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〈当流〉小うたひ〈百三十一番〉
¥700
〈当流〉小うたひ〈百三十一番〉 【判型】半紙本1冊。縦220粍。 【作者】不明。 【年代等】安政年間刊。[江戸]上州屋政次郎板。 【備考】分類「謡曲」。 SE02752
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校正幽囚録(明治2年)
¥2,000
校正幽囚録(明治2年) 【判型】中本1冊。縦177粍。 【作者】吉田松陰(矩方ノリカタ・寅次郎・二十一回猛士)作。 【年代等】明治2年1月刊。[長門]松下村塾蔵板。[大阪]河内屋吉兵衛売出。 【備考】分類「政治」。嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際、旗艦ポーハタン号に乗船したが渡航を拒否され、長州へ檻送された後に野山獄に幽囚された吉田松陰が、獄中で密航の動機とその思想的背景を記した書(Wikipedia参照)。/「幽囚録」では、まず、勢いが盛んであった皇朝の歴史に触れ、蒙古襲来など「古来三度の変動」を提示し、「外国人の前に膝を屈し、首をたれて、そのなすがままに任せている」現状を歎き、国勢の衰えを危惧している。そして、「下田米艦密航については、机上の空論に走り、口先だけで論議する者たちと組することはできず、黙って坐視していることはできないので、やむにやまれぬことだった」と吐露している。そして、「日本書紀」の敏達天皇の件(くだり)を提示しながら外患の問題打開の方策を述べている。問題打開の方策についての所論については、師匠である佐久間象山の建議を紹介している。たとえば、海防については、下田開港決定を聞くや、「ことに人びとは外国船が迅速で、神奈川にいても下田に退いても、江戸に対する危険性は同じだということを知らなすぎる。だから、横浜をすぐに開港場にするにこしたことはないのである。」と象山が主張したことなどを提示している。また、「京都の近くで地の利を得ているところは伏見に及ぶところはない。だから、ここに大きな城をつくって幕府をおき、皇都としての京都を守るべきである。」など、松陰の立案は地勢を論じながら、兵学校の設置、艦船の建造、参勤交代の艦船利用、蝦夷地の開拓と幅広い提案を展開している(ウィンベル教育研究所HP参照)。SE02751
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好色閻魔歌舞記[〈好色〉ゑんまかぶ記・新小夜嵐]
¥2,720
好色閻魔歌舞記[〈好色〉ゑんまかぶ記・新小夜嵐] 【判型】横本3冊(全6巻中の2・3・6巻)。縦129粍。 【作者】西沢一風作カ。 【年代等】宝永6年6月刊。[大阪]油屋平右衛門ほか板。 【備考】分類「浮世草子」。6巻刊記に西沢一風作『傾城伽羅三味線』の広告(広告文で「今年七月に出来」とあるため、『傾城伽羅三味線』の刊年も宝永6年刊と判明する)があるため同じ作者と思われる浮世草子。他に所蔵のない新出史料のため全体の構成は不明だが、2巻は「地獄の釜、明方の景色」「娑婆と冥途の盗人」「閻魔王の色あそび」の3章。3巻は、「葬頭川の姥桜」「恋の身替、平野や岩」「五鬼前鬼坊が行力」の3章。6巻は、「亡者が原大合戦」「我身の悪を見るめ、かぐはな」「丹前六法弘誓の舟」の3章。SE02750
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江城日誌(第14号慶応4年5~6月)
¥700
江城日誌(第14号慶応4年5~6月) 【判型】中本1冊。縦174粍。 【作者】明治政府編・刊。 【年代等】慶応4年刊。官板。[江戸]和泉屋市兵衛売出。 【備考】分類「日誌・記録」。新政府が佐幕派の新聞に対抗して発行した日誌の一つで、現在の「官報」の前身。各種布告類などを収録する。『江城日誌』 は江戸に入城した大総督府および江戸鎮台の公報で、前篇および第1~15号の全16冊。『江城日誌』 には江戸版と京都版があるが、本書は江戸板。慶応4年6月の太政官布告から、明治2年2月の「新聞紙印行条例」発布までちょうど8か月間、暗黒時代の江戸においては官版日誌類のみが公に報道機関の役割をつとめていた。第14号には、慶応4年5月、「小田原出張軍監ヨリ之伺書ヘ附札之写」から、同年6月「小田原ヨリ届之写」までを収録。SE02749
