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華術三才噺[〈未生御流〉花術三才噺]
¥2,160
★華術三才噺[〈未生御流〉花術三才噺] 【判型】大本1冊。縦258粍。 【作者】未生斎広甫(源正行・微笑斎・微生斎・未生斎2世)作・序。 【年代等】天保6年2月自序・刊。花道家元(著者)蔵板。 【備考】分類「花道」。未生流華道の根本理念である「天地人三才の道理」や関連する天文・暦法等の知識を平易かつ丁寧に諭した書。まず、本書が天地人三才の道理を挿花(イケバナ)の視点から説くものであると断り、「天」や「三」の字形が「天・地・人」から構成されるように、三才が不即不離であること、寛政9年の改暦や「無東西(国々によって東西が変わること)」「南北不動の子午線」に触れた後、「天」の恩恵を詳述して、「万物一切、天より預り物で御座ります」とし、「此道理が腹の中へしみ込ますと、自分勝手がやみますゆゑ、世界中の物が皆わが物」と教える。続いて、「六星(木・火・土・金・水星と地球)」と天体運動や陰陽説などを図解を交えて諭したうえで、万物の形は天の五星が地球(大地)に移って姿であると捉え、その作用によって表面の五色や五味の違いが生じるなど、万物が悉く天地の形である所以を説く。後半では、以上の考えを挿花に当てはめ、「非情無心」の草木は「よく寒暖のをしえを守り、天の道にしたがふ事は活物の長たる人に勝りし物」であるから、室内を花の如く清らかにせよといった華道上の心得を展開する。そして、草木の種を示す「天・仁・元・実・子」の道理や「縦花規矩置花器挿方(タツバナカネオキカキイケカタ)」「横華規矩掛花器挿方(ヨコバナカネカケカキイケカタ)」「十干吉凶・十二支吉凶・十二直吉凶」などを略述する。なお、巻末に「〈初伝〉花術三才の巻」「〈中伝〉花術体用相応之巻」「〈奥伝〉花術原一旋転之巻」「〈奧伝〉花術艸木養之巻」の目録や、各種花器図解を掲げる。 SE02334
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家塾録
¥1,400
★家塾録 【判型】半紙本1冊。縦232粍。 【作者】河村益根(マスネ、乾堂・上野)作。 【年代等】寛政頃刊。上野山房板。 【備考】分類「国学」。河村益根作、寛政6年刊『帝号通覧』の版心に「上野山房蔵」とあるため、その頃の刊行であろう。著者門弟に対して学問の方法や習得すべき事柄を記した書。河村益根(1756-1819)は、江戸時代後期の国学者、儒者。宝暦6年1月12日生まれ。河村秀根の次男。家学の国学をおさめ、岡田新川に儒学をまなぶ。生涯仕官せず、父の仕事をついで「続紀集解(しゅうげ)」など五国史の注釈書をあらわした。雅楽をこのみ、その演奏にすぐれた。文政2年11月12日死去。64歳。尾張(愛知県)出身。通称は培二郎。号は乾堂、上野。著作はほかに「紀典学解釈」など(コトバンク)。SE02333
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鹿島名所図絵[鹿島志・東国名所図会鹿島記](3種)
¥3,180
鹿島名所図絵[鹿島志・東国名所図会鹿島記](3種) 【判型】大本2巻2冊。収録順に縦259・257・257粍。 【作者】北条時鄰(トキチカ)作。鹿島鶴翁(鹿島則瓊ノリヨシ・大宮司中臣鹿島連則瓊)序。八島五岳(定岡・岳亭)画。 【年代等】文政6年9月、成島司直・高田与清(小山田与清・知非斎)序。文政7年3月刊。[江戸]須原屋茂兵衛ほか板。 【備考】分類「地誌」。同板3種を抄録した。鹿島神宮は古くから常陸国の一の宮として崇められてきた。上巻は鹿島神宮の縁起・摂社・末社・祭礼などについて記し、下巻は神宮境内および付近の名所を紹介する(筑波大HP)。文政6年(1823)の刊行で、著者の北条時鄰は鹿島神宮の祀官の生まれです。神宮の基礎として本書を著したとあります。鹿島神宮の縁起や末社の由緒、神宮周辺の名所・旧跡などがまとめられており、「七不思議」は拾遺の部に属しています。文中には、有名な要石をはじめ順に不思議が記されています(深川江戸資料館HP)。 SE02332
