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★〈久保季茲・伊藤信興合著〉太陽暦略註解 【作者】久保季茲・伊藤信興編。林立守序
¥4,000
★〈久保季茲・伊藤信興合著〉太陽暦略註解 【判型】中本1冊。縦171粍。 【作者】久保季茲・伊藤信興編。林立守序。 【年代等】明治11年1月刊。[東京]頒暦商社(林立守)板。 【備考】分類「往来物」。太陽暦における祝祭日や暦目などの暦関連事項を解説した教科書。前半の「御祭祀略註解之部」は「御祝祭日ノ由縁、御歴代ノ御名、在位年数、山稜所在等」で、久保が「開知新聞欄内典拠ノ条、史略類、並ニ帝王略譜、歴朝大綱ナド」を参酌してまとめたもの。また、後半の「暦要略註解之部」は、「紀元」「平年・閏年」「大月・小月」、「冬至」「小寒」「大寒」「春分」等の主要な暦占用語を伊藤氏が集めて解説したもの。 09理タイヨウレキリャクチュウカイ★【往来物】36 SE01078
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塵劫記(仮称、玉野屋新右衛門板) 【作者】不明
¥1,400
塵劫記(仮称、玉野屋新右衛門板) 【判型】中本1冊。縦184粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期刊。[名古屋]玉野屋新右衛門板。 【備考】分類「和算」。『塵劫記(仮称)』(玉野屋新右衛門板)は、全12丁の簡易な和算書。巻頭に「まゝ子ざん図」「銀づかひの早割」「九九のかず」を掲げ、続いて、本文欄に「相場物之買の事」「ねづみざんの事」「かけてわれるさんの事」「二割之図」~「九割之図」、「同掛算」「見二図」~「見九図」、「わりてかけるさんの事」「諸物軽重の事」「大数の名の事」「小数の名の事」「粮の数の名の事」「田数の名の事」、また、頭書に「いれ子ざん」「杉形積俵のかずをしる事」「油売買の事」「油はかりわくる事」「田畑間数名の事」「銀相場わり」「もめんうりかひの事」ほかを載せる。また、裏表紙見返しに「銀相場割」「銭相場割」の一覧を掲げる。 09理ジンコウキ(仮称、玉野屋新右衛門板)【和算】17 SE01069
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〈童蒙必携〉新十二月帖(2種) 【作者】河村祐吉作。小島巌書。蘭畦序
¥2,800
〈童蒙必携〉新十二月帖(2種) 【判型】半紙本2巻2冊。収録順に縦228・225粍。 【作者】河村祐吉作。小島巌書。蘭畦序。 【年代等】明治7年9月官許。明治7年12月刊。[大津]秋香書屋蔵板。琵琶湖新聞会社ほか売出。 【備考】分類「往来物」。早印本と後印本の2種を収録(巻頭色刷り題字を欠く後印本は抄録)。「太陽回暦、四海各国新禧一般至祝無彊」という本文の左側にさらに「トシノハジメ、イヅクモメデタク、イチドウイハヒ、カギリナシ」という、旧来の例文に相当するよみを示す。24通の例文中、国旗掲揚、紀元節などの新しい習慣に触れた箇所があるが、全体としては、神道に由来する様々な行事を、人々の耳目を引く太陽暦採用という出来事を背景に若干の新味を出しつつ、手紙文例の形をとりながら説明しようとしたものであろう。太陽暦採用間もない頃、二月の手紙に「今日立春、東風解氷…」とあるのは、確かに異様に感じられたであろう。本文を大字・4行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。 09理シンジュウジガツジョウ-ドウモウヒッケイ(2種)【往来物】87 SE01070
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★神統倭文章 【作者】高井蘭山校。葛飾北馬画
¥2,800
★神統倭文章 【判型】中本1冊。縦187粍。 【作者】高井蘭山校。葛飾北馬画。 【年代等】文化元年秋作・刊。[江戸]花屋久治郎板。後印本に[江戸]山口屋藤兵衛板あり。 【備考】分類「往来物」。日本は神国であり、日本人たるものは神道を学ばなくてはならないとの前提で、本来一つの神道が3種に分かれるに至った経緯や、「王法即神道」の所以、また、神を拝する者の心得などを書き記した往来。まず、天神七代・地神五代の二所宗廟、軍神などについて述べ、さらに「唯一宗源の神道」「両部習合の神道」「本跡縁起神道」の三種の神道は中古に王法が衰えて異端が盛んなために生じた違いであって、その根本は一つであると説く。また、王法と神道が一致するのは「政」と「祭」の訓が同じことからも明白であること、三種の神器の神璽・宝剣・神鏡はそれぞれ仁・勇・智の三徳を示し、この3つは王法には欠かせないものであること、さらに「祓」「神書」また神の拝し方や神社の正統などを述べ、最後に、神に向かう時は「唯心を清く正直にして」「鏡の如くなる心」で拝むことが大切であると諭す。「夫、吾朝者、神国也。凡生於日本者、不可不学神道…」で始まる本文を大字・5行・付訓で記す。巻頭に「天磐戸之図」、頭書に「年中略神事」(三丁表まで)を掲げる。 08社シントウヤマトブンショウ★【往来物】16 SE01002
