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六諭衍義鈔(4種) 【作者】鈴木重義作。亀谷省軒(セイケン、亀谷竹二、子省・行ススム)校
¥3,760
六諭衍義鈔(4種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦223・222・228・221粍。 【作者】鈴木重義作。亀谷省軒(セイケン、亀谷竹二、子省・行ススム)校。 【年代等】明治13年7月版権免許。明治13年8月初刊。明治15年11月再刊。[東京]東京光風社(著者)蔵板。[東京]石川治兵衛ほか売出。 【備考】分類「往来物」。再板本など4種を収録した。『六諭衍義』の翻訳書の一つ。原本の俚語を雅言に改めたり、直訳または意訳を交えつつ、その主旨を平易な漢字・片仮名交じり文で記したもので、『六諭衍義大意』とは別文。原本に載る「故事律例」の類を全て省いたほか、『六諭』の一つである「母作非為」の章は「前文ノ意ヲ反覆スルニ過ギ」ないとして丸々割愛する。本文を楷書・やや小字・10行・無訓で記し、本文中に孟母・車胤等の挿絵三葉を挿む。なお、作者・鈴木重義(天保9年-明治36年)は、藩政家,水戸藩城代家老鈴木石見守の分家の子。 04教リクユエンギショウ(4種)【往来物】94 SE00584
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★六諭衍義小意(2種) 【作者】中村三近子(平吾・絅錦斎・一戴)作・書・序・跋
¥7,120
★六諭衍義小意(2種) 【判型】半紙本3巻2冊。縦230粍。 【作者】中村三近子(平吾・絅錦斎・一戴)作・書・序・跋。 【年代等】享保16年3月自序・自跋。享保16年7月刊。[京都]西村市郎右衛門(寿詞堂・載文堂)ほか板。 【備考】分類「往来物」。末尾に別本3冊本を抄録。『六諭衍義大意』の主旨を敷衍した往来物。巷間に流布していた『大意』の尊さを童蒙に教えるために、『大意』の付録として編んだもの。庶民生活上の卑近な具体的例に結びつけるなど、『大意』よりも平易に説くのが特徴。『六諭』を2章ずつ3巻に分け、それぞれの主題に即して3~9の訓話を載せる(合計32話)が、特に力点を置くのは「孝順父母」「教訓子孫」の2章で、俚諺や故事を引きながら『大意』の説く道理を種々諭す。また「和睦郷里」章では、享保15年の京都大火の際に8000人を救った救恤活動を特筆し、「教訓子孫」章では庶民の学問のあり方について「学問は万職の手本」であり、先賢の書を学ばなくても『六諭衍義大意』を実行するならば立派な学問であると述べる。本文は三近子の直筆である。 04教リクユエンギショウイ(2種)★【往来物】89 SE00585
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六諭衍義大意(安政4年・奥州白石・石津屋板・2種) 【作者】室鳩巣作
¥2,000
六諭衍義大意(安政4年・奥州白石・石津屋板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦265・267粍。 【作者】室鳩巣作。 【年代等】弘化4年2月、横山友輔序。安政3年冬、菊地某(石津屋)跋。安政4年1月刊。[奥州白石]石津屋重郎左衛門(静情堂)施板。 【備考】分類「往来物」。同板別本も抄録した。本書は、奥州白石の農夫、菊地某(石津屋重郎左衛門・静情堂)が自ら上梓した私家版・施印の『六諭衍義大意』。跋文によると、天保年間の初め頃に『六諭衍義大意』の上梓を志したという。その様子を「『六諭衍義』を梓にのぼせ、普く世に施して童子等に忠孝の道を教へんとする事既に七年におよびぬ」と記す。しかしながら、独力では広大な陸奥国に行き渡らせることは困難なので、まずは刈田(カッタ)郡(現在の宮城県白石市・蔵王町・七ヶ宿町)に各村10冊ずつ配布し、その他の郡にも速やかに送る旨を伝えたが、もし私の志を助けようという人がいたらぜひ協力して欲しいと訴えている。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』(『六諭』は、明の太祖・洪武帝が洪武31年(1398)に発布した『教民傍文』41カ条中の「自治章程」の1条で、「孝順父母」「尊敬長上」「和睦郷里」「教訓子弟」「各安生理」「母作非為」の6項に及ぶ庶民の生活心得)に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。 04教リクユエンギタイイ(安政4年・奥州白石・石津屋板・2種)【往来物】44 SE00586
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六諭衍義大意(岩村田藩板*3種) 【作者】室鳩巣(直清)作。橈川(カジカワ?)華子書