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鹿島日記
¥1,160
鹿島日記 【判型】大本1巻2冊。縦273粍。 【作者】小山田与清(オヤマダトモキヨ、文儒フヒト・高田与清・平与清)作。滝山知之校・序。真斎英笑画。 【年代等】文政5年7月、長谷川宣昭・滝山知之序。文政5年7月、沢近嶺跋・刊。刊行者不明。 【備考】分類「紀行」。『鹿島日記』は1巻、紀行、小山田与清著。「かしまにっき」とも。「やんごとなき人の仰せ」により、清書提出したものを、門人・滝山知之が校訂し刊行。挿絵3面。序文、本文、歌集より成る。小山田与清の講説旅行記で、風景描写、町村の様子などの記述はほとんどない。文政3年9月7日、江戸出発。同11月6日、帰家。路程は、千住・金町・松戸・小金・柏・我孫子(アビコ)・取手・猿山・神崎(コウザキ)・佐原・香取神社・潮来・鹿島神社・延方(ノブカタ)・息栖(イキス)神社・銚子・八日市場・成田・酒々井(シスイ)・佐倉・臼井・船橋・行徳で、各地の門弟を訪ねて、『源氏物語』『日本書紀』『古今和歌集』『古語拾遺』『積徳叢談』『墓相或問』などを講じ、和歌・文章を書き与え、付近の寺社や伝説の地を訪ね、地名について見解を述べている。巻末に門人達の詠歌集を添えてある。SE02331
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鹿島御物忌由来記[鹿島ものいみ由来・御ものいみ由来略]
¥1,400
★鹿島御物忌由来記[鹿島ものいみ由来・御ものいみ由来略] 【判型】大本1冊。縦250粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期刊カ。刊行者不明。 【備考】分類「神祇」。鹿島神宮の由来や物忌み・お守り等について記した書。表紙とも全13丁。SE02330
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家事盛衰元諭録
¥2,000
★家事盛衰元諭録 【判型】半紙本1冊。縦234粍。 【作者】神木幸徳作・序・跋。 【年代等】嘉永7年6月自序。安政3年3月自跋・刊。[伊勢四日市]太泰屋藤八板。 【備考】分類「暦法・相法」。作者の父で作者に独自の暦法・相法(磁石や方位ではなく屋敷の地理的条件に即してr総的な屋造りを見出すため、一般的な家相とは異なる)を伝授した神木綿宣(カミキメンセン*「北勢北溟(伊勢国北部の北方海辺)の産生」で尾張住人)の相法を簡潔・平易に諭した書。自跋によれば、嘉永7年に上京して四条に滞在中、ある貴人が作者を訪ねてきて「家相は貴賤によって異なるのか」あるいは「最近流行の家相や人相などは信用し難い」と語ったことに対して万物に作用をなす「日月の至理(シリ)」「五行」に即した「天理暦道」のあらましを述べた問答を認めた草稿を上梓したものという。本文は、まず、天地を始め国家・国民・一家・一身に至る「八重垣」や、神儒仏三道兼備の徳川幕府の政道の恩沢について述べ、続いて、日月星辰の至理を尊重すべきことを縷々説き、「天理とは、三道の明教と御暦とより外になし。則、前にいふ天理八重垣とは是なり」と述べ、この天理に背かない生き方が家内安全、天下泰平の基本であると諭す。なお、本書後半部の附録には武家・民家・町家・神社・寺院等の屋造りの図、「本命的殺操ヤウノ事」「年々八将神ノコト」「年々金神ノ事」「年徳神ノコト」等の記事を収録する。 SE02329
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かざし抄(挿頭抄)
¥1,500
かざし抄(挿頭抄) 【判型】半紙本3巻3冊。縦229㎜。【作者】富士谷成章(不尽谷氏)口授。吉川彦富・山口高端筆記・序。 【年代等】明和4年2月序・初刊。江戸中期刊カ。刊行者不明。 【備考】分類「語学」。文首・語頭にあって付属的に下へ係っていく、連用・連体修飾語、代名詞・感動詞・接続詞、接頭語などを挿頭(かざし)と呼び、それぞれについて解説・研究した書。 SE02328
