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赤穂義人録補正[重訂赤穂義人録補正](明治5年)
¥4,520
★赤穂義人録補正[重訂赤穂義人録補正](明治5年) 【判型】大本2巻追加1巻2冊。縦255粍。 【作者】室鳩巣(直清・新助・新介)作。国枝松宇(惟煕コレヒロ・老足庵)補正・序。 【年代等】明治5年3月、国枝松宇序。明治5年1月官許。明治5年9月刊。老足庵(国枝松宇)蔵板。[名古屋]美濃屋文次郎ほか売出。 【備考】分類「実録」。室鳩巣作『赤穂義人録』に、『武庸筆記』『梶川筆記』『赤穂書翰』『重勝聞書』『寺坂談』『寺坂劣孫覚書』『赤穂実録』『東氏記録』『堀部妙海尼談』『赤城盟伝略』など16種以上の文献により補訂を加えた書。本文欄に『赤穂義人録』を載せ、頭書に詳細な補訂・施注を載せる。/『赤穂義人録』は、元禄14年(1701年)に発生した赤穂事件を称揚する立場から書かれた室鳩巣による漢文体の歴史書。室鳩巣の自序は元禄16年(1703年)10月の日付が記されているが、その後も改訂が行われて宝永6年(1709年)に定稿が成立している。また、同じ宝永6年には鳩巣の弟子らが同書を読んだ感想や同書にちなんで作成した詩などを収めた『鳩巣先生義人録後語』(編者は大地昌言)が編纂され、その中の鳩巣の弟子・奥村脩運の跋文には鳩巣が『赤穂義人録』を編纂した経緯が述べられている。この中で鳩巣は大石良雄らの忠義は中国の史書に記された忠臣のそれに劣らないのに彼らを顕彰する文章がなくただ雑説だけが流布するのを憂慮して著したとする。同じく弟子で赤穂藩の本家筋である広島藩の家臣でもあった小谷勉善の跋文には自分が広島藩の江戸藩邸で赤穂藩や事件を良く知る人たちから話を聞いて師である鳩巣に報告をしたところそれを元に改訂が行われたと証言している。上巻は赤穂藩主浅野長矩が江戸城松の廊下で吉良義央に刃傷を起こした事件から、赤穂藩の家老であった大石良雄ら四十七士が吉良を討ち取って江戸幕府から切腹を命じられた経緯が時系列に記され、下巻は大石以下四十七士の経歴や逸話を記す。『赤穂義人録』は江戸時代においては主に写本として流布されたが現在確認できるだけでも100冊以上知られ、後に安中藩主・板倉勝明によって甘雨亭叢書に所収・刊行されたことでより流布されていった。また、鳩巣の草稿は前田育徳会が所蔵して尊経閣文庫に伝存されており、昭和10年(1935年)に複製本が刊行されている。史料的な制約から鳩巣の記述内容に正確さに欠ける部分もあり、明治5年(1872年)に国枝惟凞により『赤穂義人録』の誤謬を訂正した『赤穂義人録補正』が出された(Wikipedia参照)。 SE01848
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赤穂義士墓碑図[東京芝高輪泉岳寺略図](明治初年)
¥1,400
★赤穂義士墓碑図[東京芝高輪泉岳寺略図](明治初年) 【判型】一枚刷。縦310粍×横468粍。 【作者】義商・天野屋利兵衛画。 【年代等】明治初年刊。[東京]泉岳寺蔵板。 【備考】分類「一枚刷」。明治初年の泉岳寺境内図と赤穂義士墓所の配置図。境内図は三門(惣門・中門・山門)がまだ残っていた当時の様子を描いており、赤穂義士の墓所も墓碑正面を全て書き入れてある。いずれも現状とは異なり、『江戸名所図会』の風景とも一部異なり、江戸~明治の変遷を物語る資料である。参考までに天明4年の古文書の赤穂義士墓碑図と、『江戸名所図会』と『赤穂義士伝一夕話』の泉岳寺風景図も収録した。 SE01847
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赤穂義士随筆[義士随筆・赤城落穂集・義士伝一夕話拾遺] (2種)
¥3,460
