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〈在家内仏〉御きうじ式[御給仕式](2種)
¥3,160
★〈在家内仏〉御きうじ式[御給仕式](2種) 【判型】小本1冊。縦159粍(後半は154粍)。 【作者】休成編。 【年代等】弘化3年9月刊。[京都]丁子屋七兵衛板。 【備考】分類「真宗」。末尾に、見返に「〈念仏行者〉参詣心得草」の広告を付す別本を全冊抄録した。SE02193
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〈校正〉翁問答(宝永6年)
¥3,700
〈校正〉翁問答(宝永6年) 【判型】大本5巻合1冊。縦259粍。 【作者】中江藤樹作。 【年代等】慶安3年6月門人序・初刊。宝永6年5月再刊。[京都]吉野屋権兵衛板。 【備考】分類「教育」。袋綴じ展開収録。『翁問答』は、中江藤樹の著書。1641年(寛永18)に成立。藤樹死後の49年に丁子屋仁兵衛より刊行された5巻5冊本が正規の最古版。翌年に訂正、再構成を行い、改正編を付載した5巻5冊本を風月宗知より出版。以後の出版はこの2系統のどれかに準拠。かな文の問答体の儒教入門書として、江戸時代の末まで広く流布した。藤樹が朱子学から陽明学に転じた時期の思想形態がうかがえる(コトバンク)。5巻または2巻。儒学。寛永17~18年の作で、同20年に京都で刊行。藤樹はこれを捨て、後しばしば改筆。慶安2年本は誤字脱簡多く、慶安3年、改正編を付して刊行。さらに翌4年より天保2年まで刊本多数。天君という老翁と体充という門下が人間の道について問答したのを傍らで聞き、仮名まじり文で記した、という体裁をとるが、もちろん虚構で、藤樹の自作。人間の身の内には孝徳・明徳・良知という天下無双の霊宝があり、その命に従って行動し、神明に仕えるならば天下国家はよく治まるという。孝は宇宙の本源たる太虚と一体であり、『孝経』にもとづいて、天子・諸侯・卿大夫・士・庶人それぞれの孝を述べる。俗儒のように経書の文字訓詁を記憶する学問ではなく、経書の心を師とすべしとする。心学・心法という語を多用し、良知を強調するのは陽明学の影響であるが、中国明末における三教(儒・仏・道)一致の思想の影響を深く受けつつ、宗教的な立場を根底として人倫を説き示す(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02192
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〈改正〉翁問答(天保板後印)
¥4,480
〈改正〉翁問答(天保板後印) 【判型】大本5巻4冊。縦255粍。 【作者】中江藤樹作。 【年代等】慶安3年6月補・初刊([江戸]山本九左衛門開板)。天保2年8月補刻([江戸]小林新兵衛板)。明治初年後印。[東京]福田屋勝蔵ほか板。 【備考】分類「教育」。末尾に別本(明治期後印本)を抄録した。おきなもんどう【翁問答】 中江藤樹の著書。1641年(寛永18)に成立。藤樹死後の49年に丁子屋仁兵衛より刊行された5巻5冊本が正規の最古版。翌年に訂正、再構成を行い、改正編を付載した5巻5冊本を風月宗知より出版。以後の出版はこの2系統のどれかに準拠。かな文の問答体の儒教入門書として、江戸時代の末まで広く流布した。藤樹が朱子学から陽明学に転じた時期の思想形態がうかがえる(コトバンク)。SE02191
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翁草拾遺[睡余寄観]
¥4,360
★翁草拾遺[睡余寄観] 【判型】大本5巻5冊。縦264粍。 【作者】神沢杜口((カンザワトコウ、貞幹サダモト・可々斎・其蜩キチョウ・瘦牛)作。 【年代等】江戸後期書。 【備考】分類「随筆」。袋綴じ展開収録(見開き図は再掲)。『睡余寄観』は随筆。神沢杜口の『翁草』を、賀茂季鷹が抄出して一書としたもの。別称『翁草拾遺』。寛政7年11月蒹霞堂石居(大阪の人)序、文化元年11月加藤千蔭序があり、また、季鷹の跋がある。跋によると、杜口の自筆本から直接に抄出したことが知られる(「日本古典文学大辞典」参照)。『翁草』(200巻)と同様に『翁草拾遺』(10巻)にも異本が多く、底本は5巻本で、1巻が『同文通考』上巻の抄録で「神代文字」~「新字」、2巻が同じく「片仮名」~「音類仮字釈文」、3巻が『同文通考』下巻の「国字」~「省字」、4巻が「江戸吉原松葉屋瀬川の事」~「仮字次従五十音」、5巻が「異国船入津之事」~「江戸大火」。SE02189
