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漢画独稽古(文化4年)
¥1,840
漢画独稽古(文化4年) 【判型】大本2巻2冊。縦246粍。 【作者】宮本君山(瓊)作。 【年代等】文化4年8月、淵上禎(白亀)跋。文化4年9月、峩洋堂主人序。文化4年9月刊。[紀伊]赭鞭館蔵板。帯屋伊兵衛ほか板。 【備考】分類「絵画」。乾坤2巻からなり、乾巻には「総論」「写生法」「写意比鶴之図」「写生位置(ズドリ)」「山之皴法同図」「樹之点法同図」「写意之人物図」「倭画漢画之論」「絹幅上幀子法(エギヌヲワクニハリヨウ)」など15項、坤巻には「山水之写生之論」「山水之名目」「平園山水之図」「山水六遠之論」「画南北之訣」「四季雑山水之画題并山水之図」「花鳥之画題」「写生小鳥之図」など11項について記す。SE02424
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漢画捷径(四愛人物之部)
¥1,400
★漢画捷径(四愛人物之部) 【判型】大本1冊。縦264粍。 【作者】大倉笠山(リツザン、大蔵笠山・大倉国宝・穀コク)画。中林竹洞校。 【年代等】文政2年夏、中林竹洞序。嘉永5年春再刊。[京都]近江屋佐太郎板。 【備考】分類「絵画」。第11丁落丁のため別本にて補った。中林竹洞に画を、頼山陽に詩を学び、詩文にも優れた江戸後期の画家、大倉笠山による漢画絵手本。巻頭に「四君子(蘭・竹・梅・菊)」の墨絵(模写)を掲げ、続いて各種人物の描き方を示した「人物描法」を掲げる。人物描写については「半点モ世ニ媚ルノ相アルベカラズ…凡ニコヘ塵ヲ出ルノ気象ヲ写ベシ」と説く。 SE02422
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〈江戸神仏〉願懸重宝記
¥1,400
★〈江戸神仏〉願懸重宝記 【判型】中本1冊。縦160粍。【作者】万寿亭正二(葛葉山人・並木五瓶二世)作。勝川春亭画。 【年代等】文化11年1月初刊。明治初年再刊。[江戸]西宮弥兵衛板。 【備考】分類「地誌」。「初編」と記すが初編のみの刊行。当時江戸府内で流行していた願掛け・流行神31例を紹介したもの。例えば、頭痛なら高尾稲荷の社、疱瘡の願なら錐大明神、虫歯や口中一切の願ならおさんの方…というように巻頭目録に、寺社名を願懸けの種類とともに掲げてある。SE02420
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勧学まりうた[〈勧学〉鞠謡](2種)
¥2,000
★勧学まりうた[〈勧学〉鞠謡](2種) 【判型】小本1冊。収録順に縦149・148粍。 【作者】蒼髯叟作。 【年代等】明治年間刊。[東京]和泉屋市兵衛板。 【備考】分類「歌謡・教訓」。同板2種を収録。『勧学まりうた』は、皇国民としての学問の意義や勧学を説いた手まり歌。「一ッとや、人と生まれて学ばねば学ばねば、ひとの人たる甲斐ぞなき、おこたるな」で始まる10番と「一ッとや人たる務をせぬ人はせぬ人は、人の皮着しけものなり、おこたるな」で始まる10番の合計20番から成り、全ての歌の最後を「おこたるな」で統一する。後半にも童歌風に綴った童蒙向け教訓(家庭や学校での努力目標)や、皇国の学問の起源と文明開化の意義を略述した「開化哉文廼朝風(ひらくるやふみのあさかぜ)」を載せる。刊年不明だが、内容から明治初年であることは疑いない。本文をやや小字・6行・付訓で記す。SE02419
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勧学筆記(溝口浩軒)
¥1,400