¥4,040
六諭衍義大意(岩村田藩板*3種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦227・231・226粍。 【作者】室鳩巣(直清)作。橈川(カジカワ?)華子書。 【年代等】安政5年春序・初刊。万延元年春、越智山松(仙心)序・再刊。[信州佐久郡・岩村田藩]藤原正縄(内藤豊後守正縄マサツナ)蔵板。 【備考】分類「往来物」。万延元年板を袋綴じ展開収録し、安政板2種を抄録した。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は七行、各編末尾の詩文はやや大字5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。底本は、内藤豊後守正縄(信濃岩村田藩第6代藩主)の命によって安政5年に刊行された地方版『六諭衍義大意』の再板本。巻頭題字「操存舎亡」も内藤豊後守による。また序文を書いた越智仙心は岩村田藩医。橈川華子は伏見の書家。 04教リクユエンギタイイ(岩村田藩板*3種)【往来物】101 SE00587
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六諭衍義大意(弘化3年・3種) 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋。藤原順(清敬)書
¥2,880
六諭衍義大意(弘化3年・3種) 【判型】大本1冊。縦262粍。 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋。藤原順(清敬)書。 【年代等】弘化3年2月、荒井保固跋・刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物」。同板3種を収録。うち1本に、窮村世話方への褒美として本書が代官より下賜された旨の嘉永2年2月の書き入れがある。享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は七行、各編末尾の詩文はやや大字5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政11年板以後は「賜版」となり、さらに天保15年にも再板された。 04教リクユエンギタイイ(弘化3年・3種)【往来物】72 SE00588
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六諭衍義大意(天保14年・文麗堂・2種) 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋
¥2,200
六諭衍義大意(天保14年・文麗堂・2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦223・224粍。 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋。 【年代等】天保14年7月刊。[大阪]播磨屋理助(文麗堂)版。江戸後期(嘉永頃)後印。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。 【備考】分類「往来物」。江戸後期後印本も抄録した。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は七行、各編末尾の詩文はやや大字5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政11年板以後は「賜版」となり、さらに天保15年にも再板された。 04教リクユエンギタイイ(天保14年・文麗堂・2種)【往来物】55 SE00589
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六諭衍義大意(文政13年・美濃岩村藩板・2種) 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作
¥2,000
