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白岩目安[白岩状](江戸中期) 【作者】不明
¥1,400
白岩目安[白岩状](江戸中期) 【判型】特大本1冊。縦303粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期書。 【備考】分類「往来物」。『白岩目安(白岩状)』は、出羽国村山郡白岩郷(山形県西川町・寒河江市等)の惣百姓らが、寛永10年に領主酒井長門守忠重の苛政を幕府に訴えた訴状を手習本とした目安往来物(寛永10年本と、追伸文を増補した寛永12年本系統の2種ある)。最終的に36名の百姓が処刑され収束した「寛永白岩一揆」に対する反体制的な内容で、租税の負担増や不当な賦課を始め領主の非道など一揆の理由を23カ条にわたって記す。『白峯銀山目安』を始めとする類書の成立を促した目安往来物の先駆。 08社シライワメヤス04(江戸中期)【往来物】8 SE00986
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白岩目安[白岩御目安之事](安永3年) 【作者】石井市五郎書
¥1,400
白岩目安[白岩御目安之事](安永3年) 【判型】特大本1冊。縦282粍。 【作者】石井市五郎書。 【年代等】安永3年1月書。 【備考】分類「往来物」。『白岩目安(白岩状)』は、出羽国村山郡白岩郷(山形県西川町・寒河江市等)の惣百姓らが、寛永10年に領主酒井長門守忠重の苛政を幕府に訴えた訴状を手習本とした目安往来物(寛永10年本と、追伸文を増補した寛永12年本系統の2種ある)。最終的に36名の百姓が処刑され収束した「寛永白岩一揆」に対する反体制的な内容で、租税の負担増や不当な賦課を始め領主の非道など一揆の理由を23カ条にわたって記す。『白峯銀山目安』を始めとする類書の成立を促した目安往来物の先駆。底本は、安永3年に大栗村(陸奥国岩瀬郡)の石井市五郎16歳が筆者し、天明元年10月に渡辺定八郎(良)の手に渡った手習本。なお、見返しに「立初りこんこんとは思ひ(へ)ども、定めなき世のさだめかな」(義●公)の一首を記す。 08社シライワメヤス03(安永3年)【往来物】11 SE00985
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白岩目安(寛延3年頃) 【作者】不明
¥1,400
白岩目安(寛延3年頃) 【判型】縦長本1冊。縦277粍。 【作者】不明。 【年代等】寛延3年9月頃書(書き込みによる)。 【備考】分類「往来物」。『白岩目安(白岩状)』は、出羽国村山郡白岩郷(山形県西川町・寒河江市等)の惣百姓らが、寛永10年に領主酒井長門守忠重の苛政を幕府に訴えた訴状を手習本とした目安往来物(寛永10年本と、追伸文を増補した寛永12年本系統の2種ある)。最終的に36名の百姓が処刑され収束した「寛永白岩一揆」に対する反体制的な内容で、租税の負担増や不当な賦課を始め領主の非道など一揆の理由を23カ条にわたって記す。『白峯銀山目安』を始めとする類書の成立を促した目安往来物の先駆。 08社シライワメヤス02(寛延3年頃)【往来物】22 SE00984
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★白岩目安[白岩状・御目安](延宝4年) 【作者】斎藤与六書カ
¥2,800
★白岩目安[白岩状・御目安](延宝4年) 【判型】特大本1冊。縦277粍。 【作者】斎藤与六書カ。 【年代等】延宝4年書。 【備考】分類「往来物」。『白岩目安(白岩状)』は、出羽国村山郡白岩郷(山形県西川町・寒河江市等)の惣百姓らが、寛永10年に領主酒井長門守忠重の苛政を幕府に訴えた訴状を手習本とした目安往来物(寛永10年本と、追伸文を増補した寛永12年本系統の2種ある)。最終的に36名の百姓が処刑され収束した「寛永白岩一揆」に対する反体制的な内容で、租税の負担増や不当な賦課を始め領主の非道など一揆の理由を23カ条にわたって記す。『白峯銀山目安』を始めとする類書の成立を促した目安往来物の先駆。本書は現存本の最古本。 08社シライワメヤス01(延宝4年)★【往来物】16 SE00983
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★詔令集 【作者】石川県学校編
¥4,000
★詔令集 【判型】半紙本1冊。縦223粍。 【作者】石川県学校編。 【年代等】明治6年2月刊。[金沢]石川県学校蔵板。山田耕吉ほか売出。 【備考】分類「往来物」。冒頭に書袋を掲げた。本書は、明治元年2月28日の「詔」や同年3月14日の「五箇条の御誓文」「御宸翰」以下、明治5年11月9日の「改暦詔書」、同11月28日の「徴兵詔書」までの詔書・勅宣・勅語・勅書を年月順に列記した教科書。楷書・8行・無訓で記す。 08社ショウレイシュウ★【往来物】33 SE00982
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〈頭書絵入〉御成敗式目[貞永御成敗式目書](寛政4年・2種) 【作者】不明
