1/5

彦須根神考[彦須爾神考]

★彦須根神考[彦須爾神考].pdf

¥2,000 税込

ダウンロード販売の商品
購入後にDL出来ます (88833071バイト)

★彦須根神考[彦須爾神考]
【判型】大本1冊。縦255粍。
【作者】佐野経彦作。大久保芳治・伊藤佶・真鍋家董校。
【年代等】明治16年8月刊。[福岡県徳力村]本教神理教会蔵板(出版人、佐野伊豆彦)。
【備考】分類「神道」。神理教の教説に基づく著作の一つ。産土神(うぶすながみ)の考察である『産須根神考』では、産須根とは人が生まれた根であり、氏神であり氏の神であり、産土であるから地主神でもあり、さかのぼれば神の氏であるから、それが一家の氏となり村や地名の氏となったものもある。現在では、なになに八幡とかなになに天神、あるいは地名をつけているけれどもとはその氏神の古い呼称であるから、産土神として奉るのがいいと説かれていく。/神理教とは、教祖である佐野経彦(巫部経彦)が、家伝の巫部神道(かんなぎべしんとう)を元に結成した神道十三派のうちの一派。教祖の佐野経彦の出身地である九州、福岡県の小倉を中心に古神道神理教の教えを展開した。神理教の起源は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)からはじまる家系図の巫部系譜にあるとされる。教祖である経彦が、家伝や国学をもとに1880年(明治13年)に神道事務局より神理教会の開設の認可を受ける。1884年(明治17年)に神理教となる。御嶽教に所属したのち、1894年(明治27年)に教派神道の一派として特立公認される。1952年(昭和27年)6月14日より宗教法人法による宗教法人となった。/1854年、佐野経彦は国学も学んだ後、家伝の書も受け継いでおり、21歳ではじめての著書『天津皇産霊孝』を著し、これは神道における天津神(あまつかみ)の考察である。このころは皇国医道を業とし、808年に編纂されたの『大同類聚方』(だいどうるいじゅほう)といった書に依拠し日本固有の古医道を目指していたとされる。皇国医道だけでは肉体しか助けられないとし、人心の治癒を意図するようになり国学を唱導し、1875年(明治8年)から1876年には、太政官や内務省に神道に関する著書を献納している。同1875~76年にはたびたび不思議な夢をみるようになったが、1876年10月16日には遂に日月五行の神々が夢に現れたことをもって、講席を開くことにする。1877年(明治10年)8月、講席を開いた(Wikipedia参照)。
SE02042

  • お支払い方法について

¥2,000 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      その他の商品