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与興津氏女書[与興津氏之女書付]
¥1,400
★与興津氏女書[与興津氏之女書付] 【判型】大本1冊。縦259粍。 【作者】稲葉迂斎作・書。 【年代等】元文5年12月作・刊。[江戸]著者蔵板か。 【備考】分類「往来物」。『与興津氏女書[与興津氏之女書付]』は、元文5年12月に興津氏の娘が奥田某に嫁ぐにあたり、迂斎が書き与えた女訓書を上梓したもの。前文と12カ条の条々から成る。まず前文で、当代は女子教育が疎かになっていることや、本書の執筆理由などに触れる。以下、一つ書きで、婦人は外出すべきでないこと、婦人の徳・婦人の職、他家へ嫁ぐ意味と心得、信・貞、父母・舅姑への孝、嫉妬、懐妊中の慎み、子育て、女子三従、心の慎み、狂女、真の幸福について説く。育児については、第1条で娘が10歳になったら婦人一生の守りである「婉・娩・聴・従」の徳を教えるべきこと、第七条で懐妊後の胎教の心得、第八条で育児における母親の重要性や育児法、また、子供の悪を父に隠すべきでないことなどを諭す。作者は江戸時代中期の漢学者で、貞享元年9月17日生、宝暦10年11月10日没。77歳。初め鈴木氏。名、初め通経、のち正義。通称、十五郎・十左衛門。号、迂斎。佐倉藩士鈴木正則の男。江戸の人。三宅尚斎・佐藤直方・浅見絅斎に崎門学を学ぶ。正徳5年肥前唐津藩に仕え、藩校盈科堂の教授を務めた(『国書人名辞典』参照)。SE02188
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岡持家集我おもしろ[我おもしろ・我面白]
¥1,940
岡持家集我おもしろ[我おもしろ・我面白] 【判型】半紙本2巻2冊。縦224粍。 【作者】手柄岡持(テガラノオカモチ、朋誠堂喜三二1世・平沢平格ヒラタダ・平沢常富・金錦佐恵流キンキンサエル・浅黄裏成アサギノウラナリ)作。平沢太寄編。 【年代等】寛政元年9月自序。文化11年8月、大田南畝(蜀山人)序。文政2年夏、平沢太奇序・刊。[江戸]和泉屋金右衛門板。 【備考】分類「狂歌」。狂歌・狂詩・狂文。蜀山人序は文化11年8月、自序は実は寛政元年の岡持の文で、これに補足した太寄の文に文政2年夏とある。岡持の狂歌・狂詩・狂文を、没後に子息太寄が編したもの。上巻の狂歌は岡持自身が集めたというが、漏れたものもあり字句の変わったものもある。春・夏・秋・冬・離別・羇旅・哀傷・懐旧・述懐・慶賀・恋・雑・物名・神祇に分かち、さすが黄表紙作者だけあって趣向の奇抜さとおかしみが特色となっている。下巻は長歌・狂詩・仮名の詩・狂文より成る。長歌は同じ歳の加藤千蔭と詠み交わしたものが多く、寛々と長いのが特徴である。狂詩は天明年中に作り韓長齢と号したが、ここには舞妓を含む70余歳の作があり、「青楼十二時歌」は吉原の詩1首に狂歌1首を添える。狂文42編は、四方赤良(大田南畝)・宿屋飯盛(石川雅望)に次ぐ量で、やはり多彩な趣向と息の長い行文に独特の味があり、一流の狂文家というべきであろう(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02187
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〈百卅箇条〉小笠原流躾方書(2種)
¥2,760
★〈百卅箇条〉小笠原流躾方書(2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦219・227粍。 【作者】不明。 【年代等】文政8年以前刊。[名古屋]円文院蔵板。[名古屋]菱屋金兵衛(文林堂)売出。 【備考】分類「武家故実・礼法」。袋綴じ展開収録。同板別本の原装本も抄録した。書名は同板別本の原題簽による。前半の「小笠原流躾方書」と後半の「小笠原流書法(秘伝)」から成る童蒙用礼法書。従来の類書とやや趣が異なり、作者の趣向が所々見られる。その編集方針が目録末尾に「小笠原流の諸礼法躾方多端にして、其奥百にいたるまでは容易ならず。且は、当時専ら行るゝ流儀、其淵源悉く記さん事恐あれば、童蒙の第一心懸、さし当り知らで叶ざる急務の事のみをゑらび抜抄して、頭書に積物・折形の図を加へあらはすもの也」と記されている。前半部は『小笠原百箇条』に相当するが、冒頭の奉公人心得は作者独自の記述である。すなわち、人との交際には慇懃であること、着座するときはまず戸口で一礼し、自分の座るべき席よりやや下座を心懸けるのが基本的な作法であるとし、身の程を弁えず上座をするのは田舎人の所業であると戒める。