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勧化因縁辨断集[勧化辨断集]
¥2,960
★勧化因縁辨断集[勧化辨断集] 【判型】大本3巻3冊。縦264粍。 【作者】現誉作・序。 【年代等】明和4年2月自序。明和4年2月刊。[京都]小河源兵衛ほか板。 【備考】分類「浄土」。従来『明和書籍目録』に記載の書名「勧化因縁辨断」3冊として存在が知られていたに過ぎないが、このたびその原本3冊を新発見。勧化(仏の教えを説き信心を勧める)の契機となる故事や逸話を集めた仮名書きの仏書。目次と本文の見出しが一致しないが、本文見出しに従えば、1巻は「三谷源左衛門事」と「東海道池鯉鮒(チリュウ)郷穢多之市助事」の2話、2巻は「熊野権現霊威之事、並智鑑和尚和歌之事」「女人成仏之問答」「転女成男之問答」「駿州今泉天録五良右衛門吉清事」「大唐並妙蓮尼之事」「守屋伝兵衛事」の6話、3巻は「慧心僧都宇治平等院ニテ説法之事」「指物屋新兵衛女成仏之事」「丹波国山本源蔵疫神ニ逢フ事、並念仏ハ現当両益ナル事」の3話で、合計11話を収録。 SE02432
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菅家遺誡[菅家遺訓]
¥1,180
菅家遺誡[菅家遺訓] 【判型】大本2巻1冊。縦245粍。 【作者】不明(菅原道真仮託)。 【年代等】嘉永5年2月、藤波教忠(フジナミノリタダ・大中臣教忠・禊川)・光通序。明治6年12月刊。[京都]石田忠兵衛ほか板。 【備考】分類「教訓」。後半に参考として『日本文化』第61冊を収録した。『菅家遺誡』の成立年代は室町時代か。菅原道真に仮託された公家のための訓誡。巻1は20条、巻2は13条より成り、内容は仁君の要政から説き起こし、神事・入租貢税・朝儀・音楽・詩賦・歌吟・社寺修営・主上調度・外蕃謁見・市店交買・田猟・宮中私閨・刑罰・武備・僧尼・冠婚葬祭・服忌・公家新領・朝野恪勤・良家子弟・街路巷保・揚名官職・震雷等に及んでいる。道真の和魂漢才説の起原を成すものとして思想的に重要視されたが、明白な偽作である。本書は江戸末期に国学者の和魂意識や、志士等の尊皇攘夷思想の勃興に乗じて広くもてはやされ、明治以後も教育や思想を統一する原理として適用された。現存する諸本はすべて江戸時代の書写で異同はなく、内容が33条より成るのがもとで、2章を付加したのは後代のものである。版本としては嘉永5年板・文久元年板・明治6年板などがある。SE02431
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官軍備州忠魂碑[忠魂碑・忠魂義胆]
¥1,400
★官軍備州忠魂碑[忠魂碑・忠魂義胆] 【判型】中本1冊。縦184粍。 【作者】成田秋佩(シュウハイ、成田元美モトヨシ)作。 【年代等】明治初年刊。刊行者不明。 【備考】分類「雑記・金石文」。戊辰戦争時に倒幕派が江戸に送った東征軍(徳川慶喜を朝敵とする)の死者を祀った忠魂碑の碑文とその経緯を記した小冊子。題簽には単に「忠魂碑」と記すが、巻頭口絵にある「官軍備州忠魂碑」と称すべきもので、戊辰戦争に備前から出陣し、戦死した武士28名の姓名・所属部隊・戦死場所・戦死月日を記した「戦死注文」と、旧岡山藩士成田元美(1829-83)撰文の「建忠魂碑記」の全文を収めたもの。巻頭に「忠魂碑」図2葉を収めるが、編者、発行所、発行年月日とも不明。この忠魂碑は、初め東京芝高輪の東禅寺境内に建てられたが、後、岡山に移され、岡山市丸の内石山に建てられた(現在は岡山市奥市の護国神社境内に移転)(岡山県立図書館の説明を参照)。 SE02430
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観経隠彰義[観無量寿経隠彰義](3種)
¥3,500