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葛西用水掛渡土橋仕用帳
¥1,400
★葛西用水掛渡土橋仕用帳 【判型】半紙本1冊。縦236粍。 【作者】児玉太右衛門(御普請役出役)書。 【年代等】安永10年2月書。 【備考】分類「記録・古文書」。武州埼玉郡小作田村(現・埼玉県八潮市)で葛西用水に土橋を掛けるための仕様書(計画書)。必要な材木や材料の種類と数量、分担別の職人・人足の必要人員などを記す。葛西用水は、別名幸手 (さって) 用水。埼玉県の東部平野を灌漑する大用水。その末端は東京都足立区に達し、荒川放水路に注ぐ。万治3 (1660) 年郡代伊奈半左衛門忠克が開設。羽生市川俣で利根川から取水していたが、現在は利根大堰で取水し、埼玉用水から羽生市川俣で分水、鷲宮、杉戸、春日部、松伏、越谷、三郷、草加を通り、その間の灌漑水田は 8000haをこえている。古利根川、元荒川、会ノ川 (旧利根川本流) などの流路を利用し、ところどころせきとめて貯水場 (溜井) を設置(コトバンク)。 SE02326
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〈川口宗昌編輯〉鹿児島征討録(初編・2編)
¥6,800
★〈川口宗昌編輯〉鹿児島征討録(初編・2編) 【判型】半紙本2編4巻4冊(全3編中の2編)。縦222粍。 【作者】川口宗昌編・序。惺々暁斎画。 【年代等】初編:明治10年3月自序。明治10年3月刊。[東京]川口宗昌蔵板。[東京]甘泉堂・東崖堂売出。2編:明治10年4月自序。明治10年4月刊。[東京]川口宗昌蔵板。[東京]甘泉堂・東崖堂売出。 【備考】分類「記録」。初編は折込の色刷り挿絵(初編6葉*うち1葉1/2破損)を収録。底本は初編上巻23丁の折込を欠くため、別本のコピーにより補った。本書は、随時『暴徒風説録』『征討全記』『暴発報道』『伝聞記』『摘華新聞』『追討記』等を引きながら西南戦争の顛末を網羅的に記した絵入り本。初編上巻1丁裏に、「茲ニ流伝スル処ノ風説ヲ悉ク蒐集ス。故ニ行文ノ拙劣ナキモ校訂スルヲ得ズ、説ノ真偽モ判決スル能ハズ、只説ノ虚実ニ至リテハ固ヨリ吾吾ノ保証スル所ニ非ザレバ、請フ看官幸ヒニ撰ム所アレ」と記す。初編は、西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、2017年現在日本国内で最後の内戦である。鹿児島では丁丑戦として語られている(Wikipedia参照)。SE02325
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雅語音声考[雅言音声考]・希雅
¥1,000
雅語音声考[雅言音声考]・希雅 【判型】半紙本2巻1冊。縦229粍。 【作者】鈴木朖(アキラ、鈴木離屋)作。 【年代等】文化13年9月序・初刊。[名古屋]永楽屋東四郎板。 【備考】分類「語学」。本書には刊年の記載がなく、書袋に「合刻/離屋鈴木先生著/雅語音声考/希雅/文化丙子歳鐫 東壁堂発兌」と記す。『雅語音声考』は、もと「言語音声考」と題した草稿(平田篤胤の写した本を伴信友が転写せしめ書入れした本)の奥に、享和癸亥(享和3年)6月とあるが、刊本は文化13年(1816)の本居大平の序を持つ。語には、もと物の音声を写し、また、物の形や意を音声に写して命名したものがあるとして、例を挙げて説く。語の形式と意義とを発生的に関係づけようとする見方は肯定すべき点を含んでおり、後の音義説と同日に論ずべきものではない(「日本古典文学大辞典」参照)。鈴木朖(1764~1837)の著書。鈴木朖は尾張藩士。優れた儒学者、国学者で、その文法学説は現代に大きな影響を与えている。本書は、古典の用例から発音と意味とが結び付いた理由を説明できる語彙を集めて簡単な解説を施したもの。ふつう、言葉は発音と意味とが理由なく結び付いているが、擬音語や擬態語と呼ばれるものは、発音で、あるものや意味を象徴する。よく観察すると、一般の語彙にもそのような言葉がある。