そして、「すべて主人の御きにあひ候はんとするはわるし…たゞ主人の御きにしたがひ、おほせ付られ候事をちがへじと奉公致すべきなり」と従来通りの心得を展開し、「年配者を押しのけて主人の前にしゃしゃり出ることは極めて見苦しいことだ」と批判する。続く「先第一披露書可嗜次第乃歌」も独特である。この部分は通常の『小笠原百箇条』では禁止条目の列挙になっているが、本書では「まづ人々のたしなみは、人の前にて歯をみがき、やうじくわえてものいふな、大きなやうじつかふまじ…」と七五調の文章で綴って暗誦の弁を図る。さらに、「太刀折紙請取渡しの事」以下約90項に分けて給仕方・客方作法・婚礼作法などを略述し、適宜図解を交えるほか、頭書に「万積物之図」「万折形之図」「茶湯指南」を載せる。後半の「小笠原流書法秘伝」は、「硯に紙をそへ持出る事」など文房具の扱い方や、書札礼を始め各種書法を示したもので約40項を収録する。また、巻末に書状等に頻出する置字30種を解説した「文法置字集解(しっかい)」を付す。このように、冒頭を除く約130項は従来の記述とほぼ同様であり、例えば「太刀折紙」、あるいは「鞠の見物」「平重門より入り座敷見物」といった事柄が庶民にとって「知らで叶ざる急務の事」とは到底考えられない。したがって本書は、個別の作法は武家礼法のままとし、導入部のみを通俗的な記述に改編したものということになろう。なお、底本の表紙見返や本文上欄余白に多数の書き入れがある。これにより、文政八年頃に三河国八名(ヤナ)郡名号村(現在の豊橋市・新城市・豊川市)の中村丈右衛門が使用した後、その子孫と思われる中村半四郎の所蔵となったことが判明する。また、欄外に愛知県知事の勝間田稔(明治19-22年に愛知県知事)の名前も記されているため、本書は明治中期まで同家で使用されたものらしい。 SE02186
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〈増補絵入〉小笠原流百箇条(明和7年3種)
¥1,160
〈増補絵入〉小笠原流百箇条(明和7年3種) 【判型】半紙本1冊。縦225粍。【作者】下河辺拾水画。【年代等】明和7年8月刊。[大阪]尼屋貞次郎板。【備考】分類「礼法」。後半に後印本2種([大阪]勝尾屋六兵衛板、[大阪]河内屋和助板)を抄録した。本書前半部を寛永9年6月刊『小笠原百箇条(躾方竹馬抄)』から、また、後半部を寛永6年4月刊『初学文章抄』を一部改編した寛永11年刊『初学文章并万躾方』前半部(第54条まで)から採録し、さらに、適宜挿絵を組み込んで童蒙用に編んだ小笠原流礼法書。本書とほぼ同内容の類書が江戸後期に何種類も刊行された。前半部は『小笠原百箇条』とほぼ同内容で、最初に「先、奉公人の心持、主人の気にあわんあわんとする事はあしく候」云々の心構えを説いたうえで、「先第一披露書百ヶ条可嗜次第」(いわゆる「百箇条」)を列記する。これは他人(上輩・同輩・女性)の前で慎むべき不躾な行為を列挙したもので、「一、人前にて楊枝をつかふ事」以下89カ条の禁止項目から成る(備考欄参照)。続けて、「鷹に会う時の礼の事」「輿にあひての礼の事」「石を立たる庭を見物仕(る)事」以下85項を所々図解を交えながら説く。後半の「増補 文法初学用文章(文法用文章)」に、第1条「ひさしくあはぬ人につかはす状」から第51条「証文のしたゝめやう」までを収録する。これは寛永11年刊『初学文章并万躾方』前半部をほぼ踏襲したものである。したがって表題の「増補」とは、『小笠原百箇条』に『初学文章并万躾方』の書状例文を追加したことを示すのであろう。これは書札礼を含まない『小笠原百箇条』の欠を補うものとも言えるが、増補部分の記事は書札礼というよりも書簡用語集と言うべきものである。要するに本書は、江戸前期の『諸礼集』『大諸礼集』の如き武家故実を省き、起居進退の主要作法だけを記述したものである。ちなみに、『小笠原百箇条』はもとより100カ条に満たず、江戸前期刊本では90カ条だったが、末尾の方の「一、折紙を封ぜずしてつかはす事」の次の「一、東」が意味不明と見なされたためか、江戸中・後期の諸本ではこれを省く89カ条を掲げるのが通例である。SE02185
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小笠原流諸礼折形[小笠原諸礼折形・折形本躰伝・良薬躾方](2種)
¥2,000
