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堪忍辨義抄
¥1,400
★堪忍辨義抄 【判型】大本1冊。縦273粍。 【作者】洛下愚民作・序。 【年代等】慶安4年9月序・刊。[京都]川崎久五郎板。 【備考】分類「仏教・仮名草子」。刊行地は、序文に「洛下愚民」とあることによる推定。SE02472
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堪忍記(万治2年)
¥5,240
堪忍記(万治2年) 【判型】特大本7冊(全8巻8冊中第7巻欠)。縦276粍。 【作者】浅井了意(瓢水子・松雲・羊岐斎)作。 【年代等】万治2年3月刊。[京都]滝庄三郎板。 【備考】分類「仮名草子」。『堪忍記』は8巻8冊、仮名草子、浅井了意作。万治2年、京都・滝庄三郎刊。堪忍を易の辞になぞらえ教訓した慶安4年刊の『堪忍弁義抄』に倣い、明の顔茂猷の『迪吉録(てききつろく)』を主とし、『事文類聚』『明心宝鑑』などからも取材して、人間生活の基となすべき堪忍に関する和漢古今の逸話・巷説を挙げ教訓・教誡に資したもの。序に「百(モモ)の行ひの中に、心ざしの行くところ、忍の一字を取りて、これを現はして筆に記す」という。通編25項目に分かち、それぞれの項目に簡単な概説を加えて、以下、それに関する説話を集めている。1巻は、(1)忍の字の評、(2)堪忍すべき子細、(3)忍の字に二つの元あり、(4)瞋恚をとどむる堪忍、(5)怒をとどめて忍をおこなふ、(6)貪欲をとどむる堪忍、(7)色欲をとどむる堪忍。2巻は、(8)財欲の堪忍、(9)主君の堪忍、(10)主君につかうまつる堪忍、(11)傍輩中の堪忍。3巻は、(12)子を生立(ソダツ)る堪忍、(13)父母につかうる堪忍。4巻は、(14)職人の堪忍、(15)商人の堪忍、(16)医師の堪忍。5巻は、(17)法師の堪忍、(18)友達交はりの堪忍、(19)大義を思ひたつ堪忍。6巻は、(20)婦人の評、(21)姑につかうる堪忍。7巻は、(22)憐姫(リンキ)のおもひある堪忍、(23)継子を育つる堪忍。8巻は、(24)孀(ヤモメ)になりたる堪忍、(25)陰徳を行ふべき事。但し、説話を集めることに重点が置かれたためか、必ずしも全ての話が堪忍の意義に該当するということは出来ないが、読者の興味をそそるために、作者の見聞伝誦する類話をも収めたようなところがある(「日本古典文学大辞典」参照)。/仮名草子。8巻8冊。浅井了意作。1659年(万治2)刊。別版に64年(寛文4)刊の京都版、71年刊の江戸版、1701年(元禄14)刊本やその復刻版など数多くある。序に〈百のおこなひの中に、心さしのゆくところ、忍の一字をとりて、これをあらはして、筆にしるす者也〉とあるとおり、堪忍を人間生活の基調をなすものとして、通計25章、各章に数条の和漢古今の逸話あるいは巷説を挙げ、教訓を記したものである(コトバンク)。 SE02471
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神字日文伝・同附録[疑字篇]
¥2,380
神字日文伝・同附録[疑字篇] 【判型】大本2巻附録1巻3冊。縦266粍。 【作者】平田篤胤(大壑・元瑞・玄琢)作。高橋国彦・相田饒穂・佐藤信淵・森川士義・石上鑒賢・原田秀親校。岩崎長世序。小笠原以忠跋。附録は、平田篤胤作。平田銕胤校。 【年代等】文政2年5月作。文政2年6月自跋(附録)・刊。[江戸]気吹舎塾(伊吹廼舎塾)板。 【備考】分類「文字」。『神字日文伝』は、2巻2冊、岩崎長世が上梓頒布。文政2年5月に成ったものを同7年屋代弘賢の序(漢文体)を付して刊行。篤胤が別著『古史徴開題記』に論じた神代文字存在の説の証憑として、また最も信ずべきものとして、「日文(ヒフミ)」について考察し、その信憑性の高い伝写13種を示す。その冒頭に「まづ取すべて云べき事ども」と題して、神代文字に関する従前の諸説を挙げる(「日本古典文学大辞典」参照)。また、附録「疑字篇」も神代文字研究のための語学書で、篤胤が全国に伝わる神代文字とその伝承を集めて考察したもので、「日文」「上宮太子御壓尺の銘」「十二支(2種)」「神代十干十二支之大事」「三才文」「神代四十七言」「太占之卜」「神代五十音」「出雲の国の石窟の神代文字」「数量文字」「隠岐の国の岩窟の文字」「筑後の国石窟の文字」「上古之文字」「神代四十七言」「神代象字伝」「神躰勧請之御正神」「大己貴命之霊句四十七言」「思兼命之霊句四十七言」「斎部家の極秘神名」「宗源道極秘の神名」「論語の訓」「天名地鎮(アナイチ)」「土牘秀真文(ハニフダホツマブミ)」「三輪の神社額字」「本朝五十音の和字」「和字略画」「神事五十韻」「御笠山の伝記」「神代文字二体」「神代五十韻字」「秀真伝(ホツマツタエ)」「数名」「天地の字竜田の神号」「五行の仮字二体」を収録する。SE02470