★勧学筆記(溝口浩軒) 【判型】大本1冊。縦258粍。 【作者】溝口浩軒(直養ナオヤス・浩斎)作・書。 【年代等】安永8年5月作・書。安永8年秋刊。[新発田]藤間得康板。 【備考】分類「教育」。新発田藩第8代藩主・溝口浩軒(1736-97)が著し、領民に示した仮名書きの教諭書。版下も溝口浩軒の自筆で、刷了間もない安永8年12月に領内に頒布された。「こゝに記す処は聖賢の書をよめば聖賢の書に皆ある事にて、改めて書するに及ばぬ事なり。然れども今日聖賢の書をよまぬ人有るにより、其よまぬ人へ見する為ばかりに書す者なり」と起筆し、日頃聖賢の書を読む機会のない庶民に対して聖学の根本を簡潔に述べた勧学の書。貴賤尊卑の別なく学問が必要なこと、天性の素質の善し悪しに関わらず学問が重要なこと、国家の安全や個人の無難に学問が不可欠なこと、さらに、朱子学では山崎闇斎学派を薦めてこれを精魂傾けて学ぶべきことなど「志学」のあらましを説く。底本には刊記がないが、初刷りと思われる別本には「安永己亥秋、越後新發田、藤間得康謹刊」の記載がある。SE02418
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神明憑談(カンガカリ・シンメイヒョウダン)
¥1,000
神明憑談(カンガカリ・シンメイヒョウダン) 【判型】大本2巻2冊。縦252粍。 【作者】多田義俊(多田南嶺・桂秋斎・政仲・理見・満泰・利見)作(口授)。植松次親編。植松宗清(永康)跋。 【年代等】享保19年冬自序(春塘多田義俊進蔵甫)。享保20年1月編。宝暦5年1月初刊。江戸後期再刊。[大阪]河内屋喜兵衛板。 【備考】分類「神道」。神道の諸問題に関する雑記的な論書。漢字カナ交じり。上巻:神代人代之差別、撰日本書紀旨趣、読日本書紀用意、両部唯一并神秘ノ事、神道忌獣肉乎之事、下巻:読神紀有習、和訓考、中臣忌部職掌考、木綿襁考、異国産物納宮社無難考、随筆少々(天狗・天ガツ・獅子狛・尊と命)。序によれば『中臣祓気吹抄』とともに多田義俊の言説を植松次親がまとめたもの(西尾市岩瀬文庫DB)。 SE02417
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寛永昇進録
¥4,160
★寛永昇進録 【判型】大本3巻3冊。縦239粍。 【作者】三輪某書カ。 【年代等】安政4年書。 【備考】分類「伝記」。阿部忠秋の逸話を集めた伝記で、全3巻から成る立身出世譚。上巻には「劔術御稽古始豊後守御相手之事、并ニ菊御遊御不興を蒙る事」、中巻には「豊後守殿切腹を止る事、并ニ大久保彦左衛門御諫言之事」、下巻には「江戸大水豊後守殿乗渡る事、并ニ豊後守殿昇進之事」を収録する。なお、阿部忠秋(1675-1602)は、江戸前期の近習出頭人、老中、下野壬生(栃木県壬生町)、武蔵忍藩(行田市)藩主。豊後守。旗本阿部忠吉の長男。母は松平康高の娘。江戸生まれ。幼少から徳川家光に仕え、膳番、小姓組番頭などを歴任しながら出世。寛永3(1626)年には1万石。同6年に1万5000石。10年松平信綱や従兄の阿部重次らと六人衆に任命され、近習出頭人として幕政に参画、以後次第に土井利勝ら秀忠以来の老中を棚上げしながら、家光政権の確立に尽力、幕政の中心的存在となる。同年老中並、12年壬生藩主となり2万5000石、同年10月老中に進み後31年間在任。同16年忍に移封5万石。この前後に江戸周辺の城に家光政権の老中らが入城、彼らが政治的にも軍事的にも幕府を支える体制を確立。正保4(1647)年6万石。慶安3(1650)年家綱の傅役。翌年家光が死去すると、松平信綱と幼少の将軍家綱をもり立て幕政を運営。しかし酒井忠清ら門閥譜代層が幕政に進出し、次第に家光以来の政治理念の変更を余儀なくされ、寛文2(1662)年僚友の松平信綱が死去すると幕閣内で孤立。翌年8万石となるが、5年老病との理由から勤務を免除され、翌6年老中を辞職。11年致仕して養子の正能に家督を譲る。死後、遺言して日光の家光廟の脇に分骨を埋葬。捨子を育てたり牢人を保護するなど、清廉篤実な人柄で人望が厚かった。才気走った松平信綱とよく比較され、信綱をたしなめる逸話が多い(コトバンク)。SE02416
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冠位通考
¥1,000
冠位通考 【判型】大本1冊。縦267粍。 【作者】石原正明(マサアキラ、喜左衛門)作。 【年代等】文化2年7月作・刊。[名古屋]永楽屋東四郎(東壁堂)板。 【備考】分類「有職故実」。袋綴じ展開収録。本書は、日本の位階制度について解説したもの。推古朝の冠位十二階(603年)に始まり大宝令(701年)で完成するまでの変遷を詳しく考察し、また、外位、勲位、親王・諸王の位階、僧位、神階などについても解説している。著者の石原正明(1760‐1821)は尾張国海東郡神守村(現津島市)出身の国学者・歌人。一時本居宣長の門下となり、江戸に出て塙保己一の下で「群書類従」の編纂に携わった(愛知芸術文化センターHP参照)。 SE02415