★小笠原流諸礼折形[小笠原諸礼折形・折形本躰伝・良薬躾方](2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦226・225粍。 【作者】菊池貞蔵(松山・武直)作・序。*『良薬躾方』は雪石道人作・序、歌川国麿画。 【年代等】享和元年跋・刊、嘉永4年11月以降増補・再刊。[江戸]菊屋幸三郎(金幸堂)板。 【備考】分類「往来物・礼法」。同板別本も抄録した。また、冒頭に書袋を掲げた。本書は、享和元年『折形本躰伝』に、弘化4年刊『良薬躾方』(ただし末尾4丁を除く)を増補した礼法書(『良薬躾方』については後掲)。『折形本躰伝』は小笠原流折形の比較的詳しい図解書である。序文によれば折形は「木・火・土・金・水」の五行から生じた「天の節文(節度を守り、程良い飾り付けすること)」であり、同書は菊池家伝来の折形とする。本書に掲げる折形図は前半部(第11丁裏まで)の「極真の熨斗包」以下116六図と、「男蝶・女蝶」以下14図(水引を朱刷りとする)の合計130図である。作者の詳細は不明だが小笠原流を自称した礼法家であろう。「小笠原流…」の書名も出版の際に書肆が付けたものとも考えられる。このように小笠原家以外の礼法家が続出して一人歩きしたのが江戸時代の小笠原流礼法であった。また『良薬躾方』は、食礼を主とする礼法・婚礼全般を概説した往来物。前半は「喰方之次第、膳に向ひ様之事」以下65カ条で食礼および給仕方作法を述べ、後半「当時婚礼略式」は床飾り・祝言膳部・色直し等について記す。また巻末に、「斉家丸」「修身丸」「六親和合丸」「放党丸」「富貴丸」と題した修身・斉家・家内和合・貧富等の平易な教訓を載せる。本文を小字・14行・付訓で綴り、本文中に挿絵数葉を挟む。なお、本書の宣伝のために出版された安政2年刊『きさらきつみ草』によれば、本書は嘉永4年初刊、同7年再刊で、価格は「銀一匁」であった。 SE02184
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〈小笠原百箇条〉万礼式躾方[小笠原流百箇条・小笠原流躾方百ヶ条]
¥1,040
〈小笠原百箇条〉万礼式躾方[小笠原流百箇条・小笠原流躾方百ヶ条] 【判型】半紙本1冊。収録順に縦215・225・226粍。【作者】不明。【年代等】元禄2年初刊。文化9年3月再刊。[江戸]西村屋与八板。【備考】分類「礼法」。本書に続いて、弘化5年1月求板([江戸]山城屋新兵衛ほか板)の一部と、本書とは異板の天保14年1月再刊本([江戸]椀屋喜兵衛板)の全部を収録した。明和7年刊『〈増補絵入〉小笠原流百箇条』とほぼ同内容の童蒙向け礼法書。刊記によれば元禄2年開板で、以後「追々加増補」されたものという。現存する諸本に文化2年板、文化9年板、天保14年板、刊年不明板など数種ある。明和板と同様に、まず「小笠原流躾方百ヶ条」で奉公人心得を説き、続いて「先第一披露書百ヶ条可嗜次第」で不躾な行為を八九カ条に列記し、さらに「鷹に会時の礼の事」「輿にあひての礼の事」「石を立たる庭を見物仕る事」「鞠を見物する事」「馬屋を見物する事」など92項目にわたって基本礼法を記す。これらのうち再板以降の「追々加増補」の中心部分は末尾2丁の「掟のかきやう」「市町に立制札」「制札に釘を打時」「橋の法度書認やう」「宿はなれに建棒杭の認やう」等の記事と考えられる。天保14年板は、文化9年板とほぼ同内容だが、表紙見返の挿絵を省いて見返題を入れるほか、挿絵にも小異が見られ、全体のレイアウトも大幅に異なる。文化9年板と初板本を同じくすると思われるが、初板本の版式や内容については未詳。文化板以降の諸本では、最終丁の高札の年号に「延享四年」と記載するので、それ以後の改刻であることは確実。SE02183
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〈童子専用・増補絵入〉小笠原諸礼調法記[小笠原流諸礼調法記](天保9年・2種)
¥1,780
〈童子専用・増補絵入〉小笠原諸礼調法記[小笠原流諸礼調法記](天保9年・2種) 【判型】半紙本2巻2冊。収録順に縦218・223粍。 【作者】速水春暁斎作・画。松川半山画(口絵)。 【年代等】天保9年4月刊(増刻)。[大坂]堺屋新兵衛(文精堂)板。 【備考】分類「礼法・往来物」。巻頭に書袋を掲げた。また、同板別本も抄録した。本書は享和3年刊『〈童子専用・増補絵入〉諸礼調法記』の改編版。本文の内容は享和板と同じだが、口絵を増補(享和板では全て春暁斎画だったが、本書において松川半山の口絵数葉を追加)。また、下巻に「〈当流観世〉泰平小謡童児訓」を増補したものもある。本書は、小笠原流諸礼の基本を記した図解入り童蒙教訓書。巻頭に「帯参らする図」「茶参らする図」「飯喰様」など給仕方礼法・客方食礼に関する図を掲げ、「小笠原流」の由来に触れた後、「素礼の事」以下約60項と「婚礼の次第」10数項を載せる。