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弘仁歴運記考[弘仁暦運記考](2種)

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弘仁歴運記考[弘仁暦運記考](2種)
【判型】大本2巻1冊。収録順に縦267・266粍。
【作者】平田篤胤(元瑞・平田翁・大壑)作。 草鹿砥宣輝・竹尾正寛・寺部宣光校。北原信質(ノブカタ)・羽田埜敬雄序。岩崎長世跋。
【年代等】江戸後期刊。[江戸]気吹舎塾(伊吹廼舎塾)板。
【備考】分類「暦」。同板別本も抄録。年ごとに公卿を列記した『弘仁歴運記』(弘仁2年(811)成立)の冒頭部分を考証・注釈した書(国立国会図書館HP)。日本経済新聞HP(2010/8/27付)の記事「江戸期の詳細な銅鐸本発見 平田篤胤が著書に引用」に次の様に紹介されていた。「銅鐸(どうたく)の図や出土の経緯を記した古書が、江戸時代の国学者平田篤胤の著書「弘仁歴運記考」に引用された「古宝鐸記」だったことが奈良文化財研究所の難波洋三企画調整部長の27日までの鑑定で分かった。/図は銅鐸の特徴を正確に描いており、当時の考古学遺物への関心の高さを裏付け、現存しない銅鐸の研究資料としても価値が高いという。/難波部長によると、古宝鐸記は姫路藩主の侍医だった山田安貞が、現在の愛知県と兵庫県で出土した計2つの銅鐸を記録した本。ただ、一部の文様が描かれておらず草稿とみられるという。/書名や筆者名はなかったが、兵庫県で出土した銅鐸と同じ図と記述が弘仁歴運記考にあったため古宝鐸記と分かった。直筆か写本かは不明。/2銅鐸とも現在は所在不明だが、以前とられた拓本があり、その比較から古宝鐸記は弘仁歴運記考よりも銅鐸を正確に描いていた。/高さやサイズ、厚みなども記録し、愛知県の銅鐸は宝永年間(1704~10年)に出土したことも新たに分かった。/難波部長は「図は非常に正確で山田の医師という職業柄が表れている」としている」。SE02763

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