六諭衍義大意(文政13年・美濃岩村藩板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦258・258粍。 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作。 【年代等】文政13年5月刊。[美濃岩村藩(現・岐阜県恵那市岩村町)]岩村地方役所板。 【備考】分類「往来物」。一部異板の別本も抄録した。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭』は、明の太祖・洪武帝が洪武31年(1398)に発布した『教民傍文』41カ条中の「自治章程」の1条で、「孝順父母」「尊敬長上」「和睦郷里」「教訓子弟」「各安生理」「母作非為」の6項に及ぶ庶民の生活心得で、「父母に孝順にす」「長上を尊敬す」「郷里を和睦す」「子孫を教訓す」「おのおの生理を安んず(家業出精)」「非為をなすことなかれ」の六つを諭したもの。底本は、文政13年5月に岩村藩で刊行された『六諭衍義大意』で、跋文に「此度新たに当御領内へ示し下さるゝ事に候。但、先に下されたる慶安御触書は農民生産(スギワイ)の事多く、此御書物は道理(ミチスジ)の教にて候。道理のおしへは父の子を教る如く、生産の事は母の子を養ふに類し候。何れも有がたく、畏りて仰ぎ敬ひ、御領内のものども常々読習ふて、御趣意をよくよく会得いたし、取失ふべからず候。故に今、御触書に引続きて板に刻み、頒(ワカ)ち行ふもの也」と記す。同藩では文政13年3月刊行の『慶安御触書』と同年5月刊行の本書を庶民教化の二大教諭書と位置づけていた。本書刊行当時の岩村藩主は松平乗美(ノリヨシ)で、知行借上、倹約、新田開発、荒地の開発、桐・桑・杉・茶・栗などの苗の育成と国産所の設置などの財政改革を中心とした藩政改革に着手し、藩財政を立て直したが、その後、天保4年からの大飢饉による影響が大きく、改革が停滞し、領民の負担も増大し、それに耐えきれなくなった岩村藩内の52か村の代表らは天保8年(1837年)5月、改革の中心人物であった家老(丹羽瀬清左衛門)を弾劾し、藩政改革も中止に追い込まれ、再び、財政は悪化していった(Wikipedia参照)。 04教リクユエンギタイイ(文政13年・美濃岩村藩板・2種)【往来物】32 SE00590
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〈校正増加〉六諭衍義大意・〈校正増加〉六諭衍義附録(勝田知郷・3種) 【作者】勝田知郷(商量軒)作・序。勝田知直・勝田知之校。日野資愛序。那須与一画。勝田知直・佐藤一斎(坦)ほか跋
¥10,120
〈校正増加〉六諭衍義大意・〈校正増加〉六諭衍義附録(勝田知郷・3種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦264・266・262粍。 【作者】勝田知郷(商量軒)作・序。勝田知直・勝田知之校。日野資愛序。那須与一画。勝田知直・佐藤一斎(坦)ほか跋。 【年代等】天保14年12月刻成。天保15年序・初刊([京都]勝田知郷(商量軒)蔵板。[大阪]秋田屋良助ほか売出)。弘化4年5月増補・再刊。[京都]勝田知郷(商量軒)板。 【備考】分類「往来物」。弘化板を全冊収録のうえ、弘化板別本と天保板も抄録した。本書は、『六諭衍義大意』の本文に、それを諭す先人の伝記や挿絵を多数交えた私家版の往来物。上巻は『大意』本文を掲げ、頭書に「六諭」の実践者たる模範を中国の人物一四人(黄香・王祥・陣興・柳仲郢・祝期生・王有道・沈富民・孟母・柳公綽・王瑶・盛徳・薛敷・周処・陣三公)に求めてその事蹟を記し挿絵数葉を載せる。また、室直清の跋文に所々略注を付す。中・下巻は『太平記』『近世畸人伝』『続近世畸人伝』『駿台雑話』などに載る日本の偉人9人(青砥藤綱・僧鉄眼・佐川田昌俊・酔茶翁・農夫庄助・仏佐吉・白拍子静・馬郎孫兵衛・乞食八兵衛)の事蹟を、知卿の意見や諸書からの引用を交えながら綴ったもので、知郷が常々語っていた話を息子の知直が書き留め、本書に付録したものである。中・下巻ともに挿絵数葉を掲げる。本文をやや小字・10~12行・付訓で記す。なお、弘化4年再刊本では序文その他が若干増補されたが、一部割愛された記事もある。 04教リクユエンギタイイ・リクユエンギフロク-コウセイゾウカ(勝田知郷・3種)【往来物】253 SE00591
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〈官刻〉六諭衍義大意(享保7年・京都板・2種) 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作・序・跋。石川柏山(信義・園智・圀昭・勘介・勘助)書
¥2,320
