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★〈宝永武家諸法度〉新令句解[〈武家諸法度〉新令句解〈白石先生諺解〉](正徳2年)  【作者】新井白石(君美キミヨシ・天爵堂)注

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★〈宝永武家諸法度〉新令句解[〈武家諸法度〉新令句解〈白石先生諺解〉](正徳2年)
【判型】大本2巻1冊。縦271粍。
【作者】新井白石(君美キミヨシ・天爵堂)注。
【年代等】宝永7年4月制定(武家諸法度)。正徳2年7月初刊。[江戸]唐本屋清兵衛(玉芝堂)板。
【備考】分類「往来物・法制」。袋綴じ展開収録。本書は、宝永7年4月の『武家諸法度』(宝永令)の頒布に伴い、新井白石が成稿した『武家諸法度』の注解本を手本に認めた往来物。本文を大字・4行・無訓で記し、語句の所々に割注を挿入する。白石の『折たく柴の記』によれば、本書の頒布に至る経緯は次の通り。『武家諸法度』は将軍の代替わり毎に発布するのが慣例となっていたため、新将軍家宣は土屋相模守政直に命じ、林大学頭信篤と白石に起草させた。結果的には白石の稿が採用されたが、将軍からは「用字は『元和令』のように漢文体で、助語は仮名で記し、後に仮名を削っても文の体裁をなすように」との注文が付いていた。白石の草稿に対し、土屋政直は「この書き方では今の世の人々に通じない」と苦情を呈したが、「それならば『句解』をつくって一緒に発布せよ」という家宣の提言により白石が『句解』をも起草することになった。なお、本書の刊本は正徳2年板のみで、他は写本である。絶版の説もあるが、京都の永田長兵衛板『享保書籍目録』に本書の書名が見えるので、少なくとも享保頃までは刊行が確認できる。また、8代将軍吉宗が「宝永令」を改めて「天和令」に戻してからは代々これが踏襲されたというから、実際には「天和令」が行われていたが、天明4年刊『〈静世政務〉武家諸法度』や嘉永元年刊『儀則帖』など、往来物の中では幕末に至るまで「宝永令」が命脈を保っていた。
08社シンレイクカイ-ホウエイブケショハット(正徳2年)★【往来物・法制】54 SE01005

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