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大原談義見聞[大原談義聞書鈔見聞](寛永9年)

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★大原談義見聞[大原談義聞書鈔見聞](寛永9年)
【判型】大本1冊。縦279粍。
【作者】聖聡(ショウソウ、酉誉聖聡)作。
【年代等】室町中期作。寛永9年6月刊。[京都]道判(中野市右衞門尉・豊雪斎)板。
【備考】分類「浄土」。『大原談義(大原問答)』の注釈書(漢文注)で、江戸期古版本の一つ(『大原談義聞書鈔見聞』の板種は、寛永9年板、正保4年板、明暦3年板があるが本書はその最古刊本)。『大原談義』は、1186年(文治2)浄土宗の開祖法然が天台宗の学匠顕真の招請をうけ、洛北大原の勝林院において諸宗の碩学を相手に論議したこと。大原問答ともいう。ことの起りは、顕真が法然に会って出離の道をたずね、法然から阿弥陀仏の願力を強縁として凡夫が浄土に往生できる旨を聞いたが、なお疑心とけず、100日間籠居して浄土の典籍について研究し、その後改めて法然を招いて論談することになったものである。顕真のほか、明遍(三論)、貞慶(法相)、智海(天台)、湛学(同)ら諸宗の学僧が参会し、法然の述べる浄土宗義に対して詰問した。/『大原問答』は、大原談義ともいわれる。浄土宗開祖法然が文治2 (1186) 年 (異説あり) に天台宗の顕真の招請によって大原の勝林院で浄土宗義について明遍、証真、貞慶、智海、重源らと問答を行なったこと。法然は高僧たちの質問に対して明確に応答し、浄土の宗義、念仏の功徳を説き、弥陀本願の深い妙旨を語ったので、集った多くの人々が信服し、それより3日3晩不断の念仏を称したと伝えられる。翌朝重源は南無阿弥陀仏と名のり、それ以後、南無阿弥陀仏と名のる阿号が流行した。この大原問答によって、法然は一躍著名になった(コトバンク)。
SE02172

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