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★井上正鉄翁遺訓集

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★井上正鉄翁遺訓集
【判型】半紙本7巻付録1巻8冊。取り合わせ本の為、巻によって微妙にサイズが異なるが、第1巻は縦233粍。
【作者】井上正鉄・藤原鉄教(付録)作。横尾信守(神道大成教禊教社長)編。
【年代等】明治20年12月~明治23年6月刊。[東京]禊教横尾社蔵板。付録は万延元年10月作。
【備考】分類「神道」。袋綴じ展開収録。神道禊教の創始者、井上正鐵(マサカネ)は、寛政2年8月4日(1790年9月12日)生まれ、嘉永2年2月18日(1849年3月12日)没、江戸後期の神道家、禊教の教祖。上野国(群馬県)館林藩の武士、安藤真鉄の次男。11歳のとき、母方の縁者である富田家の養子となり、母の旧姓の井上姓を名乗る。青年時代に禅に親しみ、諸国を旅し社会情勢を知る。磯野弘道の門に入り医学を修め、また観相家水野南北の門下生となり観相法の調息術を学ぶなど、多様な知識技術を身につける。しばらく江戸で井上周易と称して、卜筮によって身を立てていたが、天保4(1833)年、夢の中に神の使いの若い女性が現れるという体験をする。翌年、神祇伯白川家に入門し、天保11年、武蔵国(埼玉県)足立郡梅田神明宮の神職となり、本格的な神道布教活動に入り、多くの人々が集まってきた。だが、その活動内容について寺社奉行より人々を惑わす新規異流の疑いをかけられ、同14年5月、三宅島に配流となる。以後も島民に対する教化活動を行う。門人たちは、赦免運動を行うが実現せず、三宅島にて死去。<著作>『神道唯一問答書』<参考文献>みそぎ文化会編『禊教の研究』。神道禊教の第一経典とされるのが『神道唯一問答書』上下2巻である。皇国祝詞傳を伝え、勤王の思想と大和の国風の復興を説く井上正鉄のもとに多くの門人が集まることを恐れた幕府は嫌疑をかけ、天保12年11月24日に小伝馬町牢屋敷への入牢を申し付けたが、天保13年2月16日に帰村を許された際に、平素教導している旨趣を提出するように命じられたため、2月18日に問答体で書き記したものが『神道唯一問答書』であった。しかしながら、同年11月28日に正鉄は再度入牢を申し付けられ、その後も牢内厠の格子越しに門人への指導をしたという。翌天保14年2月9日に嫌疑は晴れることなく、新義異流と断じられ、ついに寺社奉行戸田日向守により遠島が申し渡された。門人たちの懸命な赦免嘆願運動も成就せず、三宅島への遠島が決定し、5月25日に深川万年橋橋詰より御用船八丈丸に乗船し、三宅島へと旅立った(これらを神道禊教では「天保の法難」と呼ぶ)。6月7日夕刻、三宅島伊ケ谷村に着船後、足掛け7年に及ぶ三宅島での生活が始まると、本土の門人達に対して手紙の往復によって教えを授け続けた。その時の書簡をまとめたものが『井上正鉄翁遺訓集』全7巻であり、これが神道禊教の第二教典とされる(神道禊教HPおよびコトバンク参照)。
SE01989

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