〈官刻〉六諭衍義大意(享保7年・京都板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦263・262粍。 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作・序・跋。石川柏山(信義・園智・圀昭・勘介・勘助)書。 【年代等】享保7年2月自序。享保7年4月初刊(江戸板)。享保7年8月刊。[京都]中川茂兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。官刻と賜板の2種を収録した。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は7行、各編末尾の詩文はやや大字の5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政11年板以後は「賜版」となり、さらに天保15年には再板されている。このほか、文政13年・秋田藩板、天保4年・掛川藩板、天保5年・名古屋藩板、天保15年・古山代官板、弘化2年・河村奉行板、弘化4年・萩藩板、同・明倫堂板、嘉永6年・桑折代官板、同・岩村田藩板、刊年不明・福山藩板、同・伏見藩板、明治3年・柴山藩板などの各藩板や、安政4年・奥州白石の石津氏施板など篤志家による施板もあり、明治末年までに刊行された諸本は60種以上に及ぶ。 04教リクユエンギタイイ-カンコク(享保7年・京都板・2種)【往来物】58 SE00592
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〈官刻〉六諭衍義大意(享保7年・江戸板3種) 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作・序・跋。石川柏山(信義・園智・圀昭・勘介・勘助)書
¥4,200
〈官刻〉六諭衍義大意(享保7年・江戸板3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦261・264・267粍。 【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作・序・跋。石川柏山(信義・園智・圀昭・勘介・勘助)書。 【年代等】享保7年2月自序。享保7年4月刊。[江戸]須原屋茂兵衛ほか板(初板本*京都板初板は享保7年8月刊)。 【備考】分類「往来物」。後印本など2種を抄録した。『六諭衍義大意』は、享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は7行、各編末尾の詩文はやや大字の5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政11年板以後は「賜版」となり、さらに天保15年には再板されている。このほか、文政13年・秋田藩板、天保4年・掛川藩板、天保5年・名古屋藩板、天保15年・古山代官板、弘化2年・河村奉行板、弘化4年・萩藩板、同・明倫堂板、嘉永6年・桑折代官板、同・岩村田藩板、刊年不明・福山藩板、同・伏見藩板、明治3年・柴山藩板などの各藩板や、安政4年・奥州白石の石津氏施板など篤志家による施板もあり、明治末年までに刊行された諸本は60種以上に及ぶ。 04教リクユエンギタイイ-カンコク(享保7年・江戸板3種)【往来物】105 SE00593
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六諭衍義大意鈔[六諭衍義大意抄](水野正恭・4種) 【作者】水野正恭(権平)編。神埜順蔵(世猷)序
¥2,920
六諭衍義大意鈔[六諭衍義大意抄](水野正恭・4種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦227・233・226・226粍。 【作者】水野正恭(権平)編。神埜順蔵(世猷)序。 【年代等】天保5年1月序・初刊。安政2年9月跋・再刊。[名古屋]永楽屋東四郎板。 【備考】分類「往来物」。同板・異板など4種を収録した。「六諭衍義大意抄ゆゑよし」付き。本書は、享保7年刊『六諭衍義大意』本文のうち、『詩経』からの漢詩文を除き、漢字・仮名交じり本文だけを綴った改編版。もと大坂町奉行・平賀信濃守が、『六諭衍義大意』が廃れてゆくのを惜しんで文化年間に上梓して市中へ施したものという。その板木を譲り受けた永楽屋が「御願済の上、製本元上り値段にて」本書を販売したが、本文末に本書を10部以上必要な顧客には用紙持参のうえ板賃無料で印刷する旨を記したものもあるから、無料または特別価格の奉仕品扱いであった。後印本には永楽屋東四郎善教による安政2年9月撰「六諭衍義大意抄ゆゑよし」3丁が追加されたが、そこには『六諭衍義大意』撰作から本書の刊行に至る経緯について詳しい。本文をやや小字・9行・付訓(所々左訓)で記す。 04教リクユエンギタイイショウ(水野正恭・4種)【往来物】73 SE00594
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〈施板〉六諭衍義大意(明治3年・進徳社板・2種) 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋
¥2,000
〈施板〉六諭衍義大意(明治3年・進徳社板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦261・252粍。 【作者】室鳩巣(直清)作・序・跋。 【年代等】明治3年9月刊。進徳社蔵板。[江州高宮]北川錦雲堂製本。 【備考】分類「往来物」。同板・無刊記本も抄録。享保6年刊『〈官刻〉六諭衍義』とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保6年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保7年2月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范鋐序、范鋐跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・6行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は七行、各編末尾の詩文はやや大字5行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政11年板以後は「賜版」となり、さらに天保15年にも再板された。 04教リクユエンギタイイ-セハン(明治3年・進徳社板・2種)【往来物】29 SE00595
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良薬躾方(雪石道人・4種) 【作者】雪石道人作・序。歌川国麿画
¥2,560
良薬躾方(雪石道人・4種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦233・230・226・230粍。 【作者】雪石道人作・序。歌川国麿画。 【年代等】嘉永4年11月自序・刊。[信州か]蓬莱堂蔵板。[江戸]菊屋幸三郎売出。 【備考】分類「往来物」。同板4種を収録。『良薬躾方』は、食礼を主とする礼法・婚礼全般を概説した往来物。前半は「喰方之次第、膳に向ひ様之事」以下六五カ条で食礼および給仕方作法を述べ、後半「当時婚礼略式」は床飾り・祝言膳部・色直し等について記す。また巻末に、「斉家丸」「修身丸」「六親和合丸」「放党丸」「富貴丸」と題した修身・斉家・家内和合・貧富等の平易な教訓を載せる。本文を小字・14行・付訓で綴り、本文中に挿絵数葉を挟む。なお、本書の宣伝のために出版された安政2年刊『きさらぎつみ草』によれば、本書は嘉永4年初刊、同7年再刊で、価格は「銀一匁」であった。 04教リョウヤクシツケガタ(雪石道人・4種)【往来物】74 SE00596
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★〈手習指南〉和漢字府諺解[和漢筆道手習指南](3種) 【作者】浪花隠士某編・序
¥6,640
★〈手習指南〉和漢字府諺解[和漢筆道手習指南](3種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦262・257・262粍。 【作者】浪花隠士某編・序。 【年代等】元禄12年9月刊。[大阪]雁金屋庄兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物・書道」。後印本『〈新板〉和漢字府諺解』2種を抄録。後続の童蒙向け筆道書に多大な影響を及ぼした筆道書・往来物。本書に付録記事を増補した改題本として、安永3年刊『筆道指南大成』1冊、寛政12年刊『筆道早合点』3冊、文化5年刊『筆道指南手引草』3冊、弘化3年刊『筆道指南早学問』4冊がある(上記寛政12年板までは首題を『和漢筆道手習指南』とするが、文化5年板以降は『筆道指南手引草』と改刻)。このほか、寛政2年頃刊『筆道稽古早学問』4冊も本書の影響をかなり受けている。上巻には本文欄に「六書(象形・会意・諧声・指事・仮借・転注)の沙汰」「名筆筆法要論(漢帝筆法十四点之論ほか)」、頭書・巻末に「行草手習筆法」「格法七十五字」「忍返之筆法伝授」を掲げるが、これらは『手習仕用集』の模倣である。中・下巻では「永字八法」の運筆法を詳述し、中巻に「側化十四点」「結構七十二例」、下巻に「掠化十法」等を解説する。本文を小字・14行程度・所々付訓で記す。 04教ワカンジフゲンカイ・ワカンヒツドウテナライシナン(3種)★【往来物・書道】83 SE00598
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★童子手引草 【作者】稲垣丘山作
¥4,000
