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神代正語常磐草(2種)
¥6,520
神代正語常磐草(2種) 【判型】大本3巻3冊。収録順に縦265・264粍。 【作者】細田富延注・序。三島貞庭跋。 【年代等】文化12年春自序。文政6年春、長谷川直延跋。文政10年2月、中臣光久序。文政10年3月、細田富草跋。嘉永元年1月刊。[京都]吉野屋仁兵衛板。 【備考】分類「国学」。同板別本も全冊収録した。『神代正語常磐草』は、本居宣長の『神代正語』(上代古雅の国語仮名文で、『古事記』の神代の事を記したもの)に略注を施し、かつ、しばしば挿絵(色刷り数葉含む)を施したもの。編者の細田富延(1783-1828)は、江戸後期の国学者で、天明3年生まれ。出雲国(島根県)の千家俊信(センゲトシザネ)の門で学んだ。著作に『神代正語常磐草』など。文政11年1月3日死去。46歳。伯耆国(鳥取県)出身。通称は喜太郎。号は玉の舎。 SE02404
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嘉多比沙志[傍廂・蘆仮庵抜書傍廂]
¥3,920
嘉多比沙志[傍廂・蘆仮庵抜書傍廂] 【判型】大本前集3巻・後集3巻6冊。縦257粍。 【作者】斉藤彦麿(藤原彦麿)作・序。 【年代等】嘉永6年秋自序。万延2年1月刊。[江戸]著者蔵板。[江戸]大嶋屋伝右衛門(文永堂)ほか売出。 【備考】分類「随筆」。SE02341
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〈勧善示蒙〉家職要道(明治8年・2種)
¥6,980
〈勧善示蒙〉家職要道(明治8年・2種) 【判型】大本10巻5冊。収録順に縦247・252粍。 【作者】正司南鴃(正治)作・序、松川半山(真水)画・略注、荒木八十五翁跋。 【年代等】嘉永4年春序。慶応2年初刊(初編)。明治8年再刊。[京都]井上治兵衛、[大阪]三木佐助板。 【備考】分類「経済」。同板早印の別本も抄録した。『〈勧善示蒙〉家職要道』は、肥前有田の富商である著者が自らの体験をもとに綴った浩瀚な商人心得書。慶応2年に初編(上下巻=第1・2巻)2冊が刊行され、明治8年に全10巻5冊本として出版された。内容は、第1巻「人一生の計(はかりごと)を問う」以下6章、第2巻「大願の方を問う」以下3章、第3巻「金を儲くる術を問う(下)」以下2章、第4巻「大賈(おおあきんど)日用の事を問う」の1章、第5巻「倹約・吝嗇の分かちを問う」以下2章、第6巻「陰徳の法を問う(下)」以下2章、第7巻「七福神の説を問う」以下4章、第8巻「高運に乗ずる法を問う(下)」以下2章、第9巻「農人家を修むる法を問う(下)」以下2章、第10巻「工職立身の法を問う(下)」以下3章の合計27章。内容が豊富で諸書からの引用も多く、また、随所に挿絵を挟み、平易な説明のうえにほぼ全ての漢字に振り仮名を付すなど、童蒙から大人まで広く読者に想定している。備考に紹介した大阪の時計店主・生駒権七が、養子に入ったばかりの吉之助に「是が自分の憲法である熟(くわし)く咀嚼せよ」と言って『家職要道』の原本を与えた逸話も、本書が明治期商人のバイブルとして読まれるほどの実践的な教訓書であったことを物語る。SE02335
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〈新撰冠附〉かざしぐさ[〈冠附〉かざしぐさ・誹諧挿頭草]
¥4,200