赤穂義士随筆[義士随筆・赤城落穂集・義士伝一夕話拾遺] (2種) 【判型】大本4巻4冊。収録順に縦256・258粍。 【作者】山崎美成(久作・北峰・好問堂主人)編・跋。歌川貞秀(橋本玉蘭斎・五雲亭貞秀・松亭寿山)画。 【年代等】嘉永7年7月、大沼枕山(厚・子寿・捨吉・水竹居)序。安政2年秋自跋。刊。板。 【備考】分類「伝記」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。同板別本も抄録した。本書は、赤穂浪士の事蹟に関する考証や、筆蹟の模刻、遺物の縮図を収めた雑記随筆。『赤穂義士伝一夕話』の附編。見返に「山崎美成編輯/橋本玉蘭画図(刻印「江都書林宝集堂版」)/〈一夕話は義士の銘々伝なりこの書は一夕話に書載せさる四十七士の遺物真蹟の品々諸国の墓碑なほ且天野屋利兵衛の伝の類ひ義士に預ることは記て洩すことなし一夕話に併せ見る時は遺憾なしといふべし〉」(西尾市岩瀬文庫・古典籍書誌DB)。/一名『義士伝一夕話拾遺』と称するように、山崎美成作、橋本玉蘭画、嘉永7年刊『赤穂義士伝一夕話』(2編10巻10冊)では取り上げることができなかった赤穂義士関係の遺物・肖像・書画・文書・碑文など数多くの図解を掲げて解説したもの。1巻は「浅野家紋道具の図」「同内匠頭長矩の像」「鉄砲洲屋敷の図」「赤穂城」「領分郡村」等。2巻は「大石良雄画賛」「大石屋敷の瓦」「二巴紋付刀の縁」「同遺愛の行厨(ベントウ)」「堀部金丸の笄」「同武庸(タケツネ)の書」等。3巻は「義士四十六人の像」「同真蹟姓名」「同分限帳」「同変名異同考」「同江戸の隠棲」(全5項)。4巻は「義士平間村の僑居」「義士男子姓名」「芝泉岳寺義士墳墓の図」「同所南条氏の碑銘」「同亀田鵬斎の義士碑文」「同妙海尼の墓」等。なお、底本は「霞亭文庫(明治・大正期の小説家、渡辺霞亭の旧蔵書)」および「新美文庫(愛知県半田町・新美家の蔵書印も押すので、新美南吉の養子先由来の蔵書であろう)」)の蔵書印を押す。 SE01845
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商人平生記(アキンドヘイゼイキ)
¥1,000
商人平生記(アキンドヘイゼイキ) 【判型】半紙本1冊。縦220粍。 【作者】難波吾平作。伴祐佐(バンユウスケ)序。 【年代等】元文3年7月序。同年8月刊。[京都]菊屋七郎兵衛板。 【備考】分類「商業」。SE01844
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商人生業鑑(2種)
¥4,200
商人生業鑑(2種) 【判型】半紙本5巻5冊。収録順に縦225・225粍。 【作者】岩垣光定作・跋。守岡光信画。 【年代等】宝暦7年1月、桃渓逸人序。宝暦7年春自跋・初刊?。明和9年1月再刊([大阪]和泉屋卯兵衛ほか板、また別に、[京都]菱屋孫兵衛ほか板)。文政元年10月再刊([京都]菱屋孫兵衛板)。弘化3年4月再刊([京都]菱屋孫兵衛板)。 【備考】分類「商業」。文政板と弘化板の2種を全冊収録した。『商人生業鑑』は、宝暦7年の作者自跋に「凡、商人の家業は、代ものに念を入れて麁末なく、諸方の用事をよくとゝのへ、得意を大事にし、人には厚く与へ、我は薄くとり、常に仁義の教をも心にかけ…召遣の手代・小者を憐み育て、家内よく和し、倹約を守り、祖先よりの家をよくをさめ、由縁の貧きを救ひ、身を立て、父母の名を汚さぬを肝要とす」とあるように、このような主意を敷衍した商人教訓書。宝暦7年作で、初刊は明和9年の可能性もある。著者、岩垣光定については未詳(日本経済叢書7巻解題参照)。 SE01843
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商人黄金袋
¥1,400
★商人黄金袋 【判型】半紙本1冊。縦225粍。 【作者】大江匡弼(文坡)作・序。 【年代等】安永4年1月序・刊。[京都]菊屋七郎兵衛板。 【備考】分類「商業・教訓」。まず農人同様にこの世に不可欠な商人の存在意義に触れ、正直・倹約・始末や正統な利潤追求など商売の大要を中国の故事を交えながら述べる。また、孝悌忠信の理を弁えるための商人の学問のあり方や、「富める商人」「中分の町人」「下の商人」など分限の違いによる商人心得にも言及する。さらに、商人は「世上の人の心を知る」ことが第一であること、富貴・栄耀の者ほど施行など慈悲の実践、すなわち陰徳を積むべきことなどを説く。なお、底本には途中に白紙が挿入されているが、これは封切紙である。 SE01842
