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白峯銀山目安[奥州会津目安・越後銀山返答](江戸中・後期)  【作者】不明

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白峯銀山目安[奥州会津目安・越後銀山返答](江戸中・後期)
【判型】特大本1冊。縦295粍。
【作者】不明。
【年代等】江戸中期書。
【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。なお、底本は「返答」が前に合綴されているため、本来の順に改めて収録した。また、「返答書」末尾に「宇津野村扣」と記す。宇津野村は、越後国北魚沼郡で、現在の新潟県魚沼市。『白峯銀山目安』は、目安往来物(一揆訴状類を手習本として使用した往来物)の一つ。銀山平(新潟県と福島県にまたがる只見川上流の谷底平野)での境界論訴訟の返答書を手習本としたもの。寛永18(1641)年銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3(1646)年に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。
08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ06(江戸中・後期)【往来物】30 SE00998

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