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閑度雑談
¥2,840
★閑度雑談 【判型】大本3巻3冊。縦261粍。 【作者】中村弘毅(梅華・新斎)編。 【年代等】嘉永元年、嶋田周忠序・初刊。明治初年後印。[京都]山田茂助板。 【備考】分類「随筆」。SE02469
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関東大江戸并諸国大地震出火方角附
¥700
関東大江戸并諸国大地震出火方角附 【判型】中本1冊。縦182粍。 【作者】板元編カ。 【年代等】安政2年刊。乾坤亭万歳楽蔵板。 【備考】分類「災異」。安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時頃に関東地方南部で発生したM7級の大地震である「安政江戸地震」(俗に言う「安政の大地震」はこれを指す場合が多い)の被害状況をまとめた小冊子。表紙見返に会所の図と、被災者救済に関する名主文書を掲げる。本文は「夫、陰陽の二気は天地万物の根元にして、陽天にみちて雷をなし、陰地中にみちて地震となすとかや。本朝往古より天変地妖多しといへども、いまだ如此大変を覚ず。于茲(ココニ)安政二乙卯年十月二日夜四ッ時過るころ、関東の国々大地震にて、一時に震動なし、多くの人命を絶事(ゼッスルコト)、恰(アタカ)も風前の燈火のごとし…」と起筆して、江戸府内各地の被害状況(人的被害や家屋敷・橋その他建造物の倒壊・焼失等)を詳しく紹介する。また、末尾では、この大地震の直前の安政2年9月28日(1855年11月7日)に遠州灘で発生した大地震についても付記する。 SE02468
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閑田文草[閑田文章]
¥4,700
閑田文草[閑田文章] 【判型】大本5巻5冊。縦257粍。 【作者】伴蒿蹊(資芳スケヨシ・閑田子・閑田廬)作。増田春耕書。 【年代等】享和2年8月、浦世纉序。享和2年6月、伴資規(直樹)序。享和3年3月刊。[京都]文台屋太兵衛ほか板。 【備考】分類「和文」。袋綴じ展開収録。当時の随一の文章家と目された伴蒿蹊の和文集。文章を17種に分類してそれぞれ1編ないし数編(2~24編)を集録したもの。巻1は「辞」24編、「説」4編、「解」5編。巻2は「序(跋)」24編、「辨」2編。巻3は「箴」6編、「記」17編、「記」17編、「記事」1編、「論」3編、「頌」3編。巻4は「文」12編、「伝」3編、「賦(長歌)」3編、「銘」4編、「碑」1編、「書」9編、「賛」13編。巻5は「雑体」および「門人等文集」。/伴蒿蹊(文化3.7.25(1806.9.7)~享保18.10.1(1733.11.7))は、江戸中期の歌人、和文作家。幼名富二郎、名資芳、号閑田子、閑田廬。蒿蹊は号。京三条高倉西町の豪商伴弥兵衛家に生まれる。本家の伴資之の養子となったが、実父母を相次いで失い、実家は断絶、以後も妻に相次いで先立たれ、実子を得ないなど、家庭的には不幸であった。明和5(1768)年薙髪隠居し、悠々自適の生活に入る。蒿蹊が文芸の世界に遊ぶことができた理由はひとえに、その経済的な余裕にある。また伴家の代々には北村季吟に歌を学ぶような好学の風が伝統としてあったので、蒿蹊の素養は十分に培われていた。武者小路実岳に師事。実岳没後は特に師に就かず、己の好む所を楽しむ。京の文人との交流は繁く、自らも和文の達人として高く評価されるに至る。小沢蘆庵や上田秋成との交渉は有名。蒿蹊の名を最も高からしめた『近世畸人伝』の達意の文章にみられる通り、その本領は和文にあった。和文の文体論として価値の高い『国文世々の跡』や和文集『閑田文草』、随筆『閑田耕筆』などがあり、歌集に『閑田百首』『閑田詠草』などがある。当時の堂上歌人よりも高く和歌和文の才を称せられるほどの実力者であったが、現在必ずしも正当な評価を得ているとはいい難い。<参考文献>宗政五十緒編『近世畸人伝・続近世畸人伝』、清水勝「関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊」(『近世文芸』40号)、風間誠史『伴蒿蹊集』 (久保田啓一)(コトバンク)。SE02467