★童子手引草 【判型】半紙本1冊。縦225粍。 【作者】稲垣丘山作。【年代等】文化13年11月刊。[京都]著者蔵板(施印)。 【備考】分類「往来物・教訓」。古人の教訓や金言などを書き集め上梓したもの。著者は城南相楽郡和束杣田邑(現・京都府相楽郡和束町)」住人。 04教ワラベテビキグサ★【往来物・教訓】36 SE00599
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〈頭書傍訓〉今川古状揃(明治15年・2種) 【作者】不明
¥2,000
〈頭書傍訓〉今川古状揃(明治15年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦258・258粍。 【作者】不明。 【年代等】明治15年3月求板。[東京]松崎半造板。 【備考】分類「往来物」。同板別本の原装本も抄録した。『古状揃』は近世初頭に『今川状』を中心に『腰越状』『含状(義経含状)』『弁慶状』『直実送状』『経盛返状』『曽我状』『大坂状』などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』『風月往来』などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。底本の『今川古状揃』が、本文に、今川状・手習状・腰越状・義経含状・弁慶状・弁慶勧進帳・熊谷状(送状)・経盛返状・曽我状・同返状・大坂進状・同返状の12状を収録し、頭書に「本文読法(総振り仮名付き本文)」等を掲げる。 05歴イマガワコジョウゾロエ-カシラガキボウクン(明治15年・2種)【往来物】41 SE00600
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★鶉状[鶉之申状] 【作者】不明
¥2,800
★鶉状[鶉之申状] 【判型】大本1冊。縦240粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期書カ。 【備考】分類「往来物」。『鶉状[鶉之申状]』は、籠舎に閉じ込められて「迷惑千万」な鶉の口をかりて、賢人・聖人の教えに従う武家の道、領主の心得の数々を諭した往来物。「抑、我等身体之事、思之外被籠舎之義、是以迷惑千万之次第也…」で始まる本文を大字・4行・無訓で記す。本往来は、松代藩家老、恩田木工が治世の道について説いた『日暮硯』によったものか。 05歴ウズラジョウ・ウズラノモウシジョウ★【往来物】8 SE00601
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★〈甲申新版〉英将義家往来[〈首書絵抄〉英将義家往来](2種) 【作者】十返舎一九作・序。歌川国安画
¥4,000
★〈甲申新版〉英将義家往来[〈首書絵抄〉英将義家往来](2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦223・218粍。 【作者】十返舎一九作・序。歌川国安画。 【年代等】文政6年3月刊記。文政7年刊。[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。 【備考】分類「往来物」。題簽の異なる2種を全冊収録した(冒頭の1本の刊記は別本のコピー)。冒頭に絵題簽のみを掲げた。十返舎一九が著わし、江戸書肆・山口屋藤兵衛が出版した一連の伝記型往来の一つ。義家の事跡よりも、彼の逸話や伝説を中心に綴るのが特色。日照りによって軍勢が窮地に立たされ、伊勢大神宮に祈願した途端に清泉が涌出した故事を始め、騎射や和歌に通じ、一たび怒れば鬼神の如く、逆に笑顔の時は女性のように柔和であったという人物像、また、飛雁乱行で敵の伏兵を知る兵法の達人ぶりなど、義家の人物像や神格化された側面が強調されて綴られており、源氏一門には名将が多いが、特に義家は「源氏累世群之名将」であり、生涯の勲巧は枚挙に遑がないと讃える。末尾を「恐惶欽白」で結ぶように準漢文体書簡を装った本文を大字・5行・付訓で記す。なお、頭書には本文とは無縁の「四民之略訳」「男女之訳」「僧官之次第」等の記事を載せる。 05歴エイショウヨシイエオウライ(2種)★【往来物*一九絵題簽】27 SE00602
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★〈甲申新版〉栄達足利往来(3種) 【作者】十返舎一九作・序。歌川国安(安次郎・一鳳斎)・歌川国丸(一円斎・五彩楼・軽雲亭・彩霞楼・朝霞楼・翻蝶庵)画
¥4,000