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〈童蒙必読〉新聴用往来(3種) 【作者】河村貞山(与一・白巌・欽)作・書
¥2,960
〈童蒙必読〉新聴用往来(3種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦225・226・226粍。 【作者】河村貞山(与一・白巌・欽)作・書。 【年代等】明治5年11月題言。明治6年5月刊。[京都]杉本甚助ほか板。 【備考】分類「往来物」。後印本を含め3種(後半2種は抄録)を収録。また、冒頭に書袋を収録した。天保5年刊『新幼学往来(聴用往来)』と同様の趣向で近代社会生活周辺の用語・心得を記した往来。『官途必携』『布告全書』等から、維新後の公私通用の語彙を抽出する。「夫、人民、稟生於天地間、種族分派すといへども、孰も銘々分限之作業ありて、積功、食力ものなれば、一日も空手・座食して徒に費光陰を…」で始まる文章で、まず幼時から青年期の学問や生き方、家業・企業、選挙、時事経済、経営、金融、祭礼、救民、神官・僧侶について触れた後、訴訟を中心とする社会生活関連語を列挙する。本文を大字・五行・付訓で記し、難解語句に左訓や語意を付す。巻末の広告には、本書を暗誦すれば「対話(ハナシ)談論(ワウタイ)のときにあたりて、流行語(ハヤリコトバ)に富み、口誼爽利(コウジヤウサハヤカ)にして、文盲不弁の毀嘲(ワルクチ)を免るべき」書であるといい、実際そのような便宜があったのではないかと推察される。巻頭に、色刷り口絵「聴訟折獄之図」を掲げ、頭書に「内国郡名并名産大概」「府県名」「大日本国周囲里程」「戸券状御定書」「司法省并府県庁御官員大概」「裁判所訴訟書写」「証拠物」「八算之除声」「見一九段」「数目大概」等を載せる。 08社シンチョウヨウオウライ(3種)【往来物】74 SE01001
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★新式目 【作者】不明
¥4,960
★新式目 【判型】大本2巻合1冊。縦260粍。 【作者】不明。 【年代等】明暦2年3月刊。[京都]村上平楽寺板。 【備考】分類「往来物・制法」。 08社シンシキモク(明暦2年)★【往来物・法制】62 SE01000
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鶏秋帖(大谷永庵・1種) 【作者】大谷永庵(業広)書
¥2,000
鶏秋帖(大谷永庵・1種) 【判型】特大本1冊。縦310粍。 【作者】大谷永庵(業広)書。 【年代等】明和8年5月書。寛政5年5月、大路延貞(黙斎)序・刊。[京都]大文字屋勝助(文盛堂)板)。 【備考】分類「往来物・書道」。大路氏の所望により永庵が認めた書道手本。「鶏漸散間秋色少、鯉常趨処晩拝微」「あきゝぬとめにはさやかにみえねども、かぜのをとにぞおどろかれぬる」以下の詩歌68編(漢詩文・和歌とも各34編)を大字・3行(漢詩文)または4行(和歌)・無訓で記す。 08社ケイシュウジョウ(大谷永庵・1種)【往来物・書道】39 SE00999
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白峯銀山目安[奥州会津目安・越後銀山返答](江戸中・後期) 【作者】不明
¥1,000
白峯銀山目安[奥州会津目安・越後銀山返答](江戸中・後期) 【判型】特大本1冊。縦295粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期書。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。なお、底本は「返答」が前に合綴されているため、本来の順に改めて収録した。また、「返答書」末尾に「宇津野村扣」と記す。宇津野村は、越後国北魚沼郡で、現在の新潟県魚沼市。『白峯銀山目安』は、目安往来物(一揆訴状類を手習本として使用した往来物)の一つ。銀山平(新潟県と福島県にまたがる只見川上流の谷底平野)での境界論訴訟の返答書を手習本としたもの。寛永18(1641)年銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3(1646)年に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ06(江戸中・後期)【往来物】30 SE00998