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〈浄土真宗〉感嘆鈔
¥1,400
★〈浄土真宗〉感嘆鈔 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】恵空(得岸・光遠院)作。 【年代等】元禄元年10月作・刊。刊行者不明。 【備考】分類「真宗」。SE02466
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元祖大師歎徳和讃[元祖円光大師和讃]
¥1,400
★元祖大師歎徳和讃[元祖円光大師和讃] 【判型】小本1冊。縦158粍。 【作者】立誉作。 【年代等】江戸後期刊。刊行者不明。 【備考】分類「和讃」。SE02465
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閑窓瑣談(〈晩進魯筆〉閑窓瑣談)
¥2,400
閑窓瑣談(〈晩進魯筆〉閑窓瑣談) 【判型】大本4巻4冊。縦264粍。 【作者】為永春水(佐々木貞高・鷦鷯貞高・教訓亭)作・序。柳煙舎ほか画。檪斎主人(阿部喜任)序。 【年代等】天保12年序・刊。明治初年再刊。[東京]青山清吉(雁金屋清吉)板。 【備考】分類「随筆」。1丁(第3巻13丁)欠。SE02464
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観世流小諷(〈新板改正〉観世流小謡)
¥2,000
★観世流小諷(〈新板改正〉観世流小謡) 【判型】半紙本1冊。縦226粍。 【作者】不明。 【年代等】万延元年8月刊。[信州]蔦屋伴五郎(向松堂)板。 【備考】分類「謡曲」。 SE02463
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観世音霊験図会[観世音霊験記]
¥2,160
観世音霊験図会[観世音霊験記] 【判型】大本4巻4冊。縦258粍。 【作者】福井香沢(香沢陳人・彦甫)作・序。梅川東挙(東居)画。 【年代等】嘉永6年7月自序。安政2年12月刊。[京都]神先宗八ほか板。 【備考】分類「仏教」。観音信仰における種々の霊験を挿絵を入れながら記した書。1~2巻は各地の観音菩薩の霊験話を紹介し、3巻では餓鬼道のあらましについて述べ、4巻に「観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品)」の訓読を収録する。1巻は巻頭に色刷りの「洛東清水寺図」を掲げ、本文に「洛東音羽山清水寺由来、附田村麿伝」「清盛公清水寺千日参霊応の事」「禅勝房道心を祈りて妻を得し話」など13話、2巻は、「京一条革堂御利益の事」「江州石山寺霊応の事」「三井寺高観音定命を延す事」など15話、3巻は、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間を五道といふ…」と起筆し、五道の中でも特に観世音菩薩がお救いになる餓鬼道について述べる。まず、無財鬼・少財鬼・多財鬼、さらに『正法念経』に示された36種の餓鬼道について縷々説明した後、『罪業報恩経』『地獄経』『餓鬼報恩経』等に見られる餓鬼道の様相を紹介する。そして最後に、このような煩悩業苦の三道を免れて大安楽を得るための方法を示し、阿難尊者が餓鬼種の業を免れ寿命を延ばした逸話を引いて信心を促す。 SE02462
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観世音御詠歌[改正御詠歌](西国三十三所)
¥2,000
★観世音御詠歌[改正御詠歌](西国三十三所) 【判型】横本1冊。縦117粍。 【作者】正光寺編カ。 【年代等】明治初年刊。[東京北豊島郡岩渕町]正光寺板(施本)。 【備考】分類「仏教」。西国三十三所の御詠歌と本尊を列挙したもの。表紙見返しに、伊勢国度会郡柳原村・無量山泉福寺の本尊と御詠歌を掲げるほか、本文末尾に施主である岩渕・正光寺の本尊と御詠歌を「番外」として載せる。 SE02461