★〈新撰冠附〉かざしぐさ[〈冠附〉かざしぐさ・誹諧挿頭草] 【判型】横本1冊。縦110粍。 【作者】園田荻風(テキフウ、三田舎)編。暁鐘成画。南芽序。 【年代等】寛政5年初刊。文政7年6月再刊。[大阪]塩屋季助ほか板。 【備考】分類「雑俳」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。本書は、「いさぎよい」「いたわつて」「今有りと」などの題に対してそれぞれ数句ずつの作品を集め、題名のイロハ順に配列した絵入り冠付集。見返に板元、塩屋季助の「口上」、巻頭に「神祇・釈教・春情(コイ)・無常」の挿絵、さらにイロハ分けの「題目録」に続けて本文を掲げるが、本文中に5葉の見開き挿絵を載せる。冠付(かむりづけ)とは、雑俳で、初めの5文字を題として出し、これに中7字、下5字を続けて、1句にまとめる文芸。「笠付(カサヅケ)」「烏帽子付(エボシヅケ)」「冠句(カムリク)」とも。 SE02327
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格物入門
¥20,440
★格物入門 【判型】大本7巻7冊。縦257粍。 【作者】丁韙良(テイイリョウ、マーティン、Martin‐William‐Alexander‐Parsons*中国へ渡来したアメリカ人宣教師)作。本山漸吉訳。 【年代等】大清同治7年(明治元年)序。明治2年6月官許・刊。明親館蔵板。[東京]雁金屋清吉売出。 【備考】分類「理学」。『格物入門』は、アメリカのW.A.P.マーティンが、丁韙良(ていいりよう)という中国名で著した図解入りの自然科学の概説書。1巻「水学」、2巻「気学」、3巻「火学」、4巻「電学」、5巻「力学」、6巻「化学」、7巻「算学」から成る。第1巻「水学」は上章論「静水」、下章論「流水」。第2巻「気学」は上章論「天気」、中章論「蒸気」、下章論「音声」。第3巻「火学」は 上章論「熱気」、下章論「光」。第4巻「電学」は上章論「乾電」、中章論「湿電」、附論「磁石」、下章論「電報」。第5巻「力学」は上章論「力推原」、下章論「助力器具」。第6巻「化学」は上章論「物之原質」、2章論「気類」、3章論「金類」、4章論「生物之体質」、附「化学総論」。第7巻「算学」は上章「測算水学」、第2章「測算気学」、第3章「測算光学」、第4章「測算力学」。作者、マーティン(Martin, William Alexander Parsons、1827-1916)は、アメリカの宣教師。1827年4月10日生まれ。アメリカ長老派。1850年清(しん)(中国)にわたり,布教とともに教育・外交面で活躍。「万国公法」「格物入門」「天道溯原(そげん)」など中国語の著作をあらわし,日本でもひろく読まれた。1916年12月17日北京で死去。89歳。インディアナ州出身。中国名は丁韙良(てい-いりょう)。SE02312
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女才学教草(2種)
¥2,000
★女才学教草(2種) 【判型】中本1冊。縦176粍。【作者】婦好亭作。【年代等】江戸後期刊。刊行者不明。【備考】分類「往来物」。異本も全冊収録(モノクロ画像)した。分類「艶書」。『女大学宝箱』をもじった艶本の一つ。池田英泉作『教訓女才学』と本文がほぼ同じであり、その海賊版と思われるが未詳(「婦好亭」は英泉と同一人物の可能性もある)。『国書総目録』には、『教訓女才学(絵抄)』は、天保7年、婬男亭助成(好成)の作とするから、本書も天保以降の刊行に違いない。『女大学』になぞらえて綴った性生活の手引き書で、「何事にも男の為に任する」という立場から夫婦和合の道や性愛における女性心得を、主に性交の順序に沿って説く。本文が女性向けに書かれているのに対し、頭書はもっぱら男性向けの記事となっており、「〈閨中道具〉狂歌十四首」「娘を口説伝」「後家を口説やう」「子持を口説伝」「婢女を口説伝」「婬婦にこしをぬかする伝」を掲げる。なお、本書同様の艶本として、早くは宝暦年間刊『女大楽宝開』や、その模倣である江戸後期刊『開宝女大学(茎訓女大学)』がある。SE02241
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尾張名所図会[尾張名所図絵](明治13年)