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銀山目安[奥州会津銀山目安](江戸中期) 【作者】不明
¥2,000
銀山目安[奥州会津銀山目安](江戸中期) 【判型】特大本1冊。縦293粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸中期書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ05(江戸中期)【往来物】28 SE00997
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越後会津銀山目安(享保11年) 【作者】不明
¥1,400
越後会津銀山目安(享保11年) 【判型】特大本1冊。縦290粍。 【作者】不明。 【年代等】享保11年2月書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。底本は、表紙に「小出嶋組湯中居村(新潟県魚沼市上折立)持主、冨永喜助」、裏表紙に「越後魚沼郡藪神庄小出嶋組」と記す。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ04(享保11年)【往来物】25 SE00996
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白峰銀山目安[銀山御目安写・会津目安](享保2年) 【作者】坂和庄吉書(*越後国魚沼郡目来田村(もくらいでんむら*「木来田」とも)在住)
¥1,400
白峰銀山目安[銀山御目安写・会津目安](享保2年) 【判型】特大本1冊。縦287粍。 【作者】坂和庄吉書(*越後国魚沼郡目来田村(もくらいでんむら*「木来田」とも)在住)。 【年代等】享保2年2月書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。底本は、越後国魚沼郡目来田村(現・新潟県南魚沼市)で使用された手習本。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ03(享保2年)【往来物】17 SE00995
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会津目安・同返答書[白峯銀山目安](正徳3年) 【作者】高田越後少将上総介御内御役人書
¥2,000
会津目安・同返答書[白峯銀山目安](正徳3年) 【判型】特大本1冊。縦295粍。 【作者】高田越後少将上総介御内御役人書。 【年代等】正徳3年1月書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。筆者は底本最終丁の書き入れによるが、これは越後魚沼郡宮村で使用された手習本。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ02(正徳3年)【往来物】33 SE00994
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越後返答[白峯銀山目安返状・指上申目安返答書](宝永5年) 【作者】安藤某書カ
¥1,400
越後返答[白峯銀山目安返状・指上申目安返答書](宝永5年) 【判型】特大本1冊。縦295粍。 【作者】安藤某書カ。 【年代等】宝永5年1月書。 【備考】分類「往来物」。『白峯(しらぶ)銀山目安[会津目安・越後返答]』は、越後・会津国境に位置する上田銀山(新潟県魚沼市*旧湯之谷(ゆのたに)村。奥只見湖中に水没)の帰属をめぐる争論において、寛永19年4月に会津側百姓等が幕府に提出した訴状と、それに対する越後側百姓等の同年7月返答書からなる目安往来物(上田銀山をめぐる争論は、幕府の裁許状では、数多い証拠から越後側の主張を正当とし、越後側の勝訴で決着)。本往来は『白岩目安』の影響下に生まれたもので、さらに本往来から派生的に『羽倉目安』が誕生したと考えられる。/新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永18年(1641)銀山が発見され、翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり、正保3年(1646)に今日のような両県の境界が確定した(コトバンク参照)。底本は現存最古本。 08社シラブギンザンメヤス・アイヅメヤス・エチゴヘントウ01(宝永5年)【往来物】17 SE00993
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郡中法之条々[郡中法度之条々](文政7年・信州諏訪立沢村) 【作者】矢野沢蔵次郎書