例えば婚礼式法では武家方一般の作法に続けて「町家作法」を掲げるなど、士庶双方を視野に入れた編集が明らかで、武家礼法にならった略式礼法の庶民への浸透を物語る。江戸初期礼法に見られた秘伝的性格は払拭され、適宜図解を交えて分かりやすく説明する。頭書にも「五節句の事(年中行事を含む)」「四季上下(かみしも)の事」「四季の衣服の事」「生花の事」「常に香を嗅事」「立花見物の事」「茶菓子の事」「濃茶の事」「飯喰様嫌の事」「酌取様の事」「喰初の事」「婚礼忌詞」「髪置の事」「封目の事」などの関連知識を盛り込む。また後半の「初学用文章」は書簡用語や書札礼の概要を示したもので、「新年状」以下の各種例文について上輩・同輩・下輩の文言の違い(いわゆる「替え文章」)や書状形式等の作法を略記する。総じて本書は、従来の小笠原流礼法書よりも一段と庶民を意識して編集された士庶共通の礼法入門書になっている(例えば、巻末の「俗家通用手形証文請状之案文」はそれを如実に示す)。 SE02182
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小笠原諸礼大全(明治40年・活版)
¥1,740
小笠原諸礼大全(明治40年・活版) 【判型】中本3巻3冊。縦182粍。 【作者】岡田玉山編。 【年代等】文化6年7月、細香主人序。明治40年4月再刊。[東京]青木恒三郎版。 【備考】分類「礼法」。文化6年刊本の翻刻(活版和装本)。SE02181
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〈児童男女・画図手引〉小笠原諸礼大全[〈刪定〉小笠原諸礼大全](明治14年)
¥1,000
〈児童男女・画図手引〉小笠原諸礼大全[〈刪定〉小笠原諸礼大全](明治14年) 【判型】半紙本1冊。縦231粍。【作者】石田玉山作・画。篠田正作校。【年代等】文化6年7月、細香主人序・初刊。明治14年11月改訂・再刊。[東京]高橋平三郎板。【備考】分類「礼法」。定価金25銭。礼法全般、食礼・婚礼、通過儀礼、小謡等までを図解入りで説いた童蒙向け小笠原流礼法書である文化6年板『小笠原諸礼大全』の改編版。半紙本2巻2冊と3巻3冊の2種ある。3巻本の第1冊(上巻)は日本礼法の起源や礼の根本、五節句および時服、貴人や客人への応対、物の請取渡し、種々座礼、食礼等、第2冊(下巻)は縁談・結納から始まる婚礼全般と出産以後の生涯の通過儀礼に関する記事と「式礼座席小謡(祝言・佳祝・追福の3門から成る121番)」「茶の湯の事」「茶道百首教歌」「生花仕やう」「香の事」など芸能関連の記事で、いずれも礼法の心得を詠んだ教訓歌(礼法教歌)を多数載せるのが特色。また第3冊(下巻付録)は「式礼用文章」と題した用文章で、「年頭披露状」以下49通の消息例文と頭書「書札要例集」から成る。この「式礼用文章」序文には、近年の用文章が「商家諸職の便用、俗事のみを専らとする」結果、「分限相応の文言を失し、只端的に書」く傾向があるが、相手に失礼に当たる場合も少なくないため、本書を手習ううちに手紙の尊卑貴賤を弁え、文面の書き方を身に付けることができるだろうと述べる。『大阪出版書籍目録』によれば、本書は勝尾屋六兵衛(玉栄堂)原板という。その名残を示すのが「右一帖者、書肆応玉栄堂主人需書」云々の跋文であろう。また、当初2巻で刊行されたが、後に増補されて3巻3冊となったらしい。なお、本書を大幅に簡略化したものが、明治14年刊『〈児童男女・画図手引・刪定〉小笠原諸礼大全』である。SE02180
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〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(文化板・3冊本・2種)
¥3,960
〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(文化板・3冊本・2種) 【判型】半紙本3巻3冊。収録順に縦225・224粍。 【作者】岡田玉山作。石田王峰(石峰・玉山)画。青木玄古堂書。細香主人序。 【年代等】文化6年7月、細香主人序。文化6年刊記。文化7年12月初刊。江戸後期後印。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「礼法・往来物」。文化板3冊本と後印本の2種を収録。本書は、礼法全般、食礼・婚礼、通過儀礼、小謡等までを図解入りで説いた童蒙向け小笠原流礼法書。半紙本2巻2冊と3巻3冊の2種ある。