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閑聖漫録(2種)
¥1,080
閑聖漫録(2種) 【判型】大本1冊。縦257粍。 【作者】会沢安(正志斎・恒)作。 【年代等】文久3年冬、石河幹脩跋。文久3年11月刊。[水戸]須原屋安治郎ほか板。 【備考】分類「随筆」。元治元年春、青山延光の序文を付す後印本を抄録した。門人跋文によると、会沢正志斎は数多い著述を思問・閑聖・息邪・言志・達己の5編に分類したが、閑聖とは往聖の道に閑習(熟練)する意で、これはその絶筆の書で、校閲を終えたのは没する前5、6日であったという。「父子血脈」「陰陽五行」「高山気冷」「稲荷社」「長崎諏方神社」「功烈神祠」「性善」「天命」「孔門弟子」「尊皇攘夷」など、雑論18条から成る。神州の道を経とし周孔の道を緯とする、神主儒従の敬神崇儒の思想を根拠とし、これを以て老荘・仏教・洋教等の異端邪説を破邪している。幕藩体制末期の政治思想を反映して、「尊皇攘夷」条に、時処位を審思熟慮し、暴虎馮河の勇を切に戒めているのが注目される(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02460
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菅神廟碑銘解(菅神廟碑注解)
¥2,000
★菅神廟碑銘解(菅神廟碑注解) 【判型】半紙本1冊。縦227粍。【作者】田沼謙(有終)注・序。服部政世(甫庵)跋。小山梧岡オヤマゴコウ(朝陽*小山霞外の男)・福田敬業タカノリ(鳴鵞)題字。福田半香ハンコウ(盤湖・暁夢)画。【年代等】文久2年4月序。同年8月跋・刊。[?]田沼謙蔵板カ。【備考】分類「伝記」。現・朝日の森天満宮にある陽明学者・中根東里撰文「下毛野天明郷菅神廟碑」(天明7年・1787*佐野市指定文化財)の碑文を、田沼謙が解説したもの。SE02459
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観心詠歌集[無能和尚勧心詠歌集・無能和尚和歌集并附録]
¥1,000
観心詠歌集[無能和尚勧心詠歌集・無能和尚和歌集并附録] 【判型】半紙本1冊。縦225粍。 【作者】無能(良崇無能)作。 【年代等】享保6年春、唯憑序。天明6年11月、智奘(尭雲)跋。安政4年5月、徳運(小松谷沙門)跋・刊。[京都]小松谷御坊蔵板。 【備考】分類「浄土・和歌」。念仏往生の趣きなど浄土宗の教えを道歌によって諭した書。末尾に「伊呂波和讃」「遺訓五件」(享保3年12月)を付す。無能(1683-1719)は、江戸時代中期の僧。天和3年生まれ。浄土宗。陸奥石川郡(福島県)の人。同地専称寺の良通に名越(なごえ)流の教えをうける。日課に念仏十万遍をとなえ,31歳で男根をたち,常坐不臥の行をつづけた。自著の「いろは和讃」などで教化にもつとめた。享保4年1月2日死去。37歳。俗姓は矢吹。法名は学運。号は興蓮社良崇(コトバンク)。SE02458
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甘藷之記[重刻甘藷記・さつまいものき]
¥1,400
★甘藷之記[重刻甘藷記・さつまいものき] 【判型】半紙本1冊。縦225粍。 【作者】青木昆陽(敦書アツノリ・文蔵)作。 【年代等】享保19年12月作。延享2年11月、野呂元丈(実夫・源次・連山)序。延享2年11月初刊。[京都]茨城多左衛門板。[大阪]鈴木俊民重板。 【備考】分類「農業」。明・何喬遠の『閩書(ビンショ)』や明・徐光啓の『農政全書』等の諸文献を参考に、甘藷(薩摩芋)の効能や栽培方法の要点を箇条書きに記した農書。「凡農民の助になるべきものは、さつまいもを第一とす。しかれども、作り習はざれば出来がたし。『閩書』并に『農政全書』といふ唐の書物、其外諸書を考へ、効能と作りやうの肝要をしるす」と起筆し、以下9カ条で綴る。また、巻末附録に小児の離乳食を始め、いくつかの調理方法について補足する。SE02457
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勧序考
¥4,680