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庚子道の記
¥700
庚子道の記 【判型】大本1冊。縦272粍。 【作者】鈴木武女(白拍子武女)作。清水浜臣校・跋。村田春海・橘千陰序。 【年代等】享保5年春作。文化4年9月、清水浜臣跋。文化6年頃刊。[江戸]英平吉ほか板。 【備考】分類「紀行」。徳川宗春に寵せられ尾張より江戸に従う紀行文。尾張藩名古屋に数年間客居した女性が、花の頃合、故郷の方へ帰る折の道中の記。藩の公旅に同道しての帰途であるが、道中の名所土地柄への興味とともに、かつて東海道を行き来した折の思い出や、尾張名古屋を離れることの名残惜しさと故郷への念など、個人的な感慨が綴られる。『伊勢物語』『十六夜日記』など、古典の知識も深く、折にふれて和歌を詠み、物事に対する批判的な評もあり、作者武女の人柄が感じられる紀行文である(奈良女子大学学術情報センターHP)。 /武女は、江戸時代中期の紀行文作者で、戸田の佐々目(笹目)の出身といわれています。 尾張徳川家に仕えていました。『庚子道の記』は「武女紀行」「武女道の記」とも呼ばれる紀行文で、尾張徳川継友の江戸下向に先行して、享保5年(1720)2月27日から3月5日までの名古屋から江戸に向かう旅を書いたものです。同書は、江戸時代の女性紀行文の代表とされ、江戸後期の国学者清水浜臣によって板行されました(埼玉県立図書館HP)。 /名古屋より江戸芝の実家へ7年ぶりに帰った際の和歌入り紀行文。清水浜臣による出典等の頭注入り。著者はもと新吉原の遊女で尾張侯に召された人。清水浜臣跋に「たゝに言葉うるはしく書あやなせるのみにあらすそのこゝろたかくおもひあかりてされたる口つきかの紫の物語清原のさうしなとをよく腹にあちはへすしていかでかはかくうまくしもいひおほすへきや」と絶賛する(西尾市岩瀬文庫・古典籍書誌DB)。 SE02748
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〈勢州鈴鹿〉孝子万吉伝(勢州鈴鹿孝子万吉伝)
¥700
〈勢州鈴鹿〉孝子万吉伝(勢州鈴鹿孝子万吉伝) 【判型】半紙本1冊。縦225粍。【作者】植村康済編・跋。上河淇水(正揚・子鷹・東海)序。【年代等】寛政元年5月作。同年同月、上河淇水序・刊。[京都]淡海治郎吉ほか板。【備考】分類「伝記」。伊勢国鈴鹿郡(すずかごおり)坂下駅(さかのしたえき)古町(ふるまち)の孝子・万吉の伝記。万吉の家は、父・市右衛門、母・久米、弟・吉次郎の四人家族で、旅人の荷物持ちを渡世とする貧家であったが、万吉が四歳の安永八年(一七七九)三月に父が急死し、さらに天明元年(一七八一)七月に弟が三歳で夭折し、母も病気がちとなる中、万吉は六歳から鈴鹿峠で簡単な荷物持ちで賃銭を稼いだ。その直後の天明三年の大飢饉では、わずかの米穀を母に与え、その残りを自ら食して飢餓を免れた。ある日、万吉と出会った武士の石川某がその至孝に感じ、万吉の案内で自宅を訪ねると、母は涙ながらに万吉の孝行ぶりを語り、その武士は「天の賜物」「孝心の徳」として白銀などの褒美を使わし、随行の一行もそれぞれに合力した。以後、石川氏はたびたび万吉を訪ねて援助し、周囲にも吹聴したためますます評判が高まり、天明七年三月に褒美を拝領するまでの経緯を綴る。SE02747
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告志篇(2種)
¥1,000