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河内名所図会[河内国名所図会]
¥5,440
河内名所図会[河内国名所図会] 【判型】大本前後2編6巻6冊。縦258粍。 【作者】秋里籬島(湘夕・舜福)作・序。丹羽桃渓(丹元国・靖中庵)画。 【年代等】享和元年7月、花山院大納言(右大将愛徳卿)序。享和元年秋自序。享和元年11月刊([大阪]森本太郎板)。明治初年後印。[大阪]柳原喜兵衛板。 【備考】分類「地誌」。『河内名所図会』は、江戸時代後半の享和元年に秋里籬島が文章を書き、丹羽桃渓が絵を描いた河内の地誌・案内書。各郡ごとに、当時の名所・旧跡・寺社を紹介している。この種の名所図会は、安永9年の『都名所図会』に始まり、以後、諸国諸地方で発刊され、好評を博した。特に、『河内名所図会』は今日、発掘で話題となる文化財の当時の描写や口碑・伝説のたぐいを収録し解説しているものが多い(大阪日日新聞HP参照)。SE02414
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かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語]
¥1,000
かはしまものがたり[革島物語・川島孝行物語] 【判型】大本1冊。縦266粍。 【作者】加藤竹里(景範)作。岩崎尚光画。 【年代等】明和7年、中井積徳序。明和8年11月、中井積善跋・刊。[大阪]懐徳堂蔵板。 【備考】分類「実録」。川島村孝子義兵衛(革島義兵衛)伝。孝子義兵衛とは、山城国葛野郡川島村の農民で、孝行を表彰された人物であり、その行状を記たものが複数存在するが(中井竹山の『孝子義兵衛記録』、布施松翁の『西岡孝子儀兵衛行状聞書』、懐徳堂で学んだ加藤景範が著し、懐徳堂から刊行された『かはしまものかたり』など)、本書はその一つ。『かはしまものがたり』は、加藤景範著、中井履軒序、中井竹山跋、岩崎象外画。明和8年(1771)懐徳堂蔵版。明和7年、養母に対して孝養を尽くしたことにより「孝子」として幕府から表彰された山城国葛野郡川島村の義兵衛の行状を和文・挿絵入りで著したもの。川島村は竹山の妻の実家(革嶋家)の所在地で、竹山は『孝子義兵衛記録』を著して義兵衛のために積極的な顕彰運動を展開した(佐野大介「孝子義兵衛関連文献と懐徳堂との間、附翻刻」(『懐徳堂センター報2005』)および、大阪大学附属図書館HP参照)。SE02413
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家礼[朱子家礼・文公家礼]
¥2,240
家礼[朱子家礼・文公家礼] 【判型】大本5巻・附図1巻合3冊。縦251粍。 【作者】浅見絅斎(安正)作・跋。田辺楽斎校注。 【年代等】元禄10年12月自跋・初刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋喜兵衛板。 【備考】分類「漢学」。延宝3年初刊本の板木が焼失したために元禄期に複刻したもの。『家礼』は、中国・南宋時代に成立した礼儀作法書で、『朱子家礼』『文公家礼』とも言う。第1冊(1巻「通礼」、2巻「冠礼」、3巻「昏礼」)、第2冊(4巻「喪礼」、5巻「祭礼」)、第3冊(家礼図)から成る。SE02412
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苅萱道心行状記
¥2,220