¥17,180
尾張名所図会[尾張名所図絵](明治13年) 【判型】大本前編7巻・後編6巻13冊。縦261粍。【作者】岡田啓(康礼ヤスノリ・文園)・野口道直(梅居・汲古堂)編(遺稿)。小田切春江(忠近・歌月庵・喜笑)画・補。加藤昭豊(瑞斎)傭書。上田仲敏序(前編)。間島冬道序(後編)。【年代等】初編:天保12年11月脱稿。天保12年5月、深田正韶(香実)序。天保12年11月、深田清一・植松茂岳序。天保15年2月初刊([名古屋]菱屋久八郎ほか板)。明治13年4月求板。[名古屋]片野東四郎蔵板。後編:明治13年1月、中山清雄(梅軒)序。同年同月、小田切春江跋。明治13年2月、国貞兼平序。明治13年9月刊。愛知県蔵板。[名古屋]永東書店売出。【備考】分類「地誌」。『尾張名所圖會』(尾張名所図会、おわりめいしょずえ)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行された尾張国の地誌。尾張藩士で学者の岡田文園と、春日井郡枇杷島にあって枇杷島橋の橋守役を務めていた野口市兵衛家の8代目・野口梅居とが著し、尾張藩士で画家の小田切春江や春江の師に当たる森高雅が挿絵を描いたもので、尾張国八郡の名所が描かれた。全13巻。天保9年(1838年)から天保12年まで約3年をかけて執筆され、天保15年(1844年)2月に前編7巻が刊行されたが、これによって野口家はその財産をほとんど使い果たしてしまったという[1]。このため後編6巻の刊行は明治13年(1880年)、愛知県の資金援助を受けて名古屋の書肆「永楽屋」の片野東四郎の手で行なわれた(Wikipedia)。SE02223
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改正〉翁問答(慶安3年初板本)
¥7,680
★〈改正〉翁問答(慶安3年初板本) 【判型】大本5巻5冊。縦273粍。【作者】中江藤樹作。【年代等】慶安3年6月跋。慶安3年10月刊。[京都]風月宗知板。 【備考】分類「教育」。おきなもんどう【翁問答】 中江藤樹の著書。1641年(寛永18)に成立。藤樹死後の49年に丁子屋仁兵衛より刊行された5巻5冊本が正規の最古版。翌年に訂正、再構成を行い、改正編を付載した5巻5冊本を風月宗知より出版。以後の出版はこの2系統のどれかに準拠。かな文の問答体の儒教入門書として、江戸時代の末まで広く流布した。藤樹が朱子学から陽明学に転じた時期の思想形態がうかがえる(コトバンク)。SE02190
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大雑書(寛永頃異本)
¥1,560
大雑書(寛永頃異本) 【判型】小本1冊。縦134粍。 【作者】不明。 【年代等】寛永頃刊(寛永8年板に酷似するが異板。寛永9年板とは全く異なる版)。刊行者不明。 【備考】分類「雑記・暦」。小本の古板『大雑書』で寛永頃の刊本。雑書(ざっしょ)とは、近代以前における各種の暦・占に関する書物の総称を指す。暦注などに記載された八卦・方位・干支・納音・十二直・星宿・七曜などに記載された吉凶や様々な禁忌をはじめとする各種暦占の解説が主である。陰陽道の書物の影響を強く受けて発達したと考えられている。『本朝書籍目録』には平安時代に賀茂家栄が『雑書』(『新書』とする伝本もある)を著したと伝えるが、現存最古のものは室町時代のものである。『日葡辞書』には「神官の与える厄日と吉日の書いてあるもの」と定義されている。江戸時代に入ると、大雑書(おおざっしょ)とも呼ばれる和文による大型本が刊行されるようになる。寛永9年(1632年)の年号が入っている『寛永九年版大ざつしよ』(国立国会図書館蔵)は大雑書の中でも最古のものである(最古本は寛永8年板*往来物倶楽部デジタルアーカイブスに収録)。また、元禄年間頃から仏教の因果説に由来する三世相がほとんどの雑書に掲載されるようになった。