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熱海温泉図彙(2種)

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熱海温泉図彙(2種)
【判型】半紙本1冊。収録順に縦225・222粍。
【作者】岩瀬京山(山東京山・百樹・涼仙)編・序。岩瀬京水・渓斎英泉・歌川国安一世画。洛橋舎楓川書。
【年代等】文政13年7月作・自序。天保3年秋刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。
【備考】分類「地誌」。同板2種を全冊収録した。本書は江戸の戯作者・山東京山が、熱海温泉に入湯した時の見聞をもとにして書き上げた名所案内記であり、熱海とその周辺の絵入り地誌。山東京山(1769-1858)は、やはり戯作者・絵師として著名な山東京伝(1761-1816)の弟で、本名を岩瀬百樹(モモキ)、字は鉄梅、涼仙・覧山などとも号した。漢学や書を学び、一時は丹波篠山藩青山氏に仕えた時代もあったが、8年ほどで青山氏のもとを去り、篆刻を生業としながら、数々の作品を発表した。文政13年7月8日、腕の痛みと打ち身を癒すため、この年62歳の山東京山は、子の京水を伴って江戸京橋を出立した。天気には恵まれたが、無理をせず、普通は小田原宿まで2日間の行程を3日かけて歩いた。ここから熱海まではおよそ7里(約28㎞)。京山は山道を駕籠に揺られ、熱海温泉渡辺彦左衛門の旅宿に到着。熱海には温泉を引いて湯場(浴室)を作り、旅人を宿泊させる客屋が27軒あったが、京山が訪れた時には休業中の店もあり、21軒の名前が記されている。宿泊の形態としては食事付と自炊の別があり、食事付の場合の料金は、現在のお金に換算すると、一人あたり1週間で1万5000円程度、そのほか入湯料として2000円が必要だった。入浴法について京山は、「第1日目は朝夕の2度入浴。あまり熱くない方が良く、入浴の時にはまず顔、そして体に湯をかけてから湯に入る。痛むところがある人はその場所を揉み、温まったところで湯から出て体をさまし、再びざっと湯に入る。第2日から4日目にかけては食前に3度、5日目からは昼4度、夜2度の6回入浴する。7日間を一回りとし、最初の一回りで病を治し、次の一回りで体を健やかにする」と記している。京山がこの通りの入浴をしたかは分からないが、彼はここに2週間滞在した。京山は、熱海滞在中にこの『熱海温泉図彙』を執筆した。序文の日付が7月20日となっているので、京山はこの書をわずか10日程度で書き上げたことになる。また京山は、熱海に湯治に行くというと豪奢で、遊山と思われがちであるけれども、費用も低額であるから、病める人は医者にかかる費用を省いてこの熱海温泉に入浴し、長命を楽しむのがよいであろう、と記している。そして、熱海温泉は世間に知られているが、その効能を細かに紹介したものがなかったので、「編者の老婆心」からこの書を出版することとしたと結ぶ(静岡県立中央図書館HP参照)。熱海温泉は、奈良時代に万巻上人によって発見されたと伝わっている温泉で、慶長9年、時の権力者である徳川家康が息子であり後の尾張家の始祖義直、紀伊家の始祖頼宣を連れ、湯治に訪れたこともあって、大名や商人がこぞって訪れるようになった。文政13年、江戸時代後期の戯作者として知られる山東京山が息子の京水を伴って三廻り程の湯治に出かた。三廻りとは7日を1周期として、それを3回繰り返すという湯治としては基本的な入浴法である。その際の、江戸から熱海温泉への道のり、来由、功能、浴法、昼夜に三度沸くという湯潮、熱海七湯(野中(のなか)の湯、清左衛門の湯、平左衛門の湯、水湯、風呂の湯、左次郎の湯、河原の湯)、周辺の名所、土産物、旅店などについて投宿先で記した案内記。挿絵は当時15歳の京水がその大半を描いているが、そのほかには渓斎英泉・歌川国安が描いている(岩瀬文庫HP参照)。
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