¥2,000
郡中法之条々[郡中法度之条々](文政7年・信州諏訪立沢村) 【判型】大本1冊。縦268粍。 【作者】矢野沢蔵次郎書。 【年代等】文政7年3月書。 【備考】分類「往来物・法制」。袋綴じ展開収録。文政7年に信州諏訪地方(裏表紙に「信州諏訪立沢村」と記す)に布達された条々を認めた手習本。第1条「公儀御法度之趣堅可相守事」、第2条「駅宿之儀、公用不及申、軽キ飛脚等ニ至るまで、不依昼夜、人馬無遅滞可出之事」以下、全24カ条を大字・3行・無訓で記す。 08社グンチョウホウノジョウジョウ・グンチュウハットノジョウジョウ(文政7年・信州諏訪立沢村)【往来物・法制】40 SE00911
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★御誓文大意(明治5年) 【作者】萩原正平作・序・跋
¥4,000
★御誓文大意(明治5年) 【判型】半紙本1冊。縦233粍。 【作者】萩原正平作・序・跋。 【年代等】明治5年11月自序。明治5年冬刊。[伊豆三嶋]三嶋神社蔵板。小西又三郎ほか売出。 【備考】分類「往来物」。慶応4年3月14日に明治天皇が京都紫宸殿において発表した、いわゆる『五か条の誓文』の趣旨と箇条の内容を1字1句漏らさず、日常卑近な譬えを引きながら詳しく解説した衍義書。冒頭でこの誓文を「御政体の基本、御一新の目的と致すべき至て大切なる御文でござる…」と紹介するように、口語体で平易に徹した長文の解説を付す。本文・注釈文ともやや小字・9行・付訓で記し、比較的難解な語句に左訓を施す。また、巻末広告に『御宸翰大意』近刻の旨を記す。なお、作者は三嶋神社少宮司兼大講義。 08社ゴセイモンタイイ(明治5年)★【往来物】31 SE00958
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★〈御誓文・御震翰・三枚御高札〉御写 【作者】編者不明
¥4,000
★〈御誓文・御震翰・三枚御高札〉御写 【判型】半紙本1冊。縦232粍。 【作者】編者不明。 【年代等】明治6年3月刊。[京都]村上勘兵衛(邨上勘兵衛・平楽寺)板。 【備考】分類「往来物・法制」。「御誓文之御写」「御震翰之御写」「三枚御高札之写」から成る手本。「御誓文之御写」はいわゆる「五カ条の誓文」で、明治天皇が慶応4年3月に京都紫宸殿で発表した新政府の方針で「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決ス可シ」で始まる5カ条と後文から成るもの。「御震翰之御写」は「朕幼弱を以て猝(にわか)に大統を紹(つ)ぎ、爾来、何を以て万国に対立し、列祖に事へ奉らんやと、朝夕恐懼(きょうく)に堪ざる也…」で始まる天皇の所信表明の宸翰。また「三枚御高札之写」は慶応4年3月の三高札である(『三御高札』に同じ)。それぞれ大字・4行・無訓で記した後、巻末に小字・8行・付訓の読方を付す。 08社ゴセイモン・ゴシンカン・サンマイゴコウサツ-オンウツシ★【往来物・法制】41 SE00957
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〈安永癸巳秋鬻始〉御成敗式目両点附(宝暦12年・2種) 【作者】不明
¥2,000
〈安永癸巳秋鬻始〉御成敗式目両点附(宝暦12年・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦264・262粍。 【作者】不明。 【年代等】宝暦12年1月刊。[江戸]山崎屋清七求板。 【備考】分類「往来物・法制」。同板別本も抄録した。『御成敗式目』の本文を大字・6行・付訓(両点)で記した往来物。巻頭に「御成敗式目序」として御成敗式目の由来と挿絵を掲げ、頭書に「畜獣」「禽鳥」「龍魚」の挿絵と解説を施す。『御成敗式目』は、貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)を始め約25種の注釈書が刊行されている。 08社ゴセイバイシキモクリョウテンツキ-アンエイミズノトミ(キシ)ヒサギハジメ(宝暦12年・2種)【往来物・法制】45 SE00956
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〈尊円大字〉御成敗式目[〈謬字改正〉御成敗式目・貞永政要御成敗式目](天明7年・3種) 【作者】北条泰時編
¥2,000