寛永年間から雑書の刊行が盛んに行われるようになっていったが、対象となる読者層に合わせる形で、漢文・和文の文体や具注暦・仮名暦の解説などの違いがあった。特に貞享から元禄年間にかけては様々な分野の項目についての記事が増補されるようになり、日常生活から男女関係までの各種分野を扱った多数の雑書が刊行され、最盛期であった幕末には100種類以上が刊行された。この時期になると、雑書は暦占書としてだけではなく、百科事典的な役割を果たすようになっていった。『天保新選永代大雑書万暦大成』は翻刻されたものが出版されている(Wikipedia参照)。SE02160
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嚶鳴館遺稿[平洲先生嚶鳴館遺稿](明治33年)
¥8,060
嚶鳴館遺稿[平洲先生嚶鳴館遺稿](明治33年) 【判型】大本10巻付録1巻10冊。縦256粍。 【作者】細井平洲(紀徳民キトクミン、細井徳民・如来)作。神保行簡(蘭室)・泉長達(豊洲)・樺島公礼(石梁)編。 【年代等】文化4年冬、上杉鷹山(治憲)序。文化4年11月、神保行簡(蘭室)跋。文化5年2月、泉長達(豊洲)序・刊([米沢]興譲館蔵板)。文化6年11月、細井徳昌(ノリマサ*平洲の養子)序。明治33年1月、小栗半右衛門跋。明治33年3月再刊。[愛知県半田町]小栗半右衛門蔵板。 【備考】分類「漢詩文」。袋綴じ展開収録。『嚶鳴館遺稿』は、10巻付録1巻10冊の漢詩文。細井平洲著。神保行簡ら校。巻頭書名は「平洲先生嚶鳴館遺稿」。嚶鳴館は平洲が江戸で開いた塾名。出羽米沢藩主、上杉治憲(鷹山)の命を受けて、神保行簡(蘭室)・泉長達(豊洲)・樺島公礼(石梁)が校訂・編集したもので、平洲没後8年目に興譲館より刊行された。刊行の費用の一切は鷹山の手許金をもってまかなわれたであるが、師と仰ぎ、米沢藩政の顧問として平洲を信頼すること篤かった鷹山は、巻頭に長文の序を記し、さらに付録には「平洲先生碑銘」を掲げている。この版木327枚は、後、鷹山より平洲の養嗣子徳昌に与えられたが、維新後尾張の人(小栗半右衛門)に移り、いま米沢図書館に所蔵する。内容は、1巻が五言古詩・七言古詩・五言律・五言排律・七言律、2巻が七言律・五言絶句・七言絶句、3巻が七言絶句、以上計460首。4-5巻に序、6巻に記・紀行、7巻に行状・伝・説・銘・読・論・題跋・雑文、8巻に碑誌、9-10巻に書犢を収め、付録には門人尾張国校教授、小川鼎の「平洲先生墓誌」、前述の鷹山の「碑銘」、門人、樺島公礼の「細井先生行状」を収める。平洲を始め、その師友・門弟らの事蹟を知る上にも重要な書である(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02151
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燕石雑志[燕石襍志](3種)
¥12,180
燕石雑志[燕石襍志](3種) 【判型】大本5巻6冊。収録順に縦255・255粍(別ファイル後印本は252粍)。 【作者】滝沢解(曲亭馬琴・傀儡子・玉亭子・簑笠漁隠・著作堂・飯台蓑笠翁・瑣吉)作・序。 【年代等】文化6年7月自跋。文化7年1月、北山老逸序。文化8年1月初刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋太助ほか板。 【備考】分類「随筆」。早印本で全冊収録(袋綴じ展開収録*見開き図再掲)し、後印本も抄録したほか、別ファイルにて後印本別本を全冊収録した(合計3種収録)。『燕石雑志』は、古今の事物につき、和漢の書を博捜引証しつつ、自ら考覈(コウカク)したところを述べたもの。日の神・更鐘(トキノカネ)・正五九月・丙午・奴婢之子・関雲長・早馗大臣・五噫歌・快刀禰(クトネ)・物の名・檀那・苗字(巻1)。