¥2,000
〈頭書絵入〉御成敗式目[貞永御成敗式目書](寛政4年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦254・253粍。 【作者】不明。 【年代等】寛政4年1月再刊。[江戸]須原屋茂兵衛(甘泉堂)板。 【備考】分類「往来物・法制」。同板別本も抄録した。『御成敗式目』の本文を大字・6行・無訓で記した往来物。巻頭に「視・聴・言・動の四箴」を掲げ、頭書に「御成敗式目来由」「楠正成金剛山居間之壁書」「年中往来」「祐筆書法指南」「竪文・横文・封文書様之次第」「五節供之来由」「相性名乗文字」を収録する。『御成敗式目』は、貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)を始め約25種の注釈書が刊行されている。 08社ゴセイバイシキモク-カシラガキエイリ・ジョウエイゴセイバイシキモクショ(寛政4年・2種)【往来物・法制】41 SE00950
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〈改正新板〉御成敗式目(江戸後期・吉田屋板・2種) 【作者】一光斎芳盛画
¥2,000
〈改正新板〉御成敗式目(江戸後期・吉田屋板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦250・252粍。 【作者】一光斎芳盛画。 【年代等】江戸後期刊。[江戸]吉田屋文三郎板。 【備考】分類「往来物・法制」。『御成敗式目』の本文を大字・6行・付訓で記した往来物。見返に御成敗式目の由来と挿絵(一光斎芳盛画)を掲げ、頭書(冒頭5丁まで)に「伊呂波文字本文」「手習執行之事」「編構冠字尽」を載せる。『御成敗式目』は、貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)を始め約25種の注釈書が刊行されている。 08社ゴセイバイシキモク-カイセイシンパン(江戸後期・吉田屋板・2種)【往来物・法制】40 SE00949
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〈改正かな附〉御成敗式目(2種) 【作者】北条泰時編
¥2,000
〈改正かな附〉御成敗式目(2種) 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】江戸中期刊。[大阪]小林(勝尾屋)六兵衛板。 【備考】分類「往来物・制法」。末尾に、文政11年再刊本([大阪]秋田屋市兵衛板)を抄録した。 08社ゴセイバイシキモク-カイセイカナツキ(2種)【往来物・法制】41 SE00948
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〈大字〉御成敗式目(享保17年・堀本板・2種) 【作者】不明
¥2,000
〈大字〉御成敗式目(享保17年・堀本板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦259・257粍。 【作者】不明。 【年代等】享保17年5月刊。[京都]堀本板。 【備考】分類「往来物・法制」。同板2種を収録。本書は、『御成敗式目』の本文を大字・6-7行・無訓で記した往来物。『御成敗式目』は、貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)を始め約25種の注釈書が刊行されている。 08社ゴセイバイシキモク-オオジ(享保17年・堀本板・2種)【往来物・法制】44 SE00947
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★〈頭書絵抄〉御成敗式目[御成敗式目絵抄](元禄6年) 【作者】杉村次兵衛注・画・序
¥4,000
★〈頭書絵抄〉御成敗式目[御成敗式目絵抄](元禄6年) 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】杉村次兵衛注・画・序。 【年代等】元禄6年7月刊。[江戸]万屋荘兵衛板。 【備考】分類「往来物・法制」。元禄10年板に先立つ杉村次兵衛絵抄本の最古本。 08社ゴセイバイシキモクエショウ(元禄6年)★【往来物・法制】41 SE00946
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〈栄久堂板〉御成敗式目[万世亀鑑御成敗式目](嘉永6年) 【作者】北条泰時編
¥2,000
〈栄久堂板〉御成敗式目[万世亀鑑御成敗式目](嘉永6年) 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】嘉永6年3月再刊。[江戸]山本平吉板。 【備考】分類「往来物・法制」。 08社ゴセイバイシキモク-エイキュウドウバン(嘉永6年)【往来物・法制】32 SE00944
