通の消息文から成る代表的な消息科往来。初板本は大字・6行・所々付訓(片仮名)で記す。1月「新年の会案内状」、2月「梅花の庭園に訪問を乞う手紙」、3月「千句の会につき諸道具の借用を申し入れる手紙」、4月「初瀬寺参詣の様子を伝える手紙」、5月「五月雨の退屈を訴える手紙」、6月「納涼の宴開催を念願する手紙」、7月「北野神社の七夕行事の誘引状」、8月「観月の会についての手紙」、9月「近況報告と詩歌を披露する手紙」、10月「管弦の会の感想などを述べた手紙」、11月「雪見誘引状」、12月「歳暮祝儀状」というように、四季の行事や風物を題材とする。本書は編集形式や内容に古往来の影響が見られる一方、近世の消息科往来の先駆的役割も果たした。 03消フウゲツオウライ-タマキ★【往来物】28SE00317
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〈大橋・篠田〉書札集〈国尽・百官〉[大橋書札集](2種) 【作者】大橋重政(長左衛門)・篠田行休(長三郎)書。篠田長道跋
¥4,240
〈大橋・篠田〉書札集〈国尽・百官〉[大橋書札集](2種) 【判型】横本1冊。収録順に縦192・189粍。 【作者】大橋重政(長左衛門)・篠田行休(長三郎)書。篠田長道跋。 【年代等】延享4年9月跋・刊。[江戸]前川六左衛門板。 【備考】分類「往来物」。同板2種を収録。『宝暦四年書目』に「大橋書札集」と記す。各丁の折り目が下になる特異な横綴じ手本。篠田行休および大橋重政筆「消息文」(大字・4-8行・無訓)と、篠田行休筆「諸国(大日本国尽)」「百官」「詩歌」(大字・約5行・無訓)から成る大橋流手本。「消息文」は、年頭祝儀披露状以下、武家公用向けの書状44通。そのほとんどが行休筆で、重政筆はわずか5通である。 03消ショサツシュウ-オオハシ・シノダ・オオハシショサツシュウ(2種)【往来物】106 SE00229
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千字文(延享5年・松下烏石) 【作者】松下烏石(源君岳)書
¥2,000
千字文(延享5年・松下烏石) 【判型】大本1冊。縦270粍。 【作者】松下烏石(源君岳)書。 【年代等】延享4年11月、君山野子鼎跋。延享5年3月刊。[江戸]西村源六板。 【備考】分類「往来物・書道」。陰刻手本。 02語センジモン(延享5年・松下烏石)【往来物・書道】33 SE00097