古歌の訛・人口膾炙の歌・時代不同歌合・逃水・一二の橋・房銭(ヤドセン)・夕立・匂の花・狂歌・詩歌の吉凶・鬼神論(巻2)。鬼神余論・蝉丸・悪禅師・正儀義隆(マサノリヨシタカ)・八幡太郎・浅草の事実・地名の訛謬・四時代謝(シジノユキカイ)・わがをる町・すゞ木・字体(巻3)。関の東の方言・団頭・藪入・猿蟹合戦・桃太郎・舌切雀・花咲爺・兎の大手柄・獮猴(サル)の生肝(ナマギモ)・浦島之子(巻4)。俗呪方・田之怪(タヌケ)・奇異・県神子(アガタミコ)・塞翁が馬・相撲取黒船・西鶴・実語教・我来也・天禄獣・伊豆の海(巻5上)。六郷の橋・情死・西江月・陰陽之数(巻5下)(「日本古典文学大辞典」参照)。江戸時代の考証随筆。滝沢解(とく)(曲亭馬琴)著。1811年(文化8)刊。大本6冊。小説執筆に際して、常に古諺、歴史、地誌などの克明な考証を怠らなかった馬琴が、日の神、鬼神余論以下、全59条にわたって考証した随筆集。なかんずく、日本の古伝承、古風俗に対して、精細かつ独自な見解が示され、〈桃太郎〉〈舌切雀〉〈猿蟹合戦〉などの考証は珍しく、貴重である。巻尾に引用書として和漢238部の書名をあげている(コトバンク)。 SE02138
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円光大師法語(明治初年)
¥1,000
円光大師法語(明治初年) 【判型】大本1冊。縦249粍。 【作者】源空(円光大師・法然・黒谷上人・吉水上人)作。 【年代等】江戸後期初刊。明治初年後印。[京都]知恩院蔵板。 【備考】分類「浄土」。大和綴じ。法然が黒田の聖人に宛てた消息である「一紙小消息(イッシコショウソク)」以下の法然の法語を集めたもの。 SE02128
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円光大師御伝記[法然上人行状略伝]
¥14,240
★円光大師御伝記[法然上人行状略伝] 【判型】大本10巻5冊。縦259粍。 【作者】武藤西察(セイサツ)編・書。 【年代等】寛文6年2月作。寛文6年8月刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋喜兵衛ほか板。 【備考】分類「伝記」。編者の武藤氏は往来物作者と同一人と思われる(同時代で筆跡酷似)。本書は法然上人の生涯における化導、御利益について、諸伝説に漏れたところを補い、上人の徳行を讃仰して報恩謝徳のため、愚痴の道俗をすすめんがために作られたもので、上下二巻にわけ詞と絵をもって記している。本書の題簽は殆んど判読不明であるが僅か「…光大…」とみえ、「円光大師御伝記」ではなかったかと思われる。内題は「法然上人行状略伝」である。本書の書誌学的な価値は明らかではないが、寛文六年(一六六六)年の絵詞「黒谷法然上人一代記」十巻十冊、宝暦八(一七五八)年に前者と同じ内容の「円光大師御伝記」五冊の絵入法然上人伝の系譜の上に位置づけられるものといえる(仏教大学図書館HP)。SE02125
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〈天満宮御一代記〉絵本菅原実記[菅公一代記]
¥5,720
〈天満宮御一代記〉絵本菅原実記[菅公一代記] 【判型】大本前後2編6巻合2冊(もと10冊を改装)。縦254粍。 【作者】巨勢秀信(コセヒデノブ、法橋秀信*大納言金岡卿35世孫)作・画・序。山田叟長(野亭)補。松川半山ほか画。 【年代等】初編:文化7年2月自序。後編:天保13年1月、池田世脩(蘭園)序・初刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋茂兵衛板。 【備考】分類「読本」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。菅原道真の生涯と死後に天満宮として崇拝されるようになる経緯までを多くの挿絵とともに画いた読本。