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閑田文草[閑田文章]

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閑田文草[閑田文章]
【判型】大本5巻5冊。縦257粍。
【作者】伴蒿蹊(資芳スケヨシ・閑田子・閑田廬)作。増田春耕書。
【年代等】享和2年8月、浦世纉序。享和2年6月、伴資規(直樹)序。享和3年3月刊。[京都]文台屋太兵衛ほか板。
【備考】分類「和文」。袋綴じ展開収録。当時の随一の文章家と目された伴蒿蹊の和文集。文章を17種に分類してそれぞれ1編ないし数編(2~24編)を集録したもの。巻1は「辞」24編、「説」4編、「解」5編。巻2は「序(跋)」24編、「辨」2編。巻3は「箴」6編、「記」17編、「記」17編、「記事」1編、「論」3編、「頌」3編。巻4は「文」12編、「伝」3編、「賦(長歌)」3編、「銘」4編、「碑」1編、「書」9編、「賛」13編。巻5は「雑体」および「門人等文集」。/伴蒿蹊(文化3.7.25(1806.9.7)~享保18.10.1(1733.11.7))は、江戸中期の歌人、和文作家。幼名富二郎、名資芳、号閑田子、閑田廬。蒿蹊は号。京三条高倉西町の豪商伴弥兵衛家に生まれる。本家の伴資之の養子となったが、実父母を相次いで失い、実家は断絶、以後も妻に相次いで先立たれ、実子を得ないなど、家庭的には不幸であった。明和5(1768)年薙髪隠居し、悠々自適の生活に入る。蒿蹊が文芸の世界に遊ぶことができた理由はひとえに、その経済的な余裕にある。また伴家の代々には北村季吟に歌を学ぶような好学の風が伝統としてあったので、蒿蹊の素養は十分に培われていた。武者小路実岳に師事。実岳没後は特に師に就かず、己の好む所を楽しむ。京の文人との交流は繁く、自らも和文の達人として高く評価されるに至る。小沢蘆庵や上田秋成との交渉は有名。蒿蹊の名を最も高からしめた『近世畸人伝』の達意の文章にみられる通り、その本領は和文にあった。和文の文体論として価値の高い『国文世々の跡』や和文集『閑田文草』、随筆『閑田耕筆』などがあり、歌集に『閑田百首』『閑田詠草』などがある。当時の堂上歌人よりも高く和歌和文の才を称せられるほどの実力者であったが、現在必ずしも正当な評価を得ているとはいい難い。<参考文献>宗政五十緒編『近世畸人伝・続近世畸人伝』、清水勝「関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊」(『近世文芸』40号)、風間誠史『伴蒿蹊集』 (久保田啓一)(コトバンク)。SE02467

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