観経隠彰義[観無量寿経隠彰義](3種) 【判型】半紙本3巻3冊。収録順に縦226・226・226粍。 【作者】曇蔵信暁作。織江勝敬画。 【年代等】嘉永2年1月刊。[京都]中島利左衛門蔵板。[京都]菱屋又兵衛売出。 【備考】分類「真宗」。後印本2種([京都]永田調兵衛(文昌堂)板、[京都]沢田友五郎板)も抄録した。本書は『観経(観無量寿経)』の真実義である「隠彰」を詳しく説いた書。「観無量寿経」は”方便の経”と言われていて、表向きの意味と、裏面にひそかに隠された真の意味があり、言わば「二重構造」を持つお経だが、「観経」の表向きの意味を「顕説(けんぜつ)」と言い、「定善・散善」と言われる自分の力でさまざまな修行を修め、善根を積み、阿弥陀さまのお浄土に生まれようとする、”自力の行”を説明した内容となっている。一方、裏面に隠れた真の意味は、阿弥陀さまの救いの働き、つまり第十八願の誓いであり、人々をこの阿弥陀さまの救いの働きに通入させることを説く(みんな、西に向かう命の旅人HP参照)。「顕彰隠密」は、浄土真宗で、『観経』と『小経』の説相を解釈するのに用いる名目で、略して「隠顕おんけん」といい、顕を「顕説けんぜつ」、隠を「隠彰おんしょう」ともいう。顕説とは顕著に説かれている教義で、『観経』では「定散諸行往生じょうさんしょぎょうおうじょう」、すなわち要門の教義であり、『小経』では自力念仏往生すなわち真門の教義である。隠彰とは隠微にあらわされている真実義で、両経ともに他力念仏往生の法すなわち弘願(ぐがん)法である(WikiArc参照)。 SE02429
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〈信後相続〉歓喜法乃道(親鸞聖人御詠伊呂波歌)
¥2,000
★〈信後相続〉歓喜法乃道(親鸞聖人御詠伊呂波歌) 【判型】半紙本1冊。縦212粍。 【作者】親鸞作。 【年代等】正嘉元年2月(親鸞85歳)作。弘化4年冬刊。[刊行地不明]文栄館板。 【備考】分類「真宗」。本文中に第13・14丁が重複して合綴されている。なお、第11丁以下の「殺生すまじき咄」の記事と挿絵は文化12年刊『放生歓喜艸』とほぼ同様。 SE02428
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〈信後相続〉歓喜嘆
¥1,180
〈信後相続〉歓喜嘆 【判型】半紙本1冊。縦226粍。 【作者】善雄作。長秀画。 【年代等】寛政5年初刊。天保2年序・再刊。慶応元年5月官許。明治9年5月版権免許・再刊。[京都]沢田友五郎ほか板。 【備考】分類「仏教」。「歓喜嘆」は「茶呑咄しの意味」「御寺参り小言の弁」「親の異見聞違の息子」「十九、二十の願の意味」「口にはいはれぬ心に知つた梅の香ひ」を収録。後半に「御当流順仰一すじ道」「御当流いろはうた」を附録。SE02427
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観鵞百譚
¥4,220
観鵞百譚 【判型】大本5巻3冊。縦258粍。【作者】細井広沢(知慎・玄慎・左漁)作・序・跋。【年代等】享保10年5月自序。享保11年11月作。享保19年4月自跋。享保20年1月刊。[江戸]川村源右衛門板。【備考】分類「書道・随筆」。江戸時代の代表的な書論。和漢の書道に関する故事や逸話など百話を集めたもので、唐様の根本原理が紹介され、王羲之・趙孟頫・文徴明の系統が唐様の正系であることを説き、唐様の流行に大きく貢献した(Wikipedia参照)。 鈴木晴彦「細井広沢考―『観鵞百譚』を中心に―」(『書学書道史研究』Vol. 2011-No. 21) によれば、本書は広沢の書学・書法観を包括した著作で、広沢が他界する11カ月前の正月に刊行された。本書は本来、大久保佐渡守(常春、1675-1728)の嫡男・忠胤(1710-79)のために綴られたものだったが、刊行以前から門人等に写本として流布し、写本の一部が市場に出回るなど一人歩きしていた背景もあり、上梓に至った。筆道入門者向けに、和漢に伝わる書道関連の故事・逸話を書名の如く100話の読み切りスタイルに集録したものだが、内容の大半(9割)は中国に関するもの。100話に登場する書家は400余人だが、その上位は現代書道史で重視される書家が占める。その中でも、王羲之は突出しており、広沢の傾倒ぶりを物語る。本書は、書の歴史と理論に精通した上で、唐様書道の根本原理の著述に努めた広沢の功績を示すものである。SE02426