初編が1~3巻の5冊、後編が4~6巻の5冊に分けて刊行。初編は1巻巻頭に、菅原道真・藤原時平・法性房阿闍梨・平希世(マレヨ)・菅公北方吉祥女御らの肖像(多くが色刷り)と略伝を掲げる。本文は本文に見出に従えば、初編1巻が「天津神浮橋降臨之事」から「土師の姓を菅原に改むる事」まで。2巻が「菅公御誕生之事」から「菅公讃州にて雨乞の事」まで。3巻が「屠蘇を進奉る事」から「全忠帝をしいして自ら帝になる事」まで。2編は4巻冒頭に賀茂道綱・川辺武彦・悪僧信教法師の肖像および略伝と「宇曽替之守之図」を色刷りで掲げ、本文は4巻が「渡唐天満宮の事」から「天皇を諌め給ふ事」まで。5巻が「菅公、大臣に任ぜられる事」から「菅公、都を出給ふ事」まで。6巻が「菅公、筑紫に赴き給う事」から「菅公左遷勅免贈位、并、天満宮神徳之事」まで。 SE02104
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愛媛面影[愛媛乃面影](2種)
¥7,480
愛媛面影[愛媛乃面影](2種) 【判型】大本5巻5冊。収録順に縦260・252粍。 【作者】半井梧庵(ナカライゴアン・平野梧庵)作・序。 【年代等】慶応2年4月、本塚主水橘興序。慶応2年7月自序。慶応3年12月、平野榮(季榮・北岳)序。明治5年5月刊。[今治]碧梧庵蔵板。[今治]島屋喜太郎ほか売出。明治43年4月再刊。[愛媛県今治本町]阿部利三郎板。 【備考】分類「地誌」。明治43年後印本も抄録した。本書は伊予国の地誌で、伊予版の名所図会。1巻は宇摩郡・新居郡・周布郡・桑村郡、2巻は越智郡・野間郡、3巻は風早郡・和気郡・温泉郡、4巻は久米郡・伊予郡・浮穴郡・喜多郡、5巻は宇和郡。愛媛県生涯学習情報システムHPによれば、愛媛県は明治6(1873)年2月20日に誕生したが、新県名に「愛媛」を採用した背景には今治藩医・国学者の半井梧庵(1813-89)が編纂した地誌『愛媛面影』の存在があった。そもそも「えひめ」という名称は、『古事記』に「伊予国をえひめ愛比売と謂ふ」と記された女神の名前に由来する。「愛比売」に「愛媛」の文字を当てたのは『愛媛面影』が最初で、いわば梧庵は「愛媛の名付け親」であったが、このことは一般にあまり知られていない。本書は近世伊予国の代表的な地誌で、愛媛の地方史・地域史研究の源流として位置づけられる。梧庵は古代の「伊予国風土記」の散逸したのを嘆き、自らの地理認識及び歴史観のもとで、伊予国全域を対象とする私撰の一国地誌『愛媛面影』(5巻5冊)を明治2(1869)年に刊行した。その作成にあたって梧庵は、多くの先行文献を調査し、自ら伊予国内の社寺・旧跡を訪ね、実地踏査にも力を注いだ。本書の最大の特色は、近世後期に古き伊予国の面影を追究し、当時全国的に流行した名所図会のスタイルにならって文字と図版で記録化した点にあった。特に実物実景の写生をもとに分かりやすく描いた図版は、近世後期の伊予の姿を現代に生き生きと伝えている。 SE02087
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江戸繁昌記・江戸繁昌後記
¥5,180
江戸繁昌記・江戸繁昌後記 【判型】半紙本6編6冊(5編+後記1冊)。縦208粍。 【作者】寺門静軒(良)編。 【年代等】天保3~7年刊。[江戸]克己塾蔵板。 【備考】分類「地誌・随筆」。江戸後期の漢文戯作(げさく)。寺門静軒(てらかどせいけん)著。5編5冊。1832~36年(天保3~7)刊。さらに第6編は『江戸繁昌後記青楼之巻(せいろうのまき)』として41年刊。また第5編を書き継いだ『江戸繁昌後記』は初編・2編が78年(明治11)に刊行。浪人儒者の生活の資とするために書き始められた本書は、相撲(すもう)、吉原、両国烟火(はなび)といったぐあいに江戸の世俗の繁華を漢文で戯(ざ)れ書きするという新しい試みに大当りをとるが、作者生まれつきの皮肉な目と批判精神により、江戸期には希有(けう)の現実風刺の文学ともなり、そのために初編・2編がまず1835年に発禁処分を受け、懲(こ)りずに3編以下を刊行したため、天保(てんぽう)の改革(1841~43)にあたって作者はついに武家奉公御構(おかま)いの処分を受け、現実風刺の徹底した『江戸繁昌後記』は明治の新政府の下でなければ刊行しえないこととなった。幕末・明治期には本書の評判に倣って、「繁昌記もの」とよばれる一分野ができたほどである(コトバンク)。SE02080