展示した最初の頁では鳥や虫の鳴き声がその名称になった例があげられている。後の方の頁には、息を吹くのはぷっと言う動作であるなどと書かれている。朖は「音象徴」という現代言語学の課題の一つに気付いていたのである。頁の右側、総説の末尾の部分には、石川雅望が同様の考え方(おそらく『雅言集覧』になったもの)を述べているが、これは自分が先に唱えた説である旨が書かれている。朖の学問に対する背筋を伸ばした姿勢がよくわかる。合冊された『希雅』は、漢字の訓読みについて同様に解説したもの。なお、並べて展示しているものは、この本が売り出されたときの紙筒(カバー)である。この本は刊行事情に関する奥付を欠いているが、紙筒に書かれている文字によって1816(文化13)年に刊行されたとわかる貴重な資料である(愛知県立大学HP)。SE02324
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画巧潜覧[画苑](2巻)
¥1,000
画巧潜覧[画苑](2巻) 【判型】大本1冊(全6巻中の第2巻)。縦262粍。 【作者】大岡春卜(狩野雪静斎・藤原愛董ナルシゲ・狩野春卜・法眼春卜ホウガンシュンボク)画。 【年代等】元文5年刊(国文学研究資料館DB)。 【備考】分類「絵画」。前半は「人物筆法」、後半は延宝2年5月作「馬鶴(探幽百馬百鶴図巻物写)」。SE02323
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雅言通載抄(2種)
¥4,640
雅言通載抄(2種) 【判型】中本4巻4冊。収録順に縦183・186粍。 【作者】城戸千楯(大江千楯・曙廼舎主人)編(抄)・序。 【年代等】天保13年6月自序。文久元年9月刊。[京都]銭屋惣四郎ほか板。 【備考】分類「語学」。4巻32丁飛び丁、同巻36丁の丁付けは重複で、落丁無し。別本同板も抄録した。本訴は、榎並隆璉(エナミタカテル)著『雅言通載』を抄出したもの。『雅言通載』は、隆璉が歴史研究の一環として、上代の史書を中心に漢字で記された60余種の資料から雅言を採集したもので、富士谷成章の学統に添い、挿頭(カザシ)・装(ヨソイ)・脚結(アユイ)の3部に分かち、五十音順に万葉仮名で標出して用例を示し、校異・語源・語義に関する注記を、古辞書・仮名文学作品の類を援用して加えている。これは草稿本のままであったが、類字の『雅言集覧』とは一線を画し、独自の価値を持っていた。本書はその抄出で、標出語は平仮名に改め、配列を変えてほぼそのまま採り、用例は用字の違いで類別して抄出し、注記は最小限に留めるなど、簡便な内容となっていて、漢字文献所収の語句を検索するための索引的役割を果たしている(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02322
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雅言仮名格同拾遺[雅言仮名格・雅言仮名格拾遺]
¥2,640
雅言仮名格同拾遺[雅言仮名格・雅言仮名格拾遺] 【判型】小本2巻合1冊。縦161粍。 【作者】市岡孟彦(市岡猛彦タケヒコ)補訂(正編)・編(拾遺)。鈴木春蔭跋(拾遺)。 【年代等】正編:文化3年11月、尾張宿禰保秀序。文化4年5月初刊。文化13年8月補訂・再刊。[名古屋]市岡孟彦蔵板。拾遺:文化11年11月刊。[名古屋]槲園社中蔵板。[名古屋]松屋善兵衛売出。 【備考】分類「語彙」。楫取魚彦『古言梯』の増訂本。別本に本書を「此書は古言梯の誤をたゝしもれたる詞ともを/九百余増補したる書也/雅言假字格二冊/同拾遺一冊/…製本所 慶雲堂」と紹介する。SE02321
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花月草紙5-6巻
¥2,100
花月草紙5-6巻 【判型】大本6巻6冊。縦258粍。 【作者】松平定信(楽翁)作。 【年代等】文政元年作。堀田正敦序。江戸後期刊。刊行者不明。 【備考】分類「随筆」。政界引退後、自らの体験や信念をまとめた随筆集(堀田正敦らのすすめで文化9年より執筆)。SE02320
