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金持重宝記[人鏡論](写本)

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金持重宝記[人鏡論](写本)
【判型】大本3巻1冊。縦266粍。【作者】大儒性子ショウシ作、足利義政跋、西園寺公藤キンフジ序(仮託)。【年代等】元禄7年板の精写本。長享元年11月足利義政跋、文亀3年1月西園寺公藤序。【備考】分類「教訓」。書名は外題による。本書は貞享4年刊『金銀万能丸』の改題本で、『人鏡論』と改題された後、さらに元禄7年に『金持重宝記』と改題された。義政晩年の長享元年に、本書の作者で儒者の性子、歌人で神道の達人である萩原中将、また、八宗兼学の僧侶である一如上人の3人の人心論議から始まるが、最終的に「仏の道も孔子の教えも悪しきにはあらねど…、我が神国に生をへて神明の誠を弁えぬは皆、畜類なるべし」との萩原中将の主張に納得し伊勢参宮の旅に出る。3人に同行した道無斎は、道中の物語で「金銀万能主義」を繰り返すが、参宮を果たした夜、4人は同じ夢を見、「今日からは神明の誠に徹せよ」とのお告げに感涙を流す。上京後、この経緯を物語に著すとともに、一如上人・性子・道無斎の3人が東国・西国・北国へと布教に出て、神明の誠に基づく正しい世の中に変わっていったという筋書きである。中国明末の三教(儒・仏・道)一致説は、近世日本では一般に神・儒・仏の三教一致として説かれた。儒・仏・道の一致を説いた仮名草子『百八町記』が寛文4年に刊行され、神・儒・仏の混合主義に立つ『和論語』が寛文9年に刊行されたように、17世紀後半には三教一致説はかなり流布しており、また、道無斎の金銀至上主義も当時の風刺と見られることから、東山殿の時代の話というのは全くの架空で、貞享に近い年代の創作と思われる。
SE02382

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