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校正幽囚録(明治2年)

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校正幽囚録(明治2年)
【判型】中本1冊。縦177粍。
【作者】吉田松陰(矩方ノリカタ・寅次郎・二十一回猛士)作。
【年代等】明治2年1月刊。[長門]松下村塾蔵板。[大阪]河内屋吉兵衛売出。
【備考】分類「政治」。嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際、旗艦ポーハタン号に乗船したが渡航を拒否され、長州へ檻送された後に野山獄に幽囚された吉田松陰が、獄中で密航の動機とその思想的背景を記した書(Wikipedia参照)。/「幽囚録」では、まず、勢いが盛んであった皇朝の歴史に触れ、蒙古襲来など「古来三度の変動」を提示し、「外国人の前に膝を屈し、首をたれて、そのなすがままに任せている」現状を歎き、国勢の衰えを危惧している。そして、「下田米艦密航については、机上の空論に走り、口先だけで論議する者たちと組することはできず、黙って坐視していることはできないので、やむにやまれぬことだった」と吐露している。そして、「日本書紀」の敏達天皇の件(くだり)を提示しながら外患の問題打開の方策を述べている。問題打開の方策についての所論については、師匠である佐久間象山の建議を紹介している。たとえば、海防については、下田開港決定を聞くや、「ことに人びとは外国船が迅速で、神奈川にいても下田に退いても、江戸に対する危険性は同じだということを知らなすぎる。だから、横浜をすぐに開港場にするにこしたことはないのである。」と象山が主張したことなどを提示している。また、「京都の近くで地の利を得ているところは伏見に及ぶところはない。だから、ここに大きな城をつくって幕府をおき、皇都としての京都を守るべきである。」など、松陰の立案は地勢を論じながら、兵学校の設置、艦船の建造、参勤交代の艦船利用、蝦夷地の開拓と幅広い提案を展開している(ウィンベル教育研究所HP参照)。SE02751

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