★勧序考 【判型】中本2巻1冊。縦157粍。 【作者】粟津義圭(諦住タイジュウ)作。 【年代等】安永6年1月、廓林(真空)序。安永6年8月刊。[京都]永田調兵衛板。 【備考】分類「仏教」。袋綴じ展開収録。悟道の助けや序(糸口)となる寓話等を和漢の仏典・儒書等から参酌・編集した短編の訓話集。それぞれ漢字4字の見出しを付す。本末2巻から成り、本巻には「自新屡廃(ジシンシバシバハイス)」「山路聞鵑(サンロホトトギスヲキク)」「心有聾盲(ココロツンボメクラニアリ)」「追幽探深(ユウヲオイ、シンヲサグル)」「人生草露(ジンセイソウロノゴトシ)」以下25話。末巻には「大慧貼鼻(ダイエハナニジョウス)」「無父何恃(チチナクンバナニヲカタノマン)」「燕雀相賀(エンジャクアイガス)」「眷情蓬戸(ジョウヲホウコニケンズ)」「行者裹糧(ユクモノハカテヲツツム)」以下24話の合計49話を収録する。 SE02456
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願書写(武州埼玉郡下新郷村)
¥2,680
★願書写(武州埼玉郡下新郷村) 【判型】大本5冊。収録順に縦240・248・256・248・246粍。 【作者】不明。 【年代等】天保6-7年、弘化4年書。 【備考】分類「古文書」。武州埼玉郡下新郷村(埼玉県羽生市)古文書「願書写」5冊。各冊とも10~15丁程度で、公文書の記録。SE02455
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漢字三音考(3種)
¥1,540
漢字三音考(3種) 【判型】大本1冊。収録順に縦264・258・259粍。【作者】本居宣長作。【年代等】天明4年5月、小篠敏序。天明5年2月初刊。天明9年春再刊。[京都]銭屋利兵衛ほか板。【備考】分類「音韻」。全冊収録した天明9年板(書袋を冒頭に収録)に続けて江戸中~後期後印本2種を抄録した。漢音・呉音・唐音の三音について概説したもの。全19章と付録1章から成る。まず、日本語の音は、単直で純粋正雅であり、外国語の音は、鳥獣万物の声に近く不正であることを強調し、この主張が、全編を貫いている。次に、日本の漢学者は、中国語の音に「近ク協ヘテ新ニ定メラレ」たものであり、呉音・漢音の順に定められたが、前者は日本の音に近く漢音よりまさるとした。そして、「皇国字音ノ格」として、単音、イの韻、ウの韻、ンの韻、入声の韻にわけ、それぞれについて三音を対照させて説明する。この中で、イ・ウの韻に関連して、日本語のアクセントにも説き及ぶ。最後に、付録の「音便ノ事」で、日本語の音便を、イ、ウ、ン、急促(ツマ)ル、ハヒフヘホの半濁の5つに分類して豊富な例をあげるが、これは日本語の音便は漢字音の影響によって生じたとの考えによるものである。初めて日本漢字音の大要を概括して字音研究の方向づけを示し、また、中国語自体における漢音・呉音に言及するなど、示唆に富む。平田篤胤が絶賛しているように、以後の字音研究に大きな影響を与えた(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02453
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冠辞考続貂[冠辞続貂](2種)
¥4,820
冠辞考続貂[冠辞続貂](2種) 【判型】大本7巻7冊。収録順に縦251・259粍。 【作者】上田秋成(無腸翁・余斎)作・序。 【年代等】寛政8年9月自序・初刊。明治初年後印。[大阪]柳原喜兵衛板。 【備考】分類「語学」。別本も抄録した。『冠辞続貂』は『雨月(うげつ)物語』で知られる上田秋成(1734-1809)の著作。享和元年(1801)9月に刊行された全7巻の枕詞の解説書。「冠辞」とは枕詞のこと、「続貂」は賀茂真淵の『冠辞考』(宝暦7<1757>刊)の続編の意味。板木の文字も秋成自身の手によるもので、『冠辞続貂』は明治時代半ばまで本板木を使って印刷されていた(奈良大学博物館HP)。勝倉壽一「『冠辞考続貂』について」によれば、『冠辞考』は枕詞(真淵が「冠辞」と命名)350語を掲出して出典・釈義を考証したもので、枕詞研究史上の画期的な業績とされるもので、秋成の『冠辞考続貂』は340語を掲出するが、『冠辞考』と重複する42語を除くと、新たに298語の枕詞を加えて『冠辞考』の欠を補うものであった。真淵は出典の殆どを記紀・万葉から得ているのに対し、秋成は298語のうち『万葉集』から105語、記紀・風土記から19語を新たに選び、また、王朝文芸を出典とする174語を加えており、秋成は、中古の文献を博捜して枕詞の全容の把握に努めたことが分かる。真淵は万葉・記紀を、秋成は王朝和歌集を考証の基礎に据えるという研究手法の明確な相違が見られる。SE02452