苅萱道心行状記 【判型】大本5巻5冊。縦252粍。 【作者】西向庵春帳(愚洞・西向庵春帳子)作。門誉(含蓮社)識語。 【年代等】寛延2年初刊([江戸]辻村五兵衛板)。江戸後期再刊。[大阪]河内屋茂兵衛板。 【備考】分類「読本」。説教の材料と読み物を兼ねた近世出来の仏教長編説話集の一。中世以来、近世に入っては説教浄瑠璃や諸演劇の材となった苅萱説話の集大成で、巧みに構成して、後続のものの一原型となったもの。後識にも、傀儡場中の戯(人形芝居)で仏教臭のあるものを潤色し、談義の材として勧懲をすすめるものと明記している。加藤繁氏の誕生、妻桂御前と千里姫の争い、加藤家の御家騒動、繁氏黒谷で得度し苅萱となる、苅萱の修行、千里姫一子石堂丸と父を高野山に訪う、苅萱善光寺にて往生、石堂丸の道念法師の往生までであるが、思想上は浄土宗の臭いが濃い。口頭でも、文学作品でも、苅萱説話は、この筋が襲われ、曲亭馬琴の『石堂丸苅萱物語』(文化3年刊)も、これによっている(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02411
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〈拾珍御伽〉璣カラクリ訓蒙鑑草[璣カラクリ訓蒙鏡草](稀書複製会本)
¥1,000
〈拾珍御伽〉璣カラクリ訓蒙鑑草[璣カラクリ訓蒙鏡草](稀書複製会本) 【判型】半紙本3巻3冊。縦235粍。 【作者】多賀谷環中仙(環中仙い三イゾウ)作。川枝豊信画。 【年代等】享保15年1月初刊([京都]蓍屋伝兵衛ほか板)。昭和4年複製(底本は刊記なし)。 【備考】分類「遊戯」。稀書複製会6期木版複製本。当時流行のからくり芝居の機巧を解説したもので 上巻にその舞台面を描き 下巻にその各々の内部構造を示してゐる(国文学研究資料館DB)。『璣訓蒙鑑草』は、江戸初期の〈からくり〉解説書。1730年(享保15)刊。多賀谷環中仙撰。川枝豊信画。〈拾珍(しゆうちん)/御伽(おとぎ)〉と角書(つのがき)がある。2巻3冊。上巻で当時の代表的な〈からくり〉28種の図を掲げ、下巻でそれぞれにつき図解・種明しをした書。〈からくり〉の装置は滑車やてこを利用した糸からくりが9種を占め、ポンプ、ばね、歯車、水銀を用いたものが各1種、その他は奇術、手品に類するもので、技術的には単純にして幼稚なものである(コトバンク)。/上巻で当時の代表的な〈からくり〉28種の図を掲げ、下巻でそれぞれにつき図解・種明しをする。〈からくり〉の装置は滑車やてこを利用した糸からくりが9種を占め、ポンプ、ばね、歯車、水銀を用いたものが各1種、その他は奇術、手品に類するものである。「いろは人形」「太鼓」「道成寺」「小かぢ」「天鼓」「蟻通玉」「百挺からうす」「人形を人にかくさせ人形が占ふ」「三本の扇の内人の取りたるを占ふ」の諸からくりはともに糸からくりであり、糸の所在を分からないようにし不思議にしてある。また、「人形吹矢をふく」「人形はなれて向ふへ行又はたらく」「人形犬に乗る」「人形文字を書く」「三段がへりかるわざ人形」の諸からくりは機械人形。さらに、「天神記僧正の車」「唐人の笛吹き」「人形三味線をひく」「などのからくり人形は、人間(子供等)が隠れて入り機械人形を装うもの。この他、ろくろを使用した「首ひき人形」「や一日に四十里余走る人力の自動車「陸船車」などが珍しい。また水からくりでは五色の水をあつかう「錦竜水」や、ひっきりなしに水の落ちる「異竜竹」「水の中へ人形つかひながらはいる」「茶釜の水茶となる」などからくりとして優れている。「玉子ひよことなり」「ひよこ籠へ入り鶏となる」仕掛け物、竹田の独楽の他、大魔術的なものとして奈落を利用する「五寸の箱の中へ人形を使いながら入る」「鳩、鉢の子に入り仏となる」などのからくりがある。昭和4年の稀書複製会本は後の含霊軒発行の松竹梅(三冊)を復刻したもの(クラシックマジック研究ブログ参照)。 SE02410
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〈慶応再刻〉華洛名所記[花洛名所記・華洛名所図]
¥2,200
★〈慶応再刻〉華洛名所記[花洛名所記・華洛名所図] 【判型】横本1冊。縦113粍。 【作者】池田東籬(正韶マサツグ・悠・鳳卿・菊人)作。 【年代等】慶応元年1月再刻。[京都]藤井卯兵衛板。 【備考】分類「地誌」。6日間で洛中洛外の主な名所を巡覧出来るように編まれた案内記。本文の前に絵地図10丁半あり。巻末に「洛陽諸巡拝」として天満宮廿五ケ所巡り・洛陽三十三所観音・四十八願所巡り・法華廿一ケ寺・地蔵廿四ケ所・六地蔵の一覧記事あり(名古屋大学HP)。SE02409