告志篇(2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦252・261粍。 【作者】徳川斉昭(烈公・景山)作。 【年代等】天保4年3月作。天保4年4月、松平頼位(ヨリタカ)跋。文久3年刊。[水戸]弘道館板。 【備考】分類「教訓」。原装後印本(跋文なし)のほか、同板の早印本(跋文あり)を収録した。天保4年(1833)徳川斉昭が、自らの熱望と改革派の大きな期待の中で、初めて水戸へ帰国した際に家臣に示したもので、頼房・光圀以来の志を継ぎ、領民のために尽力する決意を述べたもの。また、泰平の幣を打破し、朝廷・幕府の恩沢に報いるため、日夜の努力を強調して、家臣たちの奮起を促す。文久3年(1862)に弘道館から出版され、諸国の有志に盛んに読まれて、彼らの士気を高めた(茨城県立歴史館HP)。 SE02746
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〈江州日野〉孝子善治行状(孝子善治行状聞書)
¥1,400
〈江州日野〉孝子善治行状(孝子善治行状聞書) 【判型】半紙本1冊。縦226粍。 【作者】門坂善太郎作・序。脇坂義堂跋。 【年代等】文化元年3月、門坂善太郎序。文化元年夏、脇坂義堂跋。文化元年6月刊。[京都]脇坂仙治郎板。 【備考】分類「伝記・心学」。SE02744
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孔子正学竜園正名録[孔子正学正名録]
¥4,880
孔子正学竜園正名録[孔子正学正名録] 【判型】大本4巻付録1巻5冊。縦265粍。 【作者】座光寺南屏(源為祥タメヨシ・三蔵)作・序。山本定之(南城)・小池益(八華)校。 【年代等】天明5年6月自序。寛政11年5月、山本定之(子正)序。寛政11年6月、小池益(子方)跋。寛政11年6月刊記。寛政12年1月、平紀雄(天竜)序・刊。[甲州八代郡市川]座光寺三蔵蔵板。[江戸]足利屋勘六売出。 【備考】分類「漢学」。袋綴じ展開収録。「正名(名をただすこと。名称を正すこと。大義名分を明らかにすること。孔子が国家を治める手段として君臣父子の名分を正すことを重視したことから、儒学では正名論が盛んであった)」、すなわち、事物の実質を正確に認識する称呼を保持することを重視する立場から儒学上の重要な概念を述べた書。1巻は、「道徳」「仁義」「智」「聖」「孝弟」「忠信」の6項。2巻は、「礼楽」「恕誠」「中庸衷」「公私」「正直」「善良」「恭敬」「謙譲遜不伐」など11項。3巻は、「元亨利貞」「天命」「太極」「妙」の4項。4巻は、「五行」「鬼神」「性情」「才」「心」「志」「意」「思慮」など21項。5巻(付録)は、「名辯」「博辯」「和漢音義東韻二則」の3項。以上、合計45項について述べる。また、本書1巻見返に「此書は学問の大秘密、天帝の法言を、先王文字に制し、孔子の大聖なるも述而不作所の正名に而、後儒の猥に自作して王制の教を不免所の正名に異なれば、読人学問神妙不測に入て、二千年来、和漢の諸大儒の不知聖々その意を知り、或は聖人伝来の説と後世自作の説と不分を分、或は聖言の注疑はしく何れの書にも無之を覚知して知天、知恥、言行不制して慎み至り、君子の儒、万物の霊たるを各自得し給ふべし」と記す。なお、市川南屏は市川の南屏で、市川大門の座光寺南屏をいう。南屏は文政元年に84歳で没した。南屏は、狙彿学派の大学者五味釜川の門人で、「孔子正学古正名学」という前人未発の儒学の体系を立てた。『正名録』『孔子正学竜園論語鑑』等をはじめ八十余種を著述した(北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室HP参照)。 SE02743
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孝子正助伝
¥1,400
孝子正助伝 【判型】大本1冊。縦267粍。【作者】井土鋸谷編。古屋某書。 【年代等】慶応2年12月書。【備考】分類「伝記」。筑前国宗像郡武丸村孝子・正助の伝記。筑前を代表する孝子・正助の伝記で、竹田春庵作『孝子正助伝』から山崎普山『正助略伝』まで江戸中・後期の正助関連の著作を参酌してまとめた伝記。 SE02742
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孝子庄右衛門行状聞書
¥2,000
孝子庄右衛門行状聞書 【判型】大本1冊。縦262粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期書カ。 【備考】分類「伝記」。 SE02741