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花月草紙3-4巻
¥2,100
花月草紙3-4巻 【判型】大本6巻6冊。縦258粍。 【作者】松平定信(楽翁)作。 【年代等】文政元年作。堀田正敦序。江戸後期刊。刊行者不明。 【備考】分類「随筆」。政界引退後、自らの体験や信念をまとめた随筆集(堀田正敦らのすすめで文化9年より執筆)。SE02320
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花月草紙1-2巻
¥2,100
花月草紙1-2巻 【判型】大本6巻6冊。縦258粍。 【作者】松平定信(楽翁)作。 【年代等】文政元年作。堀田正敦序。江戸後期刊。刊行者不明。 【備考】分類「随筆」。政界引退後、自らの体験や信念をまとめた随筆集(堀田正敦らのすすめで文化9年より執筆)。SE02320
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家訓抜書[子孫家族一統え時々可申諭書]
¥2,000
★家訓抜書[子孫家族一統え時々可申諭書] 【判型】大本1冊。縦269粍。 【作者】喜多村寿富作。手代繁治郎(21歳)書。 【年代等】嘉永5年書。 【備考】分類「教訓」。下総国関宿向下河岸(現・埼玉県幸手市西関宿)の豪商(干鰯漁粕魚油問屋)喜多村寿富が著した嘉永元年作『家訓永続記』7巻からの抜粋で、同中店の手代・繁治郎が抜書した写本。嘉永5年1月作「七福神宝船之意」、嘉永5年1月作「七福神懸物添書」、「七福神宝船之意懸物、今般子孫家族之者え相譲申添書」、弘化3年冬作「家訓永続記之内五箇条之意一統厚可心得事」などを収録する。SE02319
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家訓(家族可相守条々)
¥2,000
★家訓(家族可相守条々) 【判型】半紙本1冊。縦244粍。 【作者】不明。 【年代等】江戸後期書カ。 【備考】分類「教訓」。河原林家の家訓と思われるもので、全23カ条。毎月1度ずつ読み聞かせて家族の指針とすべき旨を末尾に記す。安井卯之助旧蔵。 SE02318
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神楽催馬楽歌入文
¥5,020
神楽催馬楽歌入文[神楽入文・神楽歌入綾・神楽譜入文/催馬楽入文・催馬楽入綾・催馬楽譜入文] 【判型】半紙本6巻6冊(各3巻3冊)。縦230粍。 【作者】橘守部(庭麿)作・序。 【年代等】天保5年9月自序。天保12年8月、井田千英序。天保12年9月、中村正富・坂井長予跋・刊。[江戸]岡田屋嘉七ほか板。 【備考】分類「注釈」。「神楽歌入文」は、3巻3冊、注釈、天保5年9月成立(自序)。『催馬楽譜入文』と合わせて、『神楽催馬楽歌入文』として普及した。本文は嘉禎元年(1235)の奥書のある『神楽譜』を底本とし、鍋島家本『東遊歌神楽歌』、同校合本、『体源抄』所収『神楽注秘抄(梁塵愚案抄)』によって校合を加えている。注釈は『梁塵愚案抄』『神楽歌考』『古事記伝』『日本紀歌解槻乃落葉(ニホンギウタノカイツキノオチバ)』のほか、『梁塵愚案抄』や『神楽歌考』の書き入れの説をも引いた後に自説を述べ、先人の説のない語句については「先注釈なし」と記すなど、もっとも整った注釈の形式を備える。注釈の内容も実証的で詳細、語句の辞書的な意味に止まらず、神楽歌としての意味にも注意を払っているのは本書の優れた点である。本書は神楽歌注釈書の中の白眉で、今日においてもその価値は高い(「日本古典文学大辞典」参照)。「催馬楽譜入文」は、3巻、注釈。『神楽歌入文』と合わせた一部の書『神楽催馬楽歌入文』として普及した。『梁塵愚案抄』『催馬楽考』等の先注を受け、新見を加えた催馬楽の全注。本文は文治2年(1186)・承元2年(1208)の両奥書のある「神楽催馬楽笛琴譜」により、天治本古譜や先注との異同を注した。催馬楽の時代・源家藤家・名義・律呂について述べ、評釈は語釈の後、「一首の意は」として歌謡としての諷諭・寓意を強調する所が多い。独断もあるが、概して創意に富んだ画期的な注釈で、以降の研究い貢献した(「日本古典文学大辞典」参照)。SE02317