3巻本の第1冊(上巻)は日本礼法の起源や礼の根本、五節句および時服、貴人や客人への応対、物の請取渡し、種々座礼、食礼等、第2冊(下巻)は縁談・結納から始まる婚礼全般と出産以後の生涯の通過儀礼に関する記事と「式礼座席小謡(祝言・佳祝・追福の3門から成る121番)」「茶の湯の事」「茶道百首教歌」「生花仕やう」「香の事」など芸能関連の記事で、いずれも礼法の心得を詠んだ教訓歌(礼法教歌)を多数載せるのが特色。また第3冊(下巻付録)は「式礼用文章」と題した用文章で、「年頭披露状」以下49通の消息例文と頭書「書札要例集」から成る。この「式礼用文章」序文には、近年の用文章が「商家諸職の便用、俗事のみを専らとする」結果、「分限相応の文言を失し、只端的に書」く傾向があるが、相手に失礼に当たる場合も少なくないため、本書を手習ううちに手紙の尊卑貴賤を弁え、文面の書き方を身に付けることができるだろうと述べる。『大阪出版書籍目録』によれば、本書は勝尾屋六兵衛(玉栄堂)原板という。その名残を示すのが「右一帖者、書肆応玉栄堂主人需書」云々の跋文であろう。また、当初2巻で刊行されたが、後に増補されて3巻3冊となったらしい。なお、本書を大幅に簡略化したものが、明治14年刊『〈児童男女・画図手引・刪定〉小笠原諸礼大全』である。 SE02179
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〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(文化6年・2冊本)
¥2,360
〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(文化6年・2冊本) 【判型】半紙本2巻2冊。縦225粍。 【作者】岡田玉山作。石田王峰(石峰・玉山)画。青木玄古堂書。細香主人序。 【年代等】文化6年7月、細香主人序。文化6年刊記。文化7年12月初刊。[大阪]植田善七ほか板。 【備考】分類「礼法」。礼法全般、食礼・婚礼、通過儀礼、小謡等までを図解入りで説いた童蒙向け小笠原流礼法書。半紙本2巻2冊と3巻3冊の2種ある。2巻本の第1冊(上巻)は日本礼法の起源や礼の根本、五節句および時服、貴人や客人への応対、物の請取渡し、種々座礼、食礼等で、いずれも礼法の心得を詠んだ教訓歌(礼法教歌)を多数載せるのが特色。また第2冊(下巻付録)は「式礼用文章」と題した用文章で、「年頭披露状」以下49通の消息例文と頭書「書札要例集」から成る。この「式礼用文章」序文には、近年の用文章が「商家諸職の便用、俗事のみを専らとする」結果、「分限相応の文言を失し、只端的に書」く傾向があるが、相手に失礼に当たる場合も少なくないため、本書を手習ううちに手紙の尊卑貴賤を弁え、文面の書き方を身に付けることができるだろうと述べる。『大阪出版書籍目録』によれば、本書は勝尾屋六兵衛(玉栄堂)原板という。その名残を示すのが「右一帖者、書肆応玉栄堂主人需書」云々の跋文であろう。また、当初2巻で刊行されたが、後に増補されて3巻3冊となったらしい。なお、本書を大幅に簡略化したものが、明治14年刊『〈児童男女・画図手引・刪定〉小笠原諸礼大全』である。SE02178
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〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(安政頃・3冊本)
¥3,500
〈児童躾方・画図手引〉小笠原諸礼大全(安政頃・3冊本) 【判型】半紙本3巻3冊。縦221粍。 【作者】岡田玉山作。石田王峰(石峰・玉山)画。青木玄古堂書。細香主人序。 【年代等】文化6年7月、細香主人序。文化7年12月初刊。安政頃再刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「礼法」。礼法全般、食礼・婚礼、通過儀礼、小謡等までを図解入りで説いた童蒙向け小笠原流礼法書。半紙本2巻2冊と3巻3冊の2種ある。3巻本の第1冊(上巻)は日本礼法の起源や礼の根本、五節句および時服、貴人や客人への応対、物の請取渡し、種々座礼、食礼等、第2冊(下巻)は縁談・結納から始まる婚礼全般と出産以後の生涯の通過儀礼に関する記事と「式礼座席小謡(祝言・佳祝・追福の3門から成る121番)」「茶の湯の事」「茶道百首教歌」「生花仕やう」「香の事」など芸能関連の記事で、いずれも礼法の心得を詠んだ教訓歌(礼法教歌)を多数載せるのが特色。また第3冊(下巻付録)は「式礼用文章」と題した用文章で、「年頭披露状」以下49通の消息例文と頭書「書札要例集」から成る。この「式礼用文章」序文には、近年の用文章が「商家諸職の便用、俗事のみを専らとする」結果、「分限相応の文言を失し、只端的に書」く傾向があるが、相手に失礼に当たる場合も少なくないため、本書を手習ううちに手紙の尊卑貴賤を弁え、文面の書き方を身に付けることができるだろうと述べる。SE02177
