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★莫妄想 (2種)

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★莫妄想 (2種)
【判型】半紙本1冊。収録順に縦246・247粍。
【作者】作者不明(石田梅岩作と擬せられた)。
【年代等】江戸後期刊カ。刊行者不明。
【備考】分類「心学」。同板2種(末尾に「石田勘平」の墨判の有無の違いがある)を全冊収録した。『莫妄想』は、梅岩が晩年に至った境地であり、梅岩の基本理念でもある「性ヲ見ル」についての考えを綴った問答体と、「御書附ノ返答ハ暫ク差置候」(第14丁オ)で始まる約2丁(全37行)の一文(梅岩直筆の遺稿あり)からなる書。刊本には刊行年代および蔵板者が明記されていないうえ、巻末に「石田勘平」の記載のあるものとないものの二様ある。本書の大半を占める全書の問答体も思想内容や心学舎中に伝わる言い伝えから梅岩の遺稿とされてきたが、前後の収録の違和感や出版状況、また、梅岩の根幹的思想でありながら高弟(手島堵庵・中沢道二等)が本書に全く触れていない事実などから偽書とする説や、梅岩の問いに師の小栗了雲が答えたものとする説(勝部真長)もある。本文は全文が楷書、半丁10行・付訓で書かれ、まず「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)(セイヲミレバホトケニナル)ト云(いえ)ルガ、本来無一物(ほんらいむいちもつ)(モトキタリイチモツナキニ)ニ何ノ性(せい)ヲ見事(みること)ゾヤ」の問いから始まり、性は「無形無体」であり、この性を見る時は仏・衆生の隔てなく無心・無念の真仏にかなうため、「見性(けんしょう)(ホンシンヲミル)」との答えが掲げられる。以下、同様の問答で、「妄リナル分別」「私案」「私心」の有無が賢・愚の違いであること、「天ノ流行」も「道ノ体」も「聖人ノ心」も息(や)むことがないことが「仁」であること、人が善を好み悪を憎むのは「分別」ではなく「性善」のためであることなどを述べる。続いて、天が善を善と知って善と思わず、悪を悪と知って憎まない天の「不可得」についての問答を展開し、「得(うる)モ得ザルモ不可得」「不可得ニハ始モナク終モナシ」とする所以を説き、「念々事(ねんねんごと)ニ不可得ニシテ怠ルコトナシ」を会得することを「悟道」とし、さらにそれをいかに実践するかという「不可得ノ用」についての議論を深める。釈尊の「天上天下唯我独尊」が示すように人間が「万徳円満」の身であること、しかしながら、欲心のために己の尊さに気付かないこと、我が身以外の宝を望むのは全て欲心であること、道は目前にありながら知り難く、この「無念無心ノ処」は形のない「妙」であり説明し難いことや、天地間で唯一不滅の「自性(ミヅカラノホンシン)」について述べる。さらに、大石内蔵助の私心なき忠臣に譬えて、道を求める者は我が身を全て道に委ねなくてはならないことや、念に迷うのは放心の為であり、「身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の俗諺のように身を惜しまず道に陥(はま)るべきことを諭して締め括る。また、巻末の一文は、梅岩が道について会得した事柄を綴ったもので、聖人の道を手習い師匠の志に譬えて説く。なお、『広辞苑(第六版)』の「莫妄想(まくもうぞう)」項に「妄想することなかれ。妄想は判断・分別のこと。判断・分別に陥ることを戒める」とある。本書首題「莫妄想」に「バクモウソウ」のルビと、「ミダレナキヲ ヲモヒヤル」の左訓を施すが、書名は一般用語の読みに従った。

SE01810

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