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★岩城一乱記[奥州岩城平御城下惣百姓願候事]  【作者】不明

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★岩城一乱記[奥州岩城平御城下惣百姓願候事]
【判型】半紙本1冊。縦240粍。
【作者】不明。
【年代等】寛保元年(1741)7月書。
【備考】分類「往来物」。『岩城一乱記』は、元文3年(1738)9月に起こった磐城平元文一揆の経緯、特に、その際作成された目安提出をめぐる領民と藩との交渉を記したもの。長短含む全12カ条から成る。まず、一揆勃発以前20年来の暴政を述べ、これを憂慮した新田目村(底本は「あらたのめ村」)百姓喜惣治30歳が頭となって領内の惣百姓を集め相談のうえ、平藩役所に目安を提出するが沙汰無く、一人江戸へ出て幕府評定所の目安箱に訴状を投げ入れたが、詮議の結果、国表差回しのうえ入牢されたことや、その後の度重なる重税に絶えかね、元文3年9月18日に蜂起、以後、領民との交渉役の一人である番頭・赤井喜兵衛が江戸在住の藩主・内藤備後守正樹に訴状を手渡して帰国するまでを記す。
・「磐城平元文一揆」は、江戸中期陸奥国磐城平藩(現・福島県いわき市)で起こった全藩的な百姓一揆。磐城平藩内藤氏(7万石)は早くから藩財政が不安定であったが、18世紀に入ると、幕府享保の改革期に生じた米価に対する諸物価高騰、幕府の命令による日光廟修営、江戸藩邸の火災などにより極端な財政難に陥った。内藤氏はこれを、年貢率のアップ、新税賦課、臨時の御用金、夫役金の徴収など、主として農民負担の強化によって打開しようとした。これに対し、すでに過酷な収奪に苦しんでいた領民は、1738年(元文3)秋、中神谷村・武左衛門らの呼びかけで全領から約2万人が城下に結集し、年貢減免、新税撤回など19項目の要求を掲げて藩政の修正を求めて対決した。領主側は農民の圧力に屈し要求の大部分を飲んだが、一揆終息後、指導層を逮捕、約束を反故にした。しかしこの一揆が原因で、まもなく内藤氏は日向延岡(現・宮崎県延岡市)へ転封されることになった(青木美智男、小学館「日本大百科全書(ニッポニカ)」)。
08社イワキイチランキ(目安往来物)★【往来物】21 SE00889

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