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観鵞百譚(原装5巻本)
¥4,260
観鵞百譚(原装5巻本) 【判型】大本5巻5冊。縦271粍。 【作者】細井広沢(知慎・玄慎・左漁)作・序・跋。 【年代等】享保10年5月自序。享保11年11月作。享保19年4月自跋。享保20年1月刊。[江戸]川村源左衛門板。 【備考】分類「書道・随筆」。江戸時代の代表的な書論。和漢の書道に関する故事や逸話など百話を集めたもので、唐様の根本原理が紹介され、王羲之・趙孟頫・文徴明の系統が唐様の正系であることを説き、唐様の流行に大きく貢献した(Wikipedia参照)。鈴木晴彦「細井広沢考―『観鵞百譚』を中心に―」(『書学書道史研究』Vol.2011-No.21)によれば、本書は広沢の書学・書法観を包括した著作で、広沢が他界する11カ月前の正月に刊行された。本書は本来、大久保佐渡守(常春、1675-1728)の嫡男・忠胤(1710-79)のために綴られたものだったが、刊行以前から門人等に写本として流布し、写本の一部が市場に出回るなど一人歩きしていた背景もあり、上梓に至った。筆道入門者向けに、和漢に伝わる書道関連の故事・逸話を書名の如く100話の読み切りスタイルに集録したものだが、内容の大半(9割)は中国に関するもの。100話に登場する書家は400余人だが、その上位は現代書道史で重視される書家が占める。その中でも、王羲之は突出しており、広沢の傾倒ぶりを物語る。本書は、書の歴史と理論に精通した上で、唐様書道の根本原理の著述に努めた広沢の功績を示すものである。 SE02425
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漢画独稽古(文化4年)
¥1,840
漢画独稽古(文化4年) 【判型】大本2巻2冊。縦246粍。 【作者】宮本君山(瓊)作。 【年代等】文化4年8月、淵上禎(白亀)跋。文化4年9月、峩洋堂主人序。文化4年9月刊。[紀伊]赭鞭館蔵板。帯屋伊兵衛ほか板。 【備考】分類「絵画」。乾坤2巻からなり、乾巻には「総論」「写生法」「写意比鶴之図」「写生位置(ズドリ)」「山之皴法同図」「樹之点法同図」「写意之人物図」「倭画漢画之論」「絹幅上幀子法(エギヌヲワクニハリヨウ)」など15項、坤巻には「山水之写生之論」「山水之名目」「平園山水之図」「山水六遠之論」「画南北之訣」「四季雑山水之画題并山水之図」「花鳥之画題」「写生小鳥之図」など11項について記す。SE02424
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漢画捷径(四愛人物之部)
¥1,400
★漢画捷径(四愛人物之部) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】大倉笠山(リツザン、大蔵笠山・大倉国宝・穀コク)画。中林竹洞校。 【年代等】文政2年夏、中林竹洞序。嘉永5年春再刊。[京都]近江屋佐太郎板。 【備考】分類「絵画」。第11丁落丁のため別本にて補った。中林竹洞に画を、頼山陽に詩を学び、詩文にも優れた江戸後期の画家、大倉笠山による漢画絵手本。巻頭に「四君子(蘭・竹・梅・菊)」の墨絵(模写)を掲げ、続いて各種人物の描き方を示した「人物描法」を掲げる。人物描写については「半点モ世ニ媚ルノ相アルベカラズ…凡ニコヘ塵ヲ出ルノ気象ヲ写ベシ」と説く。 SE02422
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〈江戸神仏〉願懸重宝記
¥1,400
★〈江戸神仏〉願懸重宝記 【判型】中本1冊。縦160粍。【作者】万寿亭正二(葛葉山人・並木五瓶二世)作。勝川春亭画。 【年代等】文化11年1月初刊。明治初年再刊。[江戸]西宮弥兵衛板。 【備考】分類「地誌」。「初編」と記すが初編のみの刊行。当時江戸府内で流行していた願掛け・流行神31例を紹介したもの。例えば、頭痛なら高尾稲荷の社、疱瘡の願なら錐大明神、虫歯や口中一切の願ならおさんの方…というように巻頭目録に、寺社名を願懸けの種類とともに掲げてある。SE02420