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〈出世早合点〉商人軍配記[世渡軍配団]
¥2,240
〈出世早合点〉商人軍配記[世渡軍配団] 【判型】大本5巻5冊。縦256粍。 【作者】江島其碩作。川嶋信清(叙清ノブキヨ)画。 【年代等】文化15年(文政元年)2月、江陵山人序。文政7年2月補刻・刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。 【備考】分類「浮世草子」。正徳2年刊『商人軍配団(アキンドグンバイウチワ)』([京都]江島屋市郎左衛門板)改題本。京都島原の揚屋の紙屑籠から飛び出した白玉、実は貧乏の神司と、大宮通りの俄分限の米屋の算盤玉が固まった黒玉、実は福神の重手代(オモテダイ)が行き先を相談するのを発端(巻1の1)に、最後に勤倹の家から貧乏神が逃れ去ること(巻5の3)で首尾照応させて、この間に貧福にまつわる13章をおく。各章独立の短編であるが、2章連続のものが2話ある。その特徴は、①対照的な人物やケースを関連または葛藤として取り上げていること、②巻3の1の借金をめぐる話のように、技巧に偏し趣向重視の姿勢が見られること、③巻3の2の家運の傾いた男が儒医の教訓に発奮成功する話のように、談理・教訓的姿勢が見られることなどであるが、西鶴の町人物に比べ、構成の整正という点で優るが、現実感がそれだけ乏しいのが欠点。発端・末尾の趣向は『けいせい色三味線』の二番煎じである(「日本古典文学大辞典」参照)。SE01841
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〈新板絵入〉商人軍配団[世渡軍配団]
¥4,040
★〈新板絵入〉商人軍配団[世渡軍配団] 【判型】大本5巻5冊。縦249粍。 【作者】江島其磧作。川島叙清(ノブキヨ、川島信清)画。 【年代等】正徳2年刊カ(江島屋市郎左衛門板)。江戸中期後印。[京都]菊屋喜兵衛板。 【備考】分類「浮世草子」。『商人軍配団』は5巻5冊、浮世草子、江島其磧作、川島叙清画。別称「世渡軍配団」(尾題)。正徳2年冬、京都、江島市郎左衛門刊。内容は、京都島原の揚屋の紙屑籠から飛び出した白玉、実は貧乏の神司(カミヅカサ)と、大宮通りの俄分限の米屋の算盤玉がかたまった黒玉、実は福神の重手代(オモテダイ)が行く先を相談するのを発端(巻1)に、最後に勤倹の家から貧乏神が逃れ去ること(巻5の3)で首尾照応させて、この間に貧福にまつわる13章をおく。各章独立の短編であるが、2章連続のものが2話ある。対称的な人物やケースを関連の相で、または葛藤として取り上げ、構成の調っている点や、技巧に偏し趣向重視の姿勢が見られる点、さらに、談理・教訓的姿勢が強い点などの特徴がある。西鶴の町人物に比べ、構成の整正という点でまさるが、現実感がそれだけ乏しいのは欠点といえよう。発端・末尾の趣向は『けいせい色三味線』の二番煎じである。諸本として、江島屋の住所を削った後印本、京都菊屋喜兵衛刊の求板本があるほか、文化15年2月の江陵山人序を付した改題本『商人軍配記』(角書「出世早合点」また「立身招福」)がある。 SE01840
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商人家職訓[家職訓](2種)
¥2,240
商人家職訓[家職訓](2種) 【判型】半紙本5巻5冊。縦223㎜。 【作者】江島其碩作。 【年代等】享保7年1月刊、江戸中期後印。[京都]菊屋喜兵衛板。 【備考】分類「浮世草子」。通俗経済文庫4に翻字あり。末尾に初板本を抄録した。 SE01839
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秋萩帖[安幾破起帖・秋萩集・秋萩歌巻]