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〈再校〉江戸砂子[〈再校〉江戸砂子温故名蹟誌・再校江府名跡志]
¥6,460
〈再校〉江戸砂子[〈再校〉江戸砂子温故名蹟誌・再校江府名跡志] 【判型】半紙本6巻8冊。縦225粍。 【作者】菊岡沾凉(崔下庵・米山翁・南仙子)作・序。丹治庶智(タジヒチカトモ、政逸・恒足軒)補・校・序。冬渉(牧冬映)校。 【年代等】享保17年5月、崔下庵沾凉作・序。明和7年8月、丹治政逸序。明和9年冬、田維辛跋・刊。[江戸]須原屋伊八板。 【備考】分類「地誌」。『江戸砂子』(えどすなご)は江戸時代中期に著された江戸の地誌。著者は俳人菊岡沾涼。後に著者自身により『続江戸砂子』が出て、後世には増補版『再校江戸砂子』が刊行された。江戸地誌の前作である貞享4年(1687年)の『江戸鹿子』出版から年月が経過し、比定地の不明となった地名が出現するなど、実用に堪えない点が多く出てきたため、菊岡沾涼と有力版元万屋清兵衛が時代の要請に応えるかたちで出版された。編集には8年が費やされた。江戸地誌としては最も流布したものとなり、後世まで出版が継続された。SE02078
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越後蒲原・岩船両郡活動根記[越後蒲原・岩船両郡騒動記]
¥1,200
越後蒲原・岩船両郡活動根記[越後蒲原・岩船両郡騒動記] 【判型】大本1冊。縦240粍。 【作者】本間宮書カ。 【年代等】明治初年書カ。 【備考】分類「実録」。表紙その他に「越後古館・三浦屋」の朱印を押す。『越後蒲原・岩船両郡活動根記』は、米の不作に加え土地争いに端を発して文化11年5月23日の夜に勃発した「蒲原・岩船両郡騒動(菅田騒動とも)」の顛末と奉行所における吟味取り調べと判決までを記録したもの。同地域では文化10年春から日旱が続き、夏には一転、雨続きとなって冷害をもたらした。その結果、翌11年には米価が1俵2貫500文から2貫800文まだ高騰、新発田城下には飢人があふれた。こうして、5月23日未明に檄文が一夜のうちに関谷郷・保内郷・神納郷に散布され、集結した農民たちは十二天村を皮切りに東牧村、黒川町、春木山・金屋(旧荒川町)を経て桃崎浜、荒井浜、中村浜から村松浜に押し寄せ大地主・村役人・廻船問屋らを襲撃した。最大約2500人が蜂起し、3日間に及ぶ大規模な騒動となった。SE02071
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★易学発蒙
¥9,200
★易学発蒙 【判型】半紙本5巻5冊。縦225粍。【作者】井上鶴洲(教親・和卿・主殿)作。井上観国(孟光・主税)校・跋。 【年代等】文化6年冬、井上教親序。文化7年2月、小林諒(井幹)序。文化8年冬、井上鴻斎(亮重)附言。文化9年、津田鳳卿(邦儀)序。文政元年9月、藤原貞直序。文政3年3月刊。[大阪]浅野弥兵衛ほか板。 【備考】分類「漢学」。易学の基本から高度な内容まで網羅的に解説した書。1巻「仁」、2巻「義」、3巻「礼」、4巻「智」、5巻「信」から成る。SE02068
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〈新撰・早見出〉永代節用無尽蔵(〈大広益・新改正〉大日本永代節用無尽蔵・増字永代節用)