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学問捷径[日新堂学範]
¥1,920
学問捷径[日新堂学範] 【判型】半紙本3巻3冊。縦227粍。 【作者】平賀中南(平賀晋民)作。赤井通(トオル、子達)校・序。 【年代等】安永8年1月刊。[京都]赤井長兵衛ほか板。 【備考】分類「教育」。『学問捷径』は、3巻3冊、儒学、平賀中南著。別称「日新堂学範」。安永8年、門人赤井子達校・刊。内容は、「学範」「学儀」「作詩法」「作文法」「称呼」の5部に分け、初学者のために学問の方法を述べている。巻上の「学範」では、素読法、書物の見方、抄書の方法、教育者の心得など、巻中の「学儀」では、学問を志す者の態度、「作詩法」では、詩の作り方、諸体の法式、平仄・韻字・声律などを詳しく記し、巻下の「作文法」では、訳文の方法、字義の見方、助字の法、文章の作り方など、「称呼」では、様々な名・物の漢文での書き方を説明している。仮名交じりの平易な文章で具体的に記されており、初学者は漢儒・程朱・伊藤仁斎・荻生徂徠、特に後三者のうちから自己の学力に応じて聖人の道にかなうものを主に学べとか、文章・学問の階梯は詩にあるとして詩作をすすめるなど、折衷学者らしい独特の学問・教育論を展開している(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02316
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学問源流
¥1,300
学問源流 【判型】大本1冊。縦255粍。 【作者】那波魯堂(ナワロドウ、那波師曾)作。那波績絞。 【年代等】寛政6年5月、奥田元継序。寛政11年5月初刊([京都]風月荘左衛門板)。天保4年7月再刊([京都]堺屋仁兵衛(尚書堂)板)。 【備考】分類「教育」。袋綴じ展開収録。本書は、日本における漢学の流れを概説した講説語録(西尾市岩瀬文庫・古典籍書誌DB参照)。『学問源流』は、江戸時代中期に那波師曾(魯堂)によって書かれた漢学史書。全1巻。寛政元年(1789年)、自分の余命を悟った師曾が門人に口述筆記させ、その死後に遺品を整理していた実弟の奥田元継(尚斎)がこれを発見し、師曾の嫡子と相談の上で同6年(1794年)に刊行された。全体として朱子学を擁護して、朱子学至上主義の史観が貫かれている。延喜・天暦以来、儒教が仏教に圧倒されて儒教が禅僧の学問と化したこと、藤原惺窩が日本における宋学の端緒を付けたこと、その後伊藤仁斎・東涯父子や山崎闇斎・中江藤樹・荻生徂徠らが、名利をもって陽明学や古文辞学などの異説を掲げて朱子学の排撃を試みたこと、だが朱子学こそが名利を捨てて学問として成就された正統な儒学であることを論じている。更に中国における詩文の歴史についても論じている。朱子学擁護という当時の時代の要請とその分かりやすい文章から、江戸時代を通じて何回か刊行され、明治以後も博文館より活字本として刊行されている(Wikipedia参照)。/江戸中期の儒学者那波魯堂(なわろどう)の著。1巻。魯堂の弟奥田元継(げんけい)(尚斎、1729―1807)の記した1794年(寛政6)の序により、魯堂が晩年病床にあって門弟に講述したものを、その没後、元継が魯堂の子と諮って刊行したことがわかる。平安時代の延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)以来の日本における儒学の歴史を述べたもので、中国宋(そう)代の程朱学(程(ていこう)・程頤(ていい)や朱熹(しゅき)の学)を真正とする立場から、近世初頭に程朱学をおこした藤原惺窩(せいか)の功績をたたえ、程朱学を批判した中江藤樹(とうじゅ)らの陽明学派、伊藤仁斎(じんさい)らの古義学派、荻生徂徠(おぎゅうそらい)らの古文辞学派ほかを非難し、程朱学の本来の姿を保持すべきことを説いている(コトバンク参照)。 SE02315