¥700
秋萩帖[安幾破起帖・秋萩集・秋萩歌巻] 【判型】大本1冊。縦274粍。 【作者】小野道風書。片山兼山・服宣雄跋。 【年代等】江戸後期刊カ。尚友館板。 【備考】分類「歌集・書道」。陰刻手本。SE01838
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秋の初風〈元祖大師御詠歌〉
¥2,000
★秋の初風〈元祖大師御詠歌〉 【判型】中本1冊。縦181粍。 【作者】湛澄(向西)編・序。 【年代等】元禄8年秋自序。元禄9年1月初刊。江戸後期後印。刊行者不明。 【備考】分類「歌合」。浄土宗の開祖、法然が詠んだとされる和歌を集め、それに絵を添えて簡単な解説を付した書。本書の改編・改刻本が明治16年に「翻刻人、小林大空」により刊行されている。作者の湛澄染問(慶安4年(1651)~正徳2年(1712))は浄土宗の僧で、山城国・報恩寺14世。 また、明治期の翻刻人、小林大空(嘉永7年(1854)~昭和5年(1930))は、浄土宗から別れた時宗の僧で、後に時宗法主である遊行66代・藤沢第49世となった(江戸期版本を読むHP参照)。SE01837
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秋の嵐[阿気の顕支・阿気之顕支]
¥1,400
★秋の嵐[阿気の顕支・阿気之顕支] 【判型】中本1冊。縦165粍。 【作者】横山丸三(マルミツ、春亀斎)作。 【年代等】江戸後期書。 【備考】分類「教訓」。冒頭を「嵐に木々の折れたるを見て幹を精神、枝を気質に譬て初入の門人に示す」と起筆して問答形式で、十二宮のあらまし、同時に生まれた人の運勢・気質が異なる理由、気が凝る道理などを諭した淘宮術の入門書。横山丸三(1780-1854)は江戸後期の武士。安永9年4月2日生まれ。淘宮(とうきゅう)術(開運修行の方法)の祖。文政5年小普請組組頭となる。奥野清次郎に天源術(運勢判断)をまなび、改良をくわえて天保5年淘宮術を創始した。嘉永7年8月13日死去。75歳。江戸出身。名は興孝。通称は三之助。別号に淘山人、百田楼など(コトバンク)。SE01836
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秋田庄内戊辰戦争記録
¥1,400
★秋田庄内戊辰戦争記録 【判型】半紙本1冊。縦235粍。 【作者】阿部常定書。 【年代等】明治元年9月作。明治6年1月書。 【備考】分類「記録」。秋田戦争(庄内戦争)の記録(明治元年8月~9月)。例えば、8月18日の条に「八月十八日、久保田え着せし薩州人数千人計、神宮寺之本陣にて軍儀評定し、此度は荒手之勢を以て大曲……」、9月1日の条に「官軍の諸藩、蒸気船買求め、追々越後の方え軍勢才足(催促)に付て……」などとある。 SE01835
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赤子養育勧進の引
¥1,400
★赤子養育勧進の引 【判型】大本1冊。縦245粍。 【作者】大賢鳳樹(石竜道人)作。 【年代等】寛政6年秋作。文政14年(天保2年)1月刊。未穏板(施印)。 【備考】分類「産育・教育」。袋綴じ展開収録。 SE01834
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会津中将訓誡
¥1,400
★会津中将訓誡 【判型】大本1冊。縦270粍。 【作者】保科正之作カ。 【年代等】江戸後期書カ。 【備考】分類「教訓」。「一、今度愚意の趣、一々書顕し、各に申聞候故は、自今以後、某と互に善に進み悪を改め、各は古の忠臣義士にも不恥、某も明君賢主の跡をもしたひ、後代までも君臣共によきためしにもひかれ候様にと真実に存入候…」で始まる第一条以下全19カ条で綴った家臣としての教訓。家臣による主君への諫言、家臣の学問、孝順・友愛・筋目・信頼等の人倫、節義の嗜み、礼譲・謙退、質直朴素の気風、寄合の心得、武備の心懸け、葬送の礼法、国法に背いた罪科、寄合の料理、士農工商の役割と四民の統治などについて記す。ちなみに、作者の「会津中将」は保科正之か。会津松平家は、初代藩主保科正之を始め、3代藩主松平正容、5代藩主松平容頌、8代藩主松平容敬が中将までのぼり「会津中将」と呼ばれた(4代藩主松平容貞、7代藩主松平容衆は少将までで「会津少将」と呼ばれた)。 SE01833