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勧学まりうた[〈勧学〉鞠謡](2種)
¥2,000
★勧学まりうた[〈勧学〉鞠謡](2種) 【判型】小本1冊。収録順に縦149・148粍。 【作者】蒼髯叟作。 【年代等】明治年間刊。[東京]和泉屋市兵衛板。 【備考】分類「歌謡・教訓」。同板2種を収録。『勧学まりうた』は、皇国民としての学問の意義や勧学を説いた手まり歌。「一ッとや、人と生まれて学ばねば学ばねば、ひとの人たる甲斐ぞなき、おこたるな」で始まる10番と「一ッとや人たる務をせぬ人はせぬ人は、人の皮着しけものなり、おこたるな」で始まる10番の合計20番から成り、全ての歌の最後を「おこたるな」で統一する。後半にも童歌風に綴った童蒙向け教訓(家庭や学校での努力目標)や、皇国の学問の起源と文明開化の意義を略述した「開化哉文廼朝風(ひらくるやふみのあさかぜ)」を載せる。刊年不明だが、内容から明治初年であることは疑いない。本文をやや小字・6行・付訓で記す。SE02419
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勧学筆記(溝口浩軒)
¥1,400
★勧学筆記(溝口浩軒) 【判型】大本1冊。縦258粍。 【作者】溝口浩軒(直養ナオヤス・浩斎)作・書。 【年代等】安永8年5月作・書。安永8年秋刊。[新発田]藤間得康板。 【備考】分類「教育」。新発田藩第8代藩主・溝口浩軒(1736-97)が著し、領民に示した仮名書きの教諭書。版下も溝口浩軒の自筆で、刷了間もない安永8年12月に領内に頒布された。「こゝに記す処は聖賢の書をよめば聖賢の書に皆ある事にて、改めて書するに及ばぬ事なり。然れども今日聖賢の書をよまぬ人有るにより、其よまぬ人へ見する為ばかりに書す者なり」と起筆し、日頃聖賢の書を読む機会のない庶民に対して聖学の根本を簡潔に述べた勧学の書。貴賤尊卑の別なく学問が必要なこと、天性の素質の善し悪しに関わらず学問が重要なこと、国家の安全や個人の無難に学問が不可欠なこと、さらに、朱子学では山崎闇斎学派を薦めてこれを精魂傾けて学ぶべきことなど「志学」のあらましを説く。底本には刊記がないが、初刷りと思われる別本には「安永己亥秋、越後新發田、藤間得康謹刊」の記載がある。SE02418
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神明憑談(カンガカリ・シンメイヒョウダン)
¥1,000
神明憑談(カンガカリ・シンメイヒョウダン) 【判型】大本2巻2冊。縦252粍。 【作者】多田義俊(多田南嶺・桂秋斎・政仲・理見・満泰・利見)作(口授)。植松次親編。植松宗清(永康)跋。 【年代等】享保19年冬自序(春塘多田義俊進蔵甫)。享保20年1月編。宝暦5年1月初刊。江戸後期再刊。[大阪]河内屋喜兵衛板。 【備考】分類「神道」。神道の諸問題に関する雑記的な論書。漢字カナ交じり。上巻:神代人代之差別、撰日本書紀旨趣、読日本書紀用意、両部唯一并神秘ノ事、神道忌獣肉乎之事、下巻:読神紀有習、和訓考、中臣忌部職掌考、木綿襁考、異国産物納宮社無難考、随筆少々(天狗・天ガツ・獅子狛・尊と命)。序によれば『中臣祓気吹抄』とともに多田義俊の言説を植松次親がまとめたもの(西尾市岩瀬文庫DB)。 SE02417
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寛永昇進録
¥4,160