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孔子事蹟図解[孔子事跡図解](2種)
¥1,480
孔子事蹟図解[孔子事跡図解](2種) 【判型】半紙本3巻3冊。収録順に縦228・227粍。 【作者】小林高英(小林新兵衛・嵩山房)編。瑞陽口述。天民・鸞洲画。 【年代等】文化2年7月、張府里景龍序。文化2年7月自跋。文化2年10月刊。[江戸]小林新兵衛(嵩山房)板。 【備考】分類「伝記」。SE02740
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孝子奇特を書出
¥1,400
孝子奇特を書出 【判型】大本1冊。縦249粍。 【作者】不明。 【年代等】文政10年2月書。 【備考】分類「伝記」。享和2年~文化4年の鹿植郡鹿植村百姓与兵衛の嫡子・与左衛門に関する公文書類の記録。全7丁。 SE02739
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孔子一代記[大聖伝・孔子一世大聖画伝]
¥1,620
孔子一代記[大聖伝・孔子一世大聖画伝] 【判型】半紙本5巻4冊。縦226粍。 【作者】岩瀬有済(山東京伝・岩瀬醒・北尾政演)作。北尾紅翠斎(北尾重政1世・花藍・北鄒酔放人)画。 【年代等】天保9年1月刊。[江戸]小林新兵衛(嵩山房)板。 【備考】分類「伝記」。『通俗大聖伝』の改題本。孔子の一代記を記した絵入り本。 SE02738
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好察邇言
¥1,400
好察邇言 【判型】半紙本1冊。縦233粍。 【作者】長尾赤城(井田竜・愚直翁・井田赤城)作。滕恵之助跋。 【年代等】文政2年3月、五代秀堯(文安甫)・如山序。文政2年3月、小川忠栄(伯鱗)跋・刊。建標樓蔵板。[江戸]小林新兵衛ほか売出。 【備考】分類「教訓」。「説楽不愠解(エツラクフオンノカイ)」「桃太郎説」「達旨辞(タッシノコトバ)」の3項について述べた教訓。SE02736
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〈農家必用〉耕作大益伝[〈農益〉転泉車功成略説・〈撰種〉耕作大益伝]
¥1,400
〈農家必用〉耕作大益伝[〈農益〉転泉車功成略説・〈撰種〉耕作大益伝] 【判型】半紙本1冊。縦230粍。 【作者】中山忠道(岱介)作。 【年代等】天保10年刊。[京都]中山(転泉舎)蔵板。[京都]丸屋善兵衛ほか売出。 【備考】分類「農業」。「転泉車」と呼ばれる揚水車の活用や、草木の雌雄の違い(撰種)、また、蝗害対策、地干し・掛干しなど稲束の乾燥法、豆類の撰種、種をゑる図などの概要を記した小冊子。大判の題簽に「此書は、低地の水を高地へ上げ、荒野・痩畠をも潤して田地とする揚水車(アゲミズグルマ)の功用を記し、又、五穀其外共各種芸(タネウエ)の仕方によりて、田一反に付、米二斗余の作徳余計あり。余の品も是に準じて大益ある事を記す」とある。巻末に救荒食について記した「救荒別録」を付す。 SE02735
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公裁一許事[公事訴訟取捌](宝暦7年)
¥2,480
公裁一許事[公事訴訟取捌](宝暦7年) 【判型】特大本1冊。縦282粍。 【作者】明順書カ。 【年代等】宝暦7年書。 【備考】分類「法制・記録」。「公事方御定書」とともに制定された幕府法。高塩博氏によれば、「公事方御定書」が幕府刑法の役割を果たす法典であるとすると、「公事訴訟取捌」は民事紛争を裁く実態法規を多数含んでいるので、幕府民法の役割を果たす法典であると言え、従来、民法の役割を果たす幕府制定法は存在しないものという前提で、近世法が語られてきた。本稿の考察が的を射ているならば、様々な角度から近世法の再検討が必要となる。 SE02734
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好古小録・好古日録(坤)