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会津孝子伝(2種)
¥6,200
★会津孝子伝(2種) 【判型】半紙本5巻5冊。収録順に縦226・226粍。 【作者】森与兵衛(守次・雪翁・雪斎)・森与市郎(守命)作。執斎希賢(マレカタ)序。 【年代等】宝永7年6月森雪翁序。享保16年3月序。寛保2年1月刊。[京都]茨城多左衛門・梅村弥右衛門板。 【備考】分類「伝記」。同板2種を収録した。本書は、会津領内で褒賞を受けた人物を始めとする忠孝者たちの伝記。作者の森守次は、若松城下の町名主役。為政者の目から見た理想の農民や商人・職人が中心だが、会津の庶民の暮らしや生き方の一端をが分かる史料として興味深い。『日本教育文庫・孝義篇』に翻刻を収める。『日本教育文庫・孝義篇』に翻刻を収める。なお、福島県立博物館HPに次の解説がある。「江戸時代には、儒教の教えが社会に広まり、親に対する孝、主人に対する忠などの徳目が尊重されました。諸藩では、庶民教化のねらいから、孝行者や忠節者の表彰が行われ、会津藩でも、保科正之の治世以降、領民に対する褒賞がたびたび行われました。「会津孝子伝」は、会津領内で褒賞を受けた人物をはじめとする忠孝者たちの伝記です。作者の森守次(雪翁)は、若松城下の町名主役を勤め、学問も修めた人物で、宝永7(1710)年に、この書物をまとめました。とりあげられている忠孝者たちは、為政者の目から見た理想の農民や商人・職人たちということもできます。また当時の社会の考え方を基準に選ばれた「善行」なので、現代人にとっては違和感を覚える内容も含まれています。それでもなお、この書物が魅力的なのは、描き出されることの少ない会津の庶民の暮らしや生き方を伝えているからではないでしょうか」。 SE01832
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愛育附言
¥1,400
★愛育附言 【判型】折本1帖。縦153粍。 【作者】亀齢橋隠士作。 【年代等】安政3年冬刊。著者蔵板カ。 【備考】分類「鍼灸・医学」。 SE01831
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愛育茶譚(3種)
¥1,140
愛育茶譚(3種) 【判型】半紙本または大本1冊。収録順に縦236・234・260粍。 【作者】桑田和(立斎)作。内藤貞庵・赤柴立策序。永海画。 【年代等】嘉永6年春刊。[江戸]著者蔵板(印施)。 【備考】分類「医学」。初印本・後印本など3種を収録(一部抄録)。初印本には表紙見返に「離情応物/窮理/桑田印施」の朱印を押す。種痘の実施や啓蒙活動に尽力した江戸深川の小児科医である著者が「愛育総説(そだてようあらまし)」「臍帯(ほぞのお)」「拭口(くちをぬぐう)」「浴児(うぶゆ)」「児衣(きもの)」「始乳(ちをつける)」「撰乳(うば)」「代乳(ちちのかわり)」「剃頭(さかやき)」「調治(まくり)」「離乳(ちちをはなす)」の11章に分けて述べた育児書。表紙見返しには「本書は小児養育の真理を万人が理解するためであり、近年は牛痘が行われて大厄を免れるようになったものの、親の子育ての間違いから種々の病気になったり、早死にするのは嘆かわしいことである。だから、本書を熟読して、目先の愛(姑息の愛)に溺れ子孫を害することがないようにせよ」と戒める。