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小笠原式則(婚礼之部)
¥2,280
★小笠原式則(婚礼之部) 【判型】半紙本1冊。縦224粍。 【作者】橘貴義(児島幾之允・閑仲斎)書。 【年代等】明治4年2月書。 【備考】分類「礼法」。筆者は信陽(信州)水内郡念仏寺下組住人。折形図など図解多数掲載した精写本。SE02176
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おかげ参り[末代はなしの種]
¥700
おかげ参り[末代はなしの種] 【判型】中本1冊。縦170粍。 【作者】田村源治郎編。大眉画。 【年代等】明治23年2月刊。[大阪]田村源治郎板。 【備考】分類「雑記・神祇」。伊勢神宮とその周辺について紹介した、表紙とも10丁の絵入りの小冊子。冒頭から外宮・内宮および参詣路、祭神・御遷宮、付近の名所(鈴鹿山、鈴鹿神社、関駅、四日市、富田村、安濃の津、松坂等)について略述し、「大神宮の図」「外宮・内宮略図」「御遷宮の図」「太々奏楽」「古市のおどり」「伊勢参り旅行の賑ひ」「お杉・お玉の図(三味線や胡弓をかき鳴らし唄って、参宮者に投げ銭を乞う2人の少女は伊勢参りの名物)」「宇治橋の図」「二見浦の図」「参詣人群集の図」を掲げる。 SE02175
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大寄噺の尻馬(三編抄録)(〈新ぱんおどけ〉商売往来、魚仲間・青物仲間戯文)
¥700
大寄噺の尻馬(三編抄録)(〈新ぱんおどけ〉商売往来、魚仲間・青物仲間戯文) 【判型】半紙本1冊。縦215粍。 【作者】立田土瓶作、長谷川貞信・長秀画。 【年代等】江戸後期刊。[大阪]本屋安兵衛(松栄堂)板。 【備考】分類「咄本」。同書からの部分抄録。 SE02174
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大原問答絵鈔(和字大原問答)
¥2,000
★大原問答絵鈔(和字大原問答) 【判型】半紙本2巻2冊。縦224粍。 【作者】不明。 【年代等】寛政2年冬、杜多定玄序。寛政3年1月刊。[京都]菊屋長兵衛ほか板。 【備考】分類「浄土」。SE02173
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大原談義見聞[大原談義聞書鈔見聞](寛永9年)
¥2,000
★大原談義見聞[大原談義聞書鈔見聞](寛永9年) 【判型】大本1冊。縦279粍。 【作者】聖聡(ショウソウ、酉誉聖聡)作。 【年代等】室町中期作。寛永9年6月刊。[京都]道判(中野市右衞門尉・豊雪斎)板。 【備考】分類「浄土」。『大原談義(大原問答)』の注釈書(漢文注)で、江戸期古版本の一つ(『大原談義聞書鈔見聞』の板種は、寛永9年板、正保4年板、明暦3年板があるが本書はその最古刊本)。『大原談義』は、1186年(文治2)浄土宗の開祖法然が天台宗の学匠顕真の招請をうけ、洛北大原の勝林院において諸宗の碩学を相手に論議したこと。大原問答ともいう。ことの起りは、顕真が法然に会って出離の道をたずね、法然から阿弥陀仏の願力を強縁として凡夫が浄土に往生できる旨を聞いたが、なお疑心とけず、100日間籠居して浄土の典籍について研究し、その後改めて法然を招いて論談することになったものである。顕真のほか、明遍(三論)、貞慶(法相)、智海(天台)、湛学(同)ら諸宗の学僧が参会し、法然の述べる浄土宗義に対して詰問した。/『大原問答』は、大原談義ともいわれる。浄土宗開祖法然が文治2 (1186) 年 (異説あり) に天台宗の顕真の招請によって大原の勝林院で浄土宗義について明遍、証真、貞慶、智海、重源らと問答を行なったこと。法然は高僧たちの質問に対して明確に応答し、浄土の宗義、念仏の功徳を説き、弥陀本願の深い妙旨を語ったので、集った多くの人々が信服し、それより3日3晩不断の念仏を称したと伝えられる。翌朝重源は南無阿弥陀仏と名のり、それ以後、南無阿弥陀仏と名のる阿号が流行した。この大原問答によって、法然は一躍著名になった(コトバンク)。 SE02172
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大祓執中抄
¥2,160
