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〈西国〉順礼歌諺註図会[西国巡礼歌諺註]

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〈西国〉順礼歌諺註図会[西国巡礼歌諺註]
【判型】大本3巻3冊。縦254粍。
【作者】厚誉(廓元・春鴬)作・跋。碓井一麿(碓井一丸)補遺・画。
【年代等】嘉永元年刊。[大阪]河内屋仁助ほか板。
【備考】分類「歌謡」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。西国三十三所順礼歌(御詠歌)の注釈書。清水谷孝尚『巡礼と御詠歌』によれば、西国三十三観音順礼歌の注釈書は、享保11年『西国順礼歌諺註』、同『観音三十三所諺註』、宝暦5年『西国順礼歌奥義抄』、宝暦11年『順礼歌要解西国三十三所』、明和9年『西国順礼歌』、同『西国順礼故新和歌』、寛政8年『西国順礼歌圓解』、嘉永2年『観音経御詠歌略註』、安政5年『西国三十三所御詠歌仮名抄』などがある。これら刊本の書名を見る限り、観音霊場順礼の際の仏教歌謡は江戸中期までは「順礼歌」と呼ばれ、江戸後期に入って「御詠歌」と呼ばれるようになったらしい。ちなみに、Sighinas, Mihaela Lacramioara「「近世日本における西国巡礼の展開—厚誉春鶯『観音霊場記』及び『西国巡礼歌諺註』を中心に—」によると、中国では古くから天台山や五台山への巡拝が発達し、その伝統が中世日本にも影響を与え、特に修行の場としての霊山への巡礼を中心に受け継がれていった。そういった中、衆生救済のために三十三種に変化すると言われる観音菩薩が示現する霊場を巡拝していく「西国三十三所観音巡礼」が形成される。この霊場めぐりは当初、修験者や僧侶に限られていたが、江戸時代には交通網の発展により庶民の参加が可能となり、観光的な要素を取り込みながら、全国的に広がりを見せた。これら西国巡礼の社会的な浸透には数多くの出版物の存在が見逃せないが、特に、仏僧が観音の縁起利生譚を書き記した霊場記物のうち、松誉巌的が貞享4年(1687)に刊行した『西国洛陽三十三所観音霊験記』が初出である。宝永2年(1705)にはその改訂版『西国三十三所観音霊験記真鈔』が出版され、これに触発され、享保11年(1726)には『西国三十三所観音霊場記』と、それと対をなす『西国巡礼歌諺註』を世に問うことになる。この2書は、辻本基定編『西国三十三所観音霊場記図会』の元本であり、後代に影響力を保ち続けた点から見ても、注目に値する。
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