★〈甲申新版〉栄達足利往来(3種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦216・223・248粍。 【作者】十返舎一九作・序。歌川国安(安次郎・一鳳斎)・歌川国丸(一円斎・五彩楼・軽雲亭・彩霞楼・朝霞楼・翻蝶庵)画。 【年代等】文政6年3月刊記。文政7年刊。[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。 【備考】分類「往来物」。刊本2種と書を含む手習本1種の合計3種をそれぞれ全冊収録した。冒頭に絵題簽のみを掲げた。本書は、足利尊氏の武将としての生涯を題材にした往来。江戸書肆・山口屋から出版された一連の伝記型往来の一つ。十返舎一九はこれらの作品群の中で数々の名将の事蹟や人物像を紹介したが、近世以来「忠臣」とされた楠木正成や新田義貞らのほかに、朝敵とされた「足利尊氏」にも焦点をあてている点は興味深い。冒頭で彼の出生に触れ、続いて、元弘の乱で北条高時を裏切って京都に乱入して六波羅を陥落させてからの彼の戦乱の歴史を概説し、最後に、新田義貞の戦略や楠木正成の智謀を打ち破ってついに京都室町に幕府を開き、万民が安堵の床に臥し、万歳千秋の楽しみを極めるに至ったと結ぶ。本文を大字・5行・付訓で記し、末尾が「恐々欽白」で終わる書翰風の文章で綴る。頭書には、本文とは無縁の暦占関係の記事(「十二支指掌図」「六壬時のうらなひ」「病算うらなひ」「厄歳之心得」など)を載せる。 05歴エイタツアシカガオウライ(3種)★【往来物*一九絵題簽】48 SE00603
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永楽古状揃大全(5種) 【作者】不明
¥5,800
永楽古状揃大全(5種) 【判型】大本1冊。収録順に縦259・262・258・261・261粍。 【作者】不明。 【年代等】天明3年初刊。文政9年再刊。天保4年求板。[名古屋]永楽屋東四郎板。 【備考】分類「往来物」。天保4年求板本以下、永楽屋板の諸本5種(本文無訓本・付訓本)を収録(天保板2種と明治元年板のみ全冊収録し、他は抄録)。冒頭の天保4年求板は、色刷り模様表紙。『古状揃』は近世初頭に『今川状』を中心に『腰越状』『含状(義経含状)』『弁慶状』『直実送状』『経盛返状』『曽我状』『大坂状』などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』『風月往来』などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。天保4年板(本文無訓本)には、今川状・手習状・腰越状・義経含状・弁慶状・熊谷状(送状)・経盛返状・大坂進状・同返状の9状を収録し、巻頭に「今川系図書」「天満宮御生涯伝」、頭書に「早道童子宝絵抄并字尽」等を掲げるが、本文付訓本とは前付や頭書記事が異なる。 05歴エイラクコジョウゾロエタイセン(5種)【往来物】145 SE00604
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絵本古状揃[絵本古状揃注釈](3種) 【作者】静斎寿山(北江老漁)作。歌川国直(浮世庵・一楊斎・後素園・柳烟亭)・柳川重信2世(谷城重信・清允・子義・雪蕉斎・松影)画
¥3,920
絵本古状揃[絵本古状揃注釈](3種) 【判型】中本1冊。収録順に縦180・180・180粍。 【作者】静斎寿山(北江老漁)作。歌川国直(浮世庵・一楊斎・後素園・柳烟亭)・柳川重信2世(谷城重信・清允・子義・雪蕉斎・松影)画。 【年代等】天保15年1月刊記・弘化3年初刊([江戸]平林屋庄五郎(収文堂・平林堂)板)。江戸後期後印(刊行者不明)。安政4年再刊([江戸]平林屋庄五郎(収文堂・平林堂)板)。 【備考】分類「往来物」。同板3種を収録した。『古状揃』から「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」の四状を抽出して平易な注釈と挿絵を加えた往来。序文に、これらの古状のうち前二者は教訓の書であるが、後二者は同一人が古人の事蹟に擬してみだりに作ったものと推測する。本文を大字・5行・付訓で記し、ほぼ単文毎に割注を施す。注釈は単なる語注に止まらず、行間に込められた意味や、人物の事跡、また歴史的背景、当時の状況などにも言及した箇所もあり、数行あるいは数丁にわたって述べる。また、本文中の所々に、今川了俊・青砥藤綱・弘法大師・源義経らの略伝や逸話を紹介するほか、「文字の権輿」「入木道の由来」「臨池の古事」など関連の記事を絵入りで掲げる。なお、本書は間もなく増補され、『絵本古状揃注釈』(2巻2冊)の書名で再刊されたが、その奥書により「今川状」「手習状」の挿絵は歌川国直画、「腰越状」「含状」は柳川重信画と判明する。 05歴エホンコジョウゾロエ・エホンコジョウゾロエチュウシャク(3種)【往来物】98 SE00605