大祓執中抄 【判型】大本2巻2冊。縦261粍。 【作者】近藤芳樹(田中晋一郎・田中芳樹)作。橘顯業校(上巻)。橘久要校(下巻)。 【年代等】弘化3年5月、加納諸平序。安政4年3月、千家尊孫(センゲタカヒコ、天日隅宮御杖代兼國造尊孫)序。安政6年6月、佐々木春夫序・刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。 【備考】分類「神道」。見返に「全三冊」とあるが、底本は2冊本で揃。上巻「開題」、下巻「釈義」に分けて、『延喜式』の祝詞の「大祓詞(六月晦大祓(ミナツキノツゴモリノオオハラエ)祝詞)」について詳しく解説した書。冒頭で、「大祓詞」の注釈書は既に賀茂真淵作『大祓詞考』(明和5年)や本居宣長作『大祓詞後釈(オオハラエコトバゴシャク)』(寛政7年)によってほぼ解き明かされているように見えるが、なお正すべき箇所があって、これを正すことが「先達の為にもうしろめたからぬわざ」であると述べるように、先行の注釈書を参酌しつつ、訂正すべきはこれを補訂するという姿勢で書かれている。なお「大祓詞」は、元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪(神道の観念による「罪」であり、犯罪とは意味合いが異なる)・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある。6月と12月では異なる文言であったが、6月の方だけが残った。『延喜式』巻八「祝詞」には「六月晦大祓」として記載されており、「十二月も此に准へ」と注記がある。今日使用されている大祓詞は「六月晦大祓」の祝詞を元にしたものである(Wikipedia参照)。 SE02171
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大祓詞後釈[大祓後釈](2種)
¥3,040
大祓詞後釈[大祓後釈](2種) 【判型】大本2巻附録1巻2冊。収録順に縦275・256粍。 【作者】本居宣長注。 【年代等】寛政7年11月、神祇伯資延王序。寛政8年春刊([伊勢松坂]鈴乃屋蔵板)。江戸後期後印。[京都]橘屋嘉助板。 【備考】分類「神道」。後印本も抄録した。『大祓詞後釈』は2巻2冊、注釈、本居宣長著、寛政8年春、[江戸]山城屋佐兵衛・[大阪]河内屋茂兵衛刊。起稿は寛政7年3月30日、版下書了は同年10月18日。寛政7年11月の神祇伯資延王の序を付す。なお、宣長は「大祓」に「オオバラヒ」と付訓しているので、書名の訓みもそれに従う。内容は『延喜式』の祝詞の「大祓詞」について、1句ごとに本文をあげ、まず賀茂真淵の『祝詞考』の説を掲げて、その後に「後釈」として自己の注解を示し、最後に「つけそへぶみ」として、「大祓詞」以外の祝詞の語句の注を若干ずつ加えたもの。本書は宣長が『出雲国造神寿後釈』を完成した後、祝詞の代表としての「大祓詞」の注解にその他の祝詞の略注をも添えて、祝詞の全注釈に代えようとしたものとおぼしく、前者『出雲国造神寿後釈』に比し、広く根本的問題を論じ、本格的な姿勢がうかがわれる。神祇伯に序を請うたところにも、天下に正説を示そうとした気概が感じられる。まず冒頭には、真淵の説のすぐれている理由とこれを批判する真意を弁じ、「六月晦大祓」の条では、大祓の意義・沿革などについて精密に分析し、文献を引いて詳細に考証し、『祝詞考』の誤りや不備を補っている。特に、真淵が各祝詞の成立年代を「神賀詞は飛鳥岡本宮の御代…大祓の詞は大津清御原の御代」などと、直観によって断定したのを退け、祝詞の成立過程には長い年月を考えるべきで、その間に詞句の変化もあり、1、2の語句によっては年代は定められないとするのは、学者としての卓越した見識を示している。詞章の各句の注釈も、考証綿密、整然たる論理と古代語法の学識に支えられ、周到を極めている。勿論今日から見て訂正すべき点もあるが、祝詞の研究として画期的で、現在も必見の価値がある。なお、本書の補正の書として藤井高尚の『大祓詞後後釈』1巻(文化10年刊)がある(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02170
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大祓詞後々釈
¥1,000
大祓詞後々釈 【判型】大本1冊。縦262粍。 【作者】藤井高尚作。源国忠序。 【年代等】文化10年12月作。文化14年9月、業合大江(ナリアイオオエ)跋・刊。[京都]永田調兵衛板。 【備考】分類「神道」。本文第2丁小口一部破損。SE02169
東京都公安委員会許可
第308942220838号
古物商 (書籍商)