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御成敗式目(明暦3年・山本板) 【作者】北条泰時編
¥2,000
御成敗式目(明暦3年・山本板) 【判型】大本1冊。縦263粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】明暦3年1月刊。[京都]山本五兵衛板。 【備考】分類「往来物・制法」。 08社ゴセイバイシキモク(明暦3年・山本板)【往来物・法制】47 SE00943
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御成敗式目(万治3年) 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋
¥2,000
御成敗式目(万治3年) 【判型】大本1冊。縦269粍。 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋。 【年代等】万治3年4月刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物・法制」。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク(万治3年)【往来物・法制】40 SE00942
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御成敗式目(文化9年・仙台板*2種) 【作者】北条泰時編
¥2,000
御成敗式目(文化9年・仙台板*2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦255・260粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】文化9年8月再刊。[仙台]池田屋源蔵ほか板。 【備考】分類「往来物・法制」。同板2種を収録した(一本は抄録)。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク(文化9年・仙台板*2種)【往来物・法制】40 SE00941
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〈新板尊円〉御成敗式目(天和2年) 【作者】不明
¥2,000
〈新板尊円〉御成敗式目(天和2年) 【判型】大本1冊。縦262粍。 【作者】不明。 【年代等】天和2年刊。[大阪]秋田屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物・法制」。 08社ゴセイバイシキモク(天和2年)【往来物・法制】35 SE00940
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〈西宮〉御成敗式目[〈北条泰時国政法度〉御成敗式目・将軍家御成敗式目](天明2年・西宮板ほか5種) 【作者】北条泰時編か5種)
¥3,440
〈西宮〉御成敗式目[〈北条泰時国政法度〉御成敗式目・将軍家御成敗式目](天明2年・西宮板ほか5種) 【判型】大本1冊。収録順に縦265・260・261・255・254粍。【作者】北条泰時編。【年代等】天明2年7月刊。[江戸]西宮新六板。続けて、天明7年7月再刊([江戸]伊勢屋治助板)、寛政6年6月再刊([江戸]鶴屋喜右衛門板)、文化14年3月再刊([江戸]鶴屋喜右衛門板)、天保13年11月求板([江戸]西宮弥兵衛ほか板)の4本を抄録または全冊収録した。各板元により題簽の角書等が異なる。 【備考】分類「往来物・制法」。 08社ゴセイバイシキモク(天明2年・西宮板ほか5種)【往来物・法制】86 SE00939
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御成敗式目(正徳5年・風月板) 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋
¥2,000
御成敗式目(正徳5年・風月板) 【判型】大本1冊。縦260粍。 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋。 【年代等】正徳5年2月刊。[?]風月板。 【備考】分類「往来物・法制」。袋綴じ展開収録。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク(正徳5年・風月板)【往来物・法制】44 SE00938
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御成敗式目(江戸中期・西村屋板) 【作者】北条泰時編
¥2,000
御成敗式目(江戸中期・西村屋板) 【判型】大本1冊。縦262粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】江戸中期(宝暦頃)刊。[江戸]西村屋与八板。 【備考】分類「往来物・制法」。裏表紙に宝暦の記載あり。 08社ゴセイバイシキモク(江戸中期・西村屋板)【往来物・法制】29 SE00937