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沿革五言(2種) 【作者】高見沢茂(子公・三驚・過矣斎・天籟逸人)作・序
¥2,000
沿革五言(2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦225・225粍。 【作者】高見沢茂(子公・三驚・過矣斎・天籟逸人)作・序。 【年代等】明治6年4月自序・刊。東京]大和屋喜兵衛(宝集堂)板。 【備考】分類「往来物」。「国脉帰凋瘵、名実両相失、嗚呼非偶然、蓋是有自来、及外戚秉釣、子孫世卿相、后皆其女子、帝乃為外孫…」で始まり、「…文教日々明、風俗月々開、盟邦十余州、四海皆兄弟、傑立東洋中、可娩美西国、偉哉億兆民、浴自主自由」と結ぶ4言386句の文章で、貞観期から明治期までの約1000年の皇統の歴史を略述した往来。貞観以降、皇位継承と摂関家の権力抗争が続いた保元・平治期に一度は衰弱した皇室が大政奉還によって復活するまでの経緯を述べたものであり、作者はこの事実を「偶然に非ず」と序文で述べる。本文を大字・5行・無訓で記す。4言1句の文章は諳誦しやすくするためであり、同種の往来に坂昇平作、明治6年刊『〈本朝〉沿革五字史』(内題「沿革五言」とするが全くの別内容)や、高見沢茂作、明治6年刊『〈帝王〉歴代五言』がある。 05歴エンカクゴゲン(2種)【往来物】33 SE00606
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★〈新板〉大坂状絵抄(仙台板・3種) 【作者】不明
¥2,800
★〈新板〉大坂状絵抄(仙台板・3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦263・250・260粍。 【作者】不明。 【年代等】いずれも江戸後期刊で仙台板。うち1本は[仙台]伊勢屋半右衛門板。 【備考】分類「往来物」。仙台板3種を全冊収録した。『大坂状絵抄』は、『大坂状』の本文を6行・付訓で記し、上欄頭書に本文の要語解と図解を掲げたもの。『大坂状』は、大坂冬の陣の開戦にあたり、徳川家康が豊臣秀頼に送った挑戦状としての「大坂進状」と、秀頼から家康に宛てた受諾状としての「同返状」という2通の擬古状から成る往来物。寛永2年1月筆写の『古状揃』に含まれており、かなり早くから成立していた模様であるが、現存する初期刊本に江戸板が多いことから、あるいは江戸で先に出版されたものか。文中、「家康表裏侍」など、一見、当時としては不穏当な文言が見えるものの、草双紙の取り締まりが厳しくなる江戸後期に至っても引き続き同じ文句が載せられており注目される。 05歴オオサカジョウエショウ-シンパン(仙台板・3種)★【往来物】18 SE00609
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★〈長生利潤・応得此書〉花墨新古状揃万季蔵(3種) 【作者】十返舎一九作。北尾重政初世(中村太郎吉・非羸・繁昌・紅翠斎・碧水・北峰)画。西村屋与八(永寿堂)序
¥4,000
★〈長生利潤・応得此書〉花墨新古状揃万季蔵(3種) 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】十返舎一九作。北尾重政初世(中村太郎吉・非羸・繁昌・紅翠斎・碧水・北峰)画。西村屋与八(永寿堂)序。 【年代等】文化元年5月刊。[江戸]西村屋与八板。 【備考】分類「往来物」。同板別本2種を抄録した。江戸中・後期に広範に流布した『古状揃』にならって十返舎一九が新たに編んだ古状集。いずれも『古状揃』と同様に歴史的人物の重要な事件をモチーフにした架空の書状だが、特に本書は頭書に当該人物の略伝を載せることにより、古状の内容をより理解しやすいものとしている(この点は『忠臣往来』も同様)。収録古状は、道真が臨終間際に書いたとする「謫者菅原通実謹而奉天奏旨趣」、15カ条から成る「楠正成壁書」、朝敵平維盛との対戦を前に義仲が八幡大菩薩に祈願した際の「木曽之願状」、鬼界が島に配流されていた平康頼らを平重盛が大赦した書状「安頼・成常赦免状」を始め、以下、「土佐坊起請文」「弁慶勧進状」「平手政秀諌状」「清水宗治、羽柴秀吉に送る書翰」「同返状」「秀吉公、光秀へ送る口達の書」「同返状」までの11状を収録する。本文を大字・6行・付訓で記す。巻末に、徳目を薬種にたとえて綴った「豊太閤御制法人間一生安泰丸」を掲げる。 05歴カボクシンコジョウゾロエマンネングラ(3種)★【往来物】46 SE00611
東京都公安委員会許可
第308942220838号
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