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冠辞考(2種)
¥7,140
冠辞考(2種) 【判型】大本10巻10冊。収録順に縦250・252粍。 【作者】賀茂真淵作。 【年代等】宝暦7年6月、高梯秀倉・村田春道校。宝暦7年8月、橘枝直跋。宝暦7年9月再刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。 【備考】分類「語学」。後印本(書袋および第1・10巻)も抄録した。『古事記』『日本書紀』『万葉集』の枕詞326語(序文には「三百四十余」とある)を五十音順に配列して用例をあげ、枕詞の意味、被枕詞へのかかり方などを考証した書。序文に真淵の枕詞論が記されており、それによれば、枕詞はもともと音調を整えるためのものであったが、和歌の発達とともに修飾的性格を持つようになったとし、次に枕詞を5類に分け、さらに散文にも用いられることを指摘し、枕詞の価値を強く主張する(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02451
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顔氏家訓(校定顔氏家訓)
¥4,120
★顔氏家訓(校定顔氏家訓) 【判型】半紙本2巻2冊。縦239粍。【作者】顔氏(顔之推)作。朝倉璞序。【年代等】寛文2年3月初刊。文化7年7月再刊。文化7年7月刊。巌桂園蔵板。[京都]葛西市郎兵衛売出。【備考】分類「漢学・教訓」。がんしかくん【顔氏家訓 Yán shì jiā xùn】 中国,6世紀の顔之推の著。20編から成る。著者のゆたかな人生経験に裏うちされたこの書物は,たんに一家内の子弟たちを訓戒することばに終始するだけでなく,六朝時代における江南と華北両社会の家庭生活,風俗,儀礼,学術,宗教など,多方面にわたる知識を提供する。後世,家訓の祖と仰がれた。日本への伝来も早く,吉備真備の《私教類聚》はその影響のもとに成ったという。(コトバンク) SE02450
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丸散手引草
¥9,120
★丸散手引草 【判型】横本1冊。縦126粍。 【作者】臼弘光編。 【年代等】安永7年官許。明和9年初刊。寛政12年求板。[大阪]河内屋八三郎ほか板。 【備考】分類「薬物」。袋綴じ展開収録。本書は、江戸時代で最も詳しい部類の漢方薬辞典。巻頭には薬学の基礎知識を述べる。まず「湯散丸之解」で薬物における「散剤」「丸剤」「湯剤」の区別などを示し、「分両之定法」で調剤用の計量器や秤の単位、和漢における秤の違いなどに触れる。以下、「水ヲ用ユルノ例」「蜜ヲ練ルの法」「鍛錬煎煮火ヲ用ユルノ例」など合計13項を収録する。続く本文では、「円之類」(「牛黄清心円」以下43方)、「丹之類」(「延齢丹」以下53方)、「丸之類」(「六味地黄丸」以下203方)、「散之類」(「正舌散」以下143方)、「湯之類」(「十全大補湯」以下16方)、「雑方之類」(「屠蘇酒」以下8方)、「膏薬之類」(「万病無憂膏」以下6方)、「目薬之類」(「清明丹」以下5方)、「薬酒之類并雑方」(「八珍酒」以下12方)、の9分類で合計489方(見返には旧版(明和板であろう)で410余種とし、再刊にあたって69種を増補したとする)を収録し、それぞれ成分や効能、また、処方について詳述する。 SE02449
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丸散手引草(文政8年)
¥9,080
★丸散手引草(文政8年) 【判型】横本1冊。縦122粍。 【作者】臼弘光作。 【年代等】安永7年11月、鈴木定寛(湿卿)序。享和2年春初刊。文政8年2月刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「薬物」。袋綴じを展開して収録した。SE02448
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)