¥2,500
好古小録・好古日録(坤) 【判型】大本3冊(全3巻4冊中、「好古日録」乾巻欠)。縦263粍。 【作者】藤原定幹(藤井定幹・蒙斎・無仏斎)作。橘経亮序。 【年代等】小録:寛政6年序。寛政7年初刊。日録:寛政8年序。寛政9年初刊。明治初年後印。[京都]山田直三郎板。 【備考】分類「考証・随筆」。『好古小録』は上下2巻で、上巻は金石20条と書画102条、下巻は雑考57条と図録より成る。実地の調査に基づいた記述が多く、文献の記載の証拠をもとめることに終始していた当時の学者の盲点をついた、この領域での先駆的業績の一つ。『考古日録』は1巻2冊で、全119条を、本冊37条、末冊82条に分載し、印章・花押・古銭・古瓦、碑石などの石造遺物、古写本・古版本・暦本・文字、和紙の種類や製法、衣服や織物、調度や器物、ものさし・ます等に関して、実地に調査したことや、文献を参照して考察したことが述べられている(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02733
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好古小録・好古日録(明治初年)
¥3,340
好古小録・好古日録(明治初年) 【判型】大本4巻4冊。縦256粍。 【作者】藤原定幹(藤井定幹・蒙斎・無仏斎)作。橘経亮序。 【年代等】小録:寛政6年序。寛政7年初刊。日録:寛政8年序。寛政9年初刊。明治初年後印。[京都]大谷(吉野屋)仁兵衛板。 【備考】分類「考証・随筆」。『好古小録』は上下2巻で、上巻は金石20条と書画102条、下巻は雑考57条と図録より成る。実地の調査に基づいた記述が多く、文献の記載の証拠をもとめることに終始していた当時の学者の盲点をついた、この領域での先駆的業績の一つ。『考古日録』は1巻2冊で、全119条を、本冊37条、末冊82条に分載し、印章・花押・古銭・古瓦、碑石などの石造遺物、古写本・古版本・暦本・文字、和紙の種類や製法、衣服や織物、調度や器物、ものさし・ます等に関して、実地に調査したことや、文献を参照して考察したことが述べられている(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02732
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好古小録(初刊)
¥1,720
好古小録(初刊) 【判型】大本2巻2冊。縦267粍。 【作者】藤原定幹(藤井定幹・蒙斎・無仏斎)作。 【年代等】寛政6年6月、橘経亮序。寛政7年9月初刊。[京都]鷦鷯惣四郎ほか板。 【備考】分類「考証・随筆」。坤巻の冒頭部(目録等)は乱丁。『好古小録』は上下2巻で、上巻は金石20条と書画102条、下巻は雑考57条と図録より成る。実地の調査に基づいた記述が多く、文献の記載の証拠をもとめることに終始していた当時の学者の盲点をついた、この領域での先駆的業績の一つ(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02731
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皇国度制考[付録、本朝度攷弁](3種)
¥2,680
皇国度制考[付録、本朝度攷弁](3種) 【判型】大本2巻2冊。収録順に縦268・266・267粍。 【作者】平田篤胤(大壑・元瑞・玄琢)作。宮崎大門ほか校。中根師質序。宮崎大門・久保篤見・八劔興壽・高橋正緒・面川正業・戸田囶武校。付録は平田篤胤作、角田忠行校。 【年代等】天保年間、平田銕胤跋・刊。[江戸]気吹舎塾(伊吹廼舎塾)板。 【備考】分類「度量衡」。後印本2種も抄録した。屋代弘賢(輪池翁)の求めに応じて平田篤胤が著した日本古来の度量衡の制度や歴史を考証した書。『入学問答』巻末の「伊吹廼舎先生著述書目」に、「皇国度制考 三巻/此書はいにしへ八都加(ヤツカ)、八阿多(ヤアタ)、八比呂(ヤヒロ)などいひし。略度の本義は更なり。