★寛永昇進録 【判型】大本3巻3冊。縦239粍。 【作者】三輪某書カ。 【年代等】安政4年書。 【備考】分類「伝記」。阿部忠秋の逸話を集めた伝記で、全3巻から成る立身出世譚。上巻には「劔術御稽古始豊後守御相手之事、并ニ菊御遊御不興を蒙る事」、中巻には「豊後守殿切腹を止る事、并ニ大久保彦左衛門御諫言之事」、下巻には「江戸大水豊後守殿乗渡る事、并ニ豊後守殿昇進之事」を収録する。なお、阿部忠秋(1675-1602)は、江戸前期の近習出頭人、老中、下野壬生(栃木県壬生町)、武蔵忍藩(行田市)藩主。豊後守。旗本阿部忠吉の長男。母は松平康高の娘。江戸生まれ。幼少から徳川家光に仕え、膳番、小姓組番頭などを歴任しながら出世。寛永3(1626)年には1万石。同6年に1万5000石。10年松平信綱や従兄の阿部重次らと六人衆に任命され、近習出頭人として幕政に参画、以後次第に土井利勝ら秀忠以来の老中を棚上げしながら、家光政権の確立に尽力、幕政の中心的存在となる。同年老中並、12年壬生藩主となり2万5000石、同年10月老中に進み後31年間在任。同16年忍に移封5万石。この前後に江戸周辺の城に家光政権の老中らが入城、彼らが政治的にも軍事的にも幕府を支える体制を確立。正保4(1647)年6万石。慶安3(1650)年家綱の傅役。翌年家光が死去すると、松平信綱と幼少の将軍家綱をもり立て幕政を運営。しかし酒井忠清ら門閥譜代層が幕政に進出し、次第に家光以来の政治理念の変更を余儀なくされ、寛文2(1662)年僚友の松平信綱が死去すると幕閣内で孤立。翌年8万石となるが、5年老病との理由から勤務を免除され、翌6年老中を辞職。11年致仕して養子の正能に家督を譲る。死後、遺言して日光の家光廟の脇に分骨を埋葬。捨子を育てたり牢人を保護するなど、清廉篤実な人柄で人望が厚かった。才気走った松平信綱とよく比較され、信綱をたしなめる逸話が多い(コトバンク)。SE02416
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冠位通考
¥1,000
冠位通考 【判型】大本1冊。縦267粍。 【作者】石原正明(マサアキラ、喜左衛門)作。 【年代等】文化2年7月作・刊。[名古屋]永楽屋東四郎(東壁堂)板。 【備考】分類「有職故実」。袋綴じ展開収録。本書は、日本の位階制度について解説したもの。推古朝の冠位十二階(603年)に始まり大宝令(701年)で完成するまでの変遷を詳しく考察し、また、外位、勲位、親王・諸王の位階、僧位、神階などについても解説している。著者の石原正明(1760‐1821)は尾張国海東郡神守村(現津島市)出身の国学者・歌人。一時本居宣長の門下となり、江戸に出て塙保己一の下で「群書類従」の編纂に携わった(愛知芸術文化センターHP参照)。 SE02415
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河内名所図会[河内国名所図会]
¥5,440
河内名所図会[河内国名所図会] 【判型】大本前後2編6巻6冊。縦258粍。 【作者】秋里籬島(湘夕・舜福)作・序。丹羽桃渓(丹元国・靖中庵)画。 【年代等】享和元年7月、花山院大納言(右大将愛徳卿)序。享和元年秋自序。享和元年11月刊([大阪]森本太郎板)。明治初年後印。[大阪]柳原喜兵衛板。 【備考】分類「地誌」。『河内名所図会』は、江戸時代後半の享和元年に秋里籬島が文章を書き、丹羽桃渓が絵を描いた河内の地誌・案内書。各郡ごとに、当時の名所・旧跡・寺社を紹介している。この種の名所図会は、安永9年の『都名所図会』に始まり、以後、諸国諸地方で発刊され、好評を博した。特に、『河内名所図会』は今日、発掘で話題となる文化財の当時の描写や口碑・伝説のたぐいを収録し解説しているものが多い(大阪日日新聞HP参照)。SE02414
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かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語]
¥1,000
かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語] 【判型】大本1冊。縦266粍。 【作者】加藤竹里(景範)作。岩崎尚光画。 【年代等】明和7年、中井積徳序。明和8年11月、中井積善跋・刊。[大阪]懐徳堂蔵板。 【備考】分類「実録」。川島村孝子義兵衛(革島義兵衛)伝。孝子義兵衛とは、山城国葛野郡川島村の農民で、孝行を表彰された人物であり、その行状を記たものが複数存在するが(中井竹山の『孝子義兵衛記録』、布施松翁の『西岡孝子儀兵衛行状聞書』、懐徳堂で学んだ加藤景範が著し、懐徳堂から刊行された『かはしまものかたり』など)、本書はその一つ。『かはしまものがたり』は、加藤景範著、中井履軒序、中井竹山跋、岩崎象外画。明和8年(1771)懐徳堂蔵版。明和7年、養母に対して孝養を尽くしたことにより「孝子」として幕府から表彰された山城国葛野郡川島村の義兵衛の行状を和文・挿絵入りで著したもの。川島村は竹山の妻の実家(革嶋家)の所在地で、竹山は『孝子義兵衛記録』を著して義兵衛のために積極的な顕彰運動を展開した(佐野大介「孝子義兵衛関連文献と懐徳堂との間、附翻刻」(『懐徳堂センター報2005』)および、大阪大学附属図書館HP参照)。SE02413
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家礼[朱子家礼・文公家礼]
¥2,240
家礼[朱子家礼・文公家礼] 【判型】大本5巻・附図1巻合3冊。縦251粍。 【作者】浅見絅斎(安正)作・跋。田辺楽斎校注。 【年代等】元禄10年12月自跋・初刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋喜兵衛板。 【備考】分類「漢学」。延宝3年初刊本の板木が焼失したために元禄期に複刻したもの。『家礼』は、中国・南宋時代に成立した礼儀作法書で、『朱子家礼』『文公家礼』とも言う。第1冊(1巻「通礼」、2巻「冠礼」、3巻「昏礼」)、第2冊(4巻「喪礼」、5巻「祭礼」)、第3冊(家礼図)から成る。SE02412
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苅萱道心行状記
¥2,220
苅萱道心行状記 【判型】大本5巻5冊。縦252粍。 【作者】西向庵春帳(愚洞・西向庵春帳子)作。門誉(含蓮社)識語。 【年代等】寛延2年初刊([江戸]辻村五兵衛板)。江戸後期再刊。[大阪]河内屋茂兵衛板。 【備考】分類「読本」。説教の材料と読み物を兼ねた近世出来の仏教長編説話集の一。中世以来、近世に入っては説教浄瑠璃や諸演劇の材となった苅萱説話の集大成で、巧みに構成して、後続のものの一原型となったもの。後識にも、傀儡場中の戯(人形芝居)で仏教臭のあるものを潤色し、談義の材として勧懲をすすめるものと明記している。加藤繁氏の誕生、妻桂御前と千里姫の争い、加藤家の御家騒動、繁氏黒谷で得度し苅萱となる、苅萱の修行、千里姫一子石堂丸と父を高野山に訪う、苅萱善光寺にて往生、石堂丸の道念法師の往生までであるが、思想上は浄土宗の臭いが濃い。口頭でも、文学作品でも、苅萱説話は、この筋が襲われ、曲亭馬琴の『石堂丸苅萱物語』(文化3年刊)も、これによっている(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02411
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〈拾珍御伽〉璣カラクリ訓蒙鑑草[璣カラクリ訓蒙鏡草](稀書複製会本)
¥1,000
〈拾珍御伽〉璣カラクリ訓蒙鑑草[璣カラクリ訓蒙鏡草](稀書複製会本) 【判型】半紙本3巻3冊。縦235粍。 【作者】多賀谷環中仙(環中仙い三イゾウ)作。川枝豊信画。 【年代等】享保15年1月初刊([京都]蓍屋伝兵衛ほか板)。昭和4年複製(底本は刊記なし)。 【備考】分類「遊戯」。稀書複製会6期木版複製本。当時流行のからくり芝居の機巧を解説したもので 上巻にその舞台面を描き 下巻にその各々の内部構造を示してゐる(国文学研究資料館DB)。『璣訓蒙鑑草』は、江戸初期の〈からくり〉解説書。1730年(享保15)刊。多賀谷環中仙撰。川枝豊信画。〈拾珍(しゆうちん)/御伽(おとぎ)〉と角書(つのがき)がある。2巻3冊。上巻で当時の代表的な〈からくり〉28種の図を掲げ、下巻でそれぞれにつき図解・種明しをした書。