¥8,800
〈新撰・早見出〉永代節用無尽蔵(〈大広益・新改正〉大日本永代節用無尽蔵・増字永代節用) 【判型】大本2巻2冊。縦262粍。 【作者】堀原甫編・序。 【年代等】天保2年12月初刊。嘉永2年8月再刻。[京都]勝村治右衛門ほか板。 【備考】分類「辞書」。取り合わせ本揃い(表紙の紋様は上下で異なる)。節用集でも最も浩瀚なもの。 SE02052
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売買出世車[米穀売買出世車]・売買出世車図式[八木宝の市](2種)
¥2,320
売買出世車[米穀売買出世車]・売買出世車図式[八木宝の市](2種) 【判型】半紙本2巻2冊。収録順に縦226・225・227粍。【作者】赤松閣鬼望(東白)編・序。【年代等】正編:延享5年3月自序。延享5年5月初刊。宝暦8年10月再刊。[大阪]柏原屋嘉兵衛ほか板。正編別本:刊年不明。刊行者不明。図式:宝暦8年10月自序・刊。[大阪]柏原屋嘉兵衛ほか板。【備考】分類「経済」。『国書総目録』によれば書名は「ウリカイシュッセグルマ」。『〈米穀〉売買出世車』は米売買の投機で成功した著者が体験談に照らして綴った米穀投機の秘訣集で、『図式』は米穀売買のあらましを図解したもの。『図式』表紙見返には諸国から到着した米の升目を量る際の振籤(ふりくじ)について触れ、続いて本文で、「水揚」「米出し」「仲仕品々」「堂島渡辺橋米穀入札の躰」「米穀相場の図」「米方(やりくり)両替」「米方両替仕法」「先納切手」「出切手」の順に主として取引風景の図解(一部文書の例も示す)を交えながら説明する。 SE02045
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うたぶくろ[歌袋](2種)
¥5,040
うたぶくろ[歌袋](2種) 【判型】半紙本6巻6冊。縦227粍。 【作者】富士谷御杖(北辺二世成寿(ナリノブ))編・序。 【年代等】寛政5年初刊([京都]北村四郎兵衛ほか板)。江戸後期再刊。[京都]永田調兵衛ほか板。 【備考】分類「歌学」。末尾に別本の一部を抄録した。歌論書。御杖の歌学修業期の、伝統的歌学と父富士谷成章(ナリアキラ)の語学・歌学との集大成的祖述書(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02040
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韻鏡諸鈔大成(宝永2年)
¥6,920
韻鏡諸鈔大成(宝永2年) 【判型】大本7巻9冊。縦257粍。 【作者】馬場信武(尾田玄古)編・序。 【年代等】宝永2年5自序。宝永2年5月刊。[京都]教来寺弥兵衛ほか板。 【備考】分類「音韻」。袋綴じ展開収録(見開き図再掲)。漢文字の四声七音反切について解説したもの。 SE02017
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医療羅合[絹篩]
¥20,440
★医療羅合[絹篩] 【判型】半紙本11巻10冊(本編7巻・小児2巻・眼目3巻の全12巻中「小児」下巻1冊欠)。縦223(小児のみ228)粍。 【作者】藤井見隆(政武・以求子・慎斎)編・序。長岡恭斎(丹堂)校・序。 【年代等】享保9年9月自序。享保10年、長岡恭斎序。享保11年刊。[京都]めと木屋勘兵衛板。 【備考】分類「医学」。袋綴じ展開収録。総合治療全書とも言うべき医書。広告に「『医療羅合』全部12冊、諸家の秘方、和漢の妙剤、病門をいろは順にわけ、百病を治する」とあるように12巻(本編7巻、小児医療羅合2巻、眼目精要3巻)に分けて記す。なお、収録順序は端本の「小児」を最後とした。SE02001
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)