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学問関鍵
¥1,000
学問関鍵 【判型】大本1冊。縦272粍。 【作者】伊藤東涯(源蔵・源蔵)作。 【年代等】享保15年作。元文2年春、菅原家長序。元文2年3月、奥田士亨(シコウ、嘉甫・宗四郎・三角・三角亭・蘭汀)跋。元文2年4月刊。[京都]瀬尾源兵衛(奎文館)板。 【備考】分類「漢学」。伊藤東涯の初学者に学問の大旨を懇説した書。『学問関鍵』は享保15年成立で、東涯晩年の著作。刊行は元文2年。書名の示す如く学問の主眼点を明らかにしたもので、仁斎・東涯の学問観を簡潔に述べている。その主張するところは、「理は一般なるものにて、聖人より凡夫に至るまですこしもかはることなし。気のうけやう同からざるに因り、聖人の徳は清明純粋にして、すこしのまじはりなく、愚不肖なるものは、昆濁遅鈍にして、その理あらはれ難し。これを気質の偏と云」「又人たるもの生出て形気を具るときは、耳・目・口・鼻の欲あり。(中略)その欲熾盛にして、本性をおほひくらますに因て本来の天理を取失う。これを物欲の蔽と云」とある「気質の偏」「物欲の蔽」を取り除き、「虚霊不昧」という純粋な形而上的境地に立ち、尭舜聖賢と一体になるのが学問の本道である、というに存する。また、天地万物の理を極める格物窮理の道と、前者「虚霊不昧」の境地を綜合し、これを「居敬窮理」と称し、学問の本道はここに尽きるという。専ら古の聖賢の道にもどり精進すべきを説き、学問への姿勢・態度を論じたもので、学問の本質論ではない。門人、奥田士亨の跋文、菅原家長の序文を付す(「日本古典文学大辞典」参照)。 SE02314
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角毛偶語(2種)
¥6,620
角毛偶語(2種) 【判型】半紙本5巻5冊。収録順に縦224・227粍。 【作者】南渓(淮水隠士・詢道・老杜多)作。 【年代等】天保15年2月凡例。天保15年4月、麻田公岳(赤県学士・麻田喬)序。天保15年5月、古香逸人厓跋・刊。刊行者不明。 【備考】分類「仏教」。後印本も抄録した。儒者、中井積善の『草茅危言』の排仏説を弁駁した書。本書の凡例中に「危言中排仏の一章、初は総じて皇国分立の諸宗を殲滅せずんば政治の休美を得べからずと謂ひ、後は別して真宗を漸滅蕩除するは執政の人の処置なりと云ふ。如此の論は、時勢を察せず人情を動かし国家の乱を醸すの議なるを以て、今其の偏固の執塊を砕き、以て時と情との清寧ならんこと要するのみ」と述べるように、儒仏の徒が互いに相賛成して風教を維持すべき事を論じ、そのなか、韓退之の仏骨表に対する駁、聖徳太子に関する世論の駁等もあって痛快の文字に富む(「増訂国書解題」参照)。作者、南渓(1790-1868)は江戸時代後期の僧。寛政2年生まれ。文政2年豊後(大分県)の浄土真宗本願寺派満福寺の住職となる。神道家や儒者の排仏論に反論し、中井積善の「草茅危言」に対しては「角毛偶語」をあらわした。嘉永4年司教、安政3年勧学。慶応4年8月18日死去。79歳。筑前(福岡県)出身。法名は別に詢道。字は伝灯。号は淮水、覚音坊、円成院。著作はほかに「杞憂小言」「邪正対論」など(コトバンク)。 SE02313
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〈重刻正字〉画引十体千字文綱目(2種)
¥1,460
〈重刻正字〉画引十体千字文綱目(2種) 【判型】半紙本1冊。収録順に縦226・222粍。 【作者】不明。 【年代等】宝永元年6月初刊。宝暦6年6月再刊。天保7年1月再刊。嘉永2年3月再刊。[京都]天王寺屋市郎兵衛板。 【備考】分類「書道」。天保7年板も抄録した。周興嗣の『千字文』を楷書・小篆・大篆・署書・摸印・隷書・行書など様々な書体で綴り、頭書に「偏冠尽」。SE02311
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第308942220838号
古物商 (書籍商)