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〈文化秀詠〉冠附後の栞[〈冠附〉後の栞]
¥6,660
★〈文化秀詠〉冠附後の栞[〈冠附〉後の栞] 【判型】横本1冊。縦102粍。 【作者】山下巴勢(ハセイ、鼠六斎ソロクサイ・鼠六坊)作。 【年代等】文化13年春、孔陀羅庵序。文政元年5月刊。[大阪]藤屋徳兵衛(含章堂)板。 【備考】分類「雑俳」。袋綴じ展開収録。本書は、「いつ迄も」「内外なふ」「とんと別」などの題に対してそれぞれ数句ずつの作品を掲げた冠付集。冠付(かむりづけ)とは、雑俳で、初めの5文字を題として出し、これに中7字、下5字を続けて、1句にまとめる文芸。「笠付(カサヅケ)」「烏帽子付(エボシヅケ)」「冠句(カムリク)」とも。 SE02407
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冠附名取之津衛[名吟冠附名取つゑ・〈名吟〉冠附集・〈冠附〉日新集]
¥3,000
★冠附名取之津衛[名吟冠附名取つゑ・〈名吟〉冠附集・〈冠附〉日新集] 【判型】横本1冊。縦114粍。 【作者】和田麻貫マカン編。 【年代等】安政4年刊。[大阪]茨木屋藤七ほか板。 【備考】分類「雑俳」。後半に雪光庵素洲編「〈名吟〉冠附集」、脇田素閣編「〈冠附〉日新集」を付す。 SE02406
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嘉民談
¥1,400
★嘉民談 【判型】半紙本1冊。縦225粍。 【作者】不明。 【年代等】文化6年7月刊。刊行者不明。 【備考】分類「神道」。SE02405
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神代正語(神代のまさごと)
¥2,560
神代正語(神代のまさごと) 【判型】大本3巻3冊。縦266粍。 【作者】本居宣長作。栗田土満ヒジマロ序。横井千秋序。 【年代等】寛政元年序。寛政2年初刊。江戸後期再刊。[名古屋]永楽屋藤四郎板。 【備考】分類「国学」。SE02403
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神代正語[神代のまさこと](紺表紙)
¥2,820
神代正語[神代のまさこと](紺表紙) 【判型】大本3巻3冊。縦262粍。 【作者】本居宣長作。栗田土満ヒジマロ序。横井千秋序。 【年代等】寛政元年序。寛政2年初刊。明治初年後印。[名古屋]永楽屋東四郎板。 【備考】分類「国学」。色刷り表紙の別本も全冊収録した。本書は、神代の古伝を、『古事記』を中心として仮名交り文で記した書。神代の物語を、口々に語り伝えられた最も古く正しい形のままに復原し、普及させよう、それには漢字化された本文よりもかえって仮名文の方がよく、初学者にもわかりやすい、との意図によって著されたもの。『日本書紀』の説も所々に「又は…ともあり」として付すが、すべての異同を示すのではなく、著者の正伝(正語)の構想の中で肝要と思われる程度で加えている。本書は門人横井千秋の要請によって書かれたものであるが、宣長自身もこうした著作には並々ならぬ力を入れていたものと思われる。SE02402
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神の御蔭の日記[神能御蔭農日記・御蔭乃日記]
¥2,260
神の御蔭の日記[神能御蔭農日記・御蔭乃日記] 【判型】大本2巻2冊。縦259粍。 【作者】藤井高尚(松斎・松屋マツノヤ)作・抜。 【年代等】天保6年冬作。天保11年6月、田中芳樹序。天保12年刊。[大阪]河内屋儀助ほか板。 【備考】分類「紀行」。上巻見返の板元広告文に「此書は、さきに大人江戸へまゐり給ひしとき、往(ユキ)には東海道をさし、還(カエリ)には木曽路にかゝり、伊勢・大和を経て京都に至り、浪華を過て備中の国に帰り給へるまで、長き旅路の日記にて、所々見しさま、聞しことのくさぐさを例にかはりて委しく書つゞられしものから、吾妻路のやうを知らんには、いといと便りよきかな文にてぞ有ける」とある。SE02401
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紙漉重宝記(複製)