〈尊円大字〉御成敗式目[〈謬字改正〉御成敗式目・貞永政要御成敗式目](天明7年・3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦263・257・257粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】天明7年再刊。[江戸]西村屋与八板。 【備考】分類「往来物・法制」。天明板とその後印本、また、文政8年再刻本の3種を収録(天明板早印本を袋綴じ展開収録で全冊収録し、他を抄録)。「御成敗式目」は、貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年8月板とそれに続く慶長板は、近世に夥しく流布し刊本の源流となった。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年刊『式目抄』、寛文9年刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。底本は、「式目」の本文を大字・6行・無訓で記し、頭書に「四計之語并注解」「〈真字訓点〉千字文」「万宝字尽」を載せる。 08社ゴセイバイシキモク-ビョウジカイセイ(天明7年・3種)【往来物・法制】50 SE00955
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〈新刻頭書〉御成敗式目(天明4年・西村板) 【作者】北条泰時編
¥2,000
〈新刻頭書〉御成敗式目(天明4年・西村板) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】北条泰時編。 【年代等】天明4年1月刊。江戸後期後印。[江戸]和泉屋市兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物・法制」。貞永元年7月制定、同8月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全51カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表11名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで20種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応2年(1289)書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年(1312)書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永4年12月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄2年(1529)8月板とそれに続く慶長板は近世に夥しく流布し刊本の源流となった。大永板・享禄板ともに楷書・大字・7行(前者は行間無界、後者は有界)で記す。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約190種のほか、天文3年(1534)刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永21年(1644)刊『式目抄』、寛文9年(1669)刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』、杉村次兵衛注・元禄6年(1693)刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』、元禄12年刊『式目諺解』、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』など約25種の注釈書が刊行されるに及んだ。 08社ゴセイバイシキモク-シンコクカシラガキ(天明4年・西村板)【往来物・法制】34 SE00954
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〈貞永天下〉御成敗式目(天明2年板ほか4種) 【作者】北条泰時編
¥2,080
〈貞永天下〉御成敗式目(天明2年板ほか4種) 【判型】大本1冊。収録順に縦263・257・255・259粍。 【作者】北条泰時編。【年代等】天明2年8月再刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。続けて、文化11年10月再刊([江戸]鶴屋喜右衛門板)、文化板題簽違い本、天保13年11月求板([江戸]菊屋幸三郎板)の3本を抄録。 【備考】分類「往来物・制法」。題簽題は冒頭2本が同じで、3本目が「〈錦耕堂上梓〉御成敗式目」、4本目が「〈謬字改正〉御成敗式目」。 08社ゴセイバイシキモク-ジョウエイテンカ(天明2年板ほか4種)【往来物・法制】52 SE00953
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御成敗式目鈔[御成敗式目抄・式目抄・式目之抄] 【作者】不明