〈からくり〉の装置は滑車やてこを利用した糸からくりが9種を占め、ポンプ、ばね、歯車、水銀を用いたものが各1種、その他は奇術、手品に類するもので、技術的には単純にして幼稚なものである(コトバンク)。/上巻で当時の代表的な〈からくり〉28種の図を掲げ、下巻でそれぞれにつき図解・種明しをする。〈からくり〉の装置は滑車やてこを利用した糸からくりが9種を占め、ポンプ、ばね、歯車、水銀を用いたものが各1種、その他は奇術、手品に類するものである。「いろは人形」「太鼓」「道成寺」「小かぢ」「天鼓」「蟻通玉」「百挺からうす」「人形を人にかくさせ人形が占ふ」「三本の扇の内人の取りたるを占ふ」の諸からくりはともに糸からくりであり、糸の所在を分からないようにし不思議にしてある。また、「人形吹矢をふく」「人形はなれて向ふへ行又はたらく」「人形犬に乗る」「人形文字を書く」「三段がへりかるわざ人形」の諸からくりは機械人形。さらに、「天神記僧正の車」「唐人の笛吹き」「人形三味線をひく」「などのからくり人形は、人間(子供等)が隠れて入り機械人形を装うもの。この他、ろくろを使用した「首ひき人形」「や一日に四十里余走る人力の自動車「陸船車」などが珍しい。また水からくりでは五色の水をあつかう「錦竜水」や、ひっきりなしに水の落ちる「異竜竹」「水の中へ人形つかひながらはいる」「茶釜の水茶となる」などからくりとして優れている。「玉子ひよことなり」「ひよこ籠へ入り鶏となる」仕掛け物、竹田の独楽の他、大魔術的なものとして奈落を利用する「五寸の箱の中へ人形を使いながら入る」「鳩、鉢の子に入り仏となる」などのからくりがある。昭和4年の稀書複製会本は後の含霊軒発行の松竹梅(三冊)を復刻したもの(クラシックマジック研究ブログ参照)。 SE02410
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〈慶応再刻〉華洛名所記[花洛名所記・華洛名所図]
¥2,200
★〈慶応再刻〉華洛名所記[花洛名所記・華洛名所図] 【判型】横本1冊。縦113粍。 【作者】池田東籬(正韶マサツグ・悠・鳳卿・菊人)作。 【年代等】慶応元年1月再刻。[京都]藤井卯兵衛板。 【備考】分類「地誌」。6日間で洛中洛外の主な名所を巡覧出来るように編まれた案内記。本文の前に絵地図10丁半あり。巻末に「洛陽諸巡拝」として天満宮廿五ケ所巡り・洛陽三十三所観音・四十八願所巡り・法華廿一ケ寺・地蔵廿四ケ所・六地蔵の一覧記事あり(名古屋大学HP)。SE02409
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〈文化秀詠〉冠附後の栞[〈冠附〉後の栞]
¥6,660
★〈文化秀詠〉冠附後の栞[〈冠附〉後の栞] 【判型】横本1冊。縦102粍。 【作者】山下巴勢(ハセイ、鼠六斎ソロクサイ・鼠六坊)作。 【年代等】文化13年春、孔陀羅庵序。文政元年5月刊。[大阪]藤屋徳兵衛(含章堂)板。 【備考】分類「雑俳」。袋綴じ展開収録。本書は、「いつ迄も」「内外なふ」「とんと別」などの題に対してそれぞれ数句ずつの作品を掲げた冠付集。冠付(かむりづけ)とは、雑俳で、初めの5文字を題として出し、これに中7字、下5字を続けて、1句にまとめる文芸。「笠付(カサヅケ)」「烏帽子付(エボシヅケ)」「冠句(カムリク)」とも。 SE02407
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冠附名取之津衛[名吟冠附名取つゑ・〈名吟〉冠附集・〈冠附〉日新集]
¥3,000
★冠附名取之津衛[名吟冠附名取つゑ・〈名吟〉冠附集・〈冠附〉日新集] 【判型】横本1冊。縦114粍。 【作者】和田麻貫マカン編。 【年代等】安政4年刊。[大阪]茨木屋藤七ほか板。 【備考】分類「雑俳」。後半に雪光庵素洲編「〈名吟〉冠附集」、脇田素閣編「〈冠附〉日新集」を付す。 SE02406
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第308942220838号
古物商 (書籍商)