¥1,000
紙漉重宝記(複製) 【判型】半紙本1冊。縦230粍。 【作者】国東治兵衛作。靖中庵桃渓(丹元国・丹桃渓・丹羽桃渓)画。堀越壽助編(複製本)。 【年代等】寛政10年4月初刊([大阪]海部屋勘兵衛ほか板)。大正14年6月複製。[東京]製紙印刷研鑽会板。 【備考】分類「製紙」。石州半紙の製法を絵入りで紹介したもの。詳細な挿絵が多いので江戸時代の製法を知る上で貴重な資料(国文学研究資料館DB)。「紙漉重宝記」によると慶雲・和銅の頃(704-715)石見の国の守護、柿本人麻呂が民に紙漉きを教えたと記されており、この記述により、1300余年の間、石見国(島根県石見地方)で手漉きの紙が漉き続けられ、技術の伝承が行われ、現在に至る歴史的根拠となっている(「神の国から」HP参照)。1798年(寛政10)に、石見(いわみ)国遠田村(島根県益田市)の篤農家国東治兵衛(くにさきじへい)が著した製紙の解説書。大坂で出版された。農家に副業として紙漉きを勧めるため、原料の刈取りから製品の出荷に至るまでを詳細に図解した啓蒙(けいもう)書で、当時の画家靖中庵丹羽桃渓(せいちゅうあんにわとうけい)の漫画風挿絵が多数入っている。現代までに復刻版も多く、海外でも翻訳されている(コトバンク)。SE02400
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〈絵入〉神路の手引艸[神路手引草・神路手挽]
¥1,380
〈絵入〉神路の手引艸[神路手引草・神路手挽] 【判型】半紙本3巻3冊。縦225粍。【作者】増穂残口(増穂最仲・十寸穂マスホ耶馬台)作・序。【年代等】享保4年7月刊。[大阪]武川善右衛門(富政)ほか板。【備考】分類「神道」。「残口八部書」の一。民衆相手に神道を布教した、いわゆる俗神道家である著者の通俗的教書というべきもの。分に応じて努め励み、安心立命を得るのが神道の本分となる、と説く。一老女との問答体をもって、老女をして神道について語らしめるという構成方法をとり、鳥居・千木鰹木・拍手の由来、根の国・底の国・高天原の意義、神像、正直、祈祷師・祭主・宮司の意義、カミの訓、日待・月待の行事、太占、祈言・厭魅(マジナイ)を始め、神道の様々の事柄について記す(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02399
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神路之手向草[〈小社探買詞評〉神路の手向草・小社探三段評]
¥2,640
★神路之手向草[〈小社探買詞評〉神路の手向草・小社探三段評] 【判型】半紙本3巻1冊。縦225粍。 【作者】今西洪克作・序。 【年代等】享保6年夏刊。刊行者不明。 【備考】分類「神道」。増穂残口(増穂最仲)作『小社探(ホコラサガシ)』と牧樵子作『小社探買詞(残口猿轡ザンコウサルグツワ)』の両説を評論した書。凡例に、『小社探』と同書を批判した『買詞』の両書にはそれぞれ是非があるが、『小社探』よりも『買詞』の非の方が大きいが、世間では『小社探』を非として『買詞』の説を用いて神道さえも捨てんとする趨勢であるのは実に嘆かわしいので、本書を著したと執筆動機にも触れる。『小社探』からの引用を一段高く、また、『買詞』からの引用を字下げして対比させながら記し、その後に著者の評論を小字で付記するのが基本的な編集形式で、上巻に『小社探』の序文、中巻に本文の1・2段、下巻に本文3段を収録する。SE02398
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神風恵艸(神風恵草)
¥1,000
神風恵艸(神風恵草) 【判型】大本2巻2冊。縦272粍。 【作者】新松忠義(ニイマツタダヨシ、忠閭・守柱翁)作。跡部光海翁跋。三浦貞次郎(平義)書。 【年代等】享保9年5月自序・跋・刊。[江戸]小川彦九郎板。 【備考】分類「国学」。三社託宣(八幡大菩薩・天照皇大神宮・春日大明神)の問答形式の解説書。SE02397
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)