本文では「都会では名医が揃い、高価な薬も満ちあふれていて一つも不足がないが、医薬が乏しい田舎の子どもの方がかえってよく育つ」として育児環境に言及したり、「貧家の幼児は号泣しても大人が構わないために、自ずから手足を動かして健やかに育ち、また自然三分の飢寒を得るために生理にかなってよく育つものが多い」とか「幼児は12カ月頃より常に立ち歩きを練習させ、自分で立つようにさせよ。この時期の立ち歩きが足に良くないというのは俗説であって、この時に歩くことを習わせれば、3歳頃には2里程の距離を歩かせてもくたびれない。子どもが駆け回ったり踊って跳ねたりすることを好むようになれば、自然と健康になる」のように具体的な育児法を展開する。なお、本書の随所で「健康」という言葉を使用しているが、当時、あまり一般的でなかった「健康」という言葉を頻繁に使用している点は興味深い(緒方洪庵の『病学通論』(嘉永2年刊)の影響か)。また底本は丹色表紙であるが、表紙の色は「赤絵」同様に子どもの魔除けの意味を込めたものだろう。SE01830
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〈虎関和尚〉異制庭訓往来
¥6,720
★〈虎関和尚〉異制庭訓往来 【判型】大本3巻3冊。縦266粍。 【作者】伝虎関師錬作。東西軒書。 【年代等】室町前期作。天和3年3月刊。[京都]小河多右衛門板。 【備考】分類「往来物」。古写本の最古本は寛正2年(1461)書。本書は異称が多く、『百舌(鳥)往来』『新撰之消息』†『新撰消息往来』†『冷水往来』『十二月往来』とも呼ばれた。寛正2年写本『冷水往来』(陽明文庫蔵)は大本2巻合1冊。天和3年刊本は大本3巻3冊、または3巻合1冊。南北朝時代、延文~応安(1358-72)の頃に作られた古往来。各月往返2通、1年24通の手紙文で構成され、各手紙文中に、撰作当時の社会生活に必要とされた類別単語集団を含むのが特徴。単語は、仏教(122語)、漢文・文学・教養(461語)、人倫・職分職業(32語)、衣食住(222語)、武具(77語)、雑(24語)、計938語に及ぶ。 SE00001
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日満鐡道案内圖 昭和19年
¥700
日満鐡道案内画 【著者等】著作者・発行者 木村文助 【年代等】昭和19年3月発行 【備考】南樺太、台湾、朝鮮半島、満州国の路線図も含まれます。 ST00028
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〈筆海子長谷川筆〉女教文海智恵嚢[女文硯](2種*高精細)
¥2,000
★〈筆海子長谷川筆〉女教文海智恵嚢[女文硯](2種*高精細) 【判型】大本1冊。収録順に縦265・258粍。 【作者】志田垣与祐(与助)作。長谷川貞寿(筆海子)書。寺井重房(尚房・雪蕉斎)画。伊丹屋茂兵衛(鳴井茂兵衛・成井茂兵衛・白雲館)跋。 【年代等】寛延2年初刊。天明5年4月再刊([大阪]高橋平助板)。文化元年再刊([大阪]塩屋平助板)。 【備考】分類「往来物」。天明板と文化板の2種を全冊収録した(袋綴じ展開収録)。『〈筆海子長谷川筆〉女教文海智恵嚢』は、ほぼ全通が往復文で、「初春の文」から「十種香の文」までの40通を掲載した女用文章。四季消息やその他吉凶事に伴う手紙など一通りを載せ、全文を大字・無訓の散らし書きで記す。各例文に丸付きのイロハ文字が付けられ、目次からの検索が容易にできるように工夫されている。また筆者は長谷川妙躰に学んだというが、筆勢は妙躰に及ぶものではない。前付に「歌・琴・貝合・碁・双六の始」「島台の図式」「男女の始并官号」「玉津島・竜田・厳島ほか由来」「女諸礼の事」等、頭書に「本朝列女伝」「婚礼式法」「五節句の由来」「婦女故事談」「香道の事」ほか香道関連、「女中詞づかひ」「あらひ粉の方」「懐胎養生の事」「色紙短冊歌の書やう」「時の鐘の事」「手道具図式」「服忌令」「七夕歌づくし」「小笠原流折形図」などを掲げる。板種により、付録記事に微細な異同がある。 SE01518
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蝉小川〈女筆〉[〈寿福〉瀬見緒河](3種)