其れよりして丈(ツエ)・尺(サカ)・寸(キ)・分(キダ)などの精度の出来し本は、畏(カシコ)きや皇(スメ)大神の御長(ミタケ)より起り、其尺やがて今に伝はる曲尺(カネザシ)にて、古今その長短を訛(アヤマ)ること無く、後に令の御定めありし時に、大尺・小尺を立給ひしも、即この尺にて、かつて唐制を用ひ給へるに非ざること、また、謂ゆる呉服尺、鯨尺をはじめ、諸尺の沿革をあかし、古今の学者の度制を論じたる書数十部あれど、一人も皇朝固有の尺を知れる者なく、其論説の妄なるよしを、正史実録に徴して、悉く論辨を加へ、総論の末に『人はよしからにつくとも我が杖は、やまと島根に立むとぞ思ふ』といふ歌をよみ添られたり」と紹介されている。 SE02729
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〈皇国〉単語図解[皇国単語図解](大川堂主人)
¥2,000
〈皇国〉単語図解[皇国単語図解](大川堂主人) 【判型】半紙本1冊。縦221粍。 【作者】大川堂主人編。 【年代等】明治6年11月刊。[東京]近江屋岩次郎(誠之堂)板。 【備考】分類「近代教育」。〈皇国〉単語図解[皇国単語図解](大川堂主人) 【判型】半紙本1冊。縦221粍。 【作者】大川堂主人編。 【年代等】明治6年11月刊。[東京]近江屋岩次郎(誠之堂)板。 【備考】分類「近代教育」。江戸後期に登場した、柳河春三編の元治元年刊『商売往来絵字引(初-2編)』や『道具字引図解(初-2編)』のように、分類別の単語に図解を施した教科書。冒頭に「五十音草体」とカタカナの「五十音・濁音・半濁・二言~四言」「アルファベット(大文字・小文字)」等を掲げ、本文は下段に「天文」「地理」「家倫」「官職」「身体」「宮室」「服飾」「器用」「獣」「鳥」「魚介」「蟲」「木」「果実」の14分類に分けて単語とその図解を列挙する。また、頭書には各単語と同義の英単語の表記と読みを記す。明治6年に始まる「単語図」風の教科書であるが、升目に図解を掲げる単語図よりも江戸期の「絵字引」に似た体裁である。SE02728
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皇国賢臣諫諍録[国朝諫諍録](2種)
¥2,340
皇国賢臣諫諍録[国朝諫諍録](2種) 【判型】大本2巻2冊。収録順に縦251・259粍。 【作者】藤井懶斎(滕臧・伊蒿子・季廉)作・序。 【年代等】貞享4年8月自序。貞享4年9月、藤井理定跋。貞享5年5月初刊([京都]梅村弥右衛門板)。江戸中期再刊。[京都]文徳堂板。 【備考】分類「伝記」。後印本(書袋付き)も抄録した。『皇国賢臣諫諍録』は、日本古来の諫諍の逸話を集めた列伝書。漢文体。各伝末に典拠を注記し、「竊按…」として論評を加える。上巻:野見宿祢、大伴建日臣、壹伎直真根子、雄略天皇皇后 淳和天皇皇后附、物部守屋大連/中臣勝海連、葛野王、三輪朝臣高市麻呂、和気清麻呂、斎部宿祢広成、中納言源信/参議源弘、滋野朝臣貞主、藤原良相、菅原道真、三善清行、菅原文時、大江匡房、左大弁長方、下巻:越後能景、上総景清、藤原知家、按察光親、藤原実基、藤原藤房、垂水広信、楠正成、上杉憲春、小林時直、熊谷直純、戸次鑑連、深野康澄/宮川房勝、板垣信形、高阪晴久、平手清秀、佐佐木義秀、浅野長政、黒田如水、六角義郷。諫諍は顔を犯して諫言すること(西尾市岩瀬文庫HP参照)。 SE02727
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皇国開闢由来記[大日本国開闢由来記]
¥3,520
皇国開闢由来記[大日本国開闢由来記] 【判型】半紙本6巻4冊。縦230粍。 【作者】平野元良(平野重誠シゲマサ・指漏漁者・革谿カクケイ道人・桜寧居士)作。歌川国芳(伊草孫三郎・一勇斎・朝桜楼)画。宮城玄魚・一木二夕・山口楽園書。朝倉伊八彫刻。 【年代等】安政3年2月、指漏漁者凡例。安政3年冬、一夢道人序。安政3年7月彫刻。安政5年4月、指漏漁者跋。万延元年9月初刊。明治初年後印。[名古屋]片野東四郎板。SE02725
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)