¥2,240
御成敗式目鈔[御成敗式目抄・式目抄・式目之抄] 【判型】大本2巻2冊。縦259粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸前期刊。刊行者不明。 【備考】分類「往来物・法制」。 08社ゴセイバイシキモクショウ(江戸前期)【往来物・法制】56 SE00952
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連玉古状揃宝蔵(6種) 【作者】不明
¥4,920
連玉古状揃宝蔵(6種) 【判型】大本1冊。収録順に縦261・265・262・259・258・259粍。 【作者】不明。 【年代等】安永9年6月刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。 【備考】分類「往来物」。安永初板本のほか再板本など6種を収録した。『古状揃』は近世初頭に『今川状』を中心に『腰越状』『含状(義経含状)』『弁慶状』『直実送状』『経盛返状』『曽我状』『大坂状』などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』『風月往来』などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。本書本文には、今川状・手習状・腰越状・義経含状・弁慶状・熊谷状(送状)・経盛返状・曽我状・同返状・大坂進状・同返状の11状を収録。また巻頭に「士農工商図」「近江八景歌」「和俗制作の文字」「伊勢斎宮忌詞」等、頭書に「江戸名所往来」等を掲げる。 05歴レンギョクコジョウゾロエタカラグラ(6種)【往来物】123 SE00660
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★和漢帝王歌(2種) 【作者】白幡義篤作
¥4,000
★和漢帝王歌(2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦263・266粍。 【作者】白幡義篤作。 【年代等】明治3年11月刊。[東京]須原屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。同板別本も抄録した。『和漢帝王歌』は、「我邦開闢圀常立、神祇年代幾相襲、上古荒唐不可論…」で始まる七言168句の文章で、古代から近世までの本朝皇統と中国皇帝の歴史を綴った往来物。各時代の情勢を対比させながら和漢二大王朝の歴史を略述した点に特色がある。末尾は大政奉還以後の日本の現状を「将軍職廃社稷移、王政復古万民歓、日月高懸無尽期」と述べて結ぶ。本文を楷書・大字・4行・無訓で綴る。 05歴ワカンテイオウカ(2種)★【往来物】35 SE00661
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〈初学必用〉万宝古状揃大全(天保板・2種) 【作者】不明
¥2,480
〈初学必用〉万宝古状揃大全(天保板・2種) 【判型】大本1冊。収録順に縦253・253粍。 【作者】不明。 【年代等】宝暦7年2月改正。文化12年11月再刻。天保12年5月三刻。[京都]菊屋七郎兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。後印本も抄録した。「古状揃」は、近世の初頭、中世以来、「寺」における手習い教科書として用いられてきた『今川状』を中心に、『腰越状』『含状(義経含状)』『弁慶状』『直実送状』『経盛返状』(以上二状を合わせて『熊谷状』とも)『曽我状』『大坂状』などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』『風月往来』などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。底本は、本文欄に「今川状」「腰越状」「熊谷状・経盛返状」「手習状」「実語教・童子教」「寺子教訓書」を、頭書に「楠正成金剛山居間壁書(楠家壁書)」「弁慶状」「義経含状」「曽我状・同返状」「木曽義仲願書」「正尊起請文」「武蔵坊弁慶勧進帳」「風月往来」「商売往来」「商家往来」「大日本国尽」「都会広邑」「百官名」を収録する(古状類は合計13状)。また、巻頭に「手習風景図」「京都七夕風景図」「書初之詩歌」「七夕之詩歌」「文房四友図(書・画・筆・硯・紙・墨の由来等)」を、巻末に「月の異名」「十干十二支」等を掲げる。なお、後半所収は、奥野彦六旧蔵書。 05歴マンポウコジョウゾロエタイゼン・バンポウコジョウゾロエタイゼン(天保板・2種)【往来物】62 SE00655
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)