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御成敗式目(江戸中期・糸屋板) 【作者】北条泰時編
¥2,000
御成敗式目(江戸中期・糸屋板) 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】江戸中期(明和以降)刊。[大阪]糸屋市兵衛板。 【備考】分類「往来物・制法」。 08社ゴセイバイシキモク(江戸中期・糸屋板)【往来物・法制】35 SE00936
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御成敗式目(江戸中期・山本板) 【作者】伝尊円親王書
¥2,000
御成敗式目(江戸中期・山本板) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】伝尊円親王書。 【年代等】江戸中期刊。[江戸]山本九左衛門板。 【備考】分類「往来物・法制」。 08社ゴセイバイシキモク(江戸中期・山本板)【往来物・法制】40 SE00935
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〈御家〉御成敗式目(江戸中期・山森板) 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋
¥2,000
〈御家〉御成敗式目(江戸中期・山森板) 【判型】大本1冊。縦258粍。 【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋。 【年代等】江戸中期刊。[京都]山森六兵衛板。 【備考】分類「往来物・法制」。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク(江戸中期・山森板)【往来物・法制】44 SE00934
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御成敗式目(江戸前期・本問屋板) 【作者】北条泰時編
¥2,000
御成敗式目(江戸前期・本問屋板) 【判型】大本1冊。縦267粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】江戸前期刊。[江戸]本問屋板。 【備考】分類「往来物・制法」。元禄4年の書き入れあり。 08社ゴセイバイシキモク(江戸前期・本問屋板)【往来物・法制】29 SE00933
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★御家詩哥帖[御家詩歌帖](2種) 【作者】藤原順清(山田天真・日下部順清*山田岩掛城主山田道安の息子)書
¥4,000
★御家詩哥帖[御家詩歌帖](2種) 【判型】大本1冊。縦274粍。 【作者】藤原順清(山田天真・日下部順清*山田岩掛城主山田道安の息子)書。 【年代等】寛政10年6月刊。[江戸]花屋久次郎(星運堂)板。 【備考】分類「往来物」。別本も抄録。『和漢朗詠集』から抜粋した詩歌を綴った大字の書道手本。「池凍東頭風度鮮、窓梅北面雪対寒」および「としのうちに春はきにけりひとゝせを、こぞとやいはむことしとやいはむ」を始め詩歌各16編を収録する。本文を大字・3行・無訓で記す。 08社オイエシイカジョウ(2種)★【往来物】38 SE00891
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★羽州庄内田川飽海両郡目安(仮称・明治2年) 【作者】本郷村久兵衛・名川村荘右衛門作
¥4,000
★羽州庄内田川飽海両郡目安(仮称・明治2年) 【判型】折本1帖。縦187粍。 【作者】本郷村久兵衛・名川村荘右衛門作。 【年代等】明治2年2月作・書。 【備考】分類「往来物」。羽州庄内田川・飽海両郡の百姓惣代である田川郡本郷村・久兵衛と田川郡名川村・荘右衛門の名前で庄内藩を従来通り左衛門尉酒井家の支配となることを歎願した書。折手本の手習い用に作り、目安往来物の一種と見られる。慶応4年5~9月の奥羽越列藩同盟は一時は30藩を超える大同盟となったが、官軍の進攻で寝返りする藩や大敗・降伏する藩が相次ぎ、5カ月で瓦解した。明治元年9月末に庄内藩も恭順したが、最後まで自領に新政府軍の侵入を許さなかった。明治元年12月、庄内藩は公地を没収され、11代藩主酒井忠篤は謹慎処分となり、弟の忠宝が12万石に減封の上、陸奥会津藩へ、翌明治2年6月には磐城平藩へと転封を繰り返した。本間家を中心に藩上士・商人・地主などが明治政府に30万両(当初は70万両の予定だったが揃わず減額が認められた)を献金し、明治3年、酒井氏は庄内藩へ復帰した。本書は、このような趨勢の中で義民として活躍した人々の働きを伝えるべく綴ったものであろう。 08社ウシュウショウナイタガワアクミリョウグンメヤス(仮称・明治2年)★【往来物】30 SE00890
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)