¥6,720
★蝉小川〈女筆〉[〈寿福〉瀬見緒河](3種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦268・264・262粍。 【作者】長谷川妙躰書。中村三近子補注。 【年代等】享保18年1月初刊([江戸]小川彦九郎ほか板)。江戸中期再刊([大阪]渋川与左衛門ほか板/[大阪]渋川与市ほか板)。 【備考】分類「往来物」。初板本のほか江戸中期後印本2種を収録、うち2点を全冊袋綴じ展開収録。『蝉小川〈女筆〉』は、長文の雅文6通を綴った散らし書き女筆手本。上巻に「初子日の文章」「八はたまふで」、中巻に「あやめの節句」「花の宴」、下巻に「都の春」「小倉山のもみち」と題した消息文を収録する。各例文の末尾にそれぞれ同様の趣を詠んだ和歌を掲げ、また、稀に任意の語句について細注を施す。本文は大字・無訓の散らし書きだが、細注は付訓。上巻巻首に「女文用世話字づくし」「婦人相性の名寄」「同礫仮名」「女中文章手爾波かなづかひ重宝記」「大ちらし書の例」などを載せるが、これらは全て中村三近子による。 SE01520
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女用千尋浜(別本・高精細)
¥3,160
★女用千尋浜(別本・高精細) 【判型】大本1冊。縦265粍。 【作者】浅田恒隆書。下河辺拾水画。 【年代等】安永9年1月刊。[京都]菊屋長兵衛ほか板。 【備考】分類「往来物」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。前付4-7丁欠(落丁または飛び丁)。『女用千尋浜』は、「新玉の文」から「舛掛の文・同返事」までの75通を収録した女用文章。季節の挨拶状や寒暑の見舞状、また四季の行楽・娯楽に関する手紙、出産・育児や通過儀礼に伴う手紙などを主内容とする。本文を大字・6行・付訓の並べ書きで記す。頭書に五節句の記事や「女教訓唐和鑑」「源氏貝おほひ并歌かるた」「胎内をしへ草」「産前産後の養生」「当世衣類裁物仕様」「万しみものおとし葉」「万絹物張やう」「婦人諸病妙薬方」「当世染物仕やう」「男女あいしやう」等の記事、前付に「名歌八題集」や「婚礼相生式鑑」「小笠原女礼式并図」「祝言膳部くひやうの事」など婚礼関連記事を載せる。なお、本書前半41通を抽出して付録記事を改めた改編本『女文章教草』が天明5年に刊行された。 SE01519
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雲ゐの鶴(宝永6年・2種*高精細)
¥3,280
★雲ゐの鶴(宝永6年・2種*高精細) 【判型】大本3巻3冊、また3巻合1冊。収録順に縦261・261粍。 【作者】長谷川妙躰書。 【年代等】元禄7年6月初刊。宝永6年5月再刊。[京都]伏見屋藤治郎板。別本端本は、[京都]西村市郎右衛門ほか板。 【備考】分類「往来物」。宝永6年板の3巻合1冊本と3巻本の中巻1冊を全冊収録した(前者は袋綴じ展開収録)。『雲ゐの鶴』は、元禄7年刊『しのすゝき』各巻の口絵を長谷川光信画(四季の草花と女子諸芸の図)に改めた改題本。『しのすゝき』は、長谷川妙躰の初期の女筆手本で、例文の大半が四季の情景豊かに時候の挨拶や種々用件を綴ったもの。上巻に新年祝儀の文など春の手紙8通、中巻に春を惜しむ手紙から五月雨までの手紙6通、下巻に秋の野の風景から初雪までの手紙6通で合計20通を収録。本文は全て大字・無訓の散らし書き(中・下巻に挟む詩歌は並べ書き)。再板本では各巻巻頭に四季の和歌と挿絵が増補された。なお、『女学範』は本書の筆者を長谷川貞とし、『享保14年書目』は長谷川妙躰とするが、本書元禄板には「長谷川豊」の朱印を押すものが発見されており、これらから、貞も豊も同一人と判明